2007/09 - 2007/09
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JIC旅行センターさん
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今年9月にサブーロヴォ青年住宅街の創立20周年を祝いました。サブーロヴォって何かといいますと、モスクワ南部に位置する団地の名前です。
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イワン1世がモスクワ公だったとき(1325−1340)、キプチャクハン国の内乱で死を免れようと、チェット公は家族と一緒にモスクワ公国へ行ってしまいました。チェット公には息子が2人おり、その中の1人はサブールといいました。サブール(sabur)はタタール語で「アロエ」を意味します。そのサブールの子孫は、サブールという名前に、よくあるのロシア苗字の語尾「オフ」(ov)を付けて、サブーロフになりました。
サブーロフ家はモスクワ大公(その後のロシア皇帝)からコロメンスコエ村の近く、モスクワ河岸の分与地を与えられました。サブーロヴォ(Saburovo)は、「サブーロフ村」を意味しています。サブーロフ家は、15世紀末にかなり有名な氏族になりました。ソロモニヤ・サブーロワはワシリー3世と結婚し、エヴドキーヤ・サブーロワはイワン雷帝の長男のイワン・イワノヴィチと結婚ました。氏族はボリス・ゴドゥノフの親戚でもありました。1595年にサブーロヴォでは木造の聖ニコライ教会が建設されました。ピョートル1世時代になると、サブーロヴォはモルダヴィア公のディミトリエ・カンテミール公の所有地になりました。ナポレオン戦争のときに、ジョアシャン・ミュラ元帥がサブーロヴォで食事をした記録が残っています。
19世紀にモスクワは広くなり、サブーロヴォの近くにモスクワ・クルスク鉄道がひかれ、モスクヴォレチエ駅(モスクワ川駅)が建設されたので、多くのモスクワ市民はこの辺りに別荘を買ったりしていました。第2次世界大戦の1941年に、サブーロヴォには8キロの防衛線がひかれました。 -
戦後、サブーロヴォはモスクワの一地区になり、もとの村だった場所には労働者町もできました。80年代に住宅難が高まり、この近くの市民はもとの村のところで団地を建設しようと主張しました。その時期には、工場などで働き始めてから20年以上もたった後にアパートを手にするということは、ごく普通のことでした。若者のうちに自分のアパートを入手するのはほぼ不可能でした。
ただ、ペレストロイカが始まり、自分の手で自分のためにアパートを建設しよう、という熱狂者たちが現れました。彼らのねらいは、住むための建物を建設するだけでなく、学校など色々な施設もつくり、そのいわゆる「青年住宅街」で皆で一緒に暮らす、ということでした。1987年、サブーロヴォ青年住宅街の建設がはじまり、5年間ほどかけてサブーロヴォは完成しました。そのときに建てられた学校は、その時点でヨーロッパ最大の学校でもありました。聖ニコライ教会は、多くの教会のようにソ連時代に破壊され、その跡地に「エネルギー鉄金属」会社の倉庫がつくられましたが、90年代の初めに美しい聖ニコライ教会は再建されました。
現在、その青年住宅街を提案し建設したかつての若者たちはすでに年をとり、彼らの子供たちがいま新しい世代の若者となり、自分のふるさとであり長い歴史を持つサブーロヴォを、いつまでも美しいところとして保存するように頑張っています。
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