2000/08/10 - 2000/08/10
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早島 潮さん
2000.8.10 革命広場はキューバの聖地である。ここにはゲバラの顔の大きな電飾板が輝いていたのが印象に残る。
革命記念日にはこの広場に何万人もの民衆が集まるのだ。
キューバ訪問について詳細な記述をしている日記を発見したので以下に記録しておくことにした。
平成12年8月10日(木)
9時半出発であるが4時に目が覚めて寝つかれない。思い出してみると関西空港からバンクーバー間のフライトで約1時間。バンクーバーとハバナ間で約2時間睡眠をとっているし昨夜はウイスキーをあおったので熟睡して目がさめたようだ。或いは外国にいるという潜在意識が緊張を生み出しているのかもしれない。窓の外を見てもまだ暗く戸外の散歩というわけにもいかない。そこで枕灯をつけて手帳に書き留めた事柄を整理し印象も書き足した。
8月9日の食事は朝食が自宅、機内食が三食と一日に四回も摂ったことになる。食べすぎないよう要注意である。今回は水着を荷物に入れ忘れるという大失敗を犯してしまったことに気がついた。いつも必ず荷物に入れておくというのに。
朝食後ホテルの庭に生えている植木の名前を聞くと「ウワカレタ」という木らしい。葉が丸く葡萄状の緑色の実がなっている。またよく似た木でなっている実が柿のようなものもある。同じ木なのか別の木なのか確かめる機会がなかった。
パブロさんの案内が車中で始まった。
キューバの人口は1200万人。ハバナの人口は200万人。名物はラム酒と葉巻でラム酒の最高の銘柄はハバナクラブ。アネホという銘で7年ものが焦げ茶色をしていてオンザロックやストレートに向く。ビールはスペイン語で、セルベスタといい、クリスタルという銘の地ビールがよく飲まれる。
ハバナ市内は1519年〜1900年までに発展した旧市街と1901年以降1959年までにできあがった新市街に別れるという。そして旧市街は外壁で取り囲まれていた城郭都市であった。いまでもところどころに城壁の僅かな部分が史跡として残されている。
人種はスペイン系白人とムラートと呼ばれる混血人が87%を占め、奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人が12%である。他は中国系アジア人が1%という構成である。原住民のインディオは絶滅してしまって残っていない。憲法では人種差別はなく平等であることが保証されていることで有名である。そうはいうものの外国人の目からみれば、現実の結婚問題となれば人種の区別、特に白黒の区別は歴然と存在しているように写る。
バスは新市街へ入り、1830年代にマヒアによってカジノの開かれたハバナ・リビエラ・ホテルやメリア・コヒバ・ホテルの前を通ってパセオ通りを革命広場へ赴いた。
革命広場には高さ109mの塔がそそり立つホセ・マルティ記念博物館、国立劇場、国立図書館、内務省、軍関係の建物等が広場に面して建っている。博物館の前には第二次独立戦争(1878〜1883)の指導者であるホセ・マルテイの18mにも及ぶ大理石像が建てられていて広場を見守っている。軍関係の建物の壁面にはゲバラの顔が大きく描かれていて記念撮影の対象として最も有名である。この革命広場には1959年以降、最大100万人が集まったことがある。7月26日の革命記念日には、カストロ首相がホセ・マルティ記念博物館の前の高台に立って演説をするのである。このあたりは如何にも社会主義国家らしい街の佇まいである。
ホセ・マルティ記念博物館の中にはホセ・マルティの資料が展示されている。また博物館内の一室はキューバの現代画家達の作品展や美術展を開催するのに使われている。たまたま訪問したときにはキューバの画家カルロス・エンリケ(1900〜1957)の作品展が開かれていた。109mの塔の上にはエレベーターで登ることが出来、ハバナ市内を一望できる最高の展望所になっている。ここからハバナ市街を展望すると旧市街の外側を取り巻いて近代的な高層ビルが立ち並ぶ新市街が形成されているのがよく判る。そして緑も豊かである。あちこちにクレーンが林立していて都市開発がさかんに行われている様子が窺われた。
キューバは社会主義の国であり、アメリカとは国交が断絶している。そこで1989年のベルリンの壁の崩壊から始まった世界的な社会主義体制の崩壊と変容がどのような形でこの国では行われているのかガイドにいくつか質問をしてみた。
先ず、土地や建物の所有制度について聞いてみると土地も建物も国家の所有であり、国民や企業は国からこれを借りて利用しているという。建物を店舗または事務所として借用し商売を営むには収入の10%を家賃として国家に収めなければならないし、営業利益から税金も収めなければならない。観光バスの運転手やガイドのパブロさんも公務員でありダンシングチーム「トロピカーナ」の踊り子達も公務員なのである。
次に公務員の給料について聞いてみると水準は職種により通常1カ月当たり100ペソから186ペソであり、特殊なものは最高800ペソのものもある。1ドルが21ペソとして換算すると4.8ドル(528円)から8.9ドル(979円)という低い標準であり最高職でも、38ドル(4180円)にしかすぎない。勿論これだけでは生活できないわけで、米や肉類等の生活物資は配給されるらしいが詳しいことは判らなかった。
ソビエット連邦の崩壊はキューバ経済にも深刻な影響を与え従来のように社会主義大国からの経済援助が受けられなくなったので、苦難の経済運営を余儀なくされた。経済自立のための色々な試みがなされるようになったのであるが、その一つが5年ほど前から始まったドル通貨の採用と国内自由市場の認容である。
ペソの国際信用力は皆無に近いので信用力のあるドルを自国で流通させて自国経済を国際経済システムの中へ強制的に組み込んでいこうといういわば一種の荒療治である。ペソ経済とドル経済という二重の経済制度を取り入れたことになり、外来の観光客の頭には経済の混乱がおこるのではないかという心配があるが実情はよく判らない。
そして農産物等の60%は政府で収納し政府の管理下へおかれるが30%は自由市場へ廻されて市場経済原理に基づく価格形成が行われるようになった。それでも自由市場で売られる商品は価格が高いという。この自由市場ではドルしか通用しないからドルを持っていない人は買い物ができないのである。市場の入り口にはペソとドルの交換所が設けられているが何故か撮影が禁止されている。
最初道路に自動車が異常に少ないと感じたことの秘密は輸入に頼るガソリンの供給を政府がコントロールしていることと新車の購入権を独占している政府が新車の購入をコントロールしていることにあるようだ。タクシーには新車が目立つが、値段の安い韓国製が多く目についた。中古車ならば民間人も購入できるということであり、1960年式のアメリカ車が大いばりで町中を走っているのも近頃珍しい光景である。古い年式の車だと部品がなくて困るだろうと聞いてみると、ソ連製の車の部品が転用できるから大丈夫だということである。
道路の風景について更に印象を述べると自動車の数が少ないことに比例するように、この国のバスは何れも超満員で走行しており、バスの停留所には沢山の乗客が屯している。
そして土曜日とか日曜日になるとトラックの荷台に若者達が立錐の余地もないほど立ったままで乗っていて楽しそうに話している。これは休日を利用して海浜へ水浴に行く人達で、会社に申請してトラックを行楽のため借りだしているのである。また道路端には停留所のない場所に佇んで、通りかかりの車に手を挙げて合図している人の群れをよく見かける。このような人を発見した場合、運転手には車に収容する余地のあるときには停車してピックアップする義務が課せられているのだという。このあたりに需要を無視した何かチグハグな社会主義国家の統制力というようなものを見る思いがした。
更に町中の公園近くの歩行路に夥しい数の人の群れが行列を作っている光景をみかけることがある。これはコッテリアのアイスクリームを求めて並ぶ群衆である。
ホテルの個室に備えられているテレビではCNNのチャンネルも選択できる。ハバナのホテルでは言葉はスペイン語であったが、バラデーロでは英語であった。アメリカと国交を断絶しているのにCNNが受信できるとは情報統制が意外に緩やかだなと意外に思いながらそのへんの事情を聞いてみると謎が解けた。つまりスペイン語の放送はCNNの生放送をそのまま翻訳して流しているのではなくて政府の手で取捨選択が行われたうえで放映されているのであり、英語の放送はバラデーロというレゾート地故、外国人しか聞く人がいないから生放送をそのまま流しているのだという。キューバ人がパラボラアンテナを設置してCNNの生放送を受信することは禁止されており違反すると処罰されるというのである。北朝鮮の報道統制の厳格さと比較して情報統制の巧妙さを感じた。
工業製品が少なく主要産物が砂糖と葉巻煙草ということになれば、手っとり早く外貨を稼げる産業は観光ということになり、リゾート地の外人観光客へのサービスのうえからもCNNの受信放映は欠かせないのであろう。今後この国ではホテルの建設、リゾート地の開発等を目的とした観光外資の導入が活発になるのではないかと予想される。
キューバとアメリカの民間人の相互の国への出入国について聞いてみると先ずアメリカ人がキューバへ入国するには第三国を経由すれば原則自由であるが、キューバ人がアメリカへ入国することは非常に難しい。先ず年間二万枚に制限されているビザを入手することが最初の難関であり、次に十分なドルを調達するのが難しいからであるという。
革命広場の見学を終わって次に訪れたのは新市街にあるナシオナル・デ・クーバ・ホテルである。このホテルは1930年に建てられ1991年に改装されたコロニアルスタイルの建物で世界遺産に登録されていて庭も美しい。このホテルには多くの外国の貴賓が泊まっており、最近ではインドネシアのアヒド大統領の写真が飾ってあった。このホテル内のバー「ヴイスターゴルフ」でヘミングウエイが好んだというカクテルダイキリを賞味した。一杯3.5ドルであった。
次にコロン墓地を見学した。この墓地はブエノスアイレスで見学した墓地とよく似ていて、豪華な彫刻を施した小規模の建物が並んで立っている。スペイン人が植民地に故郷を偲んで営んだ墓地である。この建物の中に柩が安置されていたり、地下に遺体が埋葬されているのである。キューバでは火葬の習慣はなくいずれも土葬である。ここにはキューバの発見者であるコロンブスも一時埋葬されていた時期があり、その後スペインのセビリヤの教会に移されている。
昼食にはエラル・ヒデというレストランでキューバ料理を賞味した。供された料理は、「フフ・デ・プラタノ」と「アロス・ブランコ・コン・ポタヘ」である。前者は青バナナを輪切りにして素揚げしたものでサクサクして薩摩芋のような歯ざわりであるが全く甘くない。後者は黒豆とご飯を煮込んだものでお汁粉のような感じの料理であるがしょっぱい味がする。これをカレーライスのように白いご飯にかけて食べるのである。メインは鶏肉である。島国であるがキューバでは魚を食べる習慣がなく鶏肉や豚肉をよく食べる。
食後、葉巻工場とラム酒の製造工場を見学した。
葉巻工場はどこもかしこもニコチンの臭いが充満しており作業環境は劣悪である。仕事は、葉の選別作業から始まり、葉の中央にある太い繊維を除去する作業、葉を巻いていく作業、包装用の箱を作る作業、箱詰め作業、ラベル張り作業と順次工程順に流れていくがいずれも手作業である。多くの老若男女が椅子に腰掛けて作業をしていたが端的に表現すれば工場制手工業(マニュファクチャー)である。日本であればすべての作業は機械化してしまうであろうと思われる単純作業である。
ラム酒製造工場は日本のビール工場や清酒工場のイメージとは全く異なっており、工場とは名ばかりで、樽詰めされた樽が熟成を待って保管されているだけといった感じの倉庫にすぎない。ラム酒は砂糖水を発酵し蒸留して熟成させ作られるのであるが、この工場にはそのような設備は全然見当たらず瓶詰めの作業も見ることができなかった。発酵させ蒸留されたアルコールが樽に詰められてこの工場へ運びこまれ熟成されるという説明であった。ここもアルコールの臭いがいたる所に充満している上に蒸し暑く作業環境は劣悪の一言に尽きる。
葉巻工場にしろラム酒工場にしろわざわざ見学する程の価値はなく、付属の店で商品を売りさばくための囮として現場を見せているに過ぎないとこの見学コースを選定した発案者の意図を疑いたくなるような見学であった。
劣悪な作業環境といい、単純作業といいこれが社会主義国を標榜する後進国の生産現場の現実である。一般的に考えればこのような作業環境は外来の見学者には隠したがるものであるが、それを敢えて見学させるということは観光客が土産ものに落とす外貨目当ての見学会であると言っても過言ではなかろう。
この日最後に自由市場を見学したが、肉、果物、野菜、米等の食料品と手作りの民芸品などが並べられており、住民達で賑わっていた。並べられている商品も豊富ではあるが品揃えが貧弱でまだまだ消費者主役の社会には程遠いという印象を受けた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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