2010/04/29 - 2010/04/29
64位(同エリア119件中)
きよさん
生前の聖徳太子がこの地を自らの墓所と定め、穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)が没するとここに葬られ、翌年、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が追葬されたという。
その場所が叡福寺北古墳です。
太子の没後、伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされています。
聖徳太子御廟は宮内庁の管轄になっています。
-
駐車場に隣接した所の叡福寺南大門(山門)。
昭和33年(1958年)再建
聖徳太子信仰の霊場として発展し大伽藍を誇った叡福寺も、他の寺院と同様に織田信長の兵火で全山焼失の憂き目にあいましたが、豊臣秀頼により徐々に再興され現在の姿になりました。 -
南大門の扁額
-
南大門の仁王像
-
南大門の仁王像
-
南大門からの境内の風景
中央奥が聖徳太子廟の二天門です。 -
金堂
享保17年(1732年)の再建。
本尊は如意輪観世音菩薩です。 -
金堂
-
多宝塔(重要文化財)
現存の「多宝塔」は1652年(承応元年)の建立。 -
多宝塔
-
多宝塔
-
二天門の遠景 慶長8年(1603年)に再建
-
二天門からの境内の様子。
-
二天門
-
二天門の天像
-
二天門の天像
-
聖徳太子廟
宮内庁の管轄なので門に菊の御紋があります 。丘陵を利用した円墳で、高さ7.2m径54.3m、内部は横穴式石室とのことです。 -
正面、扉の上の阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額。
-
聖徳太子廟
日本の歴史、文化、伝統に思いを馳せ帰途につきました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
18