2010/06/14 - 2010/06/14
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belleduneさん
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母の生まれ育った昔の本郷区向ヶ丘弥生町三番地、現在の文京区弥生町辺りから父との出会いがあったと思われる三四郎池辺りへ色んな思いを巡らしながら、歩いてきました。
千代田線の根津駅からすぐの弥生坂を上っていくと、昔の向ヶ丘弥生町の看板がありました。
そこを左へ曲がると、暗闇坂。その先右手が東大弥生門です。
夏目漱石の「三四郎」の中で、追分にいた三四郎はこの「高等学校(第一)の横を通って、弥生門から入った」と書かれています。
構内を歩いて、目指す三四郎池に辿り着きました。この日は、とても蒸し暑くかったのですが、池の周囲には、加賀藩の頃からの木立が繁っていて、涼しい風が吹いていました。
心という文字を模ったと言われる育徳園心字池をひと周りしてみると、見る場所によって色んな景色が楽しめると分かりました。
色んな想像をしながら、東大病院横の鉄門を出て、湯島駅近くにある旧岩崎邸へ寄り道して、ひと休みしました。
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根津駅から弥生坂を上ると案内板がありました。弁護士だった祖父は、この辺りに住んでいて、数人の書生を使っていたという。
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弥生門から構内へ少し歩くと、工学部の建物があります。
父は物理を専攻していたらしい。 -
その横に安田講堂があります。
30年程前にここで講演した父を子供と外で遊んで待っていた記憶があります。 -
やっと池に辿り着きました。
構内はかなり広く、中高年のツアーも行われていました。
蒸し暑かったのですが、ここへ下りてくると、空気がひんやりしていました。 -
池をひと周りします。
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お昼過ぎだったので、ここで休んでいる人を多く見かけました。
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ザリガニを網で掬っても、怖くて触れない子供に親が勇気を出して触らせようとしていました。
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前田利常が殿閣を修復し、前田綱紀が補修を加えて、育徳園と命名した庭園が完成したという。
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園内には、八景、八境の勝があり、泉水、築山、小亭があったそうです。
その後、すべて焼失しました。 -
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山手台地を浸食した谷に、泉が湧き出る三四郎池。
夏目漱石の小説「三四郎」に因んで育徳園心字池をこう呼んでいます。 -
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明治になって、東大帝国大学が敷地の一部にできましたが、この心字池は昔のままの姿で残そうと努力されたそうです。
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池の脇にちゃんと水圧調整ポンプ?がありました。
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この木立は、数々の歴史を見て来たんでしょうね。
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東大病院の裏手にある鉄門から出て、湯島駅へ向かいました。
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この赤煉瓦の塀は、きっと誰かのお屋敷跡でしょう。
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無縁坂を下りて行くと、やはり旧岩崎邸でした。
内部は一切撮影禁止だったので、写真はありませんが、ゆっくり休んで見学してきました。
元々、越後高田藩の江戸屋敷でしたが、旧舞鶴藩知事の牧野氏を経て、岩崎家本邸になりました。
現在の2倍半ほどの広さに20棟の建物があったそうです。
鹿鳴館・上野博物館・ニコライ堂を設計したジョサイア・コンドルによるものです。
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