2010/08/03 - 2010/08/03
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さくらampanさん
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江戸時代、川越藩主松平信綱の町割りによって、通りに店が向かい合う形の家並みができあがったが、度重なる大火のため幕府がかわらぶきを奨励し、火事に強い建物として江戸の町で土蔵造りが流行した。これによって商業で江戸と結び付きが強かった川越でも、蔵造りの商家が建つようになった。 現在の蔵造りの多くは、川越大火後に建てられたもので、今も30数棟が残る。大正12年、関東大震災やその後の戦災によって東京の蔵造りが姿を消したこともあり、江戸の景観を受け継ぐ重要な歴史的遺産として、「時の鐘」をはじめとするこの一番街周辺は、平成11年12月1日に重要伝統的建造物群保存地区に選定された
- 交通手段
- 自家用車
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伯父の葬式が済み、午後16時すぎに、川越の的場を出発いたしました
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入間川を渡り
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連雀町の交差点にある駐車場を利用して
徒歩で川越名店会通りを
連雀町から札の辻まで歩いてみます -
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古い商店街
お向かいに、熊野神社がありますので
まずは氏神さまにご挨拶に行きましょうか -
版画のお店のようです
店主が作業をされていましたよ -
熊野神社
川越熊野神社の『明細帳』によると、天正18年(1590年)蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり、以後、松郷の人々が氏神として崇敬した。下って、正徳3年(1713年)同寺十六世然誉了鑑僧正の時、社殿を改築し鳥居を石造りとした。現在ある二の鳥居がそれであるとのこと -
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加祐稲荷社
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宝池
境内の辨天社が現在の厳島神社であり、その御祭神が市杵島(いちきしま) 姫命(ひめのみこと)
( 中世以降、弁天信仰は神道と日本土着の水神 である市杵島姫命と習合して、神社の祭神として祀られることが多くなった。)
元々この熊野神社は蓮馨寺開祖により紀州熊野より勧請された社で、 その蓮馨寺は正式には
「孤峯山(こほうざん)宝池院(ほうちいん)蓮馨寺(れんけいじ)」と称し、境内に「宝池」と称する池があったという。
平成の世に至り、その宝池と水源を一にする井戸水をこの地まで引き、「平成の宝池」としたとのこと -
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秋葉神社
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大鷲神社
楽天イーグルスもここで祈願したら? -
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熊野神社
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表通りに出ますと、ガラス張りになっています
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スズメさんたち
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連馨寺 れんけいじ
天文十八年(1549)、川越城主、大道寺駿河守政繁の母君、蓮 馨大姉は、民衆の心の安らぎの場として、当山を創建しました。
開山は感誉存貞上人で、のち大本山増上寺第十世に登られた方でした。
徳川時代には、関東における“十八檀林”の一つに列せられ、幕府公認の僧侶養成機関となり、多くの学僧を育てました。
呑龍堂に祀られる呑龍上人(1556〜1623)は、各地を巡っては困窮する多くの人々を救い、まずしい家の子供達を寺に預かっては、勉学の機会を与え、諸々の相談事をうけては解決していったという、正に生きた仏として崇められた方でした。
社会事業の先駆者であり、今日でも、霊験あらたかな仏様として、祀られています -
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小江戸川越七福神第五番札所
福禄寿神(人望)
福禄寿神は、幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え、方位除災、商売繁盛、延寿福楽等のご利益を現します。当山の福禄寿神の像は、右手に麗芝、左手に神亀を持ち、癌や脳卒中をたちどころに治してしまいます -
アーケードというよりは、「軒」と言ったほうが
しっくりきますね
仙台も昭和40年ごろまでは、一番町や長町などはこんな感じでした
なつかしいですね〜 -
横道に目をやってみますと、懐かしい風景
おおっ!
「とんかつ 楽天」
楽天つながり -
うわ〜っ!見えてきましたよ!
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重厚間がありますね〜
蔵というと、しっくいの白を思い浮かべますが、
真っ黒ですよ〜 -
瓦がいいですね〜
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橋本雅邦画伯は、川越藩のお抱え絵師橋本晴園養邦師の子息にて、画道に勝れ、日本画革新の先覚者であリ明治時代における我が国画壇の最長老であリます。依って、郷土川越の有志が集まリ明治32年(1899)画宝会を結成し、先生のご力作の頒布をいただきました。
山崎家4代目故山崎豊翁は、同会の幹事として卒先活躍するとともに、画伯から受けた作品をすべて大切に保管し、これを子孫に伝承させたものであリます。併し、子孫としては、社会公益の為、一般に広く鑑賞を仰ぎ、以って美学向上の資料に供するに、如かずと考え、ここに翁の生誕150年を記念して山崎美術館を発足し、公開展示を行っています -
クリーム色の建物は
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歌姫
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こんなオブジェもそこここに
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藤の花も狂い咲き
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うわ〜っ!いいですね〜
この重厚間! -
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時の鐘
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鐘つき通り
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くぐれば、薬師神社
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今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝(さかいただかつ)によって創建されたといわれる。以来度重なる火災で鐘楼や銅鐘が焼失したが江戸時代を通じて度々建て替えられた。
現在建っているのは4代目に当たり、明治26年に起きた川越大火直後に再建されたもの。 町の3分の1が焼失した中で、暮らしに欠かせない「時」を告げる時計台は、自らの店も再建していない川越の商人達によって、いち早く建て直された。
時代が変わり鐘つきの方法が鐘つき守りから機械仕掛けへと変化しても、昔と変わらず今も蔵造りの町並みに時を告げている。また、その響きの良い音色は平成8年、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定された。
木造で3層のやぐらで高さは約16メートル。午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鳴る鐘の音 -
あら?
あれは、イーグルスバス -
この通りも走るんですね
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この建物のわき道を通っていきます
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突き当たりは、養寿院
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養寿院を右折すると、角に、うなぎやさん
お店を取り囲むように水路が -
涼やかですね〜
気持ちよさそうに泳いでいますね
私も泳ぎたい!!! -
ほどなく行って、左折すると
お菓子屋横丁 -
なんと、午後16時には閉店するそうで
松陸さんだけが開いてました
このとき、午後17時を回っていました -
なんとも変わった電信柱
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かわいらしい石畳
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このあたりの地区は
八坂神社の御札が塀に張られていました -
狭山茶を販売しているこちらのお店の隣に
神社あり -
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今度は反対側を歩いて戻ります
大和屋さんの右隣は、酒屋さん
川越は芋焼酎でも有名です -
酒屋さんも文化財
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わき道は石畳
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埼玉りそな銀行
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川越の有名なお菓子やさん
くらづくり本舗さん -
法善寺
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石畳に、蝉がいました
ハンカチで取って、上のほうにおいときました -
連雀町を出たのは、午後18時を回っていました
連雀町のある国道15号線から16号線へ
東北道、岩槻ICまでの道のりは渋滞していました
仙台南ICへ着いたのは、午後22時20分ごろでした
川越は徳川家ゆかり繋がりで、仙台と似通っているところもあり、また新しい発見でした
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