2009/05/20 - 2009/05/21
4位(同エリア18件中)
ベームさん
若い頃から愛読していたヘッセの書。そのヘッセが生きた土地の空気を少しでも吸ってみたくて旅に出ました。
フランクフルトから始まり前半はライン川沿いの古都とヘッセが若い頃過ごした町、後半はヘッセから離れ南ドイツをミュンヘンまで周ります。
数年前から始めたドイツ一人旅、これで4回目になります。
旅程:5/20~6/2、14日間。
1日目、5/20。成田空港~フランクフルト泊。
2日目、5/21。フランクフルト~ヴォルムス~シュパイヤー~ハイデルベルク泊。
3日目、5/22。終日ハイデルベルク泊。
4日目、5/23。ハイデルベルク~マウルブロン修道院~エスリンゲン泊。
5日目、5/24。エスリンゲン~カルフ~ヒルサウ~カルフ泊。
6日目、5/25。カルフ~ヘレンベルク~チュービンゲン泊。
7日目、5/26。チュービンゲン~ドナウエッシンゲン~ラードルフツェル泊。
8日目、5/27。ラードルフツェル~ガイエンホーフェン~シュタイン・アム・ライン~コンスタンツ~ラードルフツェル泊。
9日目、5/28。ラードルフツェル~リンダウ~ランツベルク泊。
10日目、5/29。ランツベルク~ミュンヘン泊。
11日目、5/30。終日ミュンヘン泊。
12日目、5/31。ミュンヘン~オーバーアマガウ~ミッテンヴァルト?ミュンヘン泊。
13日目、6/1。ミュンヘン~成田空港。機中泊。
14日目、6/2。帰国。
写真はヴォルムス大聖堂のステンドグラス。。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
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今回訪問した町、訪問順です。
1:フランクフルト。
2:ヴォルムス。
③:シュパイヤー。
④:ハイデルベルク。
⑤:マウルブロン修道院。
⑥:エスリンゲン。
⑦:カルフ、ヒルサウ。
⑧:ヘレンベルク。
⑨:チュービンゲン。
⑩:ドナウエッシンゲン。
⑪:ラードルフツェル。
⑫:ガイエンホーフェン。
⑬:シュタインアムライン。
⑭:コンスタンツ。
⑮:リンダウ。
⑯:ランツベルク。
⑰:ミュンヘン。
⑱:オーバーアマガウ。
⑲:ミッテンヴァルト。
フランクフルトからミュンヘンまで時計と逆回りに南ドイツを回っています。 -
5/20、1日目。
戸塚駅5:28のエアポート成田で成田空港へ。時間はかかるが横浜駅のYキャットからのバスより安い。
成田空港9:35発ルフトハンザLH711。
機内のビールはいつもヴァルシュタイナー。満席のようで前後の座席の間隔が狭くエコノミーはモニターもないので退屈。寒いので毛布を2枚貰う。シートは通路側を予約済み。隣はドイツ人の男女。長い足を折り曲げ窮屈そうだ。よく長時間我慢できるものと感心する。神は公平で足の短い者にも時には良いこともある。 -
ドイツ上空。緑は麦畑、黄色は菜の花畑かな。
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フランクフルト・マイン空港。気温24度、快晴。
14時丁度、定刻より少し早く到着。
日本は今新型インフルエンザで大騒ぎだがここでは全くその気配さえ感じられない。あっけないくらいスムーズに入国完了。
空港地下駅からSバーンでフランクフルトHbfへ。ついでにDBの窓口でレールパスのヴァリデーションを済ます。
フランクフルト中央駅近くのホテルセンター・プラザで1泊。安ホテルだがバスルーム(シャワーのみ)は新しく清潔だった。テレビも液晶。明朝の出発が早いので朝食を早めてくれないかと頼んだら、それも応じてくれた。
夕食はザクセンハウゼンの船上レストランでカリー・ブルスト、ポムフリット、名物のりんご酒。同じりんご酒でもフランス・ノルマンディのシードルより甘く飲みやすいようだ。 -
フランクフルトのホテルセンター・プラザ。
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5/21、2日目。
昨日はフランクフルトに一泊し今日はライン川河畔の古都、大聖堂の町ヴォルムス、シュパイヤーを経てハイデルベルクに泊まります。
早めてもらったホテルの朝食を素早く済ませチェックアウト。
朝のフランクフルト中央駅。 -
朝のフランクフルト駅構内。
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7時10分発RE地域間急行。発車のベルもアナウンスもなく動き出す。
乗った列車はがらがら。一般的にドイツの列車は日本よりずっと空いている。 -
途中のホフハイム駅。
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ヴォルムス駅。
ビブリスでRB普通列車に乗換えヴォルムス8時14分着。
丁度一緒に下車したドイツ人がどこに行くのかと聞くので、大聖堂に行くと答えると途中まで案内してあげるという。少し歩いたところで荷物をロッカーに預けるのを忘れていて礼を言って駅に引き返す。ロッカーはかろうじて一つだけ空いていた。
ヴォルムスは紀元前から先住ケルト人の集落があったところ。5世紀初めブルグント王国の都であったが同中頃フン族に敗れ王国は滅亡した。13世紀初頭に成立したと思われる中世英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」はヴォルムスをその舞台の一つにしている。
その後カロリング朝カール大帝の時代、王宮の一つが置かれるなど発展を始める。13世紀帝国自由都市。神聖ローマ帝国時代100回を超える帝国会議がここで開かれた。
1521年ここでの帝国会議でマルチン・ルターの帝国追放令が出され、ルターはヴィッテンベルクに帰る途中ザクセン公フリードリヒによりアイゼナハのヴァルトブルク城にかくまわれ、新約聖書のドイツ語訳を完成させることになる。帝国追放刑とは法律の外に置かれる、つまり法律の保護を失うこと。誰から危害を加えられても文句を言えないが焚刑に処せられたフスよりはよかったか。 -
ヴォルムス。
左上DB:ヴォルムス駅。
1:市立博物館、元アンドレアス教会。
2:ビュルガー塔。
3:ユダヤ人墓地。
5:ルター記念碑。
6:ヘイルスホーフ美術館。
8:ヴォルムス大聖堂。
9:マグヌス教会。
23:ユーゲントヘアベルゲ・ユースホステル。
11:シナゴーグ。
12:フリートリヒ教会。
13:パウルス教会。
15:市庁舎/ジークフリートの泉。
16:三位一体教会。
地図の右方・東にライン川がある。 -
ヴォルムス:ルター記念碑。地図5.
1868年に造られた。ルター、メランヒトン、ウィクリフ、ヤン・フスなどの像がある。駅より商店街を抜けて約10分弱。 -
ヴォルムス:ルター記念碑。
ルターの像。足元には左ジオラマ・サヴォナローラ(15世紀イタリアでの宗教改革の先駆者、1498年焚刑)、右ヤン・フス(ボヘミア/今のチェコでの宗教改革の先駆者、1415年コンスタンツ公会議で異端者とされ焚刑)。 -
ヴォルムス:ルター記念碑。ルター像の足元。
「われ此処に立つ、それ以外のことは出来ない、神よ我を助けたまえ!アーメン!」。
1521年ヴォルムスで開かれた神聖ローマ帝国帝国会議で自説の撤回を求められたのに対しそれを拒否した時のルターの言葉。 -
ヴォルムス:ルター記念碑。
ルターの盟友メランヒトンの像。
それによりローマ法王はルターを破門し、帝国皇帝カール5世はルターを帝国追放刑に処した。法の保護をはく奪されたルターはザクセン選帝侯フリートリヒ賢公によりアイゼナハのヴァルトブルク城にかくまわれ、そこで成し遂げたのが新約聖書のドイツ語への翻訳。 -
ヴォルムス:ルター記念碑。
ルター像の足元のヤン・フス。1415年コンスタンツの宗教会議で異端者とされ火刑になった。ルターはフスの書に啓発されたという。
フスは火刑台上で「今日あなた達は鵞鳥(フスの事)を焼くが、100年後には白鳥が生れるだろう」と予言したというが、ルターが(白鳥かどうかは分からないが)宗教改革ののろしを挙げるのはまさに100年後の1517年、ヴィッテンベルクに於いてだった。
フスの左の彫刻は宗教会議におけるルターの弁明の場面と思われる。 -
ヴォルムス:ルター記念碑。
当時新教に改宗した都市名が刻まれている。ブラウンシュヴァイク、ブレーメン、コンスタンツ、アイゼナハなど。宗教改革の烽火がヴィッテンベルクから揚がったこともあって新教/プロテスタントに改宗した都市は中部から北ドイツに多かった。一方南ドイツ、特にミュンヘンは旧教/カトリックの牙城だった。 -
ヘッセン、ブラウンシュヴァイク-リューネブルク。
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ルターデンクマール。
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ヴォルムス:ヘイルスホーフ美術館。地図6.
ルター記念碑から大聖堂に行く途中にある。 -
ヴォルムス:ヘイルスホーフ美術館。
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ヴォルムス:ヨーロッパ最古といわれるユダヤ人墓地。地図3.
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ヴォルムス:ユダヤ人墓地。
墓石がばらばらに散らばっているのはなぜか。この後あちこちでユダヤ人墓地を見ることになったがいずれも同じだった。過去ヨーロッパでユダヤ人が受けた悲惨な歴史を思わせるものだった。 -
ヴォルムス:ユダヤ人墓地のプレート。
辞書をひっくり返してみると、
「昔のユダヤ人墓地。ヴォルムスのユダヤ人の”聖なる砂地”。
ここに9世紀来の著名な指導者、殉教者、高貴な人々が眠る。全世界のユダヤ人にとって重要な場所。ヨーロッパ最古のユダヤ人墓地」。 -
ヴォルムス:左マグヌス教会1521年と右アンドレアス教会1020年・現市立博物館。
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ヴォルムス:アンドレアス教会。地図1.
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マグヌス教会。
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ヴォルムス:マグヌス教会。地図9.
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ヴォルムス:ユーゲント・ヘアベルゲ(ユース・ホステル)。地図23.
ドイツは1912年ユース・ホステル発祥の地。ドイツ国内に540ほどありユーゲント/青少年でなくても利用できるらしい。 -
ヴォルムス大聖堂にやってきました。正式には聖ペーター教会。地図8.
起源は7世紀初め、ダゴベルト1世の聖堂建設。その後幾多の改修を経て1181年現在の形になった。
マインツ、シュパイヤーの大聖堂と共にライン河畔にある3大大聖堂。地下のクリプトにはザリエル朝皇帝の先祖の墓がある。
教会はたいてい西に向いているので午前中は撮影に適さない。 -
バラ窓の外側。
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ヴォルムス大聖堂。
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ヴォルムス:大聖堂。
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ヴォルムス大聖堂。
長さ110m、幅27m。マグヌス教会方面から。 -
ヴォルムス:大聖堂。
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ヴォルムス大聖堂。
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ヴォルムス大聖堂。
薄暗く荘厳な雰囲気。 -
ヴォルムス大聖堂。
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ヴォルムス:大聖堂。
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ヴォルムス大聖堂。
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ヴォルムス大聖堂。
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ヴォルムス大聖堂。
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ヴォルムス:大聖堂。
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ヴォルムス大聖堂。
「ニーベルンゲンの歌」の登場人物ブリュンヒルデなどの絵がある。 -
ヴォルムス大聖堂。
全景の模型。 -
ヴォルムス:マルクト広場。地図15.
このあたりは有名なワイン「リープフラオミルヒ・聖母の乳」の産地と聞いてきたが、土地の人は、レストランの従業員さえ知らなかった。
後日横浜の小さなスーパーでたまたまワインの棚を眺めていたら「リープフラオミルヒ・マドンナ」の壜を見つけた。ちゃんとヴォルムス産とある。本場で見つからなかったものが横浜でお目にかかれるとは。驚いたと共に嬉しかった。早速試すと甘口でさわやか、美味しかった。 -
ヴォルムス:市庁舎。地図15.
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ヴォルムス:マルクト広場のジークフリートの泉。地図15.
中世叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の英雄。
ニーダーラントの王子ジークフリートはブルグント(ニーベルンゲン)国の王女クリームヒルトに求婚すべくブルグントの都ヴォルムスにやって来る。 -
ヴォルムス:三位一体教会と奥に大聖堂。地図16.
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ヴォルムス:三位一体教会。
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ヴォルムス:左三位一体教会と大聖堂、マルクト広場。
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ヴォルムス:三位一体教会。
1725年。 -
ヴォルムス:三位一体教会。
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ヴォルムス:ビュルガー塔。地図2.
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ヴォルムス:ビュルガー門。
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ヴォルムス:ビュルガー塔。
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ヴォルムス:パウルス教会。地図13.
1002年。 -
パウルス教会。
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ヴォルムス:フリードリヒ教会。地図12。
これでヴォルムスを終わりシュパイヤーに向かいます。 -
シュパイヤー。
左上1:シュパイヤー駅。
2:アルトペルテル。
3:マキシミリアン通り。
4:アルテ・ミュンツェ。
5:市庁舎/インフォメーション。
6:シュタットハウス。
7:三位一体教会。
8:大聖堂。 -
シュパイヤー駅。
ヴォルムスよりSバーンでマンハイム乗換え。11時50分ころシュパイヤー着。 -
古都の駅という感じはしない。地図1。
事前の調べでコインローッカーが有るとのことで、有るにはあったが20個ほど全て鍵が壊れていた。場所が駅構内ではなく路上に面しているので悪戯で壊されるのだろうが、いたちごっこなのか直そうともしないようだ。ドイツではコインロッカーのある駅は少なく、特に地方の駅では珍しい。
おかげで重い荷物を背負って石畳の道を歩く羽目になった。後で気が付いたが駅と大聖堂と結ぶシャトルバスが有ったようだ。 -
シュパイヤー:アルトペルテル。地図2.
歩くこと10分。町の西の入口に建つ高さ55mの塔。ドイツで最も高い門。下部は1250年頃の建設。
シュパイヤーはヴォルムスとならんで中世神聖ローマ帝国の重要な都市。紀元前からケルト人の集落があり、前58年にはカエサルのローマ軍に占拠された。
4世紀に司教座。1294年帝国自由都市。帝国会議が50回もここで開かれている。
「カノッサの屈辱」で有名な皇帝ハインリヒ4世は教皇グレゴリウス7世に膝を屈するためこの地からカノッサに向かった。1077年のこと。 -
シュパイヤー:アルト・ペルテル。
塔の上に登れるらしい。 -
シュパイヤー:マキシミリアン通り。地図3.
アルトペルテルから真っすぐ大聖堂に続くメインストリート。 -
マキシミリアン通りの立派な建物。だがかかっている看板にショッピングセンターに改装なんて書かれている。まさかドイツ人がこの建物をぶっ壊すなんて考えられない。外観はそのまま、中だけ改装することはよくあるが。
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マキシミリアン通り。
突き当りに大聖堂。 -
シュパイヤー:マクシミリアン通りのほぼ中間、振り返ればアルト・ペルテル。
長い通りの両端にアルト・ペルテルと大聖堂が対峙している。 -
シュパイヤー:アルテ・ミュンツェ。地図4.
マキシミリアン通りの中ほどにある旧造幣所。1748年。 -
シュパイヤー:昼食の失敗。
お腹が空いたのでアルテ・ミュンツェの近くのオープンカフェに入る。メニューの写真を見てヌードルなんとかという無難なパスタらしきものとビールを注文したら、出てきたのはなんとスパゲッティの形をした大アイスクリームだった。ビールとアイス、なんという取り合わせ。店員も変な客だと思っただろう。お腹をこわさないか心配しながら泣く泣く平らげた。ビール共で8ユーロ。
店を出るとき看板を見たらそこはアイスクリームショップとある。バッグを担いで疲れていたので何も考えずに椅子に座ってメニューの一番上のを注文したのだった。
後で知ったが、ドイツではスパゲッティ型のアイスクリームが有るそうで、それを本物のスパゲッティと間違えるとはおのぼりさん丸出し。 -
シュパイヤー:マキシミリアン通りの中ほど。
正面の建物はアルテ・ミュンツェ。 -
シュパイヤー:反対方向マキシミリアン通りの突き当たりにシュパイヤー大聖堂。
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シュパイヤー:サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼者の像。
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シュパイヤー。
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シュパイヤー:市庁舎。インフォメーションも同居していたと思う。地図などを貰う。係員が日本語のパンフレットを出してきて”これで良いか”と言う。どこでも中国人が幅を利かしているが日本人と見てくれて嬉しかった。地図⑤.
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シュパイヤー:旧市庁舎シュタットハウス。。
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シュタットハウス。
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シュパイヤー:三位一体教会。地図7.
1717年。大聖堂の手前にある。 -
シュパイヤー:三位一体教会。
シュパイヤー2に続く。
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この旅行記へのコメント (3)
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- frau.himmelさん 2010/05/02 21:48:59
- はじめまして!
- ベームさん 今晩は!
ドイツがお好きなのですね。毎年行っていらっしゃるとか?
私と同じような方がいらっして嬉しくなってしまいました。
実は、6月にまたドイツを訪れることになり、正にヴォルムスとシュパイヤーの情報を探していたところでした。
何と言う偶然!私の旅行記の上に、幸運にもベームさんの旅行記が…。
ずいぶん詳しく調べていらっして大変参考になります。
今回はベームさんの旅行記をコピーして持っていこうかな…。
昼食がアイスクリームとビールとは…、思わず声を出して笑ってしまいました。
まだまだベームさんの旅行記は続きそうですね。楽しみにしています。
frau.himmelより
- ベームさん からの返信 2010/05/03 09:35:20
- RE: はじめまして!
- > ベームさん 今晩は!
> ドイツがお好きなのですね。毎年行っていらっしゃるとか?
> 私と同じような方がいらっして嬉しくなってしまいました。
>
> 実は、6月にまたドイツを訪れることになり、正にヴォルムスとシュパイヤーの情報を探していたところでした。
> 何と言う偶然!私の旅行記の上に、幸運にもベームさんの旅行記が…。
> ずいぶん詳しく調べていらっして大変参考になります。
> 今回はベームさんの旅行記をコピーして持っていこうかな…。
>
> 昼食がアイスクリームとビールとは…、思わず声を出して笑ってしまいました。
>
> まだまだベームさんの旅行記は続きそうですね。楽しみにしています。
>
> frau.himmelより
- ベームさん からの返信 2010/05/03 10:00:15
- RE: はじめまして!
- >frau himmel 様。
拙い旅行記お読みくださり有難うございました。
同好の方がおられて私も嬉しいです。
ヴォルムスもシュパイヤーもドイツの歴史の中で重要な町ですが、地味なせいか観光客はあまり多くなく、時間を掛けてじっくり見たい所です。
私は旅行記に書いたようにシュパイヤーでは荷物を引きずって歩いたので十分に見られなかったのが残念です。再訪問を考えています。
個人旅行なのかツアーなのか(ツアーでこのコースを含むものは無いと思いますが)存じませんが荷物の扱いだけはご注意ください。ヴォルムスではロッカーが有りましたがほとんど壊れていてかろうじて一つだけあったのです。
シュパイヤーの観光案内所には日本語のパンフが有りました。マキシミリアン通りを大聖堂のほうに歩いて右側にあります。
6月は日本では梅雨の時期、清々しいドイツを楽しんできてください。
追伸
ヘッセを旅する その2を投稿しました。シュパイヤー大聖堂の写真を載せています。よければご覧ください。
私は今年はドイツは一休みにして、5月下旬から6月上旬にかけフランスに行きます。
ベーム拝
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