2010/09/05 - 2010/09/05
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名犬デブイヌさん
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ケーテン(Köthen)はザクセン=アンハルト州に属する人口3万人ほどの小さな町です。ドイツの偉大な作曲家3Bの一人であるヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)が1717年から1723年までアンハルト=ケーテン候レオポルトの宮廷楽長として仕えていた町で、バッハファンにとって彼の功績を辿る上で重要な町であり、彼のファンが多い日本人も多数訪問しているようです。バッハ以外にも、鳥類学の祖であるヨハン・フリードリヒ・ナウマン、ホメオパシーを創設した医師サミュエル・ハーネマン等文化人が活躍しました。アクセス方法ですが、ハレからRBで約30分、州都マクデブルクからRBで約40分。IC(Inter City)の停車駅故、ケルン、デュッセルドルフ、ハンブルク方面からICで訪れることも出来ます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道
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ケーテン駅の時刻表。ザクセン=アンハルト州の2大都市を結ぶハレ−マクデブルクを結ぶ路線上にあり、各々の方面から1時間に一本電車がやって来ます。その他、バウハウスで有名なデッサウ方面への電車も運行しています。
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駅構内の整備は進んでおらず、バッハゆかりの地として多くの観光客を受け入れているとは思えない有り様。ICが停車するホームは整備されているものの、それ以外のホームは、まるでそこだけ数十年間時間が止まったままのような印象を受けました。
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駅のコンコース。DBの鉄道案内所がありますが、こういう小規模な町の案内所は早めに閉まるので要注意です。小さな売店もあり(写真左手奥)、水や軽食の調達はここで出来ます。訪れた日は丁度2010年のバッハ祭の最終日でしたが、コンコース内はご覧のように人の姿はなく閑散としていました。
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ケーテン駅の駅舎。どうやらこの町には路面電車が走っておらず、市民の足はバスのようです。駅前には花壇や噴水があり、町の顔としての体裁は整えているようです。駅からでて左手には大手のディスカウントスーパーであるNettoがあり、ここでも水や軽食を調達することが可能です。
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駅のすぐ前にある通りを右手へ進むとフリードリヒ・エーバート通りが見えてきます。それを左へ進んでいくとケーテン市内へ行くことが出来ます。途中、七色の家を発見しました。
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外壁にKINOと書かれてなければ映画館であると直ぐに判別できないであろう建物。最新の3D映画も上映してるっぽい。さらに歩き続けると、中心部への入口っぽい所が見えてきました。ここも後で調べると、歴史的な建物であるということが判明。
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しばらく歩を進めていくと、右手にシャラウニッシェ通りが見えてきます。町の中心部に続いている道だということはすぐにわかります。そして、通りのすぐ入口には巨大な廃墟がご挨拶してくれます。元々は音楽関連のお店だったみたいです。DDR時代にできてものなのかな。
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シャラウニッシェ通りとブッター通りはどうやらこの町のメインストリートのようで、店が建ち並んでいます。あいにくこの日は日曜日だったので、カフェ以外のお店は閉まっていました。
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ようやくケーテンのマルクトでの撮影開始です。写真の高い塔を持つ建物、これはケーテンの市役所です。1900年に完成した比較的新しいものです。案内パンフレットによれば234の窓があり、塔の高さは48メートルとのこと。建築者はコンテストによって決められたそうです。
日曜日なので中には入れないと思いきや、玄関が開いておりちょこっと中に入ってみました。人の気配がしたので慌てて外に出ると、おっちゃんが出てきて扉を閉めてしまいました。 -
マルクトの真ん中にデーンと立っているのがこの聖ヤコブ教会。塔がこの町のシルエットを創り出していますが、建てられたのは1895年だそうです。最初の塔は1599年に基盤の不良によって倒れてしまったのだとか。そして、この塔はザクセン・アンハルト州にあるプロテスタント教会の中で最も高いものだそうです。
丁度訪れた時、バッハ祭の午前中の部のコンサートが終わったところで、お客さんが沢山でてきました。 -
塔のすぐ下に見つけたレリーフにもこの教会の設立経過が書かれています。この町で最も古い教会だそうで、その歴史は12世紀にまで遡ることができるのだとか。今の塔ができたのは先程述べたように1895/97年だそうです。
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教会の内部。各諸侯の霊廟がこの中にあるそうなのですが、残念ながら見ることができませんでした。バッハの領主であったレオポルド候もこの教会で眠っており、レオポルド候が死去した際、バッハは彼のために葬送音楽を作曲したとのことです。教会の名前ですが、ケーテンが網目状に張り巡らされた巡礼路ヤコブ道の重要な拠点であったことに由来しているそうです。バッハ縁の教会はここではなく、この後訪れる聖アグヌス教会の方です。バッハはルター派だったのですね。
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ヤコブ教会のパイプオルガン。ちょうど演奏中でした。
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さて、城にやってきました。早速中に入ってみることに。
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おっとその前に。後期バロック様式の王女の家(Prizessinhaus)を発見。18世紀後半に建てられたものだそうで、最後の公爵夫人の姪御さんSchöneich- Carolath王女のお家だそうです。城の内部ではなく外郭の一角に建てられており、知らなければ素通りしてしまうところでした。今日はケーテン文化・マーケティング株式会社、ケーテンバッハ協会、新実りをもたらす協会、そしてバス運転手のラウンジとして用いられてるとのことです。
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Torhausとよばれる建物。丁度Johann-Georg-Bauと繋がっており、門の中程には音楽学校の入口があります。残念ながら右側部分は現在工事中。ザクセン=アンハルト州は現在至る所で工事中の模様。
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まずは観光インフォメーションに訪れました。オフィシャルサイトにはハレ塔の中にあるとありましたが、そこに行くと日曜日だからなのか閉まっていました。なので、城の中にあるもう一つの観光インフォメーションに行きました。写真左手、木の後ろに隠れているのがそうです。
右側の建物はJohann-Georg-Bauとよばれるもの。中世の頃の姿をそのまま残しているものなのだとか。
現在はヨハン・セバスチャン・バッハ音楽学校の校舎として使われています。 -
観光インフォメーションが入っている、これはLudwigbauとよばれる建物です。上部ザクセン・シュレージエンの城建築の伝統に倣ったものだそうです。この建物沿いを歩くと・・・。
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いらっしゃいました、バッハさんが。Johann-Sebastian-Bach。1717年から1723年の間、このケーテンで過ごしたそうです。このケーテン時代に、ブランデンブルク協奏曲、平均律クラヴィーア曲集第一巻等の創作をおこなったとのこと。
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その向いに立っているのがFerdinandbau。1823年から1828年の間に建造されたそうです。
現在はケーテンの先史時代を扱うナウマン博物館として利用されています。
観光インフォメーションではこの町の地図をもらうことに。なんと日本語の観光ガイドブックがあり、それをもらうことが出来ました。バッハ縁の地故、日本人も沢山訪れるそうです。一体誰が翻訳したんでしょうね。 -
Johann Friedrich Naumannさんの銅像です。日本で有名なのはハインリッヒ・エドムント・ナウマンでこちらは地質学者。ヨハン・フリードリヒ・ナウマンさんは鳥類学の創始者とされる学者さんで、このケーテンで生まれたのだとか。故に、ナウマン象のナウマンさんとは関係ない方です。
ナウマンさんが集めた鳥類の標本は、城中にあるナウマン博物館に展示されています。今回は訪問をパスしました。 -
Ferdinandsbauの裏手。眼鏡橋がかかってます。芝生が美しい公園になっており、地元の人達の憩いの場になっています。川辺では水鳥たちが気持ちよさそうに日光浴を楽しんでいました。私もベンチに腰を下ろして一休みしました。
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Ferdinandsbauを正面から撮影したもの。 この橋を渡ると城の中庭に出ます。 観光インフォメーションがある所ですね。
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水鳥が羽を休めていました。
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再び城内へ。Torhaus前には広い芝生広場があり、それを取り囲むように宮殿が建っています。写真中央部はMarstallという建物。王室の馬小屋だった建物です。現在建物の下部は改築中で、上部は音楽学校の校舎として将来利用されるのだとか。
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別角度からもう一枚。ここが宮殿かと思いきや違いました。ただの馬小屋だったのですね。
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門の上部に刻まれているレリーフ。どこの国の紋章なのかちょっとわかりません。
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写真左手はケーテンの催し物会場で、コンサートホールとしても利用されるそうです。1940年に火災で焼失し、2008年3月に再建されたのだとか。残念ながら中にはいることはできませんでした。写真右手は納屋だったところでRemisenhausといい、現在は喫茶店として利用されています。
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城を後にすることに。入ってくる時に気がついていましたが、牛のモニュメントが沢山ありました。
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この方はルードヴィヒ・フォン・アンハルト・ケーテン候(Ludwig von Anhalt-Köthen)です。この方は、ドイツ語史において重要な人物で、17世紀にドイツにおいて最初の、そして最も重要な国語協会、
「実りをもたらす協会」Fruchtbringende Gesellschaftを創設した人物です。
国家という枠組みで通用する一つの言語形式、即ち標準的な言語形とその規範化を必要とする意識及びそれを巡る議論が、17世紀初頭から盛んになってきました。そうした議論の場を提供したのが1617年にルードヴィヒ・ケーテン候が設立した国語協会で、当時「実りをもたらす協会」以外にもいくつも設立されました。 -
城の入口からほど近いところに、六角形の形をした不思議な建物を発見。Gartenpavilion、庭の東屋だそうです。19世紀中頃に後期古典様式で建てられた物。裏側は駐車場になっています。
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ヴァル通り(Wallstrasse)というバッハ縁の通りに出てきました。その一角にバッハ広場というものがあります。この通りの25/26番地あたりにバッハはケーテン時代の居を構えていたとのこと。
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バッハの胸像を拡大してみました。バッハの銅像はケーテンの次に活躍する場となるライプツィヒにもありますね。ライプツィヒのトーマス教会の前には銅像と彼が住んでいた家が残されています。
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バッハ広場の前に延びる道の先には、先程訪れた聖ヤコブ教会の2本の塔が見えます。通り沿いの街並みとこの塔がすごく美しくて、しばし見入ってしまいました。
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バッハの名前が付いた学校。1885年に庶民の子女向けの学校として講堂、学長の居所、体育館が建てられたとのこと。第2次世界大戦期間中には野戦病院に。当時の名前はGelbe Schuleで、1949年に今の名前になったそうです。今日はLudwigsgymnasiumとして用いられています。
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私はあまり詳しく知らないのですが、最近ニュースでホメオパシーがどうのこうのというのを読んだことがあります。ドイツ人医師サミュエル・ハーネマンによって創設されたもので、欧州では人気の医療なのだとか。日本ではほとんど聞かれず、中には「似非化学」とされているそうですが、一体どんなものなのでしょうか・・・。この建物は欧州ホメオパシー図書館で、ここケーテンがその中心地だとのこと
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ホメオパシーの創設者であるサミュエル・ハーネマン医師が住んでいたサミュエル・ハーネマン・ハウスです。元もとこの付近に修道士僧院があったそうで、その横に1821年にハーネマン医師は居を構えたとのことです。以降14年間ハーネマン医師はここケーテンを研究活動の場とし、医療を施すことになります。ホメオパシー学者にとってここは聖地のようになっているのだとか。今もホメオパシーの診療所として機能しているそうです。
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In diesem Hause wohnte und wirkte von 1821 bis 1835 der Erfinder der Homäopathie Hafrath Dr. Friedrich Christian Samuel Hahnemann と書かれています。このお医者さん、当時相当な変わり者と見なされていたみたいですね。
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Magdeburger Turm。ガイドには載ってませんでした。
後で調べてみるとこれまた古い建物で、1562年建造なのだとか。町の防護壁の一部分だったそうです。 -
聖アグヌス教会。バッハの足跡を辿る旅では必ず立ち寄らなければならない重要な教会の一つだそうです。教会が完成したのは1699年。ケーテン在住時のバッハが宗教上の拠点としていたのがこの聖アグヌス教会で、ここのミサに訪れ、そしてここで聖餐をうけたそうです。
中にいたおばちゃんに色々と教会の由来だとか、正面に掲げられているクラーナハ(子)による聖餐画の説明を受けました。訛りが強いせいかドイツ語が聞き取りにくかったですが、とても親切かつ丁寧にガイドをしてくれました。おばちゃんの話では日本人観光客もここをよく訪れるのだとか。「ザクセン=アンハルト州の文化に興味がある」というと、帰り際に教会にあったパンフレット類を沢山くれました。 -
聖アグヌス教会の並びに、この教会の牧師館(Pfarrhaus)がありました。これも結構古そうな建物です。建物の側壁にDenkmalschutzと書かれた説明版を発見。
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Pappenhagensches Hausという別名を持っており、17世紀後半に建てられたとのこと。当時は官邸秘書であったE.G.Pappenhagenの所有物だったそうです。1721年から牧師館として用いられ、19世紀に擬古主義調に立て替えられたのだとか。
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これまで訪れた教会はすべてプロテスタント派の教会ばかりでしたが、この聖マリア昇天教会はカトリックです。この建物も擬古典主義様式で建てられたもので、1830年には教会塔の骨組みが倒壊するというアクシデントがあったとか。バッハとは関連ないらしく、中にはいることはできませんでした。
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教会の側面にこのような聖母を形取ったレリーフを発見。ここにも擬古典様式で建てられた、ドイツで最も重要な教会の一つであると書かれていますね。
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一通り観光ガイドに載っている建物の見物を終え、マルクトに戻ってきました。市役所と教会しか見ていなかったので、他の建物もじっくり見てみようと思い。現在銀行(Sparkasse)として利用されているこの建物も古いもののようです。
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白い髭を生やしたカラーのレリーフ。本とその後ろに見えるプレス機らしき物体から、Druckereiという文字を見る前に、ここが元もと印刷所であったということは直ぐにわかりました。こういうレリーフが町の古い建物に多く見られました。
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Hallescher Trum。Halleという名前が入っている塔。これも古く、1462年に初めて文書内で言及されたのだとか。そしてなんと、1592年から19世紀半ばまで監獄として利用されたのだとか。高さは32メートルです。
ここには観光インフォメーションと町のチケットセンターが入っているそうです。 -
木組みの家発見。ハルツ地方独特の建築様式ですね。ここが一番町のマルクトっぽい。
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ケーテンの町紋章がはいったマンホールの蓋。
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最後にヤコブ教会の塔を遠方から眺めてみました。こぢんまりした町で主要観光スポットも隣接しており、巡りやすかったです。バッハが気に入ったというのも何となくわかるかも。
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