2008/02/17 - 2008/02/17
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早島 潮さん
“ファドラッラー師死去 実利主義者の一面も”の記事に接しレバノンの旅を追憶
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/100705/mds1007052020002-n1.htm
http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10227184/
この国レバノンの宗教事情は複雑である。上記旅日記には以下のように書き残している。
平成20年2月17日(日)
アンジャル遺跡を後にしバールベック遺跡目指してバスで北上した。
バールベック遺跡に近づくにつれ路線の中央分離帯に黄色い旗と黒い旗が掲げられているのが頻繁に目につくようになる。黄色い旗はヒズボラの拠点であることを示しており、黒い旗はシーア派の多い地域であることを誇示しているのである。また男の顔写真も掲げられている。これは内戦で戦死した戦闘員の写真だ。
また暗殺されたハリーリ元首相と現大統領の顔写真も道路周辺の建物に数多く掲げられているのもイスラム国特有の現象である。
ウイキペディアによればレバノンの宗教事情を以下のように解説している。
以下は引用
国民の約30%がキリスト教、約70%がイスラム教の信者。「キリスト教」はマロン派(東方 典礼カトリック教会の一つ)が多数派だが、正教会、プロテスタント、ラテン典礼のカトリックなどもある。正教会信者はパレスチナやシリアなど他のアラブ諸国にも多数存在していた事から、内戦時には左派としてマロン派と対峙した。
アルメニア人は少数派としては比較的大きなコミュニティを形成し(アルメニア人街に入るとアラビア語が通じないケースも多い)、アルメニアカトリック、アルメニア正教会、アルメニア福音教会を擁し、婚姻などで改宗したごく少数の例を除きキリスト教徒である。
政治的にはほぼ他のキリスト教政党と同調している(内戦時には中立を維持、と主張、事実ファランジストなどとは距離をおいていた)。
また、「イスラム教」にはスンナ派、シーア派、アラウィー派、ドルーズ教などを含む。
アラウィー派とドルーズ教が「イスラム教」の枠に入るものかどうかは、宗教的には議論が分かれるところであるが、レバノンの政治上はイスラム枠に分類されている。
アラウィー派はレバノン独立時にはレバノンの政治構成要素ではなく、ほとんどのレバノン人は同派に対して身内意識、同胞意識を有していない。アラウィー派はシリアの地中海沿岸部、つまりレバノンの北部国境を越えた山岳・丘陵地帯に主に居住しており、フランスから独立したあとのシリアにおいて権力を掌握した集団である。アラウィー派は、シリアがレバノンの政治に介入し始めた
1970年代から、レバノン北部の町トリポリ郊外を中心に集団移住をしてきた。しかし、それでもレバノン国内で国会の議席を新規に割り当てられることはなかった。
シリア主導のレバノン平定を取り決めた1989年のターイフ合意とその流れを汲む憲法改正、選挙法改正を経て、アラウィー派に2議席があてがわれた。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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