2009/05/24 - 2009/05/25
3位(同エリア9件中)
ベームさん
いよいよヘッセの生地カルフです。
ヘッセは1877年7月2日、宣教師の父と敬虔なプロテスタントの母との間に生れた。4歳の時父の仕事の関係でスイスのバーゼルに移り、9歳でまたカルフに戻る。カルフの思い出は多分これから後のことだろう。しかし4歳の頃すでに彼は強力な意志と並外れた知力を持っていたというから幼児の時の記憶が有ったかもしれない。
カルフの中学校、ゲッピンゲンのラテン語学校で学んだ後14歳の時州の試験に素晴らしい成績(「車輪の下」では2番となっている)で合格し、マウルブロンの神学校に入った。シュヴァルツヴァルトの小さな町は市長をはじめ町中が歓呼を以て彼をマウルブロンに送り出した。
しかし神学校の画一的な授業になじめず7ヶ月あまりで神学校を逃げ出し結局退学。カルフに戻ったヘッセはピストル自殺を図ったり、精神科の治療を受けたり、カンシュタットのギムナジウムで学んだりした後エスリンゲンの書店に勤めたが2日間でそこも逃げ出した。結局彼はカルフの時計製作所の機械工になる。幼年時代町の神童で郷土の期待の星だったヘッセがなんと今度は早くから実社会に出て働いている昔の友達連から教えを請うことになったのである。
しかしここで挫折をしなかったところにヘッセの偉大さがあった。
写真はカルフ:ニコラウス橋のニコラウス礼拝堂。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
PR
-
カルフ。
DB:カルフ駅/バスターミナルZOB。
①:シュナウファーハウス。
⑥:ヘッセ博物館。
⑧:市教会。
⑫:ザルツカステン。
⑭:市庁舎。
⑮:ヘッセ生家。
⑯:昔の市壁。
20:ニコラウス橋とニコラウス礼拝堂。
22:市博物館。
23:シュタインハウス。
25:ヘッセ広場とホテルレッスル。
26:アルテポスト、「車輪の下」のハンス・ギーベンラートの家。
27:ペロー時計製作所。
28:ヘッセの祖母ジュリー・グンデルトの家。
29:メッツガーガッセ。
31:シュタインハウス。
32:1889~1893年、ヘッセ一家が住んでいた家。
33:ナゴルト川沿いの教会。 -
カルフ駅。鉄道とバスの駅。地図DB.
5月24日、5日目。エスリンゲンから8:26のREでシュトウットガルトへ、そこでSバーンに乗換えでヴァイル・デア・シュタットへ、さらにバスに乗換える。バスの乗客は最初二人だったが途中から私一人になった。ドイツのバスの運転手は制服なんか有りはしない。上はTシャツ、ポロシャツ、下はGパンか半パンツ。音楽を聴いたり携帯で話したり、時には村のバス停で土地の人と冗談を言い合ったり。
バスは最後にぐるっと大きなカーヴを描いて鉄道駅の下バスターミナル・ZOBに10時過ぎ到着。いよいよカルフだ。2006年に続き2回目、前回はツアーだったので今回は一泊して一人でゆっくり歩いてみたい。
鉄道のホームは2階になる。 -
バスターミナルにある古い泉。ヘッセ少年が汲みに行っていた泉かもしれない。鋳物と思われるオブジェは相当古そうだ。
-
カルフ:駅からナゴルト川に架かるマルクト橋を渡りマルクト広場に行く通り。通りの先を右に曲がったところがマルクト広場。
-
もう一本南の橋ナゴルト橋から見た今日の宿ホテルレッスル。ヘッセ広場に面している。橋の上にヘッセ像が見える。地図25.
1階が居酒屋になっていていわゆるガストホーフみたいなもの。レセプションのようなものは無く、レストランの厨房で料理を作っている親父に声をかけると宿帳もなくこちらを確かめるでもなく部屋の鍵をくれた。土地の人らしき男2、3人がビールを飲みながら駄弁っている。ドイツの田舎のガストホーフ・宿屋兼居酒屋では昼間から土地の常連がビールを飲みながらたむろしている風景がよく見られる。 -
カルフ:ホテルの部屋から見たニコラウス橋。
部屋の天井が斜めになっており多分上階・屋根裏なのだろう。屋根に斜めについている天窓のカーテンを閉めようとしたらレールごとはずれてしまった。 -
カルフ:ヘッセ広場。地図25。
泊まったホテルレッスルはこの広場に面している。早速街歩きへ。 -
カルフ:ヘッセ広場のヘッセブルンネン/ヘッセの泉。。
-
カルフ:マルクト広場。
周りを市庁舎、教会、商店、ホテル・レストラン、それにヘッセの生家などが取り囲む。 -
カルフ:マルクト広場。
周りを木組みの家が取り囲んでいる・
右から2軒目がヘッセ生家。 -
マルクト広場。
おおよそ長方形だが台形のような感じ。緩い傾斜になっている。 -
カルフ:マルクト広場の泉。
-
マルクト広場の泉。
-
カルフ:ヘッセの生家。正確には生家のあった跡に建てられた家。一階はブティックになっている。地図⑮.
-
カルフ:ヘッセ生家。地図⑮.
ヘッセは終生故郷カルフを懐かしみ、度々カルフのことを作品に書いているが、意外とカルフやドイツではヘッセは素直には受け入れられなかった。
その理由は
1.少年時代にマウルブロン修道院を逃げ出し、郷土の恥をさらした。
2.35歳からスイスに移り住み、46歳の時に国籍をスイスに移している。
亡くなったのもスイスで墓もスイスにある。
3.第1次世界大戦以降母国ドイツの軍国主事を批判し続けた。
4.2度の離婚後ユダヤ人女性と結婚。
などが考えられ、ドイツ人にはヘッセはよそ者のように思われたのだろう。
ヘッセはドイツに戻る事は無く1962年スイスのルガーノ湖畔の町モンタニョーラで85歳の生涯を閉じる。墓もそこの聖アボンディオ教会の墓地にある。
しかしヘッセは生まれ故郷のカルフを終生忘れず、作の中で度々その少年時代のことを懐かしく描いている。
ドイツがヘッセを見直したのはようやく1946年彼が69歳の時ノーベル文学賞を受賞した時であった。今ではシュヴァルツヴァルトの端のこの眠ったような小さな町を訪ねるのはヘッセ詣での人たち位なものだろう。 -
カルフ:ヘッセ生家のレリーフ。
上のプレート、”ヘッセ家はこの家に1874年から1881年まで住んでいた”。
すなはちヘッセ4歳のときバーゼルに移るまでである。
下のプレート、”この家で1877年7月2日 ヘルマン・ヘッセは生まれた”。 -
カルフ:マルクト広場を挟んでヘッセの家と向かい合っている市庁舎。地図⑭..
当初1454年に建てられたが19世紀に再建されている。 -
カルフ。
市庁舎の隣にある唯一火災を免れた建物。地図⑬. -
カルフ:朝のマルクト広場。
-
カルフ:エヴァンゲリッシュ(福音派)市教会。地図⑧.
起源は13世紀。増改築を繰り返し今の建物は1888年。ヘッセの家系は代々プロテスタント、ヘッセもここで洗礼を受けた。いくつかの作品にこの教会も触れられている。 -
カルフ:市教会。
-
カルフ:市教会。
-
カルフ:ニコラウス橋とニコラウス礼拝堂。橋の真ん中にヘッセの像。地図20.
-
カルフ:ニコラウス礼拝堂15世紀。
2006年に訪れたときは修復中でシートにすっぽり覆われていた。 -
カルフ:ニコラウス礼拝堂。
-
カルフ:ニコラウス橋の上の等身大のヘッセ像。
ヘッセは子供の頃この橋の上から釣りをするのが好きだった。マウルブロンの神学校に入るための州の試験に合格したヘッセが真っ先にしたのがこの橋の上から心ゆくまで釣りをすることだった。 -
カルフ:マルクト広場の書店のウインドー。さすがヘッセの本が飾られている。
-
カルフ:メッツガーガッセ、肉屋通り。手前がニコラウス橋に通じる。地図29.
ヘッセの作品の舞台。少年ヘッセも朝な夕なこの辺りを歩いたのだろう。 -
靴屋のフライク爺さん(「車輪の下」に出てくる主人公のよき理解者)が今でもこの奥で仕事をしているような錯覚におそわれる。主人公はよくここに遊びに行き素朴な爺さんからいろいろ話を聞いたもんだ。
-
カルフ:ザルツカステン・塩の倉庫1696年とザルツ通り。地図⑫.
この道を真っ直ぐ降りて行くとマルクト橋を渡り駅に突き当たる。 -
カルフ:ザルツ通りの家。
-
カルフ:ヘッセギムナジウム?
-
カルフ:ヘッセの祖母ジュリー・グンデルトの家。駅のそば。地図28.
-
カルフ:アルテ・ポスト。「車輪の下」の主人公ハンス・ギーベンラートの家。駅のそば。地図26.
-
カルフ:ペロー時計製作所。一度挫折したヘッセは17歳の時ここで機械工として働く。地図27.
-
カルフ:ペロー時計製作所。
”ヘッセが1894年6月~1895年9月ここで働いた”、と記されている。
「車輪の下」の主人公ハンス・ギーベンラートはある日曜日に職工仲間とハイキングにでかけ、飲みなれないビールを飲みすぎ仲間とはぐれてしまった。翌日川下で冷たくなったハンスが発見された。よろめいて足を滑らせたか水を飲もうとして落ちたのか分からない。 -
カルフ:レーダー通りのヘッセ一家が1889年から1893年まで住んだ家。地図32.
-
カルフ:レーダー通りのアンドレハウス。地図33.
-
カルフ:レーダー通りのシュナウファーハウス。1694年、カルフで最も古い建物。地図①.
-
シュナウファーハウスの看板。
-
カルフ:ビショフス通りのシュタインハウス。1692年。ヘッセの従弟グンデルトが住んでいたことがある。「青春は美わし」にでてくる。地図23.
-
カルフ:カルフ市博物館。ナゴルト川沿い、シュタインハウスの並び。地図22.
-
カルフ:ヘルマン・ヘッセ博物館。地図⑥.
ヘッセの小説「Knulp・クヌルプ、邦題漂泊の魂」とヘッセカレンダー、ヘッセの水彩画の絵葉書を買う。 -
カルフ:ヘルマン・ヘッセ博物館。
-
カルフ:ヘルマン・ヘッセ博物館。
-
カルフ:ヘルマン・ヘッセ博物館。
-
カルフ:ヘルマン・ヘッセ博物館。
右の写真はヘッセの両親。 -
「クヌルプ」。ズールカンプ刊。
はたして読むことがあるかどうか。ポケット本、日本で言う文庫本です。 -
ヘッセの水彩画。ヘッセ博物館で買った絵葉書。
-
ヘッセの水彩画。ヘッセは園芸と絵を描くことが趣味だった。
いずれもヘッセが後半生を住んだスイス南部、ルガーノ湖畔のモンタニョーラの風景でしょう。 -
ヘッセの水彩画。
ヘッセは若い頃南国イタリアに憧れました。ゲーテもそうでした。北国の人は明るい南の国に憧れるのでしょう。
”君よ知るや南の国” -
カルフ:図書館だったか。
-
カルフ:市壁跡。⑯の辺り。
-
カルフ:市壁跡。
-
カルフ:ナゴルト川のそばの公園。
-
カルフ:ナゴルト川。
-
カルフ:ナゴルト川。
-
カルフ:ナゴルト川。
少年時代のヘッセが釣りをしたり泳いだりした。いまはそんなことは出来そうにない。
「車輪の下」に、ハンス・ギーベンラートがマウルブロン修道院の神学校に入る州の試験に合格し、ラテン語もギリシャ語もすべて頭の中から追い出し川での魚釣りに熱中する様が描かれている。 -
-
カルフ:ナゴルト川。
-
カルフ:ナゴルト川。
-
カルフ:ナゴルト川沿いにある教会。ひっそりと佇む。名前は分からなかった。地図33.
-
-
カルフ:ナゴルト川沿いにある教会。
-
カルフ:マルクト広場のレストランのテラスで昼食。白アスパラガスとオムレツ。白アスパラは今が旬でとても美味しかった。ビールとで13ユーロ。
-
カルフの街歩きを中断し少し北へバスで10分ほど、ヒルサウに足を延ばす。ヒルサウを流れるナゴルト川。
-
ヒルサウ修道院入口。
昼食後カルフからバスで一足延ばしました。
11世紀、フランスのクリュニー修道院で始まった修道院改革運動の南ドイツでの拠点。領主貴族などの世俗権力から修道院、教会の完全な独立、ローマ教皇への絶対服従を目的とした。
ヘッセは散歩がてらよく歩いてきたという。
今は廃墟。カルフから鉄道で一駅、バスで10分弱。 -
ヒルサウ修道院。
-
ヒルサウ修道院。
-
ヒルサウ修道院。
-
ヒルサウ修道院。
-
ヒルサウ修道院。
かってここを拠点にしてドイツの修道院改革運動が拡がっていったことなど偲ぶよすがも無い。 -
ヒルサウ修道院:マリーエン礼拝堂。
-
ヒルサウ修道院:マリーエン礼拝堂。
廃墟の中で唯一生きているようだ。10人ほどの観光客がガイドの説明を聞いている。 -
ヒルサウ修道院。
-
ヒルサウ修道院。
廃墟の跡は草が繁るばかり。 -
ヒルサウ修道院。
-
ヒルサウ修道院。
-
ヒルサウ修道院。
-
全景。パンフレットより。
右端にマリーエン礼拝堂。 -
ヒルサウ:駅の近くのアウレリアス教会。
11世紀中頃。 -
ヒルサウ:アウレリアス教会。
-
ヒルサウ市役所。
-
帰りは列車で1駅。ヒルサウ駅はまるで廃屋、勿論無人駅。
駅前の道路ですっ飛んでくるオートバイに手を挙げてやや強引に渡ると、向こう側に居た男が、おめえやるな、と言った感じで話しかけてきた。”自分はトルコ人だ、近くに家があるから寄っていけ、一杯飲もう”と言ってるような感じ。薄気味悪かったので、時間が無いとか何とか言って逃げ出した。善意だったのかも知れないが時間が無かったのも事実。
ドイツの移民で一番多いのがトルコ人だそうだ。 -
ヒルサウの駅から修道院方面。
-
カルフ駅。CALWと綴りカルフ、カルプ、カルヴなどと読まれている。。
鉄道でカルフ駅に降り立つのは初めて。ヘッセの「青春はうるわし」の冒頭に主人公(ヘッセのこと)が何年ぶりかに故郷に帰ってきて、列車が駅に近づく様が描かれている。私もその情景を体験しようと必死に窓にへばりついていたが列車はあっという間に駅のホームにすべりこんでしまった。 -
カルフ駅からの眺め。
シュヴァーベン地方の小都市カルフは人口約25,000。街なかをナゴルト川が流れ、シュヴァルツヴァルト・黒い森がすぐ背後に迫っている谷あいの静かな町である。 -
カルフ:夕食。ホテルの近くに中華店があった。ラーメンというが通じない。ラーメンとは何語なのか。麺と野菜の何とか(ヌーデルン ミット ゲミューゼ)を注文したらやわらかい焼きそばが出てきた。こんな地方の町に中華店があるとは、中国人のエネルギーはすごい。ビールと緑茶で9ユーロ。
ヘッセの故郷に満足し明日はヘレンベルクを経てチュービンゲンへ。ここもヘッセが若年の数年間を過ごした町。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (5)
-
- またたたびさん 2019/06/04 22:43:09
- ありがとうございました。
- ベームさん、
本をご紹介いただき、ありがとうございました。
大変参考になります。
カルフでは、地元のガイドによるツアーにも参加してみようと思っています。
またたたび
-
- またたたびさん 2019/06/03 10:06:16
- ご教示いただけますか?
- はじめまして。
もうずいぶん以前のエントリーに対してですが、カルフとヘッセについて、個人的かつ大変興味深いレポートをあげていただいているので、当方これから訪問しようと思っているところで、もしよろしければ教えていただきたく存じます。
「ヒルサウ修道院へ、ヘッセが散歩がてらよく歩いてきた」という内容の記述が見られますが、そういった彼のカルフでの習慣などの叙述は、どういった本を読んだらよいでしょうか。
カルフ訪問前に読んでみたいと思っています。
突然に質問の無礼をお許しください。
- ベームさん からの返信 2019/06/03 20:32:57
- Re: ご教示いただけますか?
- またたたびさん、
メッセージ有難うございます。
「ヒルサウ修道院へ・・・」の記述が何処にあったかは覚えていませんが、おそらくヘッセの本の後書きにでも触れられていたのだと思います。
ヘッセのカルフないし幼年から青年時代の事については彼の自伝的小説におおよそ書かれています。例えば「青春はうるわし」、「少年時代から」、「ラテン語学校生」、「秋の徒歩旅行」、「旋風」、「少年の日の思い出」、「車輪の下」など。邦訳名は違うのもあります。すべて文庫本にあります。
またヘッセ研究者の本もあります。絶版になっているかもしれませんが、
高橋健二著「ヨーロッパ詩とメルヒェンの旅」小学館とか同著「ヘッセ紀行」駸々堂ユニコンカラー双書など。
すべてを読むのは大変でしょうが、これ1冊とすればヘッセ青春小説集「少年の日の思い出」草思社文庫、をお勧めします。いまも発刊されています。参考になれば幸いです。
ヘッセがお好きですか。カルフに行かれるのですか、羨ましいです。
ベーム
-
- frau.himmelさん 2012/01/21 14:13:30
- カルフ
- ベームさん こんにちは。
特典航空券の期限切れがせまっていたため、GWにドイツ行きを予約しました。
前にも申したかも知れませんが、母の病気で今まで旅行のスケジュールを立てる気になりませんでした。でもこれって何か悪くなるのを待っているようで、母に対して失礼じゃないかって思ったら、気持ちが吹っ切れました。
訪問地はまだこれから考えていきますが、前にベームさんが「ヘルマン・ヘッセの旅」の旅行記を投稿していらっしゃったのを思い出しました。
それで、テュービンゲン地方やシュヴァルツヴァルトもいいわね、候補地決定。
早速ベームさんの旅行記を再チェック!
まず心に残っていたカルフ編を見せていただきました。
ヘッセが生まれた地…、ベームさんのとても詳しい説明で、ヘッセの生涯がよく判りました。
旅行には、これをコピーしていこうっと…。
冒頭の地図もとても助かります。
これから度々お邪魔して参考にさせていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
himmel
- ベームさん からの返信 2012/01/21 21:36:14
- ブラボー!
- himmelさん、
決心なさいましたか。他人事で無責任のようですがよかったですね。お母上もhimmelさんの気持ちをお分かりになって喜んでおられるかもしれません。
時期も私と同じころ(私はGWではなく5月中旬からで方面は北ドイツですが)、しかも行先は私の旅行記がヒントになったとのこと、とても嬉しいです。
himmelさんはドイツ中を旅しておられますがプロフィールを拝見すると南西ドイツ方面がやや空白のようですね。今度の旅行でそれが一挙に埋まりますね。シュヴァルツヴァルト沿いにカルフ、チュービンゲン、ドナウエッシンゲン、コンスタンツ、ボーデン湖と南下していけば素敵なスケジュールが組めますよ。コンスタンツからボーデン湖を船でリンダウまで行くのもよいと思います。なんだか自分でスケジュールを作ってみたくなってしまいました。
私も今度の北ドイツ行きにはhimmelさんの旅行記を大いに参考にさせていただきます。6月頃にはお互いの旅行記が楽しめるかもしれませんね。今から期待しています。
ベーム
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
5
88