2009/09/03 - 2009/09/05
6位(同エリア26件中)
ベームさん
どうしてか若い頃からドイツが好きになってしまいました。2006年に初めてのドイツ旅行を果たして以来毎年テーマを決めて一人で旅をしています。今年は5月に「ヘルマン・ヘッセを旅する」を旅したので2回目です。
今回はフランクフルトからライプチヒまでゲーテ街道を辿り、さらにドレスデン、バンベルク、ニュルンベルク、レーゲンスブルク、パッサウからミュンヘンとドイツ東南部の古都を巡る旅です。
旅程:9/3~9/15、13日間。
1日目:成田空港~フランクフルト~ヴェツラー泊
2日目:ヴェツラー~フルダ~アイゼナハ泊
3日目:アイゼナハ~ゴータ~アイゼナハ泊
4日目:アイゼナハ~ヴァイマール泊
5日目:ヴァイマール~イルメナウ~エアフルト泊
6日目:エアフルト~イエナ~ライプチヒ泊
7日目:ライプチヒ~ドレスデン泊
8日目:ドレスデン~モーリッツブルク~マイセン~ドレスデン泊
9日目:ドレスデン~バンベルク泊
10日目:バンベルク~ニュルンベルク~レーゲンスブルク泊
11日目:レーゲンスブルク~パッサウ~ミュンヘン泊
12日目:ミュンヘン~成田空港
13日目:成田空港着
その1ではフランクフルト、ヴェツラー、フルダ、ゴータを巡ります。
写真はフルダの大聖堂。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回訪れた町(訪問順)です。フランクフルトからミュンヘンまで中部、東南部ドイツをほぼ時計回りに巡っています。今春のヘッセの旅はフランクフルトから逆時計回りにミュンヘンまで行きましたからあわせて南ドイツをほぼ1周したことになります。
①:フランクフルト。
②:ヴェツラー。
③:フルダ。
④:ゴータ。
⑤:アイゼナハ。
⑥:ヴァイマール。
⑦:イルメナウ。
⑧:エアフルト。
⑨:イェナ。
⑩:ライプチッヒ。
⑪:ドレスデン。
⑫:モーリッツブルク。
⑬:マイセン。
⑭:バンベルク。
⑮:ニュルンベルク。
⑯:レーゲンスブルク。
⑰:パッサウ。
⑱:ミュンヘン。 -
旅の前半はゲーテ街道です。ゲーテ街道はロマンチック街道、古城街道などドイツに幾つかある観光街道の一つです。
フランクフルトからライプチッヒまで約400キロ、ドレスデンまでだと600キロの道のり。
街道上のゲーテに縁のある町はフランクフルト、ヴェツラー、フルダ、アイゼナハ、ゴータ、エアフルト、イルメナウ、ヴァイマール、イェナ、ライプチヒ、ドレスデン。
フランクフルトはゲーテ生誕の地、ヴァイマールは終焉の地、その周辺はヴァイマール公国の政治家としてかかわった地、ライプチヒは学生時代を過ごした町です。 -
9月3日、出発。戸塚から成田空港までエアポート成田で行く。時間はかかるがバスより安く正確だから。。
飛行機は9時35分発ルフトハンザLH711便。
荷物は機内持込み。座席は航空券予約時に通路側を指定済み。いつもは何かで引っ掛るセキュリティチェックも今回は何事も無く余裕を持って機内の人となる。 -
機内でのビール。毎回同じ銘柄ヴァルシュタイナー。ルフトハンザが採用する銘柄なのでドイツの有力ブランドなのだろう。
隣の若者がしきりに鼻をかむので少し用心・・・。新型インフルエンザの流行がまだ収まっていないので。
フランクフルト空港14:14着。時差7時間だから日本では21時。 -
フランクフルト中央駅。終着駅式の巨大な駅でフランクフルト空港と共にドイツの玄関口。
ゲーテを巡る旅はまずゲーテの生れた町フランクフルトから始まる。この町は第二次世界大戦で徹底的に破壊され、今ある歴史的建造物はほとんどが戦後再建されたもの。 -
フランクフルト:ヴィリー・ブラント広場の欧州中央銀行。
フランクフルトはEUの金融の中心地。 -
フランクフルト:ゲーテハウス。
ゲーテの足跡はまずゲーテハウスから。
ゲーテは1749年8月、ここで宮廷顧問官の父とフランクフルト市長を父に持つ母との間に生れた。間にライプチヒやシュトラスブールでの学生時代はあったものの26歳までここに住む。27歳から82歳の死まではヴァイマールに住んだ。
この建物も大戦で破壊され、戦後忠実に再建されたもの。家具調度品は疎開されていて無事だったという。 -
フランクフルト:ゲーテ・ハウス。
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フランクフルト:ゲーテ・ハウス。
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フランクフルト:パウルス教会。
1848年ここで最初の代議制国民会議が開かれた。ドイツの統一と民主主義の象徴となっている。
戦後再建。 -
フランクフルト:レーマー広場。
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レーマーベルク(ローマ人の山、レーマー広場)。
フランクフルトの中心、広場は旧市庁舎やレストランなど木組みの家に取り囲まれている。ローマ時代このあたりにローマ人の集落があったらしい。
奥に大聖堂の塔。 -
フランクフルト:真ん中の建物が旧市庁舎レーマー。
この中の大広間でかって神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式の祝宴が開かれ、その場に潜り込んだフランクフルトの名家の子供ゲーテは著「詩と真実」のなかでその様子を描いている。 -
フランクフルト:レーマー広場のニコライ教会。
唯一戦災に遭わなかった。 -
フランクフルト大聖堂、正式には聖バルトロメウス教会。カロリング朝の9世紀に遡るが、今の建物は14~15世紀のもの。95mの塔は1877年。
1356年より神聖ローマ帝国皇帝選挙、1562年より皇帝戴冠式がここで行われるようになった。 -
マイン川と高層ビル街。
アメリカのマンハッタンをもじってマインハッタンと呼ばれる。 -
フランクフルト:アイゼルナー橋とマイン川。
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マイン川に浮かぶ船上レストラン。
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フランクフルト名物アプフェルヴァインとカリーブルスト。
アプフェルヴァインはアルコール度の低い甘い林檎酒。飲みやすいのでつい飲み過ぎると酔ってしまう。 -
フランクフルト:マイン川と大聖堂。
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次の目的地はヴェツラー。
ヴェツラーはゲーテの代表作「若きヴェルテルの悩み」が生まれるきっかけとなった町です。
フランクフルトからヴェツラーへのICE。途中ギーセンで乗り換え。 -
ヴェツラー駅に到着。
フランクフルトから1時間弱。 -
ヴェツラー。
A:アルテ・ラーン橋。
39:ホスピタル教会。
7:ドーム広場、大聖堂。
11:ロッテハウス。
34:アイゼンマルクト。
19:コルンマルクト。
30:シラー広場。
1:ブロードシルム。
16:ザウ塔。 -
駅からホテルまでタクシーで行く。
ホテルはこの建物のアーチを入った所。 -
ホテル、ドームブリック。
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ヴェツラーは人口5万人、ライン川の支流ラーン川に沿う町でライカカメラの本社がある。マールブルク、ヴェツラーを流れたラーン川はコブレンツ辺りでライン川に注ぐ。
ヴェツラー:ホスピタル教会。地図39.
ホテルドームブリック(ドームの眺め)にチェックインし早速出かける。旧市街に入るアルテ・ラーン橋の手前にあるのがこの教会。 -
ヴェツラー:旧市街に入るアルテ・ラーン橋と大聖堂。川はラーン川。
ライプチヒで病を得てフランクフルトに戻ったゲーテはフランクフルト、シュトラースブルクで勉学を続け、22歳の時弁護士を開業する。
ヴェツラーはゲーテが1772年23歳の時裁判事務研修のため数ヶ月間住んだ町。当時ヴェツラーには神聖ローマ帝国の高等法務院/最高裁判所が置かれていた。
ここでゲーテは19歳のシャルロッテ・ブフと知り合うことになる。ロッテは時既に有能な官吏でゲーテの友人でもあるケストナーの許婚であった。許されざる恋に傷心のゲーテはこの町を去る。5月から9月までの短い滞在だった。
このときの体験を基にあの「若きヴェルテルの悩み」が書かれた。まさにこの町なしではあの名作は生まれなかったのだ。 -
ヴェツラー。
ドーム広場に続くクレーマー通り。 -
ヴェツラー:ドーム広場。地図7。
インフォメーションで町の地図を貰いロッテハウスとゲーテブルンネンの場所を訊く。白い建物ハウプトヴァッヘの奥の方にロッテハウスがある。 -
ヴェツラー:ドーム/大聖堂。町のシンボル。地図7。
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ヴェツラー:ドーム。
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ヴェツラー:ドーム。
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ドーム。
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ピエタのある祭壇。
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ピエタ。
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ドーム広場。
どっしりした木組みの家が囲んでいる。 -
ロッテハウスに続く小路ロッテ通り。
突き当りがロッテハウス。 -
ヴェツラー:ロッテハウス。地図⑪.
シャルロッテ・ブフは1753年、ここで官吏の娘として生れた。ゲーテより4歳年下。母親代わりに多くの弟妹の面倒を見るやさしく明るい聡明な女性だったという。ゲーテがこの家でロッテと初めて会った時の様子が「若きヴェルテルの悩み」に描かれている。
1773年ケストナーと結婚、1828年75歳でハノーファーで死去。1816年老ゲーテをヴァイマールに訪問しているが、その時のことをトーマス・マンが「ヴァイマールのロッテ」という小説にしている。 -
ヴェツラー:ロッテハウス左とロッテ博物館。
時間が遅く入れなかった。
「若きヴェルテルの悩み」から抄出。
”ある屋敷の門の前についたとき、太陽は山の端に沈んだばかりだった。・・・。私は馬車を降りた。女中が出てきて「ロッテお嬢様はじきにおいでになりますからしばらくお待ちくださいませ」と言った。私は庭を通って階段を上った。”
そして次の場面になります。 -
弟妹にパンを切り分けてやっているシャルロッテと戸口でそれを見つめるヴェルテル。
”上は11から下は2つまでの子供たちが6人、姿の美しい娘の周りに集まっていた。娘は簡素な白い服を着て、腕と胸に淡い紅色の飾り紐をつけていた。そして黒パンを抱えて、子供たちにそれぞれの年と食欲に応じて切り分けてやっていた。” -
ロッテハウス。
”昔の管理官の家。シャルロッテ・ブフの生家。(1753~1828)”
ゲーテの血統は途絶えたが、ロッテは12人の子宝に恵まれ多くの子孫がいて今も定期的に「ロッテの会」を開いて集まっているという。 -
ヴェツラー:ゲーテブルンネン、ゲーテの泉。地図右上。
ゲーテはしばしばこの泉の畔で何時間も物思いに耽ったという。しかし今は涸れて水も無く、そのようなロマンを感じることはできない。
場所が分からなく、観光案内所で大体の方角を聞いて歩き始めたが見当たらない。通りすがりの人に聞いても知らない、との返事。いまやドイツでもゲーテは過去の人か。さらに歩くと漸く公園の入口に標識があり泉に下りる階段があった。 -
ゲーテブルンネン。
ゲーテの時代から穴倉みたいだったのだろうか。
「若きヴェルテルの悩み」にこんな一節がある。
”私(ヴェルテル)が泉に降りて行ったとき、一人の若い娘が水瓶に一杯水を汲んで誰か頭の上に水瓶を載せるのを手伝ってくれないかと待っていた。私が手伝いましょうか、と言ったら娘はみるみる顔を赤らめて「いいえ旦那様、それには」と言った。「遠慮しなくていいよ」。” -
ゲーテブルンネン。
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ヴェツラー:アイゼンマルクト、鉄の広場。地図34.
ヴェツラーにはこのような木組みの家が多く残っている。 -
アイゼンマルクト。
やや傾斜のある小さな広場。 -
コルンマルクト。地図19。
この辺りにゲーテの止宿した家があったようだが分からなかった。 -
コルンマルクト:ガストホーフ・ローマ皇帝。1767年バロック劇場として建てられた。地図17。
屋号を示す皇帝像はマリア・テレジアの夫、神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世。ゲーテはよく通ったという。 -
ヴェツラー:シラー広場。地図30.
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シラー広場。
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ヴェツラー:シラー広場にあるイェルザーレムの家。イェルザーレムはゲーテの友人、人妻に恋をし自殺した。このイェルザーレムの自殺と自分のロッテに対する失恋を素材として書かれたのが「若きヴェルテルの悩み」といわれる。
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シラー広場。
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ヴェツラー:シラー広場の市教会。
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ヴェツラー:ブロードシルム。地図①.
町で一番古い木組みの家。 -
ヴェツラー:ザウ塔。豚の塔の意。地図⑯.
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ザウ塔。
市壁の一部。 -
ヴェツラー:夕食。
さて何を食べようか。ドイツ料理は気が進まないし。丁度小さなイタリア料理店らしき店が見つかったので入り、スパゲッティとビール、ワインにする。13ユーロ。地元の人らしいご婦人方が4人ほど食事をしていた。
こう言っては叱られるだろうが、あるいは嗜好の問題かもしれないが私はドイツ旅行でグルメは期待しない。これからも旅行中中華とかスパゲッティをよく食べた。
初夏に比べるとこの時期だいぶ日が短くなっている。夜は7時頃には薄暗くなってくる。その街をもうしばらくうろついてホテルに帰る。 -
ホテルに帰る途中、夕日を浴びる大聖堂。
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9月4日、2日目。
ヴェツラー:翌早朝撮った市役所。 -
市壁の残骸。
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早朝の大聖堂。
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ヴェツラー駅。ホテルから10分少々、荷物をごろごろ引張っていく。改札がなく道路からそのままホームまで繋がっている。ドイツの駅によくある風景。
8時27分発RB。 -
ヴェツラーからフルダへ。
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途中の通過駅アルスフェルト。
メルヘン街道の町。 -
フルダに到着。
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フルダ中央駅。
ヴェツラー8時27分RB(普通列車),フルダ10時16分着。
快晴。駅前の広場は花で飾られ綺麗だ。 -
フルダ駅前から続くバーンホフ通り。突き当たり辺りが旧市庁舎。カスターニエンの並木が美しい。
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フルダ:旧市庁舎とブラジウス市教会。駅からバーンホフ通りを5分ほど。
フルダはバロックの町で建物が美しい。1994年に市制1250年を祝った古い町。ゲーテはこの町のバロック時代の街並みを愛し、ヴァイマールとフランクフルトを行き来する途上この町によく泊まったという。「西東詩集」の多くもこの町に滞在中書かれました。 -
フルダ:旧市庁舎。
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フルダ:ブラジウス教区教会。
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フルダ:ブラジウス教区教会。
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フルダ:ブラジウス教区教会。
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フルダ:ザルツハウス。
塩の倉庫だったのだろうか。 -
フルダ:ゴルデナー・カルプフェン、金の鯉亭。
元の郵便馬車宿でゲーテのフルダでの定宿だった。今もホテル・レストラン。
今でもゲーテの好んだメニューがあるというのでここでの食事を楽しみにしていたがまだ開いていなかった。 -
ゴルデナー・カルプフェン。
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どっしりした建物がある。なんだろうと近寄るとどうやら銀行のようだった。
ドイツの銀行とか郵便局などでは古い建造物を内部だけ改装しそのまま使っているのをよく見かける。 -
フルダ:ボニファチウス広場と市宮殿。広場には聖ボニファチウスの像がある。ボニファチウスはイギリス人だが8世紀前半、当時未開の地だったドイツにキリスト教を布教し754年オランダで殉教、フルダの修道院に埋葬された。その跡に18世紀初め立てられたのがフルダの大聖堂。
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市宮殿。
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市宮殿。
18世紀にフルダ領主司教の居館として建築。バロック様式。 -
市宮殿。
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フルダ:ボニファチウス広場のボニファチウス像。672年頃~754年。
イギリス人の宣教師。当時異教徒の地であったゲルマンにキリスト教を広めた功績で聖人に列せられる。ドイツの守護聖人。 -
フルダ:ボニファチウス広場。
しかし異教徒からすればボニファティウスは大悪人だった。
異教徒の聖なる木、オークを斧で切り倒し、神殿を破壊するなど、力づくで異教徒をキリスト教に改宗させたからだ。結局彼は異教徒により殺された。 -
ボニファチウス広場。
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フルダ:宮殿庭園のオランジュリー。
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オランジュリー。
花の女神フローラ像。 -
フルダ大聖堂/聖サルヴァトール大聖堂。
754年オランダで殉教したボニファチウスが埋葬された修道院の跡に1712年建てられた。聖ボニファチウスの墓がある。
地図を見ながら歩いていると突然眼前に輝くばかりの建物が現れ、アッ、これがフルダの大聖堂か、と思うと感激だった。
右はミヒャエル教会。 -
フルダのシンボル。バロック様式の教会としてヘッセン州でもっとも重要な建築物。
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フルダ大聖堂。
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フルダ大聖堂。
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フルダの大聖堂。
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フルダ:大聖堂身廊。
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主祭壇。
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フルダ:大聖堂。
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マリア昇天の祭壇。
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祭壇。
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フルダ:大聖堂、聖ボニファチウスの墓。
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均整の取れた姿。
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フルダ:大聖堂。
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大聖堂側面。
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フルダ:ミヒャエル教会。
819年、ドイツ最古の教会の一つ。大聖堂の隣にある。内部撮影禁止に気が付かず写真を撮っていて注意される。 -
フルダ:ミヒャエル教会。
その撮影禁止の禁を犯して撮られた貴重な1枚。何の装飾もない簡素な内陣だった。 -
フルダ:パウロ門。
旧市街の北の入り口、ミヒャエル教会の先。 -
フルダ:聖マリア修道院。
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フルダ:聖マリア修道院。
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フルダ:聖マリア修道院。
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ゴルデナー・カルプフェンでの食事がかなわずがっかりで、あらためてレストランを探す気力がない。パン屋の店頭で固いサンドイッチと揚げパンみたいなものとビールで昼を済ます。ドイツのパンはとにかくでっかくて硬い。狩猟民族と農耕民族では、顎や歯の構造が違うのでは。ゲーテの好んだメニューと何たる落差!。
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フルダ:クリストゥス教会。
駅に戻る途中見かけた。歩き疲れていたが教会と見ると寄らずにいられません。 -
フルダ:クリストゥス教会。
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フルダ:クリストゥス教会。
この日はフルダから宿泊地アイゼナハへ。 -
ゴータ駅。
9月5日。アイゼナハから日帰りでゴータへ行く。
駅の自動券売機でお年寄りが苦労している。私はアイゼナハ駅で券売機で苦労をしたばかりなので教えてあげた。日本人が地元ドイツ人に券売機の使い方を教えるなんてあべこべではないですか。 -
ゴータ:駅から続くバロック風の建物。
ゴータはザクセン・ゴータ公国の都。18世紀にヴォルテールが滞在しドイツ啓蒙主義の中心となった。1875年ここでドイツ社会民主党SPDが結成されている(ゴータ綱領)。
ゲーテは1768年以降度々訪れている。 -
ゴータ。
豪華なバロック風の建物が続く。 -
ゴータ。
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ゴータ:王立厩舎マールシュタール。
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ゴータ:自然博物館。
フリーデンシュタイン城と向かい合っている。 -
ゴータ:フリーデンシュタイン城。
ザクセン・ゴータ公の居城。17世紀中頃、チューリンゲンで最初に造られたドイツ最大のバロック風城館。ここには1681年当時そのままの舞台装置を持つエクホーフ劇場があり現在も公演されている劇場としてはドイツ最古の一つ。 -
フリーデンシュタイン城。左の角がエクホーフ劇場。
ゲーテは何度もこの城に招待されている。 -
ゴータ:フリーデンシュタイン城。
本日は休館日。 -
ゴータ:フリーデンシュタイン城。
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フリーデンシュタイン城。
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ゴータ:フリーデンシュタイン城裏側に建つザクセン・ゴータ公国エルンスト1世敬虔王(Ernst der Fromme)の像。この城の建設者。1601~1675年。
王侯の像は剣や槍などを持った武勲を誇示するものが多いがこの人は書き物のようなものを持っている。教育に熱心な領主で公国の領民は農民に至るまで読み書きができたという。 -
ゴータ:クラーナハハウス。
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ゴータ:ハウプト広場と市庁舎。
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ゴータ:旧市庁舎。
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華麗な正面ファサード。
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ゴータ:旧市庁舎。
裏側。 -
ゴータ:旧市庁舎。
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ゴータ:アウグスティーナ教会。
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ゴータ:マルガレーテ教会。
曇りの寒い日だった。小雨も降りでしたので10時27分のRBで早めにアイゼナハに戻る。アイゼナハ、ゴータの往復鉄道料金10,2ユーロ。 -
ゴータ:マルガレーテ教会。
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続く。
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