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「満州」で日本が残したもの<br /> 大連の市内中心部の人口は約210万人、周辺を含めてもせいぜい600万人程度の人口しか抱えていない。「600万人の程度しか」というのは、13億人を抱える中国では目立って大きな街ではない。事実、中国東北部四大都市(ハルピン、長春、瀋陽、大連)の中では最小の街であり、大連を抱える遼濘省の省都は大連ではなく瀋陽である。しかし経済の側面でいえば大連の存在感は東北部で際立つ。大連港の水揚げは上海港に次ぐ規模を誇り、交通網ではバンクーバーやフランクフルト等の欧米への国際線も就航し、このほかロシアへの路線も多い。その中でも特筆すべきなのは日本路線が網羅されていること。札幌、仙台、新潟、富山、成田、中部、関空、広島、そして福岡、まるでどこかの大都市のように、大連はハブ空港のように、多くの日本の都市と結ばれている。それもそのはず、300社を上回る多くの日系企業が進出し、中国の中でも上海、北京に次ぎ三番目に日本人の駐在員が多い町なのだ。<br /><br />その理由には港湾施設が充実しているので貿易に適しているため工場が多く、海外の企業を呼び込むため、材料の輸入や商品の輸出に免税の経済開発区の整備も行われ、外資系企業が進出しやすい基盤も整理されている。加えて日本から最も近い中国の都市であり、戦前日本が入植していたにも拘わらず、中国の中では反日感情が少ないなどがあげられる。<br /> <br /> かつてこの町には人口50万人のうち日本人が20万人も占め、「内地」よりも文明的な生活を送っていたのだという。当時の大連には日本では全く進んでいなかったセントラルヒーティングが町に張り巡らされていたのだから驚きだ。<br /><br /> 大連で生まれ、商社で大連に長い間駐在した大先輩は、「大連には比較的豊かな日本人が多く居住し、中国人に対して暴虐を奮うことも少なかった。また大連の発展の礎を作ったのは日本人であると認識しがあるから、比較的反日感情を持つ人が少ない。もちろん反日主義はいるが、上海のように大きなデモは起きない。何故なら大連政府は大連市が日本経済に依存していることを理解しているから、彼等に圧力をかけ大きなデモを起こさせないからだ」、という。確かに大連での日系企業に対する反日デモは数えるほどしか聞いたことない。<br /><br /> 日本をはじめ、欧米などの企業の進出で経済発展著しい大連だが歴史は意外と浅い。1898年に帝政ロシアが清へと進出し、遼東半島の青泥窪と呼ばれる寒村に町を作ったのは100年前に過ぎない。当時ロシアの勢力はウラジオストクに達していたが、冬に港が凍てつく。そのため、ロシアは不凍港でもあるこの地と旅順に着眼し、清から東清鉄道を敷設権を獲得後、鉄道建設の名の元に都市まで建設し、帝政ロシアの領土として有名無実化した。<br /><br /> 青泥窪はロシア名の「ダーリーニー」として、寒村は都市への変貌を歩む。現在のロシア風情街付近にはロシア建築が建てられ、ダーリーニーは急速に整備された。現在の風情街の大半の建物は戦後のレプリカだが、裏通りに入れば当時ロシア人が居住した建物が今なお残されている。<br /> <br /> ところが1904年、ロシアは一大事件に遭遇する−日露戦争の勃発、そして旅順の陥落だ。旅順はダーリーニーの目と鼻の先、陥落を聞いたロシア人達は慌ててダーリーニーを撤収した。<br /> <br /> ロシアの都市計画や都市建設は途中で放棄されたが、遼東半島を獲得した日本はロシアのダーリーニーの建設を継続し、青泥窪の寒村はダーリーニーと改名後、街の名前も大連となった。<br /> <br /> 日本がロシアの建設途上のものをそのまま継承した典型が中山広場であろう。広場を中心に8方向に放射線状に道路が作られたが、そこに並ぶ建物まで手がつかず、日本によって建設されたた。日本とロシアのジョイントベンチャーとまでは言わないが、技術のコラボレーションで大連の礎は築かれた。<br /><br /> こうして当時の日本の建築技術を結集して建設された建物の一部は、戦後中国政府によって破壊されることなく、現役として使われている。中山広場の旧大和ホテルは大連賓館として、警察署はその後も警察署として(現在はCITIBANK)、横浜正金銀行は中国銀行に、中山広場から離れた旧満州鉄道(満鉄)の本社は現在でも中国国鉄が、満鉄病院は大連大学付属病院として今なお同業に使われているのだから面白い。こうした建物は大連の観光の目玉としても今なお存在感あるのだから、当時の人達が目を通してみると、さぞ威圧されたものだろう。<br /> <br /> この他に大連には当時の日本人が居住した町並みもわずかながらに残っており、我々の先輩方の当時の生活の一部を垣間見ることができる。大連市内の南の山手には満鉄に勤める社員が移り住んだ。現在その多くは壊されてしまい、残された建物の外観も疲れているものの、ドシリとした建物と大きな門構えから当時のエリート日本人は豊かな生活をしていたのがよくわかる。また、門には表札を差し込んでいたであろう窪みが残されたものも多く、ここに日本人が住んでいたであろう事を容易に想像させてくれる。満鉄は優秀な人材を確保するために、日本国内では考えられないほどの給料を支払っていたのだとか。因みに、旧日本人街には、大連政府が「ジャパンマネー」を当て込んで、<br /><br /> 当時のモダンな住宅を模してリニューアルさせたが、建設当時(五年前位)の販売価格が約一億円!当然入居もままならず、値段が下がったといえ、数千万円の邸宅の殆どが空き家。日中はそれこそ観光客がチラホラ歩いているが夕方になると、ゴーストタウン化。いくらお金があっても治安面が大変不安で安心して住めやしない。それにしても入居者なく野ざらしにされては、いくら高級住宅であっても劣化も早い。このままいつまでも入居者はないまま、これも「遺産化」するのではないだろうか

娘と両親と大連旅行3泊4日 その6 -大連で日本が残した物(大連散策)

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2010/06/29 - 2010/07/02

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worldspan

worldspanさん

「満州」で日本が残したもの
 大連の市内中心部の人口は約210万人、周辺を含めてもせいぜい600万人程度の人口しか抱えていない。「600万人の程度しか」というのは、13億人を抱える中国では目立って大きな街ではない。事実、中国東北部四大都市(ハルピン、長春、瀋陽、大連)の中では最小の街であり、大連を抱える遼濘省の省都は大連ではなく瀋陽である。しかし経済の側面でいえば大連の存在感は東北部で際立つ。大連港の水揚げは上海港に次ぐ規模を誇り、交通網ではバンクーバーやフランクフルト等の欧米への国際線も就航し、このほかロシアへの路線も多い。その中でも特筆すべきなのは日本路線が網羅されていること。札幌、仙台、新潟、富山、成田、中部、関空、広島、そして福岡、まるでどこかの大都市のように、大連はハブ空港のように、多くの日本の都市と結ばれている。それもそのはず、300社を上回る多くの日系企業が進出し、中国の中でも上海、北京に次ぎ三番目に日本人の駐在員が多い町なのだ。

その理由には港湾施設が充実しているので貿易に適しているため工場が多く、海外の企業を呼び込むため、材料の輸入や商品の輸出に免税の経済開発区の整備も行われ、外資系企業が進出しやすい基盤も整理されている。加えて日本から最も近い中国の都市であり、戦前日本が入植していたにも拘わらず、中国の中では反日感情が少ないなどがあげられる。

 かつてこの町には人口50万人のうち日本人が20万人も占め、「内地」よりも文明的な生活を送っていたのだという。当時の大連には日本では全く進んでいなかったセントラルヒーティングが町に張り巡らされていたのだから驚きだ。

 大連で生まれ、商社で大連に長い間駐在した大先輩は、「大連には比較的豊かな日本人が多く居住し、中国人に対して暴虐を奮うことも少なかった。また大連の発展の礎を作ったのは日本人であると認識しがあるから、比較的反日感情を持つ人が少ない。もちろん反日主義はいるが、上海のように大きなデモは起きない。何故なら大連政府は大連市が日本経済に依存していることを理解しているから、彼等に圧力をかけ大きなデモを起こさせないからだ」、という。確かに大連での日系企業に対する反日デモは数えるほどしか聞いたことない。

 日本をはじめ、欧米などの企業の進出で経済発展著しい大連だが歴史は意外と浅い。1898年に帝政ロシアが清へと進出し、遼東半島の青泥窪と呼ばれる寒村に町を作ったのは100年前に過ぎない。当時ロシアの勢力はウラジオストクに達していたが、冬に港が凍てつく。そのため、ロシアは不凍港でもあるこの地と旅順に着眼し、清から東清鉄道を敷設権を獲得後、鉄道建設の名の元に都市まで建設し、帝政ロシアの領土として有名無実化した。

 青泥窪はロシア名の「ダーリーニー」として、寒村は都市への変貌を歩む。現在のロシア風情街付近にはロシア建築が建てられ、ダーリーニーは急速に整備された。現在の風情街の大半の建物は戦後のレプリカだが、裏通りに入れば当時ロシア人が居住した建物が今なお残されている。

 ところが1904年、ロシアは一大事件に遭遇する−日露戦争の勃発、そして旅順の陥落だ。旅順はダーリーニーの目と鼻の先、陥落を聞いたロシア人達は慌ててダーリーニーを撤収した。

 ロシアの都市計画や都市建設は途中で放棄されたが、遼東半島を獲得した日本はロシアのダーリーニーの建設を継続し、青泥窪の寒村はダーリーニーと改名後、街の名前も大連となった。

 日本がロシアの建設途上のものをそのまま継承した典型が中山広場であろう。広場を中心に8方向に放射線状に道路が作られたが、そこに並ぶ建物まで手がつかず、日本によって建設されたた。日本とロシアのジョイントベンチャーとまでは言わないが、技術のコラボレーションで大連の礎は築かれた。

 こうして当時の日本の建築技術を結集して建設された建物の一部は、戦後中国政府によって破壊されることなく、現役として使われている。中山広場の旧大和ホテルは大連賓館として、警察署はその後も警察署として(現在はCITIBANK)、横浜正金銀行は中国銀行に、中山広場から離れた旧満州鉄道(満鉄)の本社は現在でも中国国鉄が、満鉄病院は大連大学付属病院として今なお同業に使われているのだから面白い。こうした建物は大連の観光の目玉としても今なお存在感あるのだから、当時の人達が目を通してみると、さぞ威圧されたものだろう。

 この他に大連には当時の日本人が居住した町並みもわずかながらに残っており、我々の先輩方の当時の生活の一部を垣間見ることができる。大連市内の南の山手には満鉄に勤める社員が移り住んだ。現在その多くは壊されてしまい、残された建物の外観も疲れているものの、ドシリとした建物と大きな門構えから当時のエリート日本人は豊かな生活をしていたのがよくわかる。また、門には表札を差し込んでいたであろう窪みが残されたものも多く、ここに日本人が住んでいたであろう事を容易に想像させてくれる。満鉄は優秀な人材を確保するために、日本国内では考えられないほどの給料を支払っていたのだとか。因みに、旧日本人街には、大連政府が「ジャパンマネー」を当て込んで、

当時のモダンな住宅を模してリニューアルさせたが、建設当時(五年前位)の販売価格が約一億円!当然入居もままならず、値段が下がったといえ、数千万円の邸宅の殆どが空き家。日中はそれこそ観光客がチラホラ歩いているが夕方になると、ゴーストタウン化。いくらお金があっても治安面が大変不安で安心して住めやしない。それにしても入居者なく野ざらしにされては、いくら高級住宅であっても劣化も早い。このままいつまでも入居者はないまま、これも「遺産化」するのではないだろうか

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
4.0
同行者
乳幼児連れ家族旅行
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス タクシー
航空会社
中国南方航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
日本旅行
  • 中山広場に位置する旧大連民政署(警察署)1908年に建設。戦後も警察署として使われていたが、現在はCitibankに。

    中山広場に位置する旧大連民政署(警察署)1908年に建設。戦後も警察署として使われていたが、現在はCitibankに。

  • 旧朝鮮銀行大連支店で1920年建設。これも中山広場に位置する。現在は中国人民銀行に。

    旧朝鮮銀行大連支店で1920年建設。これも中山広場に位置する。現在は中国人民銀行に。

  • 旧ヤマトホテル。1914年に建設。中山広場の顔といってよい建築物。大連賓館と名前を改称し現在でもホテルとして活躍

    旧ヤマトホテル。1914年に建設。中山広場の顔といってよい建築物。大連賓館と名前を改称し現在でもホテルとして活躍

  • 旧大連市役所1919年建設。これも中山広場の代表的な建物。現在は中国工商銀行が利用。

    旧大連市役所1919年建設。これも中山広場の代表的な建物。現在は中国工商銀行が利用。

  • 旧横浜正金銀行大連支店1909年建設。現在は中国銀行が利用。

    旧横浜正金銀行大連支店1909年建設。現在は中国銀行が利用。

  • 旧中国銀行大連支店1910年建設。現在は中信銀行が使用。これもまた中山広場に位置する。

    旧中国銀行大連支店1910年建設。現在は中信銀行が使用。これもまた中山広場に位置する。

  • 旧満鉄大連図書館

    旧満鉄大連図書館

  • 旧満鉄本社。現在も大連鉄道有限責任公司が利用している。

    旧満鉄本社。現在も大連鉄道有限責任公司が利用している。

  • 本当に立派な建物です。

    本当に立派な建物です。

  • 旧満州鉄道付属病院1925年建設。当時満鉄が誇った東洋一の最先端技術を誇った病院も、今なお大連大学付属病院として利用される。

    旧満州鉄道付属病院1925年建設。当時満鉄が誇った東洋一の最先端技術を誇った病院も、今なお大連大学付属病院として利用される。

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