2010/11/07 - 2010/11/07
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ka-keikoさん
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リスボンから 「 CITYRAMA 」のツアーでオビドス、アルコバサへ行きナザレで昼食した後 バターリャ、ファティマを訪れた。
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オビドスへ行く途中、ツアーバス(約25名くらい)の中から。
オビドスはリスボンから北へ70Km程のところにある 住民3000人ほどの町である。
オビドスの町は丘の上にあり 城壁で取り囲まれている。
通り、広場、城壁そしてどっしりとした城が中世のままで魅力的である。「通りを歩いたら 是非ジンジニャというオビドス産のリッカーをチョコと一緒にどうぞ」と勧められたが---飲んでいない。 -
ポルタ・ダ・ヴィラ(町への門)。
門の中へ入ったら自由行動になり 集合場所はバスの駐車場。 -
門の内部には18世紀のアズレージョ。
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道が2本に分かれているが合流する。左側がディレイタ通り。
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ディレイタ通りを歩いて。
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ディレイタ通りを歩いて。
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ディレイタ通りを歩いて。
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城壁を歩きたいので途中にある教会は 城壁を歩き終わってから見学した。
正面はサンティアゴ教会。 -
左の建物にトイレがあったので 使わせてもらった。
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城壁を登る。
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城壁から。
屋外のコンサートでもする場所なのかな?
お城は今ではポサーダ(城を改装した宿泊施設)になっているとの事。 -
城壁からの眺め。
「オビドス」と言う名前は ラテン語の「砦」、「要塞」、「城」からくるそうだ。
考古学の発掘などで この丘の近くがローマの植民地下にがあることが分かった。
ローマ時代が終わると西ゴート族の影響下にあったと思われるが物証に欠ける。
そして5世紀ごろ ローマ時代の町は見捨てられ もっと安全な今のオビドスがある丘の上になった。
713年以降にムーア人(要するにイスラム教徒)が丘の頂上に要塞を作った。
1148年土地の支配は イスラム教徒からアフォンソ・エンリケス(ポルトガルの最初の王)になった。
これはゴンサロ・メンデス・ダ・マイアがイスラム教徒の要塞を襲撃した功績によるとされる。
オビドスを取り戻した事は この地域の植民地の終わりを意味する事で 1195年に自治区の1つとなった。
1210年アフォンソ2世はこの町を彼の妻にあげた。
それ以来、オビドスは度々ポルトガル王妃の所属となった。
何人もの王妃が中世から16世紀に至るまで 町を豊かにした。
オビドスの城や城壁は改造され地元の石灰岩や大理石で作られている。
この頃 町は大きくなり城壁の外へも住むようになった。---調べて分かった事。 -
城壁を歩いて 周りを見下ろすのは気分が良いが 柵が無いし幅が狭いのでちょっと怖い。
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城壁から。
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サンタ・マリア教会と 主人の横に立つペロリーニョ(罪人のさらし柱)。
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サンタ・マリア教会内部。
このサンタ・マリア教会は 1441年8月15日にアフォンソ5世が いとこのイサベル王女と結婚式を挙げたところである。
彼らはまだ9歳と10歳であった。 -
サンタ・マリア教会内部。
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お土産店の商品をパチリ。
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ディレイタ通りを下がった所にある サン・ペドロ教会。
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サン・ペドロ教会内部。
この後 オビドスを後にしてツアーはアルコバサへ。 -
アルコバサはリスボンから北へ100Kmのところにあり(オビドスより北にある)、15800人位の住民がいる。
アルコア川とバサ川の2つの川が交わる流域で町の名前は この川の名前に由来する。
町は12世紀になり大きな教会の建設で有名になった。 -
アルコバサのサンタ・マリア修道院。
ポルトガル最初の王であるアフォンソ・エンリケスが この地を占領していたムーア人を打ち負かした事を記念して建てたもの。
後にこの修道院の修道士はポルトガルの文化に大きな影響をもたらした。 -
サンタ・マリア修道院。
教会にはペドロ1世と殺されたイネス・デ・カストロの棺がある。
ペドロとイネスの悲話:
ペドロ王子は王の言いつけによりカスティーリャのコンスタンサと結婚したが イネス・ド・カストロと恋に落ちた。コンスタンサがまもなく亡くなったのでペドロはイネスとコインブラで住み 3人の子供も生まれた。
カスティーリャ側の圧力を恐れた王室側にイネスは殺されてしまうが 父親が亡くなった後 王位に付いたペドロは ブラガンサでイネスを正式な妻と教会に認めさせ そしてイネスの殺害に加わったものをすべて処刑した。 -
サンタ・マリア修道院。
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サンタ・マリア修道院内部。
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サンタ・マリア修道院内部。
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サンタ・マリア修道院内部。
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サンタ・マリア修道院内部。
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サンタ・マリア修道院内部。
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サンタ・マリア修道院内部。
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サンタ・マリア修道院内部。
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サンタ・マリア修道院正面から町を見て。
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サンタ・マリア修道院正面から町を見て。
中央遠方にお城も見える。
この後 ツアーは昼食をとるためナザレに向かった。 -
昼食は白いとんがり帽子が沢山付いている建物、画面中央の左よりにある「RESTAURANTE S. MIGUEL」で食べた。
ナザレは漁村なので出された料理もお魚。
レストランがある場所はプライア地区、小高い山の上はシティオ地区で2つの地区はケーブルで結ばれている。
ツアーでは上に登ってくれなかった。
上にはノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会やメモリア礼拝堂があるが 見学できなくて残念。 -
レストランから町を見て。
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小高い山の先端は崖のようになっているが建物も見える。
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先端にある建物は サン・ミゲル要塞。
サンミゲルはレストランの名前と同じであった。
見えている海は 大西洋。
昼食後、バターリャへ。 -
バターリャ修道院。
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バターリャ修道院と騎馬像。
バターリャ修道院は アルジュバロータで1385年にポルトガルがカスティーリャに勝利した事を聖母マリアに感謝して造られたものである。
1386年に建設が始まり およそ1517年に終わったとされる。
後期ゴシック様式およびマヌエル様式が見られる。 -
騎馬像。
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バターリャ修道院正面。
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修道院入り口。
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入り口。
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バターリャ修道院内部。
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バターリャ修道院内部。
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バターリャ修道院内部。
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ジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの棺。
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バターリャ修道院天井。
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ジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの息子の棺。
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バターリャ修道院。
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バターリャ修道院。
この後 ファティマへ移動。 -
ファティマにて。
広場からバジリカと反対方向に立っている。 -
ファティマのバジリカ。
広大な広場の向こうにバジリカ。 -
65mの塔を持つバジリカと広場に立つキリスト像(泉が出ている)。
1917年に3人の子供達の前に聖母マリアが出現したことで有名。 -
ファティマのバジリカ。
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バジリカ内部。
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バジリカ内部。
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バジリカ内部。
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3人の子供たちの前に聖母が出現したと言われる場所では 人々が長いロウソクを捧げている。
長いロウソクをお土産に買って帰る人もいる。 -
ファティマのバジリカ近くのお土産店。
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