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沖縄4日目<br />首里城で画像が多くなったので4日目は2つに分けます<br /><br />朝の国際通り散歩と、首里城です

ぐるっと沖縄 #4 国際通り~首里城

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2010/09/06 - 2010/09/09

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k2-jp-only

k2-jp-onlyさん

沖縄4日目
首里城で画像が多くなったので4日目は2つに分けます

朝の国際通り散歩と、首里城です

一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー ANAグループ
旅行の手配内容
個別手配
  • 朝の国際通り<br /><br />シーサーがいます

    朝の国際通り

    シーサーがいます

  • こちらのシーサーは漢字で国際通り

    こちらのシーサーは漢字で国際通り

  • 市場本通り<br /><br />朝早くて、ほとんどどこも開いてません

    市場本通り

    朝早くて、ほとんどどこも開いてません

  • 市場横の三味線なんでも屋<br /><br />夜遅くまで、三味線弾いてアピールされてるみたいです

    市場横の三味線なんでも屋

    夜遅くまで、三味線弾いてアピールされてるみたいです

  • 電柱にかけてあった焼酎の宣伝

    電柱にかけてあった焼酎の宣伝

  • むつみ橋通り街

    むつみ橋通り街

  • 首里城に移動しました<br /><br />朝の夕立?にあいましたが、短時間で急速に晴れてきてくえれました<br /><br />で、まずは守礼門

    首里城に移動しました

    朝の夕立?にあいましたが、短時間で急速に晴れてきてくえれました

    で、まずは守礼門

  • 邦之禮守<br /><br />琉球は礼節を重んずる国である、と、いう意味になるそうです

    邦之禮守

    琉球は礼節を重んずる国である、と、いう意味になるそうです

  • 石門の後ろに位置した園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は、琉球国王が礼拝したという、聖地なんだそうです。<br /><br />ここは石門なので、その入り口、ということになりますね。

    石門の後ろに位置した園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は、琉球国王が礼拝したという、聖地なんだそうです。

    ここは石門なので、その入り口、ということになりますね。

  • 園比屋武御嶽石門を越えると、歓会門(かんかいもん)。<br /><br />ちなみに、歓会は「よろこび」を意味するそうです。<br />

    園比屋武御嶽石門を越えると、歓会門(かんかいもん)。

    ちなみに、歓会は「よろこび」を意味するそうです。

  • 歓会門(かんかいもん)

    歓会門(かんかいもん)

  • 歓会門から石段を少し登ると瑞泉門。<br /><br />別名があり、ひかわ御門とも呼ばれるそうです。

    歓会門から石段を少し登ると瑞泉門。

    別名があり、ひかわ御門とも呼ばれるそうです。

  • 門の脇には、湧き水があり「龍樋」と呼ばれています。<br /><br />「おいしい水」の意となる「瑞泉」はここに由来するんだと容易に想像できますね。

    門の脇には、湧き水があり「龍樋」と呼ばれています。

    「おいしい水」の意となる「瑞泉」はここに由来するんだと容易に想像できますね。

  • もう1枚

    もう1枚

  • 次は漏刻門です。<br /><br />門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったとのことです。

    次は漏刻門です。

    門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったとのことです。

  • 「刻漏」

    「刻漏」

  • 漏刻門を上がると廣福門です。<br /><br />「廣福」とは、「福を行き渡らせる」という意味があるそうです。<br /><br />門というよりは建物のような大きさで、現代では本殿入場の券売所になってます

    漏刻門を上がると廣福門です。

    「廣福」とは、「福を行き渡らせる」という意味があるそうです。

    門というよりは建物のような大きさで、現代では本殿入場の券売所になってます

  • 「廣福」

    「廣福」

  • 廣福門をくぐると下之御庭に出ます。<br /><br />そこから、正殿に向かうのにくぐるのが奉神門です。<br /><br />「神をうやまう門」の意です。

    廣福門をくぐると下之御庭に出ます。

    そこから、正殿に向かうのにくぐるのが奉神門です。

    「神をうやまう門」の意です。

  • 「奉神」

    「奉神」

  • 行きは夕立、帰りは痛烈な逆行となかなか巧く写真が撮れませんでした(T.T)<br /><br />赤のイメージの首里城正殿ですが、壁等の彩色塗装には、<br />桐油が塗られているそうです。また、下地の一部は漆なんだそうです。<br /><br />桐の油、聞いたこと無いなぁ。。。<br /><br />なお一部、補修工事中でした、ちょっと残念。

    行きは夕立、帰りは痛烈な逆行となかなか巧く写真が撮れませんでした(T.T)

    赤のイメージの首里城正殿ですが、壁等の彩色塗装には、
    桐油が塗られているそうです。また、下地の一部は漆なんだそうです。

    桐の油、聞いたこと無いなぁ。。。

    なお一部、補修工事中でした、ちょっと残念。

  • ちょっとだけ近づいての写真

    ちょっとだけ近づいての写真

  • 建物の中に入りました。<br /><br />正殿に入る前に、書院・鎖之間を見学。<br /><br />違い棚とか、絵の内容は別として軸がかけられたりするあたり琉球というより和風。<br /><br />どうやら、薩摩藩が入ってから出来たようです。<br /><br />たしかに、「書院」という響きがそもそも琉球っぽくないですもんね。。。

    建物の中に入りました。

    正殿に入る前に、書院・鎖之間を見学。

    違い棚とか、絵の内容は別として軸がかけられたりするあたり琉球というより和風。

    どうやら、薩摩藩が入ってから出来たようです。

    たしかに、「書院」という響きがそもそも琉球っぽくないですもんね。。。

  • 庭はなんとなく琉球っぽいです

    庭はなんとなく琉球っぽいです

  • 書院から正殿に移動しました。<br /><br />正殿は、木造の三階建で、<br /> ・一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場<br /> ・二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場<br /> ・三階は通気を目的とした屋根裏部屋<br />となっています。<br /><br />最初に創建されたのは14世紀末頃とされています。<br />その後、焼失と再建が繰り返されたとのことです。<br />琉球も安定していた訳ではないということですね。<br /><br />ちなみにここは、1F 御差床(うさすか) 政治や儀式の際に国王が出御する玉座です

    書院から正殿に移動しました。

    正殿は、木造の三階建で、
     ・一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場
     ・二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場
     ・三階は通気を目的とした屋根裏部屋
    となっています。

    最初に創建されたのは14世紀末頃とされています。
    その後、焼失と再建が繰り返されたとのことです。
    琉球も安定していた訳ではないということですね。

    ちなみにここは、1F 御差床(うさすか) 政治や儀式の際に国王が出御する玉座です

  • 2F 御差床 国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところです

    2F 御差床 国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところです

  • 3枚ある額の向かって右側<br />

    3枚ある額の向かって右側

  • 左側の額<br /><br />なみに3枚の額の文字の意味は、<br /> (中央)中山世土:ちゅうざんせいど  ::琉球は中山が代々治める土地である、の意<br /> (右) 永祚瀛&#22742;:えいそえいぜん   ::海の向こうの琉球を永く幸いに治めよ、の意<br /> (左) 輯瑞球陽:しゅうずいきゅうよう::球陽(琉球)にはめでたい印が集まっている、の意<br />です。

    左側の額

    なみに3枚の額の文字の意味は、
     (中央)中山世土:ちゅうざんせいど  ::琉球は中山が代々治める土地である、の意
     (右) 永祚瀛壖:えいそえいぜん   ::海の向こうの琉球を永く幸いに治めよ、の意
     (左) 輯瑞球陽:しゅうずいきゅうよう::球陽(琉球)にはめでたい印が集まっている、の意
    です。

  • 2F 戸が閉まってますが、御庭を望む位置にある座

    2F 戸が閉まってますが、御庭を望む位置にある座

  • 展示物 王冠

    展示物 王冠

  • 展示物 金印

    展示物 金印

  • 玉座 手前の龍柱は阿吽ですね

    玉座 手前の龍柱は阿吽ですね

  • 正殿から北殿に渡り、屋外へ。<br />降っていた雨もすっかり止んで、眩しいほどの天気に。<br /><br />ここからは、帰り道といった感じになります。<br /><br />最初の門は淑順門。<br /><br />国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門とのことです。

    正殿から北殿に渡り、屋外へ。
    降っていた雨もすっかり止んで、眩しいほどの天気に。

    ここからは、帰り道といった感じになります。

    最初の門は淑順門。

    国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門とのことです。

  • 次は、北殿の裏に位置する右掖門。<br /><br />歓会門、久慶門から淑順門へ直接通じている門で、当時は淑順門から御内原へ入ったそうです。<br /><br />ロイヤルファミリー用通路?にある門、という感じになりますね。

    次は、北殿の裏に位置する右掖門。

    歓会門、久慶門から淑順門へ直接通じている門で、当時は淑順門から御内原へ入ったそうです。

    ロイヤルファミリー用通路?にある門、という感じになりますね。

  • 右掖門からもう少し下ったところにある久慶門。<br /><br />通用門で、主に女性が利用したといわれている。<br />また、国王が寺院を参詣したり、浦添から以北の地方へ行幸するとき等に使用した門とのことです。

    右掖門からもう少し下ったところにある久慶門。

    通用門で、主に女性が利用したといわれている。
    また、国王が寺院を参詣したり、浦添から以北の地方へ行幸するとき等に使用した門とのことです。

  • 一旦歓会門外へ出て、少し城内へ戻ったところにある木曳門。<br /><br />首里城の修復工事のときにのみ、資材の搬入口として使用された門なんだそうです。

    一旦歓会門外へ出て、少し城内へ戻ったところにある木曳門。

    首里城の修復工事のときにのみ、資材の搬入口として使用された門なんだそうです。

  • 首里城から少し外れて、金城町石畳道へ<br />16世紀では首里城に続く10kmにもなる主要道路だったそうですが、<br />現代は280mを残すばかりなんだそうです。

    首里城から少し外れて、金城町石畳道へ
    16世紀では首里城に続く10kmにもなる主要道路だったそうですが、
    現代は280mを残すばかりなんだそうです。

  • それにしても、ここに限りませんがこの石畳や石段。本当に滑ります。<br />雨の後だからなおさら、、、気をつけて歩かないと、ツルッと行きます(^^;

    それにしても、ここに限りませんがこの石畳や石段。本当に滑ります。
    雨の後だからなおさら、、、気をつけて歩かないと、ツルッと行きます(^^;

  • 道の脇にはガジュマルが<br /><br />4日目その2へ続きます(^^;

    道の脇にはガジュマルが

    4日目その2へ続きます(^^;

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