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 “てつのくじら館”の見学を終え、<br />次は“大和ミュージアム”へ。<br /><br /> 戦艦大和は、終戦間際の昭和20年4月5日沖縄海上特攻命令を受領。<br />4月6日“天一号作戦(菊水作戦)”において山口県徳山沖から沖縄に出撃した。<br /><br /> 4月7日午後12時過ぎ、鹿児島沖に差し掛かった時、待ち構える米機動部隊・空母艦載機多数による、爆弾・魚雷の猛攻撃を受け、同日14時23分船体が横転。<br /> “坊ノ岬沖”にて、主砲弾その他の弾薬の誘爆を起こし、<br />天にも昇るような爆煙を上げ沈没した。<br /><br />(私が過去に見た写真の記憶では、転覆した大和の艦底に、多数の兵がよじ登っていた記憶があります。そこへ誘爆による大爆発す。悲惨と言えば悲惨、この世のものとは思えない。)<br /><br /><br /> その時の乗組員の最年少は、15歳とも言われています。<br /><br /> 

広島・呉(2) ~ 大和ミュージアム

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2008/08/29 - 2008/08/29

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キャンモア

キャンモアさん

 “てつのくじら館”の見学を終え、
次は“大和ミュージアム”へ。

 戦艦大和は、終戦間際の昭和20年4月5日沖縄海上特攻命令を受領。
4月6日“天一号作戦(菊水作戦)”において山口県徳山沖から沖縄に出撃した。

 4月7日午後12時過ぎ、鹿児島沖に差し掛かった時、待ち構える米機動部隊・空母艦載機多数による、爆弾・魚雷の猛攻撃を受け、同日14時23分船体が横転。
 “坊ノ岬沖”にて、主砲弾その他の弾薬の誘爆を起こし、
天にも昇るような爆煙を上げ沈没した。

(私が過去に見た写真の記憶では、転覆した大和の艦底に、多数の兵がよじ登っていた記憶があります。そこへ誘爆による大爆発す。悲惨と言えば悲惨、この世のものとは思えない。)


 その時の乗組員の最年少は、15歳とも言われています。

 

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 JRローカル 徒歩
  •  海側から<br /><br />後ろの山の方が『入船山』方面

     海側から

    後ろの山の方が『入船山』方面

  •  ひじょうにモダンな「大和ミュージアム」の外観<br /><br />中央の白い柱の右側に、<br /> 1/10スケールの大和の模型があります。<br /><br /><br />左側は、<br /> 人間魚雷「回天」など

     ひじょうにモダンな「大和ミュージアム」の外観

    中央の白い柱の右側に、
     1/10スケールの大和の模型があります。


    左側は、
     人間魚雷「回天」など

  •  戦艦大和の模型(縮尺:1/10)<br /><br /><元の要目><br />全長:263.0メートル<br />全幅: 38.9メートル<br />

     戦艦大和の模型(縮尺:1/10)

    <元の要目>
    全長:263.0メートル
    全幅: 38.9メートル

  • “ゼロ戦”<br /><br />零式艦上戦闘機62型

    “ゼロ戦”

    零式艦上戦闘機62型

  •  “海龍”後期量産型<br /><br />全長17.28メートル、水中速力9.8ノットの2人乗り小型潜水艦。

     “海龍”後期量産型

    全長17.28メートル、水中速力9.8ノットの2人乗り小型潜水艦。

  •  各種弾薬

     各種弾薬

  •  20.3センチ徹甲弾と“火薬缶”

     20.3センチ徹甲弾と“火薬缶”

  •  “大和波止場”<br /><br />“大和波止場”では、(上の写真参照)大和の船首・左半分のウッドデッキが拵えてあり、戦艦大和の大きさを体験できるよう工夫されています。

     “大和波止場”

    “大和波止場”では、(上の写真参照)大和の船首・左半分のウッドデッキが拵えてあり、戦艦大和の大きさを体験できるよう工夫されています。

  •  呉は造船の町。<br /><br />フェリーの向こうには、タンカーが。

     呉は造船の町。

    フェリーの向こうには、タンカーが。

  •  呉と江田島間を運行するフェリー。

     呉と江田島間を運行するフェリー。

  •  フェリーの名前は“古鷹(ふるたか)”<br /><br />船名は、江田島の名峰・古鷹山(392m)から取ったもの。<br /> 旧海軍兵学校の若者たちが駆け上った登山道は、いま海上自衛隊の若者たちが登っている。

     フェリーの名前は“古鷹(ふるたか)”

    船名は、江田島の名峰・古鷹山(392m)から取ったもの。
     旧海軍兵学校の若者たちが駆け上った登山道は、いま海上自衛隊の若者たちが登っている。

  •  2階の渡り廊下から「戦艦陸奥」の展示品が一望できます。<br /><br /> 手前から、<br /><br />   ・アンカー<br />   ・主砲<br />   ・スクリュープロペラと主舵

     2階の渡り廊下から「戦艦陸奥」の展示品が一望できます。

     手前から、

       ・アンカー
       ・主砲
       ・スクリュープロペラと主舵

  •  最後に、レンガパークの案内です。<br />(てつのくじら館が見える方面)<br /><br /> 昭和18年(1943)6月8日、柱島南方沖(周防大島北側)で<br />“謎の爆沈”を起こした“戦艦陸奥”の写真です。<br /><br /> レンガパークには、海底から引き揚げられた<br />“戦艦陸奥”の<br />主砲、スクリュープロペラ、主舵、主錨などが屋外展示されています。<br /><br /> 主砲の大きさには目を見張る。

     最後に、レンガパークの案内です。
    (てつのくじら館が見える方面)

     昭和18年(1943)6月8日、柱島南方沖(周防大島北側)で
    “謎の爆沈”を起こした“戦艦陸奥”の写真です。

     レンガパークには、海底から引き揚げられた
    “戦艦陸奥”の
    主砲、スクリュープロペラ、主舵、主錨などが屋外展示されています。

     主砲の大きさには目を見張る。

  •  レンガパークに展示されている“引き上げ物”の案内図。

     レンガパークに展示されている“引き上げ物”の案内図。

  •  “41センチ主砲身”<br /><br />ここにあるのは、後部3番砲塔と説明があります。<br /><br /><br /><br />東京お台場“船の科学館”にも展示されています。

     “41センチ主砲身”

    ここにあるのは、後部3番砲塔と説明があります。



    東京お台場“船の科学館”にも展示されています。

  •  “スクリュープロペラ”<br /><br />戦艦陸奥は、このプロペラを4基備えていました。

     “スクリュープロペラ”

    戦艦陸奥は、このプロペラを4基備えていました。

  • 戦艦陸奥の<br /><br />“スクリュープロペラ”と“主舵”

    戦艦陸奥の

    “スクリュープロペラ”と“主舵”

  • 戦艦陸奥の“主錨”

    戦艦陸奥の“主錨”

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