2010/03/26 - 2010/03/26
232位(同エリア415件中)
ムッシュさん
大湫(おおくて)宿 第四十七番目(日本橋より ?)
大井宿より13.7?・細久手宿へ5.9?、町並353m。
宿高109石8斗2升、家数66、人口338、本陣1、脇本陣1、旅籠30
大湫宿は慶長9(1604)年、十三峠の開削と共に新しい宿駅として開かれた。小さな宿場だが、東に十三峠、西に琵琶峠を控えた山中の難所であり、当時の旅人にとってはオアシスのような宿場だった。今もしっとりとした趣のある風情を残し、訪れる人も多いです。
【ビックリニュース】2020年7月13日付けニュース
神明神社のご神木の大杉 →この神木が、令和2年(2020年7月)梅雨大雨で倒木したというニュースです。驚いた!!!
樹高は60mの大木でしが、近年落雷により上部が折れ、それでも40Mの高さを誇っていた。
旅行記フォト 40~45枚目あたりを見てください
【2022年にモニュメント復元】
倒木した、旧ご神木の太い幹の部分を切り出して、立て起こしたモニュメントに復元されました。
旅行記フォト 40~45枚目あたりを見て下さい
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【首なし地蔵】
首なし地蔵が祠内に安置されています。
この地蔵は宝暦6年(1756年)地元(武並町美濃)の人達が、旅人の道中安全を祈って造立したものです。
「昔、二人の中間(ちゅうげん)が、ここを通りかかり、夏のことで汗だくでした、「少し休もうか」と松の木陰で休んでいるうちにいつの間にか二人は眠ってしまった、しばらくして一人が目覚めてみると、もう一人は首を切られて死んでいました、びっくりして辺りを見回したがそれらしき犯人は見あたらなかった、怒った中間は「黙って見ているとはなにごとだ!」と腰の刀で地蔵の首を切り落としてしまった。それ以来何人かの人が、首をつけようとしたが、どうしてもつかなかったといいます。」 -
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のどかな里山の農道を歩いて進みます。
気分は、ゆったりとして癒されます。 -
中山道四ツ谷休憩所
往時は、民家が四軒あったのみで、四ツ谷の地名になった。 -
西(左)に紅坂の一里塚、東(右)に槇ヶ根の道標。
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槇ヶ根2.3?、紅坂一里塚0.6?の標識。
左の林沿いに歩きます。 -
中山道 平六坂の道標
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【紅坂一里塚】
紅坂の一里塚があります、両塚(岐阜県史跡)が現存しています、往時は両塚にはエノキが植えられていました、江戸日本橋より数えて89里目(356km)、京へ45里(180Km)です。 -
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【ぼたん岩】
紅坂を下ると石畳の中にぼたん岩があります、花崗岩が牡丹の花びら状になっています、学術的にはオニオンクラック(玉葱状剥離)と呼ばれます。
模様がボタンに似ているそうな。 -
【藤村高札場跡の碑】
内容の説明は、次の写真へ。
藤村高札場が復元されています、高札は当時の大きさで、尾張藩用のものを書写したものです。 -
【藤村高札場】
高札場は、村のうち人通りが多く目につきやすい場所に、一村一か所建てるのが普通であるが、この藤村や竹折村のように二か所に建てた村もある。高札には親子・キリシタン・毒薬・火付・徒党・駄賃銭などの多くの札があるが、藤村のこの高札場には二枚掛けてあった。[享和元年(1801)頃]
高札場の管理は藩に命じ、村人にはきまりを厳しく守らせ、この前では笠などを取らせ礼をさせるなど厳重に取り締らせていた。
(この高札は当時の大きさで尾張藩用のものを書写したものである。)
恵那市 恵那市教育委員会 -
山形屋標石があります、【深萱立場茶屋跡】です。
田尻の集落のほぼ中央に深萱(ふかがや)の立場跡との碑がある
この辺が、大井宿と次の宿場・大湫の中間に当たり茶屋や立場本陣(加納家)、馬茶屋(馬を休ませる)があった
餅や桑おこわなどが土地の名物であった
「立場とは、宿と宿の間にある旅人の休息所で、「駕籠かき人足が杖を立てて、駕籠をのせかつぐ場所」と言われている。
深萱立場は大井宿と大湫宿の中間にあり、茶屋や立場本陣、馬茶屋など10余戸の人家があって、旅人にお茶を出したり、餅や栗おこわといった土地の名物を食べさせたりしていた。立場本陣は、大名など身分の高い人の休憩所で、門や式台の付いた立派な建物である。馬茶屋は馬を休ませる茶屋で、軒を深くして、雨や日光が馬に当たらないよう工夫されていた。
平成15年3月 恵那市教育委員会」 -
深萱立場跡の説明。
藤村高札場に始まり、少し西にする立場本陣があった。その先の谷間に開けた場所が立場の中心。 -
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中山道碑があります、是より藤と刻まれています、恵那市武並町藤と瑞浪市釜戸大久後の境です。
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この辺りは、樫の木坂で石畳が続いています。
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巡礼水」念仏により水が湧き出したという言われ。
【中山道順礼水碑】があります。
碑面には太田南畝の壬戌紀行「坂を下りゆくに 左の方の石より水流れ出るを巡礼水という 常にはさのみ水も出ねど八月一日には必ず出するという むかし巡礼の者此の日此所にてなやみ伏しけるが この水を飲みて命助かりしより 今もかかることありといえり」が刻まれています。
昔巡礼がここを通り、具合が悪くなり、ここで倒れた時ここの岩の割れ目から湧き出ている水を飲んで一命を取り留めたという -
【十三峠の三十三所観音石窟 】
天保11年(1840年)に建立された三十三所観音石窟があります。
石窟内には道中安全を祈る、三十三体の馬頭観音が安置されています、これらの観音は十三峠を往来する大湫宿の馬持ち連中と助郷に関わる近隣の村々から寄進されたものです。
三十三所観音石窟
【十三峠の三十三所観音石窟】
大湫宿と大井宿の三里半(約十三、五km)は険しい山坂の連続する「十三峠」と呼ばれる尾根道で、中山道を行き交う人馬が難渋した場所でした。
「ここには、道中安全を祈って天保十一年(1840)に建立された観音石窟があり、三十三体の馬頭観音は、大湫宿内の馬持ち連中と助郷に関わる近隣の村々からの寄進です。なお、石窟前の石柱には、大手運送業者の定飛脚嶋屋・京屋・甲州屋を始め、奥州・越後の飛脚才領、松本や伊那の中馬(ちゅうま)連中が出資者に名を連ね、中山道の往時を偲ばせる貴重な史跡です。瑞浪市」
「大井・大湫宿間三里半(約13.5km)は厳しい尾根道であり道中の安全を祈願し、天保11(1840)年三十三体の馬頭観音が奥州、越後、松本、伊那など有力飛脚業の人々の出資を仰ぎ大湫宿とその助郷村の人の手によりここに祀られました。」 -
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地蔵坂を下ったところに【尻冷し地蔵】がある
今でも清水の湧く壺のような池がある。お助け清水とも呼ばれていた。 -
舗装されたしゃれこ坂を上ると砂利道になり、左手に自然石の【中山道しゃれこ坂(八町坂)碑】があります。
碑面には太田南畝の壬戌紀行
「曲りまがりて登り下り 猶(なお)三四町も下る坂名を問えばしゃれこ坂という 右の方に 南無観世音菩薩という石を建つ 向こうに遠く見ゆる山はかの横長岳(恵那山)なり」 が刻まれています。 -
【山之神坂】
です、往時は右手の段上に里に実りをもたらす山之神の小祠があったといいます。
十三峠は、予想通り長い坂道の連続です。 -
【中山道十三峠碑】があります。
碑面には太田南畝の壬戌紀行
「これよりいわゆる十三峠とやらんを越えゆべきに 飢えなばあしかりなんとあやしきやどりに入りて昼食を食す 輿かくものに委しを問いて十三峠の名をもしるさまほしく 思うにただに十三のみにはあらず 詳しくも数えきこえなば 二十ばかりもあらんと 輿かく者いうはじめてのぼる坂を寺坂といい 次を山神坂という」
と刻まれています。 -
【大鍬(おおくて)宿への標示】
大湫宿碑があります、正面「中山道大湫宿 右 京へ四十三里半 左 江戸へ九十里半」、左面「西方 細久手宿へ一里半 宿中安全 東方 大井宿へ三里半」、右面「是より東 十三峠 道中安全」と刻まれています、十三峠におまけが七つといわれた険路もここ迄です、大湫宿に到着です! -
最後の寺坂を下って来ると、大鍬(おおくて)宿の町並みが一望できます。
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【中山道大湫宿碑】があります、
碑面には新撰美濃志
「中山道の宿駅にて京の方細久手宿より一里半余江戸の方大井宿より三里半の馬継ぎなり 尾州御領 名古屋まで十六里あり 十三嶺は宿の東方大井宿との間 琵琶坂は細久手に至る大道の坂を云う 西に伊吹山も見えて好景なり」が刻まれています。 -
【大湫小学校の和宮歌碑】
文久元(1861年)年10月20日、和宮降嫁の一行は京を発ち同28日本陣にご宿泊された。
道中折りにふれ詠まれた歌
「遠ざかる都を知れば旅衣一夜の宿も立ちうかりけり」
「思いきや雲井の袂ぬぎかえてうき旅衣袖しぼるとは」
の二首が刻まれています。 -
【本陣跡】
大湫小学校 本陣は現在校庭になっており、当時は部屋数22、添家6、建坪182坪有り、和宮降嫁の折りには宿泊所にもなりました。
公民館裏手の大湫小学校校庭(廃校)は保々本陣跡です、大湫の開村に尽力した保々家は慶長9年(1604年)に開宿されると本陣を勤め庄屋、問屋を兼ねました、代々保々市左衛門を襲名し、明治まで続きました。
青色の斜線は、なんとなんと滑り台。上の校舎から下の校庭に滑り台で降りて来れます。
これって、グッドアイデアです。面白い。 -
【大湫宿本陣跡】
天保14年(1843)の頃、大湫宿の宿内家数は66軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠30軒、宿内人口は338人で尾張藩領でした。
本陣は間口二十二間(約40m)、奥行十五間(約27m)、部屋数二十三、畳数二百十二畳、別棟添屋六という広大な規模でした。
「【大湫宿本陣跡】
大湫宿本陣は現小学々庭にあり間口二十二間(約四十メートル)奥ゆき十五間(約二十七メートル)部屋数二十三畳数二百十二畳、別棟添屋という広大な建物で公卿や大名、高級武士たちのための宿舎でした。
また 此ノ宮 (享保十六年・1731年)
眞ノ宮 (寛保元年・1741年)
五十ノ宮 (寛延二年・1749年)
登美ノ宮 (天保二年・1831年)
有 姫 ( 同 年 )
鋭 姫 (安政五年・1858年)
などの宮姫のほか皇女和ノ宮が十四代将軍徳川家茂へ御降家のため(文久元年・1861)十月二十八日その道中の一夜をすごされたのもこの本陣です。
和ノ宮御歌
遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり -
森川訓行家住宅主や
正面の格子、両妻の漆喰袖壁などが宿場の景観を伝えてる。 -
大湫公民館の館内に往時の高札が掲げられています。
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著作権フリー作品集「木曽街道六十九次」からの画像を使用してる
【木曽海道六拾九次之内 大久手 (広重画)】 -
【おもだか屋】
大湫宿無料休憩所。かつては旅籠屋でした。
お気軽にお入りくださいの看板と、門が閉まっているときは留守中、お許しくださいとの断り書き。町総出で来訪者をもてなして下さっています。 -
丘上に【白山神社】が鎮座しています、大湫宿の産土神です。
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【旧門田屋の虫籠窓(むしこまど)】
形が虫籠に似ているのでこう呼ばれます。やや横長雲形の三連の虫籠窓。土で塗り固めた防火施設でありましたがやがては富の象徴ともなりました -
神明神社。
住宅の背後に、【1300年の樹齢を誇る神木】があります。
樹齢670年という説もある。 -
こちら、【神明神社】
【1300年の樹齢を誇る神木】があります。最近、落雷に遭ったが、枝が折れたのみで被害はなかったようです。
→令和2年7月13日(2020年)梅雨の大雨で神木が倒木しました。驚き!驚き! -
神明神社の大杉(倒木前の姿)
→この神木が、令和2年(2020年7月)梅雨大雨で倒木したというニュースです。驚いた
樹高は60mの大木です。 -
こちらは、新明神社の山門です
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【神明神社】は、慶長13年(1608年)の再建で、白山神社と共に大湫宿の産土神です。
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神明神社の大杉 神明神社の御神木。
樹齢1300年と推定され、樹高60m、径3.2m大湫宿のシンボルとなっています。(岐阜県指定樹木)
2020年7月13日に、梅雨大雨で倒木しました。(全国ニュースにでた)
右下に小さく写っているのが人です。
直径と樹高も頷ける!!
鎌倉の御神木は倒れたが、こちらは健在です。 -
倒木前のご神木の様子。
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【全国ニュース画像を借用】
2020年7月大雨による、倒木の姿。完全に横倒しになっています。
よくぞ、人家に被害なし! -
【地元ニュース画像を借用】
倒木した、旧ご神木の太い幹の部分を切り出して、立てたモニュメントに復元されました。いつの日か朽ち果てる日が来るかも知れないが、それまでは大切に保存されることでしょう。(オー・ハッピーな話題です) -
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この坂を登った処に【観音堂】があり、庭には大きな枝垂れ桜があります。
古里のシンボル、観音堂と満開の桜を想像すると、ここは、素晴らしい景観の場所です。
美濃瑞浪三十三霊場の幟がはためいています、
「大湫に過ぎたるもの二つあり、神明社の大杉と観音堂」といわれました。 -
【大湫観音堂】
神明神社の大杉と共に「大湫宿には過ぎたもの」と言われる観音堂には、三尾暁峯(静)画の60枚の天井絵が有ります。享保6(1721年)年創建、火災焼失後現在の建物は弘化4(1847年)年再建されたものです。 -
これは、日本建築の素晴らしさ!!
この寄木細工のような木組みは、まさに驚きです。
芸術的ですね。 -
皆、天井画を覗き込んでいます。
興味津々です。
〔大湫観音堂の絵天井〕 市指定
この絵天井は、虎の絵で著名な岸駒に師事した現恵那郡付知町の画人、三尾静(暁峰)の描いたものです。花鳥草木を主に六十枚描かれており、出来も色彩もうよく百年の歳月を感じさせない逸品です。
この大湫観音堂は、宿の大火で類焼して弘化四年(1847)に再建されましたが、難病平癒の霊験があり近郷近在の崇敬を受けています。
瑞浪市教育委員会 -
松尾芭蕉句碑
「花ざかり 山は日頃の あさぼらけ」 -
【高札場 宿場西口】
JR釜戸駅に至る馬塞口の三叉路近くに平成十年復元。村の高札場より宿場の高札場は一回り大きく、ここには十枚の高札が掲げられていました。
【大湫宿高札場跡】
高札場とは江戸時代に三定など幕府からの村民心得や板書札を掲示した場所のことで、宿の場合は旅人の道中心得や人馬賃銭など道中奉行所からの高札も掲げられたから大湫宿の場合もこのように立派なものであった。 -
中山道大湫宿碑があります、ここが大湫宿の京(西)口です。
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