2010/04/28 - 2010/05/06
39位(同エリア95件中)
tomoさん
コプリフシティツァの朝の散歩は、まずベンコフスキの騎馬像を見に行き、この記念碑がある展望台から村の全景を見ました。
村の散策は、小川が流れ、そこに橋が架かり、牛に出会い、と石畳の道を昔ながらの家並みを見ながら歩くのが楽しかったです。
約1時間半の散歩を終えて宿に戻ると、美味しい朝食が待っていました。
朝食後は、ガイドさんと一緒にコプリフシティツァの観光に出掛けました(2時間)。
ハウスミュージアムとして6つの屋敷が公開されていますが、そのうちの
オスレコフ・ハウス、デベリャノフ・ハウス、カブレシュコフ・ハウス、リュトフ・ハウス
を見学しました。
昼食後、Kalofer(カロフェル)という町で、レース編名人のお家で実演を見学しました。
○1日目 名古屋→成田、成田(21:55)発
○2日目 パリ見学、パリ→ソフィア、ソフィア観光 【ソフィア泊】
○3日目 リラの僧院見学 【コプリフシティツァ泊】
●4日目 コプリフシティツァ、エタル見学 【ヴェリコタルノヴォ泊】
○5日目 ヴェリコタルノヴォ、アルバナシ観光 【寝台列車】
○6日目 シナイア、ブラン城、ブラショフ観光 【ブラショフ泊】
○7日目 シギショアラ、ビエルタン、シビウ観光 【シビウ泊】
○8日目 コージア僧院、ブカレスト観光 【ブカレスト泊】
○9日目 ブカレスト→パリ→関空 関空→名古屋へ
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝6:00に起きて、朝の散歩へ。
6:50 出発 -
朝は少し肌寒かったけれど、気持ちが良い。
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馬を発見!
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ベンコフスキの記念碑を見に行きました。
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7:20 ベンコフスキの騎馬像へ
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ベンコフスキは、四月蜂起の英雄です。
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展望台からはコプリフシティツァの町が見渡せます。
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コプリフシティツァは、茶色い瓦屋根、漆喰の塀、木の門構えの家々が並び、どこか懐かしい雰囲気の村で、のんびり散策したくなる村でした。
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のどかです。
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階段を下りて・・・
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村の散策へ
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牛が歩いていました。
どこへ行くんだろう・・・ -
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最初の銃弾の橋
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『最初の銃弾』
四月蜂起のキーパーソンであるカブレシュコフは、1876年の同時蜂起に加わるべく準備を続けていたが、土壇場で計画がトルコ警察の知るところとなり、予定より10日早い4月20日に、自らピストルを握り一団を率いて警察署を襲いました。
※確かガイドさんの説明では、最初の銃弾というのは、一団に、「今から向かうぞ」とピストルを撃ち(合図として)、襲い掛かりに行くと言っていたと思いますが、英語に自信がないので定かではありません!? -
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こののどかな村の雰囲気からは想像しにくいですが、ここはトルコからのブルガリアの独立を目指す四月蜂起の震源地となった歴史的な村でもあるんですね。
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8:35 宿に戻ってきました
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9:00〜9:30 朝食タイム
ほうれん草のスープ、バニッツァ、自家製ヨーグルト、手作りジャム
どれも美味しかったです。
特にブルガリアの朝食としてよく食べられるバニッツァが好きでした。バニッツァは、薄いパイ生地に白チーズを挟んで焼いたパイです。
そして、ブルガリアと言えばヨーグルトが有名ですが、実は私はチーズ以外の乳製品が苦手なんです。でも、手作りジャムが本当に美味しく、ジャムと一緒に食べるヨーグルトは美味しく食べられました。 -
おとぎの国の入口 コプリフシティツァ村
18世紀、当時のブルガリア全土はオスマン・トルコ帝国に侵略され圧政に苦しんでいましたが、この村はトルコ軍から優遇されていました。村人たちの商業の才能がトルコのスルタンに認められ、租税の軽減と武器の携帯を許されていたのです。以降、彼らの通商は一層の発展を遂げオスマン・トルコ帝国内だけではなく遠くエジプトの地まで出かけて行ったといいます。そうして財を成した商人たちは、この村に豪華な邸宅を建設しました。ヨーロッパのバロック様式と民族復興様式、そしてオスマン様式が融合したデザインの邸宅は、優雅で洗練された雰囲気を漂わせています。
緑豊かな山と畑地、建物の周囲を彩る花々、家々の鮮やかなブルーやえんじ色の外壁、外壁と絶妙な対比を見せる柱や窓枠、建具などの木部。
軒下のベンチに腰掛けると、自分自身も作品の一部になったような気がします。 -
9:30〜 ガイドさんと一緒にコプリフシティツァ観光
◇4月20日広場
1876年4月20日にオスマントルコからの独立をめざす四月蜂起がこの村で始まったことを記念して命名されました。 -
6つのハウスミュージアムのうち
・オスレコフ・ハウス
・デベリャノフ・ハウス
・カブレシュコフ・ハウス
・リュトフ・ハウス
を見学 -
◆オスレコフ・ハウス
裕福な商人のオスレコフが1856年に建てた屋敷。
正面玄関の柱と窓の間に、ローマ、ヴェネチアなど交易で訪れた異国の風景が描かれています。 -
玄関部の3本の柱は、レバノンから持ち帰ったスギ材
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当時の生活用具や装飾品などが展示されています
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馬車が村にマッチしています
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◆デベリャノフ・ハウス
詩人デベリャノフが1887年に生まれ、幼少時代を過ごした家。
家の中には、食器や調理用具など台所や当時の生活用具が展示されるとともに、デベリャノフの生涯に関する展示もあります。 -
デベリャノフは第一次世界大戦に参戦し、29歳という短い生涯を閉じましたが、家の庭には、戦場から帰らぬ息子を待ちわびる母親の像が置かれています。
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春の訪れを告げる『マルテニッツァ』
赤と白いの糸でできたお守りのようなもので、ブルガリアでは毎年3月1日になるとマルテニッツァを贈り合い、身につけるそうです。
3月中はこれを身につけ、4月になったら木に結びつけるという習慣があるようです。 -
お土産屋さんを発見
民族衣装を試着させてくれました。
写真を撮ってもらっているところに、ブルガスから来ているツアーグループがニコニコ笑顔で通っていきました。「良い旅を」って。
ブルガリアの人は良い人ばかりでした。 -
聖母教会
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◆カブレシュコフ・ハウス
1845年に建てられた家。
2階ホールにある木の丸い天井パネルは、太陽を浴びて水面に波のように揺れる光をイメージさせる素敵な空間でした。 -
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ピストルを手に握るカブレシュコフの像
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◆リュトフ・ハウス
富豪タパロフがプロヴディフの大工を呼び寄せて1854年に建てられました。
2階広間の天井が特徴的で、卵型の木の天井パネルの周りには、異国の風景が描かれています。
外観も内装も美しい。 -
町並み
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12:00〜12:45 ランチタイム
あまりお腹が空いていなかったので、パンとスープと紅茶。
スープと言っても、日本に比べ量が多い。 -
私が食べたのは、ミートボールのスープ。
ふつうに美味しかったです。 -
母が食べたのは、ヨーグルトのスープ。
冷製スープなので、体が冷えたみたい。 -
13:00にコプリフシティツァを出発し、1時間強でカロフェルに到着
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14:10 カロフェル着
レース編名人の旦那さんが迎えに来てくれ、お家へ向かいました。 -
カロフェルの町
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作品と実演を見せてくれました
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素敵なご夫婦でした
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