1997/10/22 - 1997/10/24
679位(同エリア1176件中)
北風さん
ペルー観光のハイライト「マチュピチュ」
その世界7不思議の一つへは、現在、クスコから列車で簡単に行ける。
だが、それではただの観光客だった。
まがりなりにも超長期旅行者ならば、アンデス山脈の中を続いている太古の道「インカ道」を歩いてたどり着く事に意義があるのでは?
この南米旅行で飛ばしに飛ばして南下してきたのは、一つはペルーの雨季の前にこのトレッキングをやりたかったから。
(基本的に海好きなんだけど、山があれば行きたくなるのは何故?)
テント等は全てペンション花田にて借りる事ができた。
トレッキングの相棒も3人見つかった。
あとは、インカ道の登山口からマチュピチュを目指すのみ!
久々の山歩きにワクワクしている自分がいた。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道
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-
クスコを朝一番に出発した列車は、
昼前に目的の駅に着いた。
駅の名前は、「Km88」、多分マチュピチュから
88kmの所にあるからなのだろうか?
背に背にでかいバックパックを背負ったトレッカーが、次々に降り立つ。
周りはただ天を突くような山々がそびえるだけの寂しい所だ。
これほどの観光客が訪れる駅にしては、なんて寂しい所だろう。
「本当にここなのか?」
そう心に浮かんだのは俺だけではないのでは?
しかし、改札口を過ぎると、
・・・そこは登山口が待っていた。 -
駅の裏手の谷沿いを降りていくと、国立公園管理事務所らしき建物を発見!
白人トレッカーがなにやら書類にサインしている。
どうやら、ここが登山口になるらしい。 -
入園料を支払い、谷にかかるつり橋を渡る。
-
つり橋の向こうは、マチュピチュへと続くインカ道だ!
-
ゲートから2時間も歩いただろうか?
久々の山歩きだ。
が、しかし、足が軽い!
グループの中で一番の年寄りのくせに、上り坂では先頭を切って歩くほどに!
これは場数を踏んだ結果なのか?
それとも、ただ暴走しているだけなのか? -
やはり、暴走だったらしい。
足腰に一番疲労がくる下り坂では、ビリになってしまった。
とりあえず、あの遠くに見える茶屋で休憩しよう。 -
トレッキング日記 - 初日 -
『行き倒れ』
久々の運動にTシャツはじっとりと肌に張り付いていた。
茶屋らしき物が見える。
目を凝らすと、その軒先にトレッカーが一人。
その白人女性はデンマーク人らしかった。
さすが、北欧の女性だ。
色が白い!
いや、これは蒼ざめているからなのか?
茶屋の軒先でべったりと地面に腰を降ろし、空ろなまなざしで遠くの山々を見つめている。
この喘息のような呼吸音は、
・・・高山病だ!
聞けば、2日前にペルーに来てそのままこのインカ道に来たらしい。
エベレストの麓にでも住んでいなきゃ、いきなり3000mの高地に着いて動けるはずが無い。
高地順応していない身体は、いとも簡単にへばってしまう。
まぁ、この場所ならここで一日休むもよし、よたよたと駅まで引き返すのも遠くない。
結論、放置! -
トレッキング日記 - 初日 -
『ペルー版うさぎと亀の物語』
俺達はこの日同時刻に出発したグループの中でも、1、2を争うほど速かった。
もう、ほとんどのグループをぶっちぎったはずだ。
ゲートでは、やっと顔を出したばかりの太陽が、既に頭上高く上っている。
腕時計は既に12時を指していた。
と、なると、飯の時間だ。
トレッキング中の食事は、栄養補給の他にもう一つ需要な意味がある。
荷物のほとんどは食料なので、食べれば食べるほど背負う重量は軽くなる。
俺達は他のグループに先駆けて小川のほとりで荷を開いた。
これ程早く今日の行程の半分は進んだのだから、皆、ほがらかに片っ端から食べまくる。
・・気がつくと、2時間がたっていた。
いつしか、ほとんどのグループに追い抜かれていた。
誰かがふと、地図の等高線について話し出す。
「ここから先、やけに等高線の幅が狭くないですか?」
・・つまり、今日の残りの行程は今まで以上の上り坂が続くと言う事だ。
腕時計は2時を指していた。
山の夕暮れは早い。
誰もが口には出さない言葉を俺は知っている。
「しまった!」 -
トレッキング日記 - 初日 -
『アンデスの夕暮れ』
もはや、場所によっては4足で這い登らなければならないほどの急傾斜だった。
すっかり傾いてきた日差しが、ただでさえ空気が足りない3000mの高地で激しい運動をしている東洋人3人のシルエットを長く長く地表に伸ばす。
アンデスの山々には、酸欠で苦しむ3人の喘ぎ声がこだましていた。
苦しい呼吸の下、俺達は耳を澄ませている。
誰か他の人間の声を聞き逃さない為に。
そう、地図上ではそろそろキャンプ地があるはずだった。
しかし、ここに来てなんと、インカ道は何本かの小道に分かれていた。
必死に地面についた先人の靴跡を探して道を選択してきたが、もはやこのルートが正しい選択だったのか誰もが自信が無い。
キャンプ場なら、他のトレッカーの話し声等、聞こえてきてもいいはずなのだが・・
アンデスの山々が眼下に広がる開けた場所に、白人トレッカーがたたずんでいた。
地図を片手に考え込む姿は、まるでアウトドア用品のカタログにでも出てきそうな感じだ。
とうとう、俺たち以外のトレッカーに会えた!
やはり、この道に間違いは無かったのか!
と、そう思ったのもつかの間、その若い白人のお姉ちゃんがのたまった言葉は、
「ここ、どこ?」
・・・アンデスが夕暮れに赤く染まりだした。
日暮れとともに気温はかなり落ち込む事だろう。
人気の無い3000mの高地で道に迷い夜を迎える。
簡単に言えば、俺達は現在、遭難の王道を歩んでいる事になる。 -
それから、きっかり40分後、そこら辺の獣以上に5感を研ぎ澄ました俺たちのアンテナに人間の気配が飛び込んできた。
大きな山道のカーブを曲がると、そこは・・夢にまで見たキャンプ場だった。
嬉しい!
素直に嬉しい!
既に皆、テントを張り終え夕飯の支度に没頭している。
どうやら俺たちが最後にグループらしい。
昼飯前までトップを走っていた気がするが、もはやそんな事はどうでもいい。
今この世界中で、これほどテントを張るのが待ち遠しい東洋人は他にいまい。 -
トレッキング日記 - 2日目 -
『アンデスのシェルパ』
俺達は登り続ける。
どこまでも登り続ける。
しかし、なんでこんなに登りばかりなんだ?
たまには下りがあってもよさそうな気がするのだが。 -
数時間後、とうとう峠が見えてきた!
道端には「標高4190m」の立て札まである。 -
背後から「ウッ、ウッ」とうなる声が近づいてくる。
昨日の失敗を教訓にして、朝一番にテントをたたんで出発したのだが、とうとう他のトレッカーに追いつかれてしまったのか?
振り返ると、今朝、白人ツアーグループの朝食を用意していた地元のガイド達だった。
あの豪華な朝食の後片付けを済ませた後、ここまで追いついてきたのか?
しかも、背中にはプロパンガスまで背負っている。
足元はサンダル履きだ!
日本では3000mの富士山に登るのでさえ、最新のアウトドアスタイルに高性能のブーツが定番なのに、それより高いこの場所でコンビニに行くような格好だ。 -
ネパールで100kgの重さを背負ってエベレストまでの道を往復するシェルパがいた。
人は必要があればどんな所にも適応するらしい。 -
峠を超えると・・・
インカ道は山々をのたうつ大蛇の様に、右に左に大きく曲がりながら続いていた。
つい先程までは、見上げていたインカ道が今度は眼下に広がっている。
終わりが無いとはこのことなのだろうか? -
トレッキング日記 - 2日目 -
『インカ道』
2日かけてせっかく稼いだ高度の貯金を、全部使い切ったほど下り坂は続いた。
全くこれが平坦な道なら、今頃マチュピチュにたどり着いていてもおかしくないのではないだろうか?
下り坂は登り坂の2倍ぐらい足腰に負担がくる。
しかも下り降りる加速度と体重がのしかかる足場はぐらぐらする石ばかり。
何故なら、このインカ道、驚くべき事にほとんどが石で舗装されていた。
これ程の石畳を古代インカ人が作ったなんて!
ここまですごい文明を持っていたなら、できればもう少し小石を敷いて欲しかった。 -
下りの道から下界を見下ろすと・・・
うわっ、全然下ってない! -
幅1m、崖下数百メートルの山道をフラフラの足取りで進む事ほど怖い事は無い!
おまけに俺は高所恐怖症!
行く手に道が途絶えた。
岩肌には、暗闇がぱっくりと口を開けている。
もしかして、これが噂に聞いた「インカのチャスキ専用トンネル」? -
暗いんですが・・・
-
山の天気は変わりやすい。
まぁ、世界共通の言葉だが、先ほどのスコールの様な雨でルートには至る所に小さな滝が出没していた。 -
山間に小さな池が出現!
それと共にうっすらと霧が・・・ -
トレッキング日記 - 3日目 -
『雲海の中での目覚め』
昨夜の雨はひどかった。
土砂降りの中、やっとたどり着いたキャンプ場は既にぬかるみの田んぼ状態。
暮れ行く一日の終わりに急かされながら、必死になって探し当てた寝床は、建設中のトイレの軒下だった。
まぁ、現役のトイレではないから匂いもしないし、この土砂降りに屋根つきの場所で寝られるのは有難い。
早朝、トイレの中に張ったテントの中を日差しが照らし出した。
疲労と寝不足の目をこすって表に出ると、朝日に輝く雲海が山の谷間で白く輝いていた。
これは、すごい!
俺達は今、雲の上に立つものだけが見れる光景に出くわしている。 -
何度目かの峠を越えた時、石積みの遺跡らしき物が見えてきた。
これがマチュピチュか?マチュピチュなのか?
・・どうやら、おもいっきりはずれだったらしい。
地図を広げると、これは「ウィニャワィニャ遺跡」なる舌を噛みそうな名前で載っている。
名前はどうあれ、山の斜面に沿って蛇がのたうつかのように積み上げられた石は、あらためてインカ文明の高さを物語っていた。 -
石積みの高台にて現在位置確認会議を繰り広げる。
地図から察すると、目指すマチュピチュはあの山の裏側にある事になる!
・・はず・・ -
ずっと地図を睨んでいた拓が、顔を上げたと同時に叫んだ!
「じゃあ、マチュピチュはあっちですね」
・・・拓、反対方向だ。 -
今までの行程を振り返る。
実はこの瞬間が好きだった。
それにしても、よく歩いたなぁ。 -
峠を曲がれば、そこには・・
あれは、もしかして・・・ -
足は軽かった!
いや、3日にも及ぶ高所での重労働で、本来ならクタクタのはずなのだが、現在そんな事はどうでもよかった。
何故なら、この3日間、延々と山の向こうに消えていたインカ道の先に今回はゴールが見えていたから! -
そう、現在俺達は、夕陽のスポットライトに浮かぶ世界七不思議の一つをこの目で見ながら向かっている。
遠い昔、インカの人々もこんな気分でいたのだろうか? -
辺りを夕暮れが覆い尽くす間際、俺達はマチュピチュに到着した!
嬉しい!
ものすごく嬉しい!
この感動、「あなたにも分けてあげたい、チェルシィ〜」などと鼻歌まで出てくるほど嬉しい! -
さて、この後はこの世界遺産のどこかに野宿して、朝日に浮かぶマチュピチュを見る。
そして観光後、遥か下界の安宿にて旅の垢を落とそう。
・・そういうシナリオが俺の中にはあったのだが、暮れなずむ遺跡の中から現れた一人のおっちゃんで全てが変わった。
「悪いけど、もう閉館の時間だから山を降りてくれ」
おっちゃんは、気まずそうに語りかける。
普段ならごねまくる俺だが、何故かこのおっちゃん、中国人張りの青龍刀まで持っていた。
遥か下界では、マチュピチュまでダイレクトに繋がっている列車の線路が蛇行する川に沿って刻まれていた。
なんて事だ!
3日もかけてアンデスをさまよったあげく、観光もせずにいきなりマチュピチュから下山しなければいけないのか?
このまま、走り逃げてどこかの藪の中に潜んでやろうか?
「ビュン!」背後でおっちゃんが刀を振る音が聞こえてきた。 -
トレッキング日記 - 4日目 -
『トレッキングは終わった』
時計の針は、既に12時を回っていた。
俺はマチュピチュを見上げる駅のホームにいる。
俺は何故ここにいるんだろう?
あれほど苦労してたどり着いたマチュピチュにいた時間は、わずか45分!
青龍刀に急かされながら、真っ暗の山道をフラフラになりながら降り下った。
そして現在、俺はここにいる。
夜の7時に過労で倒れそうな身体を引きずって安宿を探そうなんて誰も言い出さなかった。
俺達は無言で駅のホームにテントを張った。
とにかく明日だ!
マチュピチュ観光無しに帰る事など考えられない。
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