1995/06/09 - 1995/07/05
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shiroumaさん
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初めての旅、デジカメも携帯も無かった時代。
写真もほとんど撮っていませんでした。
人生初の大きな旅でした。
《千葉県》
6月9日(金)
松戸 友人の家。
練馬のアパートから出発。
松戸まで走って友人のアパートに泊めてもらう。
距離はそれほどでもないが、赤羽から先は未知の世界です。
勢いで出てしまったが北海道までいけるかどうかもわからない。
それでもやると決めて一歩を踏み出した事がきっと自分を成長させてくれると信じて。
《茨城県》
6月10日(土)
友人に見送ってもらい8時半出発。
6号線をひたすら北上しました。
自分の体がどこまで持つか心配だったけど実際は100km以上走る事が出来た。
東海村に入って大きな公園を見つけてテントを張ろうと思ったけど人の出入りがあって先に進むと、いろいろと場所を探しているうちに暗くなってきた。
久慈川にテントを張ることが出来たけれど、2日目で凄く不安になってしまった。
サイドバッグが少しだけど破けてしまった。
こんなことではこの先どうなってしまうのだろう?
《福島県》
6月11日(日)
夜が明ければ不安も消えて先に進める。
40kmほど進んだところでビンの欠片がタイヤに刺さってパンクしてしまった。
自転車を買って初めてのパンクだった。
ちょうどカップめんの自販機があったので、食べてひと休みしてから
本のコピーを見ながらパンク修理をしたらタイヤを入れるときにレバーでチューブを傷つけてしまって少しずつ空気が抜けてしまった。
耳で空気の漏れているところを探しても全く分からず自転車屋さんを探した。500mほど進んで海沿いのところでおじさんが声をかけてくれた。
パンクしているのを見て自転車屋さんに電話をしていただいたのに休みだった。
ふと気づいてバケツありますかと聞いたら持ってきてくれて水を入れて空気漏れをすぐに見つけることが出来てすぐに修理できた。
お礼を言って出発。
その間3時間。
いつまたパンクするか不安になりながら、それでも80kmは走れた。
《宮城県》
6月12日(月)
まさかこんなにも早く足にきてしまうとは思わなかった。
朝テントの中で体を起こそうとしたら足に痛みが走って立てない。
1時間くらい足を揉んだりして動けるようになったので出発。
昼ごろにはまた痛くなったので、サロンパスを買って足を冷やしながらなんとか走った。
峠道も無く、勢いで110km走って海岸でキャンプ。
これからは峠もあるだろうし、仙台を過ぎてからが大変そうだ。
6月13日(火)
今まで1日1県のペースで来ていたがついにストップした。
ひざの状態がよければ決して行けなくはなかったと思う。
痛めた左足がほとんど使い物にならなくなった。
それをかばうために右足も痛みが出てきた。
上り坂はほとんど押し歩きになってしまった。
悔しくて涙が出そうだ。
自動車、トラックから挨拶されるとうれしい。
ここまで来れたのだから絶対に北海道の地を踏みたい。
体調自体が悪いわけではないので、膝さえ良くなってくれればいいのだけれど。
苦しくても頑張ろう。
《岩手県》
6月14日(水)
人は追い込まれると怖い力が出るものだ。
午前中で40kmを越えるほど走れていた。
どこにこんな力が残っていたのか。
痛みも減っている。
青森まで340kmという標識があった。
もう半分以上来ているんだ。
ここまで来たんだという自信と辛いときに自分を励ます気力でペダルを漕いでいた気がする。
今日は100kmちょっと。
もう岩手まで来たんだ!
6月15日(木)
100km進むということは自分が考えているより凄いことらしい。
青空、曇り、霧、雨、雷と雪とひょう以外は全ての天候を1日で体験した。
出発すると突然土砂降りになってしばらく進むと凄い雷!
2本の稲妻が山の上に落ちるのを見てしまった。
やっとの思いで雲を抜けると、反対車線をレインコートを着た人が自転車に乗って来た。
あの人はこれからあの雷雲に突っ込んでいくんだ。と思い、がんぱってと手を上げたら、向こうも手を上げて返してくれた。
うれしくなって浮かれたのか、休憩したところに地図を置いてきてしまった。
天気も良くなって十三本峠に近づくと今度は霧に包まれてきた。
峠を越えれば霧も晴れると思ったけど、そんなことを考えているうちに結局二戸市まで来た。
青森市まで110km。
頑張って走れば明日中に行けるのではないだろうか。
《青森県》
6月16日(金)
走り出して登りと下りの繰り返しで辛かったが、青森まで二桁のキロ数の標識を見ると力が湧いてきた。
後半は平らか下りの道になって、漕ぐ足も速くなっていた。
青森市に入って地図を落として道が分からないので通りがかりのおばさんにフェリーターミナルの場所を聞いたらフェリーしか聞き取れなかった。
街の若い人たちも思いっきり訛っていて衝撃的でした。
北に進むほどに訛りが強くなってきて、北海道に着いたら言葉が通じなくなっちゃうのかな?
フェリーターミナルに無事着きました。
昨日今日で250km。
とにかく7日目にして東京から青森まで走りきってしまった。
自分自身信じられない。
夜中の1時10分発のフェリーで5時には念願の北海道上陸だ!
《北海道》
6月17日(土)
八雲 ユーラップ川
ついに憧れの北海道上陸。
青森からの船の中で寝ていると、4時半にチャイムの音で起こされた。
周りの人たちはすでに降りる準備をしている。
ついにこの時が来た。
自転車を縛っているロープを解いて前のバイクの人たちに続いて船を下りる。
フェリーターミナルで休んで函館駅まで行って朝ごはんを食べる。
出発して走っていても聞いていたほど北海道という感じがしない。
東北とそんなに変わらない。
しかし、大沼に着いたとき凄い衝撃を受けた。
大自然の中の湖と圧倒的な存在感のある駒ケ岳に魅せられました。
こんなことでは、サロベツ、富良野に行ったらどうなってしまうのだろう。
大沼公園でうどんを作って食べ、先に進んだけれど3時間しか寝ていなかったので午後になって疲れが出てきた。
早めに川にテントを張った。
すぐに寝て明日に備えよう。
6月18日(日)
伊達市伊達紋別
北海道について安心したのか疲れが出てきた。
しかし北の大地ならではの壮大な風景に癒される。
夕方、テントを張る場所を探しているときにおじさんに声をかけられキャンプ場所を探していると伝えると、家に来なさいという。
こんなことは初めてだったので躊躇しているとほぼ強引に連れて行かれた。
そちらのご家族にご飯をご馳走していただき、お風呂もいただいた。
50代にも見えたおじさんは70歳で、ご両親が心配しているから電話しなさい、というのでお言葉に甘えて電話させてもらう。
そのおじさんがテントを張れる浜辺まで連れて行ってくれてそこでキャンプ。
こんな経験も自転車旅ならではだろう。
6月19日(月)
室蘭市室蘭グリーンホテル
今、室蘭のグリーンホテルにいる。
外は雨。
こんなときは部屋にいるのが一番だ。
しかし、キャンプ生活なのになぜホテルにいるかというと、
トラックに撥ねられて怪我をしたから。
朝からの雨で路面が滑って転倒。
怖くなって駅でスーパーで買ったお弁当を食べながら止むのを待つけれど3時間待っても止まず。
キャンプ場所も探さないといけないので出発して、峠道を登る、そして登りきったところにトンネル。
反対側に通路があって渡ろうと思っても交通量が多くて全くダメ。
しばらく待ったけど出口も見えているし一気に通り抜けようと路肩を走ると凄い衝撃が襲った。
飛ばされて壁にぶつかった感じがある。
軍手で額をぬぐうと赤く染まった。
ぶつかったトラックの運転手がやってきて出口にあるガソリンスタンドに自転車を運ぶ。
運転手は会社に知られたくないのか、最初5万でいいか?といって来たが、後遺症があったら困るので、相手の会社に連絡してもらった。
そのトラックで病院に行ってすぐに4針縫ってもらった。
そのあとに警察官と合流し相手の会社の人と運転手と現場検証と交番で調書を取る。
散乱した荷物を見てせっかく頑張ってここまで来たのに、ここで旅が終わってしまうのかと思ったら、涙が出てきた。
ちょうどぶつかったところがバッグの食材があったところで、散乱した荷物を見て夜に使えるたまねぎや肉をかき集めようとしたら、ホテルと食事はこちらで用意しますから。といわれちょっと情けなかった。
でも日記などの書類が入っていた側のバッグは無傷だったので食材たちが飛ばされながらショックを減らしてくれたのだと感謝の気持ちが湧いてきた。
白老から戻って室蘭のホテルまで送ってもらい、ベッドに横になる。
バッグは裂けてしまったし自転車も使えるかどうか分からない。
どうなるんだろう。
6月20日(火)
勇払原野。
ホテルで朝食。
朝9時に会社の人と待ち合わせ。自転車を見に行く。
自転車は問題なかった。
そこに社長が来て旅を続けられそうだと話をすると、バッグの状態を見てすぐにバッグを探すように社員に連絡してくれた。
結局バッグは見つからなかったけれど、パニアバッグの片側をキャリアに紐で縛り付けた。社長は札幌で買いなさいとバッグ代を渡してくれた。
ヘルメットをしていなかったのに怪我は額と、腕だけ。自転車は問題なく、損害は食材とパニアバッグの片側だけ。
会社の人に相談して、抜糸までの医療費を保険でキャッシュレスにしてもらうことになった。自転車で走りながら立ち寄った場所の病院で消毒するということで白老で停滞することもなさそうだ。
旅は続けられる。
事故現場を通って昨日額を縫ってもらった生田病院に行って消毒をしてもらう。
腕と頭を包帯で巻いた姿で出発。
その姿を見たお店の人がサンドイッチをくれた。
レストランで初の外食(どちらかというと普段が外食だが)。
ステーキ定食。
社長さんが今日もホテルにしなさいとお金を渡してくれて、自分も甘えるつもりだったけれど、ホテルも民宿も無くキャンプ。
明日は札幌だ。
6月21日(水)
石狩川のあたり。
勇払原野をこえて千歳空港を見ながら札幌へ向かう。
途中、傷の消毒のために病院に立ち寄るが昼休みだったのでロビーで待つことに。
おなかがすいたので売店でカップラーメンでも食べようとすると売店のおばさんが残っているパンを3つ僕に渡してくれた。
自分の息子さんも同じくらいの年で気持ちが良く分かるといってくれた。
自転車旅でなければこんなことはなかっただろう。
不安だった治療費のキャッシュレスも問題なかった。
札幌について室蘭の自転車屋さんに教えてもらった問屋に行く。
パナソニックの小さいパニアバッグしかないといわれて買っては見たものの、あとでつけてみたら全然キャリアに合わなかった。
とはいえ捨てるわけにも行かず、キャリアに紐で縛りつけることにした。
どうせ縛るならただの安いバッグで良かったかな。
札幌では定番のラーメン横丁でラーメンを食べて石狩へ。
そこで60歳のスクーターのライダーと話す。
これから利尻に行き、北海道を周った後は四国、九州に行くそうだ。
特に北海道だけど、いろんな人に会えて旅に出て良かったと思う。
夜ラジオを聴いていたら、函館の空港でハイジャック事件があったらしい。
6月22日(木)
北竜町雨竜川
凄い風だ。
257号線石狩平野を北上する。
途中無人市場で野菜を手に入れる。
走り出すと中学生くらいの男の子がすれ違うときに
「頑張ってください」
と声をかけてくれた。突然だったのでどうもと頭を下げるくらいしか出来なかったがすごくうれしかった。
病院には消毒のために毎日行くように言われていたけど内科の病院しか見つからないのであきらめた。
北竜町の道の駅でひまわりのナッツ入りのおやきを食べた。
雨竜川の広い河川敷でテントを張る。
明日は留萌だ。
6月23日(金)
羽幌町 フェリー乗り場近く。
雨竜から海岸線に出ると広く長い道になる。
さすがオロロンライン。
いくら進んでも町が見えない。
今日も病院を見つけられないかと思ったが、夕方5時頃やっと立ち寄ることが出来た。
消毒を済ませて受付に行くと、キャッシュレスが出来ないという。
仕方ないので領収書をもらって2450円を払う。
後で気づいたが明日は土曜日で郵便局が休みだ。
財布の中には1500円しかない。
持つだろうか?
6月24日(土)
利尻島が見える海岸。
すばらしい。
サロベツ。
前を見ても後ろを見ても道がまっすぐ。
東は原野、西は海。
花もたくさん咲いている。
子供の頃からずっと憧れていた地平線。
ついに夢が叶った。
しばらく進むとドーンと存在感のある利尻島が見えてきた。
雲がかかっていて良く見えなかったのだ。
利尻島が正面に見える誰もいない最高のロケーションの海岸にテントを張って焚き火をする。
オフローダーが一人通って、稚内の駅で野宿しているのでおいでと誘われる。
こんなキャンプが出来るなんて本当に幸せだ。
ありがとうサロベツ。
そして明日は念願の宗谷岬だ!
6月25日(日)
稚内空港横の海岸。
意気揚々と走り出す。まずはノシャップ岬。
そこで70歳くらいのリュックを背負ったおじさんと話す。
横浜から電車とバスを乗り継ぐ一人旅だ。
2万歩歩いたという徒歩ダー、スクーターのひと、この人。みんな60歳を越えている。
自分が60歳まで生きていたとして、こんな旅が出来たら最高だ。
そして稚内で病院に行って、しっかりキャッシュレスを確認して診てもらうと、抜糸までしてくれた。
これで包帯生活は終わりだ。
市街を出て空港を過ぎ宗谷岬に向けて走っているとここまでの道のりを思い出して泣きそうになった。
そんな時に通り過ぎる車から男性の太い大きな声で
「ガンバレ!」
と言われたから目から心の汗が滝のように流れた。
泣くのは到着するまでガマンしようとしていたのにここで出してしまった。
そしてついに宗谷岬到着!
もう泣きつくしてしまって到着した時はあっけない感じだった。
写真を撮ってもらい、最北端到着証明書を買って手紙を書く。
練馬のアパートの自分自身宛にも書いてみた。
公衆電話から実家に電話をして、これからどう行こうか考えたけど、利尻島、礼文島はやっぱり行きたい。
ここまではただひたすら進むことしか考えていなかったので、ここからは観光を意識して行こう。
6月25日(月)
礼文島 フェリー乗り場近く。
朝5時に眼が覚める。
朝ごはんをのんびり作っていたら6時になってしまった。
利尻島行きのフェリーは7時半発。
急いでテントをたたみ自転車に荷物を積む。
フェリー乗り場まで10kmもあるのに出発が6時半だ。
急いで走る、ひたすら走る。
途中でペットボトルを落とすほどあせっていた。
7時15分にフェリーターミナルに着いてすぐにチケットを買う。
後5分位なので急いで乗り場に行ってくださいといわれる。
そうです。昨日ゴールしたこともあって気が完全に抜けていたのです。
ギリギリに乗ることが出来た。
おじさんおばさんの団体が凄く多くてにぎやかだったので外で過ごすことにした。
離れていく本土を眺めていると昨日のことを思い出してまた涙がこぼれてきた。
完全に泣き虫になった。
利尻島に着くと休まず時計回りに島を走る。
午後のフェリーで礼文島に渡るためだ。
港のある沓形まで37kmの標識を見たときにはここが島なのだと実感した。
集落を走っていると、突然雨が振り出した。
それと同時に遠くでライダーが手招きしている。
家の人には来たら話せばいいよという。
スコールのような雨でとても進めないので車庫で休ませていただいた。
昼ごはんを食べていないというと、ジュースや食べ物を分けてくれた。
そのライダーは香川から会社を辞めて来たそうで、あす利尻富士に登るそうだ。
しばらく話っていると家の人が車でかえってきた。
怒られるかなと思ったけどとても優しい人だった。
晴れてきたので別れて出発した。
沓形に着いてフェリーまでの時間がかなりあったので昼ごはんを食べていなかったのを思い出してコンビニを探す。
が、無い。やっと見つけた商店はカップ麺があったがお湯がなかったので、仕方なくお菓子を買ってフェリー乗り場へ。
フェリーのチケットを買って待合室で暇をつぶしていると若い女性が話しかけてきた。
元気いっぱいな明るい人で自転車の旅について凄い質問攻めにあった。
乗船した後も話しをした。5年前にバイクで北海道に来たそうで、今回はお母さんとパックツアーで来たそうで、僕を見てまた旅に出たくなったと言ってくれた。
女性でも自転車旅している人を見たけれど凄く尊敬する。
礼文島に着くともう夕方。南に進むと行き止まりになってまるで無人島のような岩の崖があって凄い数の鳥たちの住処になっていて迷わずテントを張った。
どこか異国の地のようだった。
6月27日(火)
稚内空港近くの海岸。
テントをたたんでいるとランドナーの自転車の人が来た。
天気があまり良くないのでそれまで滞在するそうだ。
少し話してまずはれ文林道へ。
押し歩いたので登山をしている気分だった。
林道が終わると北端のスコトン岬に向けて北上。
おなかがすいて倒れそうだったが北端には食堂があるだろうとガマンする。
しかし小さい売店がひとつあるだけだった。
牛乳とゆで卵を買って生き返り、折り返して食堂を探して卵丼でお腹を満たした。
午後6時のフェリーで稚内に向う。
利尻で写真を撮りあった人がいた。車で来ていて、島だけは自転車で周るという。
そういう旅の仕方もあるんだ。
稚内では同じ場所にテントを張った。
もう9時半過ぎだ。寝よう。
6月28日(水)
風連駅。
出発して途中、抜海駅で休憩。
その無人駅には一冊のノートがあった。
読んでみると各地から来た沢山の人の立ち寄った感想や旅の事が書き込んであった。
バイクで来た人、歩いて来た人、18切符で来て駅で泊まりながら周っている人、様々である。
僕も書き込もうと思ったけれど、恥ずかしくて止めておいた。
出発してしばらくして書いておけば良かったと後悔してしまった。
カブト沼のあたりに来たとき、小学生たちがまとまって絵を描いていて、僕に気づくと手を振ってくれた。
僕もうれしくて手を振り返した。
車では味わえない自転車の旅のご褒美だ。
それからしばらくして僕の後ろで何かが追いかけてくる。
見ると犬。
自転車を止めると凄い勢いで飛びついてきた。
お腹がすいているのかな。
結局ずっとついて来て、農場の入り口で中に入っていった。
きっとここの犬だろう。
40号線に出てからはまっすぐな道。
展望台に向うと、とくみつ駅というひなびた無人駅があった。
そこには沢山のノートがあった。今度こそと思ってNo19となったノートに感想を書いた。
この駅はトイレも無く、いずれはこの路線自体もなくなってしまうかも知れないと書いてあった。
駅から1キロほど坂を登って展望台に着くと一人の男性がいた。ユースホステルやライダーハウスに泊まっているそうで、利尻、礼文を登ると言っていた。
でも自分には、山登りもユースホステルも合わないと思った。
その人と別れてお昼のパンをかじっていると家族連れの旅行者に声をかけられ、東京から自転車で自走して来ましたというと、凄いと絶賛されてしまった。
体力もないし、凄いといわれるととても恥ずかしい気分。
早く富良野に行きたいのと、輪行の練習を兼ねて豊富駅から名寄まで鉄道を使うことにした。
が、テントや食材が重くて凄く大変だった。
いい練習になった。
少し走って無人の風連駅に泊まることにした。
ドアが2重で虫が入らないし、横になれる畳の休憩スペースがあってベストな場所だった。
夜は少しずつ電灯が消えていって怖かったけど全部消えることは無くて安心した。
6月29日(木)
西神楽キャンプ場
6時前くらいに掃除のおばさんが来て目が覚めた。
自分のいる部屋は来なかったので気を使わせてしまった。
朝食の後、使った場所を綺麗にして出発。
お昼には旭川に入った。
路肩にある畑の無人野菜売り場で100円のさやえんどうを買おうとしたら奥からおじさんが出てきて採れたてのトマトをご馳走してくれた。
食事の後はコインランドリーで洗濯。
美術館と木の博物館によって西神楽のキャンプ場に行ったが工事中で閉鎖されていたので、はずれの広場でテントを張った。
誰もいない森の中、幽霊が出そうでちょっと怖かった。
6月30日(金)
西神楽キャンプ場
8時半ごろ西神楽を出発。
今日は美瑛を周るだけなのでテントは張ったままで重い荷物は置いていく。
札幌で買った小さいパニアバッグが役に立った。
美瑛駅でエリアマップをもらってマイルドセブンの丘のほうを周る。
写真で見ていた広く美しい丘の風景に感動。
それぞれの家で個性的な花畑を綺麗に作っている。
とにかく広いので全ての規模が大きい。
コンビニでお弁当を買って景色のいいところで食べてセブンスターの木を見て西神楽キャンプ場に戻る。
帰りは下りですぐに着いた。
テントで夕食を作っていると、マウンテンバイクの旅行者が来た。
彼もキャンプ場のことを知らなかった。
その彼が隣にテントを張っているときにポールを折ってしまった。
列車で旭川まで行くといって自転車で行ってしまった。
もう暗くなってきたけどお店開いているだろうか?
夜は隣にテントがあると思うと怖さはなかった。
良かった。
7月1日(土)
富良野 空知川
この旅の最終目的地、富良野にいる。
8時ごろ無事にテントを張れた隣のキャンパーと別れ美瑛のフラワー通りを通って拓真館に行く。
美瑛はどこを撮っても絵になる風景だけど、プロの人が撮る風景写真は絵本のように幻想的な写真になる。
僕が富良野をイメージしていたのは実は美瑛だったんだ。
いつまでも居たい感じだったけどツアーの人たちで凄く混んできたので出発。
中富良野では楽しみにしていたラベンダー風呂に入った。
ラベンダーが浮かんでいるのを想像したけれど、入浴剤だった。
富良野に着いて写真を現像に出して空知川の川原でテントを張った。
居心地が良かったら数日ここを拠点にしよう。
7月2日(日)
富良野 空知川
富良野2日目は、はるにれ館から始まった。
丘の写真館、チーズ工場、北時計とツアーで周るような観光地を訪れる。
スキー場から下ったところに「フォトギャラリーまつもと」という小さい看板が見えて中に寄ってみた。
松本さんは上富良野の元学校の先生で、定年退職で教員住宅を出るときに富良野に住むことになり、自宅の一室をギャラリーにして無料で週末だけやっている。
ハーブティーをいただきながらお話させていただいた。
生きているキタキツネを見ていないというと良く出てくる場所を教えてくれた。
売れる写真よりも自分が感動した写真をいろんな人に見せたいと言っていて、自分もそんな事を言えるようになりたいと思った。
ワイン工場や図書館に寄ってから教えてもらったキタキツネのポイントに行って少し待っていると本当にキタキツネが出てきた。
影に隠れたので近づくと2匹並んでこっちを見ていた。
念願のキタキツネだった。
空知川に戻って同じ場所にテントを張った。
明日は「北の国から」の麓郷の森にいってみよう。
7月3日(月)
富良野 空知川
3時ごろ目が覚める。
雨が降ってきた。
全く予想していなかったので、フライシートをかけていなかった。
急いでシートをかけた。濡れる前でよかった。
6時半に起きても降っている。
ラジオの天気予報では明日の昼まで降るらしい。
今日はどうしても麓郷の森に行きたかったので、雨が弱くなったときを見計らって出発。
雨なら心配ないかなと思ってテントを張ったまま行くことにした。
郵便局で実家にお土産を送って自転車を漕いでいると雨が強くなってきた。
泣きたくなって、バスで行こうか迷ったけどたかが15kmだと思って頑張る。
麓郷の森は一度くればいいかなという感じ。
団体の観光客が凄く多かったのもあるかもしれない。
富良野市に戻ってお土産を物色。
お店のおばあさんと話をしたけど、北海道の畑の大きさに感動したというと、本州の段々畑のほうが凄いという。
人間はやっぱり無いものに感動するんだね。
現像した写真を取りに行ってテントに戻る。
明日はついに富良野を離れる。
7月4日(火)
札幌駅
9時過ぎに雨が止むのを待って出発。
はるにれ館では小さいお土産を自分で缶に入れて送ることが出来るのでやってみる。思ったより簡単で面白い。
他のお土産も箱にまとめて実家に送る。
富良野の駅に着いたのが午後2時。
電車で札幌に行くのは決めていたが、少し考えて滝川まで自転車で行くことにした。
60kmもあったがほとんど下りで4時間くらいで行けた。
滝川から札幌までは電車で2時間かかった。
札幌駅に着いたのは夜8時半。
駅の周りの食堂は閉まっていて居酒屋でご飯を食べた。
終電までは待合室にいたけど閉まってしまった。
外で朝まで過ごすことにした。
ラジオから聞こえるスピッツのロビンソンという曲が心に染みた。
明日で北海道も終わり。ずっと北海道に居たい気分だ。
7月5日(水)
東京練馬 自宅アパート
駅の外で座ってラジオを聴いていると東京で異臭騒ぎがあったらしい。
ハイジャック事件といい物騒な事件が多い。
3時を過ぎると空が明るくなってきてコンビニでカップラーメンを買って食べ、5時に待合室が開いて中に入り、9時45分の特急で東京へ。
どこかでお弁当を買おうと思っていたが、午後3時ごろまで買えなかった。
盛岡から新幹線に乗る。
乗り心地が格段に良くなった。
池袋から自転車でアパートに帰った。
朝北海道にいたのに凄く不思議な気分だった。
東京から宗谷岬まで自転車で行くことが出来た。
事故にあったりいろんなことがあったけど、北海道で沢山の人が自分を応援してくれた事は一生忘れない。
そして自分で決めたことを最後までやり遂げることが出来たことは大きな宝物だと思う。
自転車の旅って本当にスバラシイ。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
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雨竜の河川敷でキャンプ。
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利尻島を眺める。
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最北端の碑の前で。
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礼文島
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北海道では駅野宿させていただきました。
旅ノートがあって書き込みました。
いつかまた見に行きたいです。 -
美瑛の巨大な畑に驚くばかりでした。
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雪のような白い花を咲かせるジャガイモ畑。
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ふらの小学校といえばキャプテン翼。
土の上でサッカーできるやつに負けてたまるか!のセリフを子供のとき雪の上でみんな叫んで遊んでいました。
ちょっとした夢が叶いました。 -
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普通に出てきたキタキツネ。
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いつか冬のキツネを見てみたいです。
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河川敷にテントを張りました。
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憧れの地、夢の富良野、美瑛、最高でした。
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最後の日は札幌駅で野宿して鈍行を乗り継いで帰りました。
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