2010/06/10 - 2010/06/10
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frau.himmelさん
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2023年9月、待ちに待ったヨーロッパ旅行に出かけます。実に4年ぶりの旅です。今回は久しぶりにベルギー・オランダ方面にも足を延ばしたいと思っています。
ところで前はどんな旅をしたのだろうか?
埋もれていた昔々の旅行記を引っ張りだして振り返りながら、旅計画を練っています。(2023・6月追記)
☆2010年の旅行記です。
時折手伝っているボランティア事務所の皆さんから出された、「マーストリヒト条約」の宿題…。
マルクト広場に行けば記念碑か何かがあるのだろうと安易に考えていました。
確かに、ポツダム会議の舞台となったツェツィーリエンホフ宮殿、戦争終結の軍事裁判が開かれたニュルンベルク裁判所、その他、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁などは、それ自体が記念碑で世界各国からの観光客は、これがあの…、と納得させられます。
私は、マーストリヒト条約に、それらと同じように形あるものを見出そうと思ったこと自体が間違っていたことに気がつきました。
そういうことを考えながら、マーストリヒトの歴史が凝縮している城壁に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
-
フライトホフ広場を後にして、聖母教会広場の方に向かいます。
ワールドカップが明日(11日)から始まるので、こちらの人はこのように国旗や応援旗を窓に飾り国を挙げて応援しています。
今年はオランダと日本と同じリーグで戦ったのでしたね。 -
雑誌か何かの人気投票で「オランダで最も美しい広場」として栄冠に輝くオンゼ・リーフ・フラウエ・プレイン(聖母教会広場)だそうです。
ここの広場で昼食兼カフェタイムを取ることにします。 -
小雨が降ってきたのでテントが全て開かれ、薄暗い感じがしますが、とてもステキなオープンカフェです。
空いている席に座りました。 -
私は軽く(?)、アインシュペナーとチェリークーヘンで…。
何だかカロリーは高そうですね。
でも、気にしない、気にしない! -
目の前には聖母教会の堅牢な石の建物が聳えています。
これから行く城壁でも出てきますが、ここは城壁内の要塞としての機能を持たせなければならなかったため、このように窓のない高い壁になっているのです。 -
前身は4世紀ごろから建設が始まり、現在の建物は11世紀に建てられました。
初期はロマネスク様式で、後期はゴシック様式です。 -
雨も上がったようです。
さて、食事もすみましたので、教会の中に入ってみます。
観光客も大勢訪れています。
入口からロウソクが幻想的にゆらめいているのが見えるでしょうか? -
ロウソクのゆらめいている場所、入口を入るとすぐ、16世紀ごろ作られた光り輝く聖母マリア像があります。
長年人々の厚い信仰を集めています。 -
窓がない教会なので中はこのように薄暗いです。
でも、すごく落ち着いた癒される空間です。 -
ピエタ像。
教会の中で見学している間中、グノーの「アヴェ・マリア」の歌声が聞こえていました。
歌の練習をしていたのか、またはテープなのか定かではありませんでしたが、その澄み切った歌声に心が洗われる思いがしました。 -
パイプオルガン。
キリスト教には関係ない私でさえ、何か祈りたくなるような敬虔な気持になりました。
熱心に祈りを捧げている人たちの邪魔にならないように、静かに出口に向かいましょう。 -
教会の脇の路地を入ったところの家にはカラフルな旗が何本も立ててありました。
サッカーの旗ではなさそう。
Bavariaとは、ドイツのバイエルンのことですね。
バイエルンと言うと、ビールを連想するのですが…(笑) -
その先には壁に満開のバラを這わせたステキなお家。
-
この路地はこんなにステキなところなのです。
雨に濡れた石畳がいい雰囲気を出しています。 -
路地の突き当たりに表示されていた案内板。ヘルポールト、「地獄門」。
その奥は城壁になっています。 -
地獄門とはこの門のこと。
名前の割には可愛い門です。
1229年、ブラバント公国時代に建てられた城壁の門です。
門の外にはペスト患者の収容所があり、ベストに罹った人々はこの門をくぐり隔離されました。
二度とこの門をくぐってこちら側に帰ってくることがなかったことからこの恐ろしい「地獄門」の名前がつきました。 -
地獄門の左手は石造りの城壁が造られています。
マーストリヒトはマース川に拓けた街なので、何度も他国に占領された歴史があります。
そこで、防御のために市壁が築かれました。
これは第1期、1229年に完成したものです。その時の壁の長さは2400メートルでした。 -
壁に城壁の歴史を説明したプレートがあります。
ここは3回に亘って城壁が築かれ、また、補修・改良され、次第に長く堅牢になっていったさまがわかります。
地獄門は図の中の(1)の所です。 -
実はこの中は博物館になっているのです。
他の方の旅行記を見ても、この博物館のことはどなたも触れていらっしゃいませんので、もしかしたら今だけかも知れません…。
博物館には赤い扉から入ります。 -
頭が天井につきそうな狭い階段を、黒いひもみたいに見える鉄の手すり、これにしっかり掴まって上っていきます。
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中は、そんなに広い空間ではないですが、いろんなものが展示してあります。
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係員が日本語の説明書を貸してくださいました。
これを読んで、私なりに理解したことを述べてみたいと思います。
間違っているかもしれませんが…。 -
マーストリヒトの歴史は古く、市内西部には旧石器時代の遺構も残っているそうです。その後ケルト人も住みつきました。
歴史的に語られるようになったのは、マーストリヒトの名前の由来にもなった紀元前50年頃、ローマ軍がマース川の浅瀬に居留地を作ったころのようです。 -
その後、何度も攻撃を受け占領されます。
特に8世紀にはリエージュに司教区の地位を奪われたり(それまでは聖セルファース司教だった)、881年にはノルマン人に占領されたりしました。
そこで、1204年ブラバント公国が領有権を奪還したことにより、攻撃に備えるため城壁の建造に取り掛かりました。
*お断り:文章と写真は関係がありません。以下同 -
1229年に第1次城壁は完成します。その頃は武器と言えば、弓・矢・槍・矛・投石機などの原始的なものでした。
1347年、城壁が狭くなったので、より広く(全長4500メートル)、また防御可能な城壁が造られました(1380年完成)。
16世紀後半になると、大砲の増強により街の壁では防御不可能になり、さらに補強・改良・壁が延長されたが、1579年スペイン軍は地下坑道を作り街の要塞を破壊しようとしました。結局スペイン軍に占領されます。 -
その後、要塞は更に堅固なものとなって行き、マーストリヒトだけでなく、オランダ全体を守るものになっていきました。
18世紀には地下坑道の耐爆設備の拡大がなされた(この地下坑道は現在も展示されているそうです)ものの、1794年フランス革命が勃発、マーストリヒトもフランス政府の傀儡に支配されることになります。 -
その後再び領土がオランダに戻り、マーストリヒトは1815年にはネーデルランド国リンブルフ州の州都となります。
1830年、ベルギー革命が起きましたが、マーストリヒトは堅牢な城壁のお陰で守られ、他の地区がベルギー領になる中オランダに残りました。
しかし1850年以降要塞は機能しなくなり、1867年には解体されて今に至っています。
さて、それでは地獄の門をくぐって外に出てみましょう。
門の外に見える白い建物がペストハウスです。 -
地獄門を外側から見たところ。
城壁建設の第一番目1229年に造られた門で、オランダ最古の門です。 -
このように城壁と繋がっており、左の端は堀になっており、運河と繋がっています。(この写真では平地に見えますが…)
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そして、第2期1380年ごろ建てられたバーターヴィンク塔が繋がります。
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地獄門の右側は城塔に続きます。
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城塔を左折すると…。
今は、城壁の内側に遊歩道が造られています。 -
その下には、大砲が5台置かれています。
今ではこの付近一帯は公園となっており、市民の憩いの場所となっています。 -
公園側から大砲の置かれている上のほうを見ると、白い壁で統一されたステキな家並みが続いています。
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今来たほうを振り返りましょう。
奥の2つの塔は地獄門の尖塔、手前は城塔です。
地獄門の前の白い色はペストハウスだったのです。
今でこそこんなきれいな家ですが、当時はこの家に入ったら生きては帰れなかった呪いの家だったのですね。 -
公園になっているマース川沿いの遊歩道を、第1期建設当時の城壁に沿って歩いていると、聖母教会の裏の方にやって来ました。
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オランダと言えば自転車王国です。
マース川沿いは自転車散歩道にもなっており、駐輪場も整備されています。 -
自転車に乗っている人も気持良さそう!
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ここから見る聖セルファー橋はいかにも古くて、オランダに現存する最も古い橋だということが頷けます。
13世紀の建造です。
その先には、聖マルタン教会が見えます。 -
聖セルファース橋を渡って新市街の方に向かいます。
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橋の下をマース川クルーズの船が通っていきます。
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新市街に建つ家。
古くからヨーロッパの十字路と言われたマーストリヒトの新市街の建物は、オランダの他の町とはちょっと違って、パリやウィーンにあるようなおしゃれな建物が多い。 -
さて、さっき見つけたこのバス停からアーヘンに戻ることにします。
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帰りのバスの中。
50番のバス(注意:現在は350番)に乗ります。運賃はバスの運転手から購入します。2人で11ユーロ。
往路はヘーレン乗換えで、アーヘン→ヘーレン9.3ユーロ/2人、ヘーレン→マーストリヒト10.8ユーロ/2人で、計20.1ユーロでしたから、約半分ですみました。失敗した!(笑)
アーヘンからマーストリヒトに行こうと思ってらっしゃる方、50番のバスで、アーヘン駅とテアター停留所から乗れますよ。
(追記・エリゼンブルンネン近くのバス停からも乗れます。今年はその方法で行こうと計画しています) -
バスはアーヘン駅に到着。
*宿題まとめ1
マーストリヒトで締結されたヨーロッパ連合(EU)は、各国間の経済格差や移民問題などいろいろな問題を抱えながらも、ともかく今まで成長してまいりました。
ところが最近の金融危機、ギリシャ危機、それに安全保障問題など、これからも前途多難な問題は山積していると思います。 -
*宿題まとめ2
ヨーロッパの国境地帯は資源(ルール地帯の石炭や鉄鋼など)が火種となり紛争がたびたび起こりました。第二次世界大戦では、互いに戦場となり荒廃した歴史を持っています。
この反省から欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、その後欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(EURATOM)などが発足しました。EUはそれが進化したものだと思います。
国境の真ん中に位置しており、中世より何度となく他国に占領され続けてきたマーストリヒトは、そういう意味では最も条約締結場所として最も相応しい街だったのですね。
これで私の宿題とさせていただきます。
ふーぅっ、難しかったー!
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