2008/02/17 - 2008/02/17
36位(同エリア58件中)
早島 潮さん
平成20年2月17日(日)
アンジャル遺跡を後にしバールベック遺跡目指してバスで北上した。
バールベック遺跡に近づくにつれ路線の中央分離帯に黄色い旗と黒い旗が掲げられているのが頻繁に目につくようになる。黄色い旗はヒズボラの拠点であることを示しており、黒い旗はシーア派の多い地域であることを誇示しているのである。また男の顔写真も掲げられている。これは内戦で戦死した戦闘員の写真だ。
また暗殺されたハリーリ元首相と現大統領の顔写真も道路周辺の建物に数多く掲げられているのもイスラム国特有の現象である。
やがて妊婦の石と呼ばれる巨大な石が切り出されないままに露出している石切り場へ到着した。左手前方にはバールベック遺跡が小さく見えている。
遺跡へ行くには町中の道路を通過しなければならないが細い道なので路上駐車している車が邪魔になって大型バスは通過できなくてたちまち渋滞が発生する。
店の人達が出てきて駐車している運転手を探し出し移動させてくれ何とか通過できたが、時間を浪費してしまった。
渋滞している車の中に日本ではとても運行が許可されないような整備不良の旧式な車が混在していた。
バールベックは「平原のバール」を意味するアラビア語であり、古代からパレスチナの豊穣神バール礼拝の中心地であった。
ギリシャ人はこの地にヘリオポリス(太陽の都市)を建設し土着のバール信仰とギリシャの多神教の神々を融合した。BC16年ローマ皇帝アウグストウスはこの地を植民地とした。
その後歴代の皇帝はジュピター神殿、バッカス神殿、ビーナス神殿等を200年以上の歳月を費やして建設し、華麗で繊細なローマ様式の装飾を施した。
4世紀にキリスト教がローマの国教になるとバール神は異教とみなされここには教会が建てられた。
イスラム時代にはローマ神殿は城砦に模様変えされた。その後バールベックは衰亡の道を辿り、1579年の大地震により廃墟になった。発掘は19世紀半ばであった。 ここでは六角形の前庭と大庭、ジュピター神殿、バッカス神殿、ビーナス神殿跡を見学した。施された装飾の中に明らかに途中で製作を中断したと推定できる部分があり何らかの政治的な事情があったものだろうと興味をそそられた。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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バールベック遺跡の配置図
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バールベック遺跡の復元想定図
バールベックは6世紀にはギリシャ火薬を発明したガリニコスやアラブの歴史家マクリシ、医者で哲学者でもあったコンスタンティヌス帝、詩人カリール・モートランを輩出した土地柄である。 -
妊婦の岩と言われる未使用の石材、ここから切り出された過半の石材がバールベック遺跡で使用された。
左手奥にバールベック遺跡が見えている。 -
バールベック遺跡近くの町中を走行しているオンボロの車。日本では到底走行を許されない代物であるが、
ここでは大手を振って往来している。 -
建物に残っている装飾
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大庭を囲む南側壁面に設けられた半円形の部屋。部屋正面に2本の柱が保存状態も良く残っている。
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装飾の彫刻
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何らかの事情で工事が中断し完成しなかった装飾。
画面左は未完成。画面右は完成。 -
大庭の祭壇。後方の山並みはレバノン山脈
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ローマの彫刻に頻出する卵と矢の彫刻。ここでも工事中断したことが判る。卵と矢の彫刻が完結していない。
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バッカス宮殿
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左側はジュピター神殿。中央上部は大庭。右側はバッカス神殿
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ジュピター神殿の南側列柱に残っている6本の柱。高さ約20mある壮大さは見る者を圧倒してやまない。
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バッカス神殿を取り囲んでいた柱廊の入り口
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中央の奥に祭壇だけが残っているビーナス神殿。神殿の後ろは現代の民家
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