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漣さん
世界遺産には登録に際し、10の基準が存在します。
その内6つが文化、4つが自然の基準です。
ここでは各遺産が登録時に満たしていた基準がどのような解釈をされたかを考察するコーナーです。
各遺産の登録概要はユネスコのHPに記載されているものを自分なりに和訳してみたものです。
主に世界遺産リストに明記されているものを扱っていますが、時代を下るに従い、リストに記載されていないものが多くなります。
その場合はICOMOS・IUCNの評価書を参考していますが、それでも登録概要を見つけられないものは別個適当と思われるものを採用しており、適宜注記してあります。
それでも見つからないものは本リスト未記載になっています。
完全な趣味の産物ですので、暇な時の時間潰し程度に楽しんで頂けたら幸いです。
なお、日本のものについては文化庁のHPで正式な文章を確認できるのでここでは省きました。
なお、記載国は順不同です。
【2010/9】
新規登録遺産の内、天地之中、中国丹霞、河回と良洞、サラズム、シェイクサフィーオッディーン廟、タブリーズのバザール、ジャンタルマンタル、スリランカの中央高地を掲載しました。
【2010/10】
タンロン城址、ディライーヤ遺跡を掲載しました。
【2011/6/25】
ICOMOSの登録勧告の出ているセリミエモスク、シリア北部の村落群、ペルシャ庭園、西湖の文化的景観を追加しました。
そのほかの地域
【ヨーロッパ編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10443317/
【アフリカ編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10435786/
【北米編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10428955/
【中南米編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10428945/
【オセアニア編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10355180/
【トルクメニスタン】
国立歴史文化公園「古代メルヴ」
《2》メルヴオアシスの都市群は4000年に渡って中央アジアとイランの文化全体に多大な影響を及ぼした。
セルジューク朝の都市は特に建築・建築装飾や科学的・文化的発展に影響を与えた。
《3》メルヴオアシスの一連の都市群の城塞や都市景観は数千年に渡る中央アジアの諸文明の稀な証拠を有している。
クフナ・ウルゲンチ
《2》クフナ・ウルゲンチの意匠や工芸技術に示される建築伝統はイランやアフガニスタン及び後のムガル帝国の建築といった南・南西部に渡る広範な地域に影響力を持った。
《3》クフナ・ウルゲンチはホラズムのイスラム文化の文化的伝統の稀な証拠であり、その保存状態において独自のものである。
これらを作り上げた社会は消滅してしまったが、事実多くの巡礼者が各地域から訪れていることは特筆すべきことである。
ニサのパルティア要塞
《2》ニサは重要な商業的・戦略的中核の交差点に位置し、その考古遺跡は中央アジアや地中海世界からの重要な文化的影響の相互作用を鮮明に示している。
《3》パルティア帝国は古代世界において最も権勢があり影響力を持った文明の1つであり、ローマ帝国の東進を食い止めたローマの好敵手であった。
パルティア帝国の首都であったニサは帝国の権力の重要性の顕著な象徴である。
【カザフスタン共和国】
ホジャ・アフメド・ヤサウィ廟
《1》ホジャ・アフメド・ヤサウィ廟はティムール建築における顕著な成果であり、イスラム教建築の発展に重大な貢献を成した。
《3》廟とその敷地は中央アジア地域の文化と建築技術の発展の稀な証拠である。
《4》ホジャ・アフメド・ヤサウィ廟はティムール建築の主要な建造物の型の発展に関する原型であり、ティムール建築の歴史を振り返る上で重要な資料となっている。
タムガリの考古学的景観の中の線刻画
《3》供物台・儀式の空間といった神聖な印象を与える密集・凝縮した刻画の一群と関連する集落・墓地遺跡は青銅器時代から現代までの中央アジアの草原地帯の遊牧民の生活・信仰の重要な証拠である。
サリャルカ-カザフスタン北部の草原と湖沼群
《9》サリャルカは従来のままの広大な関連する生物学的・生態学的過程を見せる重要な湖沼地域を含んでいる。
湖沼群の水文学・化学・生物学的季節変動は多様な湿地の動植物相を伴い、乾湿の循環を繰り返すことで総体的に発展しており、国際的重要性・学術的価値を有している。
コルガルジンとナウルズムの国立自然保護区は中央アジアの渡り鳥の渡り路の重要な中継地・交差点であり、アフリカ・ヨーロッパ・南アジアから繁殖の為に東西シベリア地域へと渡る水鳥にとって顕著な重要性を有している。
同資産は中央アジアの草原地帯の200000ヘクタールを越える範囲を内包し、かつ半分以上が原初のままである。
そしてそれらは温帯草原生物群系の一部でもある。
《10》コルガルジンとナウルズムの国立自然保護区は中央アジアの動植物相を多様性を支え、多くの国際的絶滅危惧種の重要な個体群を含む膨大な数の渡り鳥を助ける、広大な自然の草原・湖沼の生息地域を保護している。
コルガルジン-テンギスの湖沼群は250万に達する群れを含む、1500〜1600万程の鳥類に餌場を提供している。
それらは35万に達する水鳥の営巣を支え、一方ナウルズムは50万にもなる。
資産の草原地帯は、一時は豊かであったものの密漁の脅威によりその生息範囲の大部分が減少していた数多くの絶滅危惧種の鳥類や近絶滅種のサイガや同地域の草原の植物相の半数を超える種にとって貴重な避難所を提供している。
【アフガニスタン・イスラム共和国】
ジャムのミナレットと考古遺跡
《2》ジャムのミナレットの革新的な建築・装飾はインド亜大陸と周辺地域の芸術・建築の発展において重要な役割を果たした。
《3》ジャムのミナレットと関連考古遺跡は12〜13世紀にこの地域を支配したゴール朝の文明の権勢と特性の稀な証拠を構成している。
《4》ジャムのミナレットはこの地域のイスラムの建築と装飾の顕著な例であり、その遠方までの波及に重要な役割を果たした。
バーミヤン渓谷の文化的景観
《1》バーミヤン渓谷の仏陀の立像と石窟美術は中央アジアの仏教芸術におけるガンダーラ一派の顕著な表現である。
《2》シルクロードの重要な仏教中心地であったバーミヤン渓谷の芸術的・建築的遺跡はガンダーラ一派に特有の芸術表現の発展の基礎となったインド・ヘレニズム・ローマ・ササン朝の影響の交流の稀な証拠であり、後期にはイスラム教の影響があったことも認められる。
《3》バーミヤン渓谷は既に消滅した中央アジア地域の文化的伝統の稀な証拠を示している。
《4》バーミヤン渓谷は仏教における重要な時代を示す文化的景観の顕著な例である。
《6》バーミヤン渓谷は西域仏教の記念碑的表現の最たるものである。
ここは数百年に渡り重要な巡礼地であり続けた。
その象徴的価値の為この地は何度も危機に陥り、2001年の爆撃による大破壊は世界中に衝撃を与えた。
【カンボジア王国】
アンコール
《1》アンコール遺跡群は9〜14世紀のクメール芸術の全領域を表しており、アンコール・ワット、バイヨン寺院、バンテアイ・スレイ等の疑う余地の無い芸術的傑作の数々が揃っている。
《2》アンコールで発展したクメール芸術の影響は東南アジアの大部分に及び、その独自の発展に基礎的な役割を果たした。
《3》9〜14世紀のクメール王朝は東南アジアの大部分を包含し、その地域の政治的・文化的発展の形成的役割を果たした。
ここにはこの文明の煉瓦・石による土着信仰の建造物の豊富な遺産の遺構の全てが揃っている。
《4》クメールの建築は主にインド亜大陸で発展し、独自の特徴を発展させることにより全く異なったものへと進展していった。
その結果、東洋建築・東洋美術における新しい芸術的展望が開かれた。
プリア・ヴィヘア寺院
《1》プリア・ヴィヘア寺院はクメール建築の傑作であり、その平面・装飾の細部共に非常に「純粋」なものである。
【中華人民共和国】
明・清朝の皇宮群
《1》北京と瀋陽の故宮は中国の皇宮建築の発展における傑作である。
《2》故宮の建築、特に瀋陽のそれは特に17〜18世紀における中国の宮殿建築と伝統建築の影響の重要な交流を示している。
《3》故宮群は当時の景観・建築・調度品・芸術品を残す明・清朝時代の中国の文明の稀な証拠であり、数百年に及ぶ満州人により実践されてきたシャーマニズムの慣習と生きた伝統の稀な証拠をも保持している。
《4》故宮群は中国の最も重要な宮殿建築の顕著な例であり、元朝初期から明・清朝に至る皇帝の社会制度の偉大さ及び満州人の伝統を例証しており、17〜18世紀のこの建築の発展における証拠を呈している。
秦の始皇帝陵
《1》その傑出した技術的・芸術的価値から兵馬俑と銅馬車は漢王朝の支配下に先立った中国彫刻史の主要作品となっている。
《3》兵馬俑は戦国時代と秦朝の時代の中国の軍事組織の独特な証左である。
坑や陪葬墓で発見された槍・剣・斧・斧槍・弓矢等の発掘品は直接的な証拠となっている。
軍服や武器から馬の端綱に至る細部までが残る超現実主義的な彫刻群の記録資料的価値は非常に大きく、その上陶工や青銅製品製作者の仕事や技術に関係している彫像から収集された情報は計り知れない。
《4》秦の始皇帝陵は中国の陵墓の中でも最大級のものであり、市壁に囲われた皇宮を有し街壁に守られた都である咸陽の都市計画を真似た地取りを有する独特な複合建築である。
この後漢・隋・唐・明・清朝まで続く都となり現在は西安と呼ばれる秦の都は秦の始皇帝が中国全土に課した単一の書式・貨幣・度量衡法により統一し、亡き皇帝を守護する兵馬俑を陵墓の外に向け多方面からやって来る侵略者から保護しようとした「中国」の縮図である。
《6》秦の始皇帝陵は普遍的な重要性を持つ出来事である紀元前221年の絶対君主の中央集権国家による最初の中国全土統一に関連している。
莫高窟
《1》莫高窟は5段に建てられた寺院と492の僧房の空間構成及び岩壁に彫られた2000を超える彫像の創作による独自の芸術的成果を表しており、中国芸術の傑作に数えられる粘土製の45000?に及ぶ彩色壁画に覆われている。
《2》北魏から元の時代までの1000年の間、莫高窟は中国・中央アジア・インド間の芸術的交流に重要な役割を果たした。
《3》莫高窟の壁画は隋(302窟のラクダが荷馬車を引く様子を描いたシルクロードを主題とした最も古く最も鮮明な表現である壁画)・唐(23窟の雨中耕作図及び156窟の張議潮統軍出行図)・宋(61窟の山岳・河川・都市・寺院・街道・隊商といったこの地域に見られるものが余す事無く描かれた大様な景色を見せる地図作成法の初期の例である五台山図)の時代の古代中国の文明の稀な証拠を示している。
《4》千仏洞とも呼ばれる莫高窟は仏教の岩窟芸術の聖域の顕著な例である。
《5》19世紀末から1930年まで仏僧が占有し、現在は敦煌研究院の管理下にある莫高窟では伝統的な僧房の例が保存されている。
《6》莫高窟は大陸間交易及びアジアにおける仏教伝播の歴史に深く関係している。
天山北・南路の岐路に位置するオアシス都市、敦煌で数百年の間交易や思想の交流が行われていたことが中国・チベット・ソグディアナ・ホータン・ウイグル・ヘブライに至るまでの莫高窟で発見された文書により判明している。
泰山
《1》往時の中国で五岳に数えられた東岳の景観は独自の芸術的成果であり、天と地を繋ぐ6600段の階段沿いに散らばる11の門楼・14の拱道・14の東屋・4の大型建造物は単に建築的偉業であるだけでなく素晴らしき自然地域の要素に対する人類の手による究極の芸術的手法である。
その規模がこの2000年以上に渡り発展してきた風景をいつの世においても最も壮大な人類の偉業の1つとしている。
数多くの景勝地、様々な色彩的・造形的趣、情緒が渾然となることにより泰山は世界の中で最も完璧で壮麗な芸術的偉業の1つとなっている。
この地にて到達した自然作品と人工物との最高の調和の実例として岱廟があり、この重要な建造物は漢王朝から続く堂々とし、かつ節くれ立ち捻れた樹齢2100年のイトスギが精巧に作り上げられた平屋根・塔の建造物に沿って建ち並ぶ都市・山岳を1つの象徴的統一体としている。
《2》中国で最も尊敬を集める泰山は2000年の間芸術の発展に多様で広範囲に渡る影響を及ぼした。
岱廟や玉皇上帝の娘である碧霞元君に奉じられた碧霞祠は東岳に建てられた雛型となり、王朝時代の全中国の見本とされた。
北宋時代の風景画家による影響はより大きなものであった。
橋梁・通路・東屋といった優美な建造物が鬱蒼たる松林や驚愕たる断崖と対照をなす、人類の足跡を残す山岳の概念の原型は泰山にその起源が見出されるものである。
山岳景観を描く伝統はモンゴル支配の王朝時代の中国においても趙孟ふ(兆に頁)らにより続けられ、明朝時代には李在や燕文貴により再び繁栄した。
清朝の正に始まりの時代、王会が全体的な美学体系を生み出した山岳の分類形態である中国の景観の全ての特徴を自らの作品の中で調和させた。
18世紀において西洋では断崖・人工滝・橋・塔を包含し泰山の壮大な建造物の小さくありきたりな印象にすぎない“中国庭園”が造られ始めた。
《3》泰山は失われた中国王朝時代の特に宗教・芸術・学問に関する文明の独特な証拠を有している。
2000年の間、泰山は皇帝が封禅の儀式を執り行う主要な崇拝の地の1つであった。
漢王朝以降、泰山は中国の思想における根本的前提となる五行思想とも合致する、天朝を象徴する五岳の1つとなると同時に人々にとっても重要な聖域となった。
遠隔地から訪れる数百万の巡礼者による無数の詩や物語は仏教・道教・儒教の寺院や土着宗教に影響を与えた。
隠遁者・皇帝・官吏・哲学者・文人墨客に刺激を与えた泰山は寺院群・廟群の近隣や峡谷の僻地に建てられた記念建造物群を見ることや、726年に玄宗皇帝による「紀泰山銘之碑」や「金剛経」の様な山の側面に彫られた・描かれた宗教経典を含む1000を超える碑文を精査することが出来る驚くべき野外博物館となっている。
《4》聖山としての全般的な類型学的価値において、泰山には古代中国に建てられた数多くの建造物群の完成された型が示されている。
岱廟の内部に建てられた天きょう(貝に兄)殿は中国古代三大宮殿の1つとされ、道教絵画の傑作「啓蹕回鑾 図(けいひつかいらんず)」を納めている。
宋代創建の碧霞祠は中庭や建造物の配列により山岳建築の複合体の典型となっている。
仏教建築の建ち並ぶ区域にある、彩色された見事な羅漢像のある千仏殿及び独自の配置の著名な仏僧の舎利塔を有する霊岩寺もまた重要な寺院の顕著で完璧な実例であり、中国四大名刹の1つと称えられている。
《5》泰山の自然と文化の複合景観は抗しきれない変化の影響を受けやすい伝統的人類集落を含んでいる。
《6》泰山は儒教の出現・中国の統一・中国における書物や文学の誕生といった普遍的な歴史上軽視できない出来事に直接・明白に関係している。
ここは孔子が世界の狭小さを悟った地であり、著名な碑文においては秦の始皇帝が自らの王朝の統一を宣言したとされる場所でもある。
ここはまた秦の始皇帝の統治期の219年及び彼の息子である胡亥の命により作られた岱廟の2つの碑文により、秦の始皇帝が課した新たな書式が示される場所でもある。
両碑文共、丞相である李斯の手によるものであり、世界の文学の最も古く最も美しい集積の完全なものの1つである中国書道の黎明期を明らかにするものである。
《7》泰山は鬱蒼とした森林と寺院群の相互作用により荘厳な景観を築き上げている。
周口店の北京原人遺跡
《3》《6》周口店遺跡は更新世中期から旧石器時代までのアジア大陸の人類共同体の証拠を有しており、オモ川・アワッシュ川下流の渓谷やウィランドラ湖群地域等の数多くの他地域の出土例と照らし合わせて、世界規模で唯一十分に捉えられるヒト化の過程をより全般的に例証している。
万里の長城
《1》その事業の野心的特徴だけでなく建造物の完全性からも明朝による万里の長城は疑う余地の無い傑作である。
月からも見えるこの星唯一の人工建造物である長城は、大陸の広大な規模の上に景観へ組み込まれた建築の完璧な例となっている。
《2》春秋時代、中国人は北方の国境線に沿った防御建造物において彼らの建造・空間構成の見本を課した。
中華思想は万里の長城が必要とした人口移動により急速に広まった。
《3》万里の長城は見事で普遍的に賞賛される明朝時代の石工術及び、特に甘粛省に残る西漢に遡る城塞の版築部分に例証される古代中国の文明の稀な証拠を有している。
《4》長城と通時的な文化財は2000年の間、単一の戦略目的の為だけに建造されてきたが、その建造の歴史が連続的な防衛技術の前進と政治的変化への順応を例証する軍事建築の顕著で独特な例となっている。
《6》万里の長城は中国史上比類なき象徴的重要性を有している。
長城の目的は外界からの侵略から守る為だけでなく、遊牧民族の慣習から自国の文化を保護することにもあった。
その建造が受難を暗に示すことにより、長城は杜甫の詩・明朝時代の人気小説などにも見られる中国文学と重要な繋がりを持つものの1つとなっている。
黄山
《2》黄山は唐の時代以降、中国の文化・書物・芸術の歴史上先導的な役割を果たした。
《7》黄山は奇岩と奇松の壮大な景色とそれらにかかる雲と霧が織り成す印象的な景観を見せている。
《10》黄山には絶滅に瀕する地域的・国家的な重点保護下にある植物が数多く生息している。
ここでは樹齢千年を超える古代の松やビャクサシの実例を見ることが出来る。
黄龍
《7》黄龍は高度な森林の生態系と石灰華段丘やそこに出来た滝や湖沼群を含む優美な局所的カルスト地形を伴った山岳景観を見せている。
九寨溝
《7》九寨溝は幾つもの滝、湖沼群や止め処なく流れる、透き通った鉱水を伴う高度な森林の生態系を持つ山岳景観やカルスト地形を見せている。
武陵源
《7》武陵源の数え切れないほどの切り立った珪岩峰は壮観で、且つ世界においても独特なものである。
自然に出来た岩の橋や峡谷・鍾乳洞は優れた美的景観を有すると共に頻繁に発生する霧や雲によってその優美性が高められている。
武当山
《1》武当山の古代建造物は1000年近い時代に渡る中国の芸術・建築の高度な水準を表している。
《2》武当山の建造物は中国の宗教・世俗の芸術・建築の発展に多大な影響を及ぼした。
《6》武当山の宗教建造物群は東洋の主要な宗教の1つである道教の聖地であり、その地域の信仰と哲学の発展に重要な役割を果たした。
ラサ
《1》ラサの歴史地区はその意匠・装飾・劇的な景観と調和した佇まいにおける人類の想像性と創造性の傑作である。
《4》ラサの歴史地区の規模と芸術的富裕さはチベット建築の最高点を示し、現代に残る最後の神政建築の顕著な例となっている。
《6》ラサの歴史地区は世俗的・宗教的権威の単一の存在への統合の力強く稀な象徴である。
補足 基準内容はポタラ宮が登録されたときのもののみ明らかになっている。
承徳の避暑山荘と外八廟
《2》避暑山荘と外八廟の景観は中国における自然環境への建築の統合の顕著な例であり、景観設計に深い影響を与え続けた。
《4》避暑山荘と外八廟はその形状の中に中国における封建社会の最後の隆盛を表している。
曲阜
《1》曲阜の記念碑的建造物群は2000年以上に渡り中国皇帝の庇護を受け、孔子に捧げられた建造物・景観の創造・再建に最高の芸術家・職人が関わったことにより顕著な美的価値を有している。
《4》曲阜の建造物群は重要な時代に渡る中国の物質文化の発展を明らかにする顕著な建築的総体を表している。
《6》2000年にも及ぶ東洋諸国内、及び18〜19世紀のヨーロッパや西洋の哲学的・政治的教義への孔子の貢献は近代の思想や政治の発展における最も重要な要因の1つとなっている。
廬山国立公園
《2》《3》《4》《6》廬山は顕著な美的価値及び中国人の精神的・文化的生活への強い関連性を有する文化的景観である。
補足 《2》は中国の宗教・思想・芸術に深い影響を与えた点、《3》《6》は様々な思想家・宗教家が活躍し、中国史に影響を与えた封建社会の観念形態が生み出された場所という点、《4》は多くの芸術家・文筆家を触発したその自然と調和した景観に適用されたと思われます。
峨眉山と楽山大仏
《4》《6》峨眉山地域は中国で最初に仏教の聖地となり、この地より東部の広大な地域へと広まっていったことにより傑出した文化的重要性を有している。
またここは自然美に人的要素が統合された地域であり、有形と無形・自然と文化の結びつきの重要性を明白にしている。
《10》峨眉山は多数の絶滅危惧種を含む数多い植物相を保持している。
古都平遥
《2》《3》《4》平遥の旧市街はその全ての特徴を傑出した度合いで残す明・清朝の時代の漢民族の中国都市の顕著な例であり、そのことにより中国史における最も重要な一時代の文化的・社会的・経済的・宗教的発展が完璧に映し出されている。
補足 《2》は中国史に沿って建てられた都市の中でその歴史的特徴を高く維持しているという点、《3》は中国の中央平原での明・清朝時代の漢民族の建造技術の発展の見本である点、《4》は社会・経済・文化・科学・技術・産業の発展を示しているという点に適用されたと思われます。
蘇州の古典園林
《1》《2》《3》《4》《5》蘇州の9つの古典園林は芸術・自然・思想が完璧に統合され優美性と協和性を生み出した中国風景庭園設計の傑作であると共に全体的な歴史的都市計画と一体化している。
補足 《1》は中国庭園の中でも特に独特な様式と芸術達成が成されている点、《2》は様々な思想に基づき作庭され住居様式に深い影響を与えた点、《3》は古代中国の政治・経済・文化の発展を映し出し蘇州の文明の高度な水準を証明している点、《4》は中国庭園の発展段階が表れている点、《5》はその作庭に伝統文化の規約が守られ、蘇州の都市構造に合致している点が適用されたと思われます。
麗江旧市街
《2》《4》《5》麗江は顕著な価値を有する都市景観を生み出した異文化の融和を表す、劇的な景観の中に位置する優れた古代都市である。
補足 《2》は社会発展における様々な価値の交流、《4》はそれらが都市構造の中に表れている点、《5》はナシ族の文化が都市構造の中に見受けられる点に適用されたと思われます。
頤和園
《1》北京の頤和園は人類の作品と自然が全体的な調和を見せる中国の風景庭園設計の創造芸術の顕著な表現である。
《2》頤和園は中国の哲学と庭園設計哲学・慣習の縮図であり、東洋全体のこの系統の文化形態の発展に重要な役割を果たした。
《3》頤和園に例証される皇帝所有の中国庭園は主要な世界的文明の1つの力強い象徴である。
天壇
《1》天壇は世界有数の文明の1つの発展に高い重要性を持つ世界観を鮮明に示す建築・景観設計の傑作である。
《2》天壇の象徴的な外観と意匠は何百年もの間極東地域の建築と計画に深い影響を与えた。
《3》2000年以上の間幾つもの封建王朝に支配されてきた中国の正統性は天壇の意匠や外観に象徴される。
大足石窟
《1》大足石窟は高度な芸術的特性と様式・主事の多様性における中国岩窟芸術の最高峰を表している。
《2》インド出自のタントラ仏教と中国の道教・孔子信仰は大足で混成し精神的調和の取れた高度な独創性と影響力に満ちた表現を生み出している。
《3》中国王朝時代後期の宗教信仰の習合の本質は大足石窟の稀な芸術遺産に物理的表現にて表されている。
武夷山
《3》武夷山は1200年以上の間保護され続けた優美な景観を誇り、漢民族の紀元前1世紀頃の都市跡・数多くの寺院群・11世紀の新儒教誕生に関連した学問の中心地といった複数の稀な考古遺跡を内包している。
《6》武夷山は新儒教発祥の地であり、その教義は数百年もの間東・東南アジア諸国において支配的な役割を果たし、世界の大部分の哲学や政治に影響を与えた。
《7》九曲渓の風景は丹山と称される滑らかな岩壁と深く澄んだ水の流れとが相まって傑出した風景美を誇っている。
《10》武夷山は世界の中でも最も顕著な亜熱帯林の1つであり、中国の亜熱帯林と中国南部の熱帯雨林の環境を内包する最大級の原生林の例である。
武夷山は中国では絶滅の危機にある数多くの古生植物や爬虫類・両生類・昆虫の棲家となっている。
西逓村と宏村
《3》西逓村と宏村は封建時代に造られ、成功した交易活動に支えられた人類集落の類型の見事な実例である。
《4》安徽省南部の2つの農村は建造物や街路構造に中国史上、長期に渡って確立された社会・経済構造が反映されている。
《5》中国の伝統的農村は過去百年の間に多くが失われてしまったが、西逓村と宏村には飛び抜けて良好に残されている。
明・清朝の皇墓群
《1》明・清朝の皇家陵墓群は風水の基準に合致する様選ばれた自然環境と優れた建築群の調和により人類の創造的才能の傑作となっている。
《2》《3》《4》皇家陵墓群は500年以上東アジア一帯に勢力が及んでいた文化・建築の伝統の顕著な証左であり、自然景観への統合により独特な文化的景観の集合体を築き上げている。
《6》明・清朝の皇家陵墓群は封建時代の中国で重用された風水の信仰・世界観・理論を見事に表しており、著名な人物の埋葬所や中国史上の主要な出来事の舞台となった。
龍門石窟
《1》龍門石窟の彫像群は人類の芸術的創造性の顕著な表明である。
《2》龍門石窟はアジアのこの地域一帯の文化発展に非常に重要な役割を果たすこととなった、長期に渡って確立された芸術形態を完璧に伝えるものである。
《3》唐時代の高度な文化水準と洗練された社会構造は龍門石窟の傑出した石窟芸術に集約されている。
都江堰と青城山
《2》紀元前2世紀頃に開始された都江堰の灌漑施設は水力管理・技術の発展の重要な段階を示しており、現在でもその機能を完全に遂行している。
《4》古代中国での科学・技術の急速な前進が都江堰の灌漑施設に鮮明に表されている。
《6》青城山の寺院群は歴史上長期に渡って東アジアの最も影響力を持った宗教の1つである道教の創始と密接に関係している。
雲岡石窟
《1》雲岡石窟の彫像群は初期の中国の仏教の石窟芸術の傑作である。
《2》雲岡の石窟芸術は5世紀に北魏の皇帝を供養する目的で開かれて以来、南・中央アジアの仏教の象徴芸術と中国の文化的伝統との見事な融合を表している。
《3》中国における仏教信仰の勢力と持続は雲岡石窟に鮮明に示されている。
《4》仏教の石窟芸術の伝統は雲岡石窟で最初の邂逅を迎え、特有の特徴と芸術的影響力を持つに至った。
雲南保護区の三江併流
《7》金砂江・瀾滄江・怒江の並行する深淵な峡谷はこの地域の顕著な自然的特徴であり、三江はここにおいて群を抜く程の風景美を見せる。
梅里雪山・白馬雪山・哈巴雪山等の優美な高山の絶景を見せる氷河峰を伴う高山が三江併流地域周辺には広がっている。
カ(峠の山偏無し)瓦格博(カワゲボ)山峰6740mから2700mまで降下する明永氷河は特筆すべき自然現象であり、北半球において最も低地・低緯度に位置するものである。
その他の顕著な風景地としては怒江の峡谷の高黎貢山地域のカルスト地形の石月亮と呼ばれる巨大大理石の洞窟や丹霞地形の風化作用による陽元石等がある。
《8》雲南保護区の三江併流はユーラシアプレートとインドプレートの衝突・古代テチス海のクロージャー・ヒマラヤ山脈やチベット山脈の隆起に関連した5000万年の地質学の歴史を見せている。
これらはアジアの地表の進化における主要な出来事であり、現在でも進行しつつある。
この地域の歴史を物語る様々な岩石の種類はカルスト地形の山々・屹立する花崗岩・高山帯の丹霞地形の砂岩地形など世界有数の地形を見せている。
《9》三江併流に見られる生態の突出した劇的な発現は地形的・気候的・地勢的効果によるものである。
活動中の山岳地帯を含む地域は石灰岩・砂岩・礫岩等の堆積した幅広い火成岩基質を生み出しており、峡谷からカルスト地形・氷河の流れる峰までの傑出した地勢的特徴はこの地域が構造プレートの衝突点であることに関係している。
この地域は更新世のレフュジアの1つであり、温帯や熱帯等の要素を含む生物地理学的な収束地帯に位置し、現在見られる高度な生物多様性の自然科学的基盤をつくり上げた。
約6000m程の急峻な勾配坂の多様な景観に沿って季節風の気候が働きかけ、温帯に属する旧北亜区の生物群集の発達を促すに都合の良い生態学的刺激を与えたことを表している。
《10》雲南省北西部の生物多様性と絶滅危惧種は中国でも特に豊かな場所であり、地球上の温帯地域で最も生物多様性を誇る場所と思われる。
横断山脈地域は地球上の生物多様性を保護する上で最も大切な保護地域であり、東・東南アジア、チベット高原の生物分布帯との境界に位置しており、特に氷河期においては動植物が南北
間を移動する際の交差路として機能し、1000年以上の人類の定住にも関わらずその高度な自然特徴を維持する特有の景観を見せている。
三江併流保護区は数多くの希少種・絶滅危惧種の動植物の最後の棲家であり、顕著で普遍的な価値を有している。
高句麗の都城群
《1》高句麗の墳墓群はその壁画と構造における人類の創造的才能の傑作を表している。
《2》高句麗王国の都城群は後に隣国の文化に模倣された早期の山岳都城の例である。
墳墓群、特にその1つの重要な石碑や碑文は自らの書式を発展させることは無かった高句麗における中国の文化の影響を示しており、芸術技術や特別な様式を見せる内部の壁画は他文化からの強い影響の見本となっている。
《3》古代高句麗王国の都城群と墳墓群は消滅した高句麗文明の稀な証拠を表している。
《4》国内城と丸都山城に代表される都城施設は高句麗支配による後の都城の建造に影響を与えた。
高句麗の墳墓群は組石・土製墳墓建造の発展の顕著な例である。
《5》高句麗王国の都城群は人類の創造作品と岩山や森林・河川などの自然との完璧な調和を表している。
マカオ歴史地区
《2》中国領のマカオの戦略的立地及び中国・ポルトガル間に確立された特別な関係は文化・科学・技術・芸術・建築の数百年に及ぶ様々な分野における人間的価値の重要な交流を裏付けている。
《3》マカオは西洋と中国の間の最初で長期間続いた邂逅の独自の証拠である。
16〜20世紀の間、マカオは貿易商や伝道師の重要な拠点となり、様々な学問分野の中心地でもあった。
この邂逅による影響はマカオ歴史地区の核心地域を特徴付ける異文化との融合に足跡を辿ることが出来る。
《4》マカオは古代中国の港とポルトガルの都市とを繋ぐ一連の都市空間・建築集合体を伴う歴史的道筋に表される、450年を超える西洋・中国の文明間の邂逅の発展を示す建築複合体の顕著な例である。
《6》マカオは西洋・中国の文明間の様々な文化的・精神的・科学的・技術的影響の交流に関係してきた。
これらの観念は中国に対し決定的な変化をもたらし、皇帝による封建制度の時代を終わらせ近代の共和政を確立させるに至った。
四川省のジャイパントパンダ保護区
《10》四川省のジャイアントパンダ保護区は世界全体の30%に及ぶジャイアントパンダの個体群が生息しており、世界のパンダ生息地の最も重要な隣接する地域で残るものであり、ジャイアントパンダの人工繁殖を行い種の保護を図る上で最も重要な拠り所となっている。
また、この保護区は熱帯雨林以外の世界の温帯地域の中でも特に豊かな植生を持つものの1つである。
推薦物件の顕著な価値としてはその広大さと様々な地勢・地質・動植物種を保護している事実が挙げられ、生物多様性の保護に傑出した価値を持つと共に生態系保護管理策が国と省の保護区の境を越えてどのように作用するかを明らかにしている。
殷墟
《2》商王朝後期の都であった殷墟は中国の古代青銅器文化における書式も含めた重要な価値の交流と発展の高度な水準を示している。
《3》殷墟の文化的遺物は後代商王朝の文化的伝統の稀な証拠を示しており、太陰太陽暦の様な多くの科学的・技術的成果の証明ともなっている。
また、甲骨文字による体系化された書式の最も早期の物証ともなっている。
《4》殷墟の宮殿・先代を祭った社・王墓は初期の中国建築の顕著な例であり、中国の皇宮建築や王墓建造物の原型を確立した多大な重要性を有している。
《6》殷墟で発掘された遺物は中国の書式・言語・古代信仰・社会構造の体系や主要な歴史事件の初期の歴史を紐解く上で明確な証拠となっており、顕著で普遍的な重要性を有していると考えられる。
開平の洋楼と村落
《2》洋楼は北米より帰還した華僑がもたらした建築様式と土地の伝統とが混成した、世界の特筆すべき文化地域における重要な価値の交流を物質空間に表している。
《3》防御塔は現地の盗賊団に対する清朝より続く開平地域の伝統である。
推薦された洋楼は華僑の莫大な財産が盗賊団の蔓延を招いたことにおけるこの伝統の最盛期を表しており、これらの塔はそのことに対する最大の対応策である。
《4》その背景や富を華美なまでに見せる主な塔は、19世紀後期から20世紀初頭に南アジア・オーストラリア・北米での数百年の発展における、開平からの移住民が果たした重要な役割及び世界各地での開平の社会と中国社会の継続的繋がりを反映する建造物の類型である。
中国南方カルスト
《7》中国南方カルストは多湿な熱帯・亜熱帯のカルスト景観の世界で最も壮大な例の1つである。
石林は至上の自然現象とされ、同系統の世界的参照地と考えられている。
同群には苦灰質石灰岩の上に存在する乃古石林や湖から突き出した蓑云山石林が含まれている。
石林は円錐状の他のカルスト地形よりも多様な形状を有しており、天候や光の具合により高い形状・色彩の多様性を見せる。
茘波のコーンカルスト・タワーカルストは同様にこれらのカルスト系統の世界的参照地とされ、優れた美的景観を形成している。
武隆は天坑と呼ばれる巨大な陥没窪地や深淵の洞窟上に長く伸びる極めて高度な天然橋を有している。
これら壮観なカルストの特徴は世界的な質を有している。
《8》石林と茘波はそれらが見せるカルスト地形の特徴と景観の世界的参照地である。
石林の主要な発達はおよそ2億7000万年以上前のペルム紀から現代までの4つの重要な地質学的時代の間に起こったものであり、これらのカルスト地形の特徴の発達の挿話的自然作用を例証している。
茘波は数百万年の間の浸食作用により印象的なコーンカルスト・タワーカルストを形成した、時代の異なる炭酸塩岩の地層を含んでいる。
それは莫大な数のカルスト峰・ドリーネ・伏流・地下川洞を含んでいる。
武隆は相当な隆起を経験した高度な内陸のカルスト高原を表しており、その巨大なドリーネ及び天然橋は中国南部の天坑の景観の典型となっている。
武隆の景観は世界でも重要な河川系の1つである揚子江とその支流の歴史の証拠を内包している。
福建の土楼
《3》土楼は長期に渡り記録された、協調と共同の思想と洗練された建築伝統を反映する、共同生活用の防御建造物の積年の文化的伝統の稀な証拠を有している。
《4》土楼は規模・建築伝統・機能において稀であり、広範な地域における社会経済史の様々な段階への社会の対応策を反映している。
《5》全般的な土楼、特に福建の土楼は共同生活・防御の必要性の独特な反映としての形状及び環境との協和的関係において人類集落の顕著な例である。
三清山国立公園
《7》三清山の注目すべき花崗岩の構成は多様な森林・遠近の眺望・魅力的な気象効果と組み合わさり、優れた風景的価値を有する景観を生み出している。
最も注目すべき側面は、幻想的な形状をした尖峰・岩峰の集中である。
自然的特徴において最も近い比較対象は同様の価値を有する黄山であるが、黄山の花崗岩の特徴は氷河作用後の影響により、細部においてそれほど良好ではない。
三清山の自然美は、絶えず変化する際立った景観を生み出す気象条件により高められた山岳の植生と花崗岩の特徴の両立に由来するものである。
公園内に架けられた歩行路により容易な接近が可能であり、訪問者は公園の驚くべき風景を鑑賞したり穏やかな雰囲気を楽しむことが出来るようになっている。
五台山
《2》この地が仏教の聖地となる際の深い思想の交流を反映している仏教の建築・彫像・仏塔を伴う五台山全体の宗教寺院の景観は、ネパール・モンゴルの思想が反映された寺院を持ち、中国中の仏教寺院に影響を与えた。
《3》五台山は僧院と共に発展した霊山の文化的伝統の稀な証拠であり、アジアの広範な地域からの巡礼の中心地となり現在でもその文化的伝統は生き続けている。
《4》五台山の景観と建築の総体は山岳景観が仏教徒達にとっての神聖性を賛美する建築・彫像・絵画・石碑で彩られていく、1000年を超える皇帝庇護の稀な影響を例証している。
《6》五台山は自然景観と仏教文化、自然景観における宗教信仰、中国の哲学思想が人類と自然の調和の下に完璧な融合を反映している。
五台山はその後、韓国や日本、甘粛省・河北省・広東省といった中国各地の同様の山岳に深い影響を及ぼした。
天地之中の登封の歴史的建造物群
《3》天地之中の天文学的思想は皇帝権力の思想や天地の中への都創設の吉兆、自然の特質、嵩山と関連する儀礼に強く結び付いている。
本資産は威信と庇護におけるこの地域の重要性を反映している。
《6》登封地域の宗教的・世俗的建造物の集中は1500年以上に渡り皇帝の庇護が続き中国文化に顕著な重要性を得た霊山に結び付いた天地之中の強い永続的な伝統を反映している。
仏教建造物群は霊山との共存関係を得るに至った。
中国丹霞
《7》中国丹霞は雄大な自然美を有する印象的で独特な景観である。
この優れた自然美を有する景観を形成する赤みがかった礫岩と砂岩は壮観な峰々、尖峰、断崖、印象的な渓谷を形作っている。
生い茂る森林、蛇行する河川、荘厳な滝を伴い中国丹霞は煌びやかな自然風景を表している。
緑の森林や青い河川と赤い岩石の明確な対照は中国丹霞の素晴らしき特徴であり壮大な風景を描き出している。
中国丹霞は一般大衆、学識世界、とりわけ芸術家の間で長きに渡り評されてきた。
それは中国の最も重要な風景的独自性の1つであり、宗教的な社として重要性を維持してきた。
その重要性は古の時代よりこれらの珍しい美的地域を称賛する数え切れない程の絵画・詩・記述によって遥かに高められている。
《8》類似地域と比較して中国丹霞は世界有数の温暖湿潤気候の赤色岩地形の例である。
少なくとも後期中生代以降の順調な地質学的・水文学的・気候学的状況の結果として中国丹霞地域は世界の他地域より温暖湿潤気候の赤色岩地形のより豊富な地形学的・生物学的・風景的特徴を保存・展示している。
構成地域は互いに一定の段階に特徴的な地形学的特徴を示し「青年期」から「壮年期」を通して「老年期」に至るまでの明確な地形の連続性を示すことにより、浸食度合いが最小のものから最大のものまでの丹霞地形の最良の例を表している。
中国丹霞は弧峰・高峰・メサ地形・ケスタ地形・断崖・渓谷・洞窟・天然橋の様な良好に発達した多様な赤色岩地形を内包している。
内因性の圧力(隆起を含む)と外因性の圧力(風化と浸食を含む)により形成された中国丹霞は温暖湿潤な季節風気候における大陸の(陸上の)赤みがかった礫岩・砂岩から発達した物理的景観の現象の異なる幅広い側面を呈し、それらを形成した圧力と作用の関連性における地形の領域をも例証している。
杭州西湖の文化的景観
《2》西湖の改良景観は「仏教の平和観」・「絵画の如き自然」といったインドから中国にもたらされた仏教思想を反映し、東アジアの景観設計に深い影響を及ぼした。
その舗装路、島々、橋、寺院、仏塔や良く区画された光景は特に北京の頤和園やさらには中国を超え日本において広く模倣された。
詩趣に富む十景の概念は中国全土において700年以上に渡り影響し、朝鮮の知識人が西湖に訪れた16世紀以降朝鮮半島にまで広がった。
《3》西湖の景観は唐・宋朝に関連し今日までその関連性が継続する、人類と自然の完璧な融合と見られる景観を反映する「絵画」の一群を創造する景観改良の非常に特殊な文化的伝統の稀な証拠である。
‘改良された,西湖は森に覆われた丘を背景に人口の舗装路・島々・庭園・仏塔・寺院を伴いこの伝統の表現が顕著に表れている存在と見る事ができる。
《6》多くの芸術家の心を捉え詩人達に命名された優れた自然美の絵画を創造する景観改良による人類と自然の調和の証拠となる唐・宋の文化は、島々、舗装路、寺院、仏塔、植栽を伴う西湖の景観において高く視認可能である。
その伝統の価値は西湖において700年に渡り存続し、中国全土や日本・朝鮮まで及ぶ事により顕著な重要性を有する伝統となっている。
【ベトナム社会主義共和国】
フエの建造物群
《3》フエは19世紀初めに最盛期を迎えた、消滅したベトナムの封建帝国の権力の顕著な証拠を表している。
《4》フエの建造物群は東洋の封建時代の都の顕著な例である。
ハ・ロン湾
《7》ハ・ロン湾は造山運動の過程で生じた石灰質の岩峰が海に屹立する壮大な景観を見せている。
《8》ハ・ロン湾は海洋の浸食による奇岩が聳えるカルスト地形として知られ、また世界でも最も重要な中国の峰コン(人人の下に一)、峰林と同様のカルスト地形(コーンカルスト・タワーカルストとして区分される)が見られる場所の1つである。
古都ホイアン
《2》ホイアンは国際的商業港における時を越えた様々な文化の融合の顕著な物質的表明である。
《5》ホイアンは伝統的なアジアの貿易港の非常に良好に保存された例である。
ミーソン聖域
《2》ミーソン聖域はインド亜大陸のヒンドゥー教建築を東南アジアへ導入した文化的交流の稀な例である。
《3》チャンパ王国は東南アジアの政治・文化史における重要な現象であり、ミーソンの遺跡に鮮明に例証されている。
フォン・ニャ・ケ・バン国立公園
《8》フォン・ニャ地区やケ・バン地区は巨大な開折された台地であり、ケ・バン、ヒン・ナムノの2つのカルスト地形を内包している。
石灰岩は連続的ではなく頁岩と砂岩が層間挿入されており、このことと片岩の表土や花崗岩の露出が特に特徴的な地形を形成している。
タンロン城址
《2》登録資産はアジアの建築・建造技術・都市計画・景観設計・記念芸術・造形美術の発展における1300年以上に渡る文化的価値の交流を細部にまで良く表している。
様々な交流を通して本資産には道教・儒教・仏教・植民地主義・共産主義を含む東アジア及び東南アジアに影響を与えた主要な宗教的・倫理的・政治的観念形態の作用が及んだ。
これらはベトナムの政治的・社会的環境に沿うよう受容・適合・改変され全てが混然一体となり登録資産に明確に示される文化層の独特な証拠を作り上げている。
本資産はまた、東・東南アジアの王城建造の基盤を成した風水の原理や欧州の軍事要塞建造のヴォーバン様式を共に含む、国際的重要性を有する様々な建造哲学や様式の受容の証拠ともなっている。
タンロン文明の傑出した性質は特有の記念芸術・建築・その他文化的特性のあるものにより本資産において示される文化層の独特な集合を呈する様々な影響を混合・融合させたことにある。
《3》本資産における都市構造や連続的な発展の層、この発展を形成した宗教的・哲学的・観念学的組織の複雑な融合は7世紀から現代まで紅河デルタに確立されたベトナムの人々の文明である独特かつ主要なアジア文明の発展の顕著な証拠を示している。
本資産は局所的な政治的中心地から独立的政治力の重要な中核、豊かな文化的伝統の発祥地まで1300年を超えるベトナムの文明の発展の高度な理解を可能にしている。
それはベトナムを支配した歴代の王朝にとって継続的に権力の中核となり、政治的・文化的中心地としてその使用の傑出した持続期間において独特で他の世界遺産物件では殆ど見られないものである。
それはまたその植民地主義に対する勝利が地球規模での国家独立運動に多大な影響を及ぼした元植民地国家の役割を示している。
《4》ハノイのタンロン城址は国際的に重要な近代国家形成の過程と数百年の間普遍的に認められてきた権利である国家独立の闘争に関係している。
これらの過程に関連する出来事・芸術的その他文化的な表現はタンロン城址の中核によく表されている。
禁苑にて育った特有の文化的・芸術的表現はその物質的形状・装飾芸術や特に核心地域の考古遺跡で発見された多くの遺物に寄与している。
【ウズベキスタン共和国】
イチャン・カラ
《3》世界的に一貫して保存されてきた都市建造物群であるヒヴァの内城イチャン・カラはホラズムの失われた文明の稀な証拠を有している。
《4》イチャン・カラの建造物群は顕著な建築群の類型を構成している。
中央アジアの厳しい気候に合わせて設計された中庭に囲われたジュマ・モスクは2つの八角形のランタンによりかすかに照らされ、212の柱で飾られることにより内部空間の規模・構造が独自のものとなっている。
簡素な装飾ではあるが壮麗な外観の神学校は中央アジア特有のイスラム建築の異なる型を形成している。
《5》急激な変化の危機に瀕し、都市設計家・歴史家集団に目録に入れられたヒヴァの内城の建築は中庭・精巧に彫刻された木柱に支えられたポルチコや鳥像・私有部屋により囲われた家屋群を伴ったイチャン・カラの重要性の主要な要素の1つである。
これらの18〜19世紀に形態的変容があったとされる伝統的建築様式は放棄されていたことにより、より一層貴重なものとなっている遺産の1つを構成している。
ブハラ歴史地区
《2》その都市景観や建造物におけるブハラの例は中央アジアの広域の都市計画の発展に深い影響を与えた。
《4》ブハラはその都市構造を現在まで残す中世中央アジアの都市の最も完璧で従来のままの例である。
《6》ブハラは長期に渡り中央アジアの経済的・文化的中心地であり続けた。
補足 《6》の適用理由は不明。報告書の背景の項から適応しそうなものを抜き出したものです。
シャフリサーブス歴史地区
《3》シャフリサーブスは多くの良好な建造物、特に中世の中央アジアにおいて高い文化的・政治的重要性を持ったティムール朝のものを含んでいる。
《4》アク・サライ宮殿やティムールの廟が特筆すべきシャフリサーブスの建造物群はこの地域の建築に深い影響を与えた様式の顕著な例である。
文化交差路サマルカンド
《1》古代の文化交差路に位置したサマルカンドの建築や都市景観はイスラムの文化的創造性の傑作である。
《2》ビディ・カヌムモスクやレギスタン広場などのサマルカンドの建造物群は地中海地域からインド亜大陸までの全ての地域のイスラム建築の発展に重要な役割を果たした。
《4》サマルカンドの歴史都市は13世紀から現在までの中央アジアの文化・政治史の最も重要な段階をその芸術・建築・都市構造にて例証している。
【タイ王国】
歴史都市アユタヤ
《3》アユタヤの遺跡は純粋なタイ族の国民美術の発展時代の非常に優れた証拠を有している。
歴史都市スコタイと周辺の歴史都市
《1》スコタイ史跡公園は最も重要なシャム建築の様式の傑作を表している。
《3》スコタイ、カンペーン・ペット、シー・サッチャナラーイの3つの史跡公園はシャム芸術最初期の時代とタイ族初の国家創建を象徴している。
トゥンヤイ・ファイ・カ・ケン野生生物保護区
《7》トゥンヤイ・ファイ・カ・ケン野生生物保護区は沿岸域の森林を含む2つの主要な河川系統を併せ持っている。
緩やかな丘陵地やサバンナ気候の草原・カルスト地形の特徴などは全て混成し合い、至上の学術的価値と風景美を有している。
《9》トゥンヤイ・ファイ・カ・ケン野生生物保護区は4つの地域の生物地理学的要素が結合した東南アジアの独特な植物群集を有している。
その多様な地形と生物により世界で最も重要な熱帯乾燥林の保護区となっている。
《10》トゥンヤイ・ファイ・カ・ケン野生生物保護区は傑出した種の多様性を見せ、多くの固有の野生の動植物が生息している。
また15種の哺乳類・9種の鳥類・4種の爬虫類の28種の絶滅危惧種が長期間生存してきた生息地となっている。
バン・チェン考古遺跡
《3》バン・チェンは東南アジアのこの地域に独立的に出現し広大な地域に広まっていった紀元前5000年頃の人類の文化的・社会的・技術的発展の注目すべき現象の中心地であった。
ドン=パヤイェン/カオ・ヤイ森林保護区群
《10》ドン=パヤイェン/カオ・ヤイ森林保護区群は112種の哺乳類・392種の鳥類・200種の爬虫類・両生類の800を超える動物が生息しており、顕著で普遍的な価値が認められる哺乳類や鳥類・爬虫類の国際的な絶滅危惧種を含んでいる。
その内1種が絶滅寸前種・4種が絶滅危惧種・19種が危急種である。
保護区群はタイの国際的に重要な熱帯林の生態系が見られる雨林で最後の亜熱帯地域であり、トラ・ゾウ・ベンガルヤマネコ・バンテンといった絶滅が危惧される国際的に重要な種が長期に渡って生き延びてきた場所であり、またボウシテナガザルを含む2種のテナガザルの国際的に重要な個体群が見られる。
これら保護区は絶滅危惧種のハイイロペリカンや絶滅寸前種のオオハゲコウ等の渡り鳥の保護に重要な役割を果たしている。
【フィリピン共和国】
バロック様式教会群
《2》これらの教会群はフィリピンの自然状況に適応させこの地域における後の教会建築に重要な影響を与えた建築と設計の様式を確立させた。
《4》フィリピンのバロック教会群は新たな教会建造物の伝統を形成した、ヨーロッパの教会の設計・建造技術と現地の建材・装飾の主題の混成を表している。
トゥバタハ岩礁海洋公園
《7》トゥバタハ岩礁海洋公園は近海にある、100mもある岩壁や広大な潟湖・海底に広がる海草藻場や珊瑚・2つの珊瑚礁で出来た島を含む原始のままの珊瑚礁の素晴らしい例である。
《9》トゥバタハはスールー海全体の生態系に影響を及ぼす幼生珊瑚の育つスールー海の中域の科学・保護の観点から見て重要な独特の立場にある。
《10》数多くの珊瑚や魚類、特に遠洋に生息する種であるアジやサバ・カマス・サメの仲間の多様性において傑出しており、オニイトマキエイ類やウツボ類も見られる。
海鳥や亀にとっての岩礁の重要性は判明しないがおそらく重要と思われる。
コルディレラの棚田群
《3》《4》《5》コルディレラの棚田群は世界で最も重要な穀物の1つである米の生産に充てられた、現存する文化的景観の顕著な例である。
ここには数百年前に遡る伝統的な技術や慣例が残され、現在でも見ることが出来ると同時に人類と優美な外観を有する自然環境との調和の傑出した度合いを例証し、慎重な自然資源の使用に基づく山岳地域において維持されてきた農耕制度の証となっている。
ヴィガン歴史地区
《2》ヴィガンはアジアの建築設計・建造技術とヨーロッパの植
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【インドネシア共和国】
ボロブドゥール遺跡
《1》ボロブドゥールは仏教遺産の最も重要な記念碑の1つである。
《2》ボロブドゥールはジャワ島の仏教芸術の典型的な複合建造物であり、そのグプタ朝・後グプタ朝様式の芸術はインドからの影響を受けたものの1つである。
《6》その四角形の土壇を囲む基壇や欄干に彫られた彫刻は救済に向けた精神的発達の種々の段階と仏陀の生涯にまつわる逸話を示している。
補足 《2》《6》の適応理由は不明。報告書から適応しそうな文を抜き出したものです。
コモド国立公園
《7》コモド国立公園は乾燥したサバンナの起伏に富む丘陵と棘だらけの植物で覆われた空洞が光り輝く白亜の砂浜や珊瑚の上にうねる青い大波と明確な対照をなすインドネシアのどれよりも劇的な景観を見せるものである。
《10》コモド国立公園は世界で唯一のコモドドラゴンが野生で生息する場所である。
周囲と孤立した島であったために古代種の生物が現在でも生きる絶好の場所となった。
プランバナン寺院群
《1》プランバナンはインドネシア及び周辺地域のシヴァ派芸術の顕著な例である。
《4》プランバナンは10世紀のシヴァ派の表現の典型である顕著な宗教建造物群である。
ウジュン=クロン国立公園
《7》クラカタウ火山は世界有数の近年でも島の火山作用が見られる例であり、森林・海岸線・複数の島を含む国立公園は高度な自然美を誇る自然景観を見せている。
《10》ウジュン=クロン半島はジャワ島の最も広大な低地に繁る熱帯雨林を持ち、多くの絶滅危惧種の動植物が生息し、特にジャワサイはウジュン=クロン国立公園において唯一野生の群れを見ることが出来る。
サンギラン初期人類遺跡
《3》《6》サンギランはこの地で産出する顕著な化石や人工遺物を通して更新世前期から現代までのホモ・サピエンス・サピエンスの発達を見事に例証する人類進化の理解に重要な遺跡の1つである。
ロレンツ国立公園
《8》2つの大陸プレートが衝突する場所としてロレンツ国立公園は進行中の山岳形成と氷河作用・海岸線の付着成長により低地帯が形成された地質学的複合作用が見られる。
また、ニューギニアの生態系の進化を記録する化石を出土する場所でもある。
《9》ロレンツ国立公園は万年雪の地域から広大な低湿地帯を含む熱帯の海洋の環境までの幅広い観察地を持っている。
《10》ロレンツ国立公園は多数の固有種を育み、高度な生物多様性を誇っている。
スマトラ島の熱帯雨林遺産
《7》スマトラ島の熱帯雨林遺産はブキッ=バリサン山脈の広大な溶岩塊に広がり、スマトラのアンデスと呼ばれている。
スマトラ島の山脈は発達した低地帯の抜きん出た山岳景観を見せており、東南アジア最高度に位置する優美な湖や小さいものから巨大なものまでの活火山の壮大さ・潟湖や氷河作用で出来た湖と見事な調和を見せている。
それら青々と繁る熱帯雨林の自然景観や噴火口から吐き出される噴煙や数多くの滝・洞窟群はスマトラ島の熱帯雨林遺産の顕著な美的要素を際立たせている。
《9》スマトラ島の熱帯雨林遺産はスマトラ島の低地帯と山岳森林の生物多様性の保護の為の最も重要な森林群を含んでいる。
グヌン=ルーサー国立公園を含むルーサーの生態系はスマトラ島に残された重要な森林であり、これら3つの国立公園は氷期の影響を受けずに昔のままの動植物が遺存している重要な場所である。
これらは今後のレフュジアでの進化過程を研究する為に間違いなく重要である。
《10》スマトラ島の熱帯雨林遺産を構成する3つの国立公園は多様な生物の生息地と傑出した生物多様性を見せる。
これら3つはスマトラ島に生息する50%以上の植物種を含み、グヌン=ルーサー国立公園では少なくとも92種の固有種が確認されている。
また、世界最大の花であるラフレシアや最も高く育つショクダイコンニャクも含まれている。
現存する低地森林は東南アジアから急速に消滅しつつある低地森林の動植物の生物多様性を保護する上で非常に重要である。
同様に亜山地帯の植生を保護する為の森林も重要である。
【モンゴル国】
オルホン渓谷の文化的景観
《2》オルホン渓谷は広大な交易網の発展を促し、大規模な行政的・商業的・軍事的・宗教的中心地の創造を導いた遊牧文化の強大さと永続性を明瞭に示している。
これらの都市機能に支えられた帝国はアジアを越えヨーロッパにまで至る社会全体に明らかな影響を与えると共に人間的価値の紛れも無い交流の下、東西の影響を取り入れていった。
《3》過去2000年に及ぶオルホン渓谷における全ての発展の土台となったのは強大な遊牧文化であった。
この文化は現在でもモンゴル社会の中心であり尊崇の対象であると共に、景観に調和した高貴な生き方とされ非常に尊重されている。
《4》オルホン渓谷は人類史の幾つもの重要段階を示す渓谷の顕著な例である。
まず最も重要なこととしてこの地はモンゴル帝国の中心であった場所であったということ、第二にモンゴルのチュルク語族の権勢の変動を反映していること、第三にトゥヴクン僧院はモンゴルの仏教形成の発展の舞台であったこと、第四にハル=バルガスはウイグル帝国の都におけるウイグル族の都市文化を反映しているということである。
【スリランカ民主社会主義共和国】
古代都市ポロンナルワ
《1》強い野心を持った支配者、パラークラマバーフ1世により12世紀に築かれた巨大な都は、特異な空間構成・自然景観と建造物の非常に特殊な関係により歴史上最も驚くべき都市創造の1つとなっている。
《3》ポロンナルワは複数の文明、特にバラモン教を信奉するチョーラ朝の支配時代・12〜13世紀のシンハラ朝の統治時代の文明を稀な様相の中にて証明している。
《6》ポロンナルワはシンハラ朝の歴史に関わる仏教の聖域である。
ヴィジャヤバーフ王により築かれたアタダーゲ寺院に安置された注目すべき仏舎利である仏歯がシンハラ朝の王権の象徴と考えられたであろうことを呼び起こすのに十分であり、ブーヴァナイカバーフ2世による仏歯の移動がポロンナルワの衰退を裏付けている。
古代都市シギリヤ
《2》シギリヤのフレスコ画は数百年間持続した絵画様式の新時代を切り開いた。
「獅子の岩」は6世紀以降熱狂的な賞賛者が訪れ、彼らによりシギリヤの岩に記され「シギリヤ・グラフィティ」の名で知られる詩の数々はシンハラ語の最も古代の文の1つであり、それ
故カッサパ1世により見捨てられた都市による文学・思想への多大な影響を示している。
《3》シギリヤはカッサパ1世の支配時代のスリランカの文明の独特な証拠である。
《4》シギリヤはその創造を決定付ける要因となった稀で重要な歴史的事件を象徴する束の間の都である。
聖地アヌラーダプラ
《2》聖都アヌラーダプラは数百年に及ぶ建築の発展に多大な影響を及ぼした。
アヌラーダプラにはシンハラ朝の仏塔の典型である注目すべき記念建造物群、特に円形の基壇に位置し巨大な円柱に囲まれた大規模なダガバ(仏舎利を納めた球状の巨大建造物:仏塔)を有している。
《3》アヌラーダプラはシンハラ朝の文明をその独特で特別な様相の中にて証明している。
数多くの事件においてこの都市は南インドのタミル人・パーンディヤ朝・チョーラ朝からの侵略者の襲撃を許してきた。
アヌラーダプラは外界からの影響を受け付けないスリランカの文化の永久的な政策を保ち続けている。
《6》アヌラーダプラは仏教の主要な聖地の1つである。
仏陀が悟りを開いた地の菩提樹の切り枝が3世紀にこの地にもたらされ繁茂し、現在では聖域から「黄銅宮殿」近くまで菩提樹が広がっている。
その上シッダールタの遺骨は、アショーカ王によりもたらされた重要な宗教遺物である仏陀の鎖骨を納める為3世紀にティッサ王により築かれたトゥーパラーマ仏塔のあるアヌラーダプラの宗教上の表面的特徴を形作っている。
ゴール旧市街と要塞
《4》ゴールは16〜19世紀の間のヨーロッパの建築と南アジアの伝統の相互作用を示す複合都市の顕著な例である。
この都市に傑出した価値を持たせる特徴は17世紀からの下水設備であり、トリトン要塞に築かれた風車により機能していた揚水場が海水を統御していた。
聖地キャンディ
《4》キルティ=スリ=ラージャシンハの統治時代に再建されたキャンディの記念建造物群は並列して並ぶ王宮と仏歯寺に示されるような建造物の型の顕著な例であり、この形態は4世紀以降慣習とされた。
629年の中国人旅行家の記述書によるとアヌラーダプラの仏歯寺は王宮と近接していた。
同様にシンハラ朝の王権の紛れも無い象徴であった仏舎利は都が変わる度、それら全ての地に寺院が建てられ納められていたことは間違いないことである。
《6》キャンディの仏歯寺・複合宮殿・聖都は人類の大宗教の1つである仏教の伝播の歴史に直接・明白に関与している。
シリメガヴァンナの統治期にカリンガからもたらされた仏歯を納める為にキャンディに建てられた最後の仏歯寺はこれまでにないほど繁栄した外来宗教の証明である。
シンハラジャ森林保護区
《9》シンハラジャ森林保護区はスリランカに残る他に比べるものが無い、影響を受けずに来た熱帯の高温多湿な常緑樹の森林の最後に残るものである。
《10》シンハラジャ森林保護区では少なくとも139種の固有植物種が見つかっており、動物相も50%が固有種であり、また多くの希少な鳥類・爬虫類・魚類・昆虫類が生息している。
ダンブッラの黄金寺院
《1》ダンブッラの僧院はスリランカや南・東南アジアの宗教芸術・宗教表現の顕著な例である。
石窟寺院とその壁画や彫像は規模や保護の度合いにおいて独特であり、スリランカのキャンディ一派の18世紀の芸術の重要な傑作を含んでいる。
《6》ダンブッラはスリランカにおける仏教の重要な聖地である。
スリランカの中央高地
《9》スリランカの中央高地は特に優先的に国際的保護を要するスリランカの山地性・亜山地性の熱帯雨林の最大かつ最小限の人的影響に留めている地域を含んでおり、構成要素はセイロン雨林からセイロン季節風林にまで広がっている。
3資産により表される山地性林では動物相の要素が分類群の進化と発達における地質学的・生物学的過程の強い証拠を呈している。
スリランカの固有のカオムラサキラングールは今日認識されているものと幾つか形態学的に異なる様態に進化した。
約180万年前に他地域より分離した、ヒョウ属の島において唯一の代表例であるスリランカヒョウは独特な亜種である。
全3資産はこれらスリランカの固有種であるヒョウの亜種の生息地を残している。
長期の孤立と付随する進化の過程は南アジア地域で最も異なるスリランカの軟体動物相を生み出した。
《10》3資産における山地性林は多くの絶滅が危惧される動植物種の唯一の生息地を含み、それ故本来のままの保護に第一級の重要性を有している。
本資産は1つの分類群において多くの絶滅危惧種数、極めて高い固有性、高度なまでの種の豊富さに特徴付けられる。
脊椎動物の内固有種は408にも及び、ピークウィルダネス保護区の淡水魚の83%、両生類の81%、ホートンプレインズ国立公園の両生類の91%、爬虫類の89%、ナックルズ保護森林の両生類の64%、爬虫類の51%が固有種である。
【大韓民国】
八万大蔵経の納められた伽耶山海印寺
《4》《6》海印寺の八万大蔵経は世界でも有数の仏教経典の最も重要かつ完璧な集大成の1つであり、工芸技術の高度な美的価値において顕著である。
八万大蔵経が納められた海印寺は木版を劣化から守る為の問題に対して15世紀に発展した極めて効果的な解決法を用いた特殊な構造の独創性を表している。
宗廟
《4》宗廟は16世紀より現代まで比較的残る儒教による歴代王家の霊廟であり、宗廟大祭の伝統的儀礼の慣習と形態による無形文化遺産の重要な要素の永続性によりその重要性が高められている。
石窟庵と仏国寺
《1》《4》石窟庵は極東地域における仏教芸術の傑作であり、仏国寺と共に仏教信仰の物質表現及びこの地域の宗教建築の顕著な例となっている。
昌徳宮
《2》《3》《4》昌徳宮は建造物が自然環境と調和した見事な様相を見せる極東地域の王宮建築と庭園設計の、地勢に適応させ固有植物の植生を保ち続けている顕著な例である。
補足 《2》は韓国の建築・庭園・景観設計・芸術への影響性、《3》はそれに示される王の権威、《4》は美観に調和した洗練された建築的価値に適応されたと思われます。
水原華城
《2》《3》水原華城は西洋と東洋の高度に発達した科学知識を統合させた初期の近代軍事建築の顕著な例である。
補足 《2》は軍事・政治・商業の機能を備えたもので韓国の建築・都市計画・景観設計・芸術に影響を与えた点、《3》は18世紀韓国の文化・芸術・建築・科学の水準や建築史の重要な発展を示している点に適用されたと思われます。
高敞、和順、江華島の支石墓群
《3》紀元前2000〜3000年頃の埋葬・儀式の為の巨石建造物を出現させた全世界の先史時代の技術的・社会的現象は高敞・和順・江華島の支石墓群をおいて他に鮮明に伝えているところは無い。
慶州歴史地区
《2》慶州歴史地区は韓国における仏教・世俗建築の発展において傑出した重要性を有する幾つもの史跡と記念建造物群を内包している。
《3》朝鮮半島は1000年近く新羅王朝による支配下にあり、南山を含む慶州内外の遺跡・記念建造物はその文化的成就の顕著な証拠を有している。
済州火山島と溶岩洞窟
《7》世界の同様の溶岩系の中でも最良とされる拒文岳溶岩洞窟系は同様の現象の体験をした者にさえ顕著な視覚的衝撃を与えるものであり、天井や底部に美観を添える多色の炭酸塩岩の装飾・炭酸塩岩の堆積物の壁画により部分的に覆われた暗色の溶岩壁の独自の美観を見せている。
海洋の外へと突き上がった要塞の如き城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)の凝灰岩の火山錐は劇的な風景的特徴であり、季節の移り変わり・滝・多様な岩石地形・円柱状に結合した断崖・火口湖を有する最頂部を通した様々な質感や色彩を見せる漢拏山(ハンラサン)は風景的・美的にさらなる風趣を添えている。
《8》済州島は静止した大陸衝突帯上の火山活動地域(ホットスポット)から突き出した世界有数の楯状火山の1つとしての価値を有しており、それは世界で最も印象的かつ重要な複数の溶岩洞窟系であり、他の溶岩洞窟以上の豊富な多様性を誇る炭酸塩化した鍾乳石やその他の生成物等の洞窟二次生成物を有する拒文岳溶岩洞窟により傑出している。
城山日出峰の凝灰岩の火山錐はスルセイ式の火山噴火の理解において世界的な地とする優れた数々の構造学的・堆積学的特徴を有している。
朝鮮王陵群
《3》儒教文化圏において朝鮮王陵群の自然・宇宙への集約的な近接は特徴的かつ重要な葬儀の伝統を生み出した。
風水の原理の適用や自然景観の保存を通し、印象的な聖地の類型は先祖儀礼の慣習を生み出した。
《4》朝鮮王陵群は韓国・東アジアの墓の文脈における埋葬墓の発展の重要な段階を例証する建築と景観の総体の類型の重要な例である。
王陵群は立地への対応や独特な(後に慣例化した)建造物・構造物・関連要素の配置において定められた幾つもの儀礼を通した、数百年に渡る祖霊信仰の古の伝統と現存する慣習を証明し強化している。
《6》朝鮮王陵群は定められた儀式の実行により現存する祖霊信仰の伝統に直接的に関わるものである。
李氏朝鮮時代、20世紀の政情不安定の時期を除き国家の先祖儀礼は毎年行われ、李氏朝鮮王族及び各王陵の崇拝団体により年次の原則に基づいて実行された。
河回と良洞の歴史的村落
《3》河回と良洞は朝鮮王朝時代の初期を特徴付ける集落の類型である同族村落の最も保存状態の良い典型例である。
その選地・計画・建造物の伝統において2つの村落は500年程の時代を超えて厳格な儒教思想に基づいた集落を生み出した朝鮮王朝の儒教の稀な証拠である。
《4》河回と良洞の村落の総体は500年あまりの時を超えて朝鮮半島の発展に深い影響を与えた朝鮮王朝の影響を反映している。
村落と特に両班と庶民の家屋、さらにそれらの全体像や個々の計画性は社会構造や文化的伝統、権勢や影響、文学・哲学的伝統までこの王朝の戒律を反映している。
【ネパール連邦民主共和国】
カトゥマンドゥ盆地
《3》7つの建造物群集合体はネパールのカトマンドゥ盆地の伝統的文明の稀な証拠を表している。
ヒンドゥー教や仏教と精霊信仰やタントラ教との共存や習合は独特とされる。
《4》ハヌマン・ドカのダルバール広場、バクタプルのダルバール広場、パタンのダルバール広場の
王宮群や都市建造物群は王宮・寺院・都市構造を含めたネパールの主要な王宮史における連続
的・補足的な段階の卓越した例の様相を呈している。
《6》推薦範囲のネパールの記念建造物群はインド・チベット・中国の文明の行き交う地としての複
雑な影響の交流の結果による宗教的構成要素に基づいたネパールの文明を例証している。
サガルマータ国立公園
《7》海抜で世界最高地点にあるエベレストと周辺地域はネパールのみならず全世界においても高い重要性を持っている。
ロイヤル・チトワン国立公園
《7》ロイヤル・チトワン国立公園は後方にヒマラヤ山脈を望む森林に覆われた丘陵・草原・大河の風景美を見せる。
《9》ロイヤル・チトワン国立公園はタライ地域に残る最後の生態系の例を見せるとして顕著である。
《10》ロイヤル・チトワン国立公園は希少種・絶滅危惧種、特にインドサイやインドガビアルの重要な個体群の生息する場所である。
仏陀の生誕地、ルンビニー
《3》《6》仏陀の生誕地とされる聖地ルンビニーは世界の主要宗教の1つの最も神聖な場所の1つであり、その遺跡群は草創期からの仏教の巡礼地の本質についての証拠を内包している。
【キルギス共和国】
聖山スレイマン・トー
《3》スレイマン・トー山に残る先イスラム時代や後イスラム時代からの土着宗教の慣習の豊富な物質的証拠の集積は共に1つの「理想」の形態となり、中央アジアにおいて他にはない最も完璧な聖山の様相を呈している。
《6》スレイマン・トーは数千年間続いた上、イスラムにより柔軟に取り込まれた山岳崇拝の強い伝統の非常に鮮明な証拠を呈しており、中央アジアの大部分に深い影響を及ぼした。
【タジキスタン】
サラズム
《2》サラズムの先都市遺跡は紀元前4000年からの中央アジアの山岳地帯の遊牧民族とトランスオクシアナ地域の農耕民族との交易と文化的交流の証拠を有している。
後に、特に青銅器時代においてサラズムは冶金と手工芸の活動を完成・拡大したことにより非常に広大な規模での多様な交流網の存在を証明している。
サラズムは中央アジアの草原地帯に加えてトルクメニスタン・原エラム・メソポタミア・インダスの各世界と関係を有していた。
《3》サラズムはその先都市の建築的遺構や考古学的遺物が証拠を有する、その地理学的立地に優れた紀元前4000〜3000年頃の中央アジアの顕著な人類集落を構成している。
サラズムの町は長期間に渡り金属、特に錫と銅の製造や道具類・陶芸品・装身具を生産する関連の手工芸の発展に非常に大規模な地域的役割を果たした。
サラズムは主要なユーラシア横断交易路を生み出し発展させた場所の1つである。 -
【バーレーン王国】
カラート・アル・バーレーン/古代ディルムンの港湾都市
《2》世界の様々な場所から人々や伝統が行き交い、居住や商業活動を行う重要な港湾都市として多くの文化が出会う場所であったことがその建築や発展に反映されている。
そのため長期間に何度も侵略の憂き目に会ったことが遺跡丘のそれぞれの層に文化の足跡を残している。
《3》カラート・アル・バーレーン遺跡はこの地域一帯で最も重要な古代文明の1つであったディルムン文明の都であり、その文化を代表するものである。
《4》ディルムンの豪奢な建造物跡はこの地域一帯の建築に影響を与えたこの文化の公共建築の独特な例である。
紀元前3世紀から紀元16世紀までの防衛設備の最も優れた例である様々な要塞跡が単一の遺跡に存在している。
周囲の椰子林は紀元前3世紀以降のこの地域の典型的な景観と農業の例証となっている。
【イラン・イスラム共和国】
イスファハーンのイマーム広場
《1》イマーム広場は独特で首尾一貫した協和的な計画に基づき短期間に建造された、均質な都市建造物群を構成している。
その中でも特に興味深いのが巨大で奥深いイーワーンにより広場の南端に文字通り嵌植されているイマームのモスクであり、2本のミナレットに結び付けられた琺瑯引きの彩釉タイルのモザイクにより飾られた内壁を有する半ドームを戴き、「イーワーン」により南側の正確な角を表す中庭へと延びている。
それ故、このモスクは全体的に南北の軸を有しているが伝統的な北東/南東に重きをおいたものともなっている。
アリー・カプー宮殿は宮殿の空間や背後に広がる王宮庭園への記念碑的な門を形成しており、壁画で完璧に装飾され、広大な外部空間を有するその部屋は周知のものである。
広場に面する48mもの高い門は18本の細い木柱に支えられた、優美な天蓋テラスを戴くと共に、幾層もの部屋を両脇に備えている。
アーケードを含むイマーム広場の全ての建築は花開いた植物・花瓶・花束等の植物紋様の夥しい数の彩釉タイルで飾られており、その様式は偶像への偏見を由としなかったシャー=アッバースの統治期におけるイスファハーンの絵画一派の筆頭としてペルシャ内外に知られたリザーイ=アッバーシのものである。
イマームのモスクはイランにおけるサファヴィー朝の下で絶頂を迎えた華麗な建築の最も有名な例を残している。
《5》イスファハーンのイマーム広場は空間的流動性の無い、通常しっかりと区分された都市群であるイランにおいて稀な都市現象であり、例外的な存在として隊商宿の中庭がある。
それは元来影響を受けやすい都市建築の形態の一例である。
《6》イマーム広場はサファヴィー朝の都の重要な場所であり、その広大で砂に塗れた遊歩道は行進や大道芸・ポロ競技・祝祭・公開処刑に使われていた。
その全ての面にはアーケード状の商店が建ち並び、大市場へのカイサリーヤの門は音楽家達が演奏会を催すことに合わせたものとなっている。
アリー・カプー宮殿のタラール(円蓋テラス)は王が度々使節を迎えた謁見室であったことを今に伝えている。
つまり、イスファハーンのイマーム広場は1722年までのサファヴィー朝時代のペルシャの社会文化的生活の記念碑となっている。
ペルセポリス
《1》二重の大階段・アッシリア様式の柱廊門の付随する多層の浮き彫りに覆われた壁・巨大な有翼の雄牛像・大広間の遺構を伴うペルセポリスの柱廊は、現在でも壮大な建築的創造作品であり続けている。
熟慮された屋根葺き材料の軽減・目草の使用によりアケメネス朝の建築家達は開けた空間において、約20mの高さに対して1.6mの直径という驚くほど細長い円柱の使用を最小限度に留めることを可能にした。
それらは天井の梁の交差部に二頭の雄牛の前半分を背中合わせにした彫像を載せた象徴的な柱頭を有している。
《3》壮麗な通路・堂々とした階段・謁見殿(アパダナ)・大広間・別館は並ぶものの少ない世界で最も重要な考古遺跡の1つに分類され、最古の文明の1つの特性の証拠を有している。
《6》ペルセポリスの柱廊は創始者ダレイオス1世が望んだであろうアケメネス朝の君主制の表象そのものとして、一方では怪物に対する勝利者、一方では蹂躙した敵により玉座が運ばれている姿としての幾多の王の彫像や、軍隊・護衛団・高官・朝貢使節団の終わること無き行進の彫刻が継続的に再現された、その極点であり続けている。
タフテ=スレイマン
《1》タフテ=スレイマンは周囲の自然背景に想を得た協和的な構成における、ササン朝により生み出された重要な建築要素を盛り込んだ王宮建築の顕著な集約である。
《2》タフテ=スレイマンにおいてササン朝により創造された構成と建築要素はイスラム時代の宗教建築の発展だけでなく他文化にまで強い影響を与えた。
《3》タフテ=スレイマンの建造物群は2500年にも及ぶ時代の火や水に関連した宗教の継続の稀な証拠であり、その考古遺産は現在でも発掘されているササン朝の都市によりその価値が遥かに高められている。
《4》タフテ=スレイマンはその構成にササン朝の宮殿建築が集約されたゾロアスター教の聖域の顕著な例であり、原型であると見られている。
《6》重要なゾロアスター教の聖域としてタフテ=スレイマンは世界でも初期の頃の一神教の1つに関連した最も重要な遺跡であり、ゾロアスター教よりさらに古い古代信仰や重要な聖書の表象や伝説にも結びつきのある重要な象徴的関連性を有している。
バムとその文化的景観
《2》バムはイラン高原南部の重要な交易路の交差点として発展し、様々な影響の相互作用の顕著な例となった。
《3》バムとその文化的景観は中央アジア地域の砂漠環境における交易居住地の発展の稀な証拠を表している。
《4》バムの市街は日干し煉瓦と組み合わせた泥積み技術の使用に基づいた中央アジア地域の要塞化住居と城塞の顕著な例を表している。
《5》バムの文化的景観はカナートの使用による砂漠環境における人類と自然の相互作用の顕著な表現である。
その秩序は緻密な作業と責務を伴う厳密な社会制度に基づき現在まで維持されてきたが、現在は抗しきれない変化の危機に晒されている。
パサルガダエ
《1》パサルガダエはアケメネス朝の王宮建築の最も重要で顕著な表現である。
《2》パサルガダエの王朝の都はキュロス2世の命により彼が築き上げた帝国内の様々な人々の力を得て建造された。
そのことは典型的なペルシャの芸術と建築の発展における基礎的段階となった。
《3》宮殿・庭園・王朝の創始者キュロス2世の王墓を伴うパサルガダエの考古遺跡はアケメネス朝ペルシャの文明の稀な証拠を表している。
《4》パサルガダエで創造された王宮建造の「四分庭園」の型は西アジアの建築と設計技術の原型となった。
ソルタニエ
《2》ウルジャイトゥの霊廟は伝統的なセルジューク朝の時期からティムール帝国の時代までの中央・西アジアのイスラム建築の発展に重要な繋がりを見せており、特に二重殻構造や建材の厳選・装飾の主題において密接な関係がある。
《3》イル=ハン朝の古代の都であったソルタニエは13〜14世紀の歴史の稀な証拠を表している。
《4》ウルジャイトゥの霊廟はその革新的な技術構造・空間の均整・建築形態・装飾的な意匠や技術に特徴付けられる、特にイル=ハン朝時代におけるペルシャの建築の発展の顕著な成果を表している。
ビストゥーン
《2》紀元前521年、ビストゥーンにダリウス大王により造られた記念碑は記念芸術や書の発展における重要な人間的価値の交流の顕著な証拠となっている。
敵との関係性におけるアケメネス朝の王の象徴的表現は古代のエジプトや中東に遡る記念碑的
浮き彫りの伝統を反映しており、アケメネス朝や後の数多くの帝国の時代の更なる発展に繋がっていった。
《3》ビストゥーンの遺跡はペルシャとメソポタミアを繋ぐ主要路の1つに沿って位置しており、聖山ビストゥーンとも関連している。
先史時代に遡る人類住居跡の考古学的物証も発掘されており、重要なものは紀元前6〜紀元6世紀のものとされる。
ビストゥーンの記述は特殊な歴史事件であるダリウス大王による帝国再興を記録する為の唯一知られるアケメネス朝の記念碑的文献として独自のものであり、19世紀に解読された最初の楔形文字による文献であった。
イランのアルメニア正教修道院の建造物群
《2》イラニアン・アゼルバイジャン地方のアルメニア正教修道院群は、顕著で普遍的な価値を有するアルメニア正教の建築・装飾の伝統の非常に包括的な例であり、他地域の文化、特にビザンツ帝国・東方正教・ペルシャとの文化的交流の非常に重要な証拠を有している。
《3》アルメニア文化の主要圏域の南東限に位置することにより、修道院群はアゼルバイジャン及びイランへの文化の伝播の主要地点であった。
今日ではそれらは完全性・真正性を満たす状態で残る、この文化の最後の地域的証左である。
《6》修道院の総体は使徒聖タデウスの巡礼地であり、数百年に至るアルメニア正教の宗教的伝統の現存する顕著な証拠を有している。
シュシュタールの歴史的水利施設群
《1》シュシュタールの歴史的施設は土地管理用の排水用運河と広大な堰により可能となった極めて熟達した初期の全体的な可能性の先見の証拠である。
それは紀元300年に持続的な運営を目指し設計・完成され、現在もなお現役である。
人類の創造的才能を証明する技術的多様性と完全性において独特かつ傑出した総体を成している。
《2》シュシュタールの歴史的水利施設は多様な技術の調和により非常に完璧かつ大規模な総体を形成している。
それは運河灌漑におけるエラム・メソポタミアの古代の専門的技術によりもたらされたものであり、その後ナバテア・ローマの技術もその建造に影響を与えた。
多くの訪問者がこの施設に驚嘆すると共に触発されていった。
この施設は水利施設における重要な影響の交流と数多くのイランの王朝下の古代・イスラム時代全体の受容を証明している。
《5》シュシュタールは半砂漠地域の利用の助力となる古代に発展した水利技術の独特かつ極めて完璧な実例である。
山を流れ落ちる河川の分割、大規模な土木工学的構造物の使用や運河の創造により都市への水の供給・農業用灌漑・養殖・製粉・輸送・防御施設等、広大な領土における多様な水利が可能となった。
それは自然と都市の環境の調和において持続的な人類社会の発展に適した、18世紀に遡る技術文化を証明している。
アルダビルのシェイク・サフィーオッディーン廟
《1》総体的地取り、内外の空間の均整、建造物群、意匠、精緻な装飾はシェイク・サフィーオッディーンの霊廟への連続的進路により全てが纏められ絶頂へと達し、美学と崇高さが調和的対面を迎える独特な総体を生み出している。
《2》本資産の建築的空間・特徴はイルハン朝とティムール帝国の時代の影響とスーフィズムの宗教的神託、精巧な装飾・内部の広さの趣と結び付き新たな建築的・芸術的様式の発展を促した。
《4》シェイク・サフィーオッディーン廟はサファーヴィー朝の建築を特徴付け後のハーンカーや霊廟の雛型となった、社会的・慈善的・文化的・教育的機能を兼ね備えた16世紀の宗教的複合建造物の顕著な例であり原型である。
タブリーズのバザール
《2》タブリーズの歴史的バザールの建造物群は数百年に及ぶ東西交易路に位置したことでアジア及び12〜18世紀の世界における最重要の国際貿易・文化の中心地の1つであった。
タブリーズのバザールはその非常に多様で高度に纏められた建築物・建築空間に反映される、都市建築の商業地域の優れた例である。
バザールは最も持続可能な社会経済的構造の1つであり、その複雑性と意図の明確性がタブリーズの交易での富と文化的相互作用を証明している。
《3》タブリーズの歴史的バザールは多くのバザールの中でも最も完璧な社会経済的・商業的複合建造物の1つである証拠を有している。
それは現存する文明の稀な証拠を有する物質的・経済的・社会的・政治的・宗教的総体である。
その戦略的立地や資質ある良策・税の免除により数百年に渡りタブリーズのバザールは特化された建造物・機能・同業者連・異文化地域からの人々が独特な現存する環境に纏め上げた社会経済的・文化的組織網で発展を成し遂げた。
《4》タブリーズの歴史的バザールは商業活動とそれに伴う必要性により形成された相互に連結する建築的構造・空間に統合された多機能建築の都市的複合建造物の顕著な例である。
膨大な数の専門的建造物・構造物は比較的狭い空間に集中・相互に連結され単一の如き統合建造物を形成している。
ペルシャ庭園
《1》ペルシャ庭園は人類の創造性の才能の傑作である。
正確な角度と幾何学的な均整に基づくペルシャ庭園の意匠はチャハール・バーグ(四分庭園)として知られる4つの区画にしばしば分けられている。
ペルシャ庭園の創造は知的で改革的な土木工学の解決策や洗練された水利管理網、同様に適正な植物の選定や庭園の地取りによって可能となっている。
実際、ペルシャ庭園はその砂漠環境と完全な対照を形成する地上の楽園の思想と関連してきた。
《2》ペルシャ庭園は西アジア、アラブ諸国、さらには欧州までの庭園設計の発展への一級の参照とされた、人類の重要な価値の交流を示している。
それは複雑な水利管理網を伴う建築の幾何学と均整であり、これら全ての庭園の設計に影響を及ぼしたと見られる。
欧州の言語に取り込まれた楽園(Paradise)という言葉は壁に囲われた美しい庭園の名称である、ペルシャ語のパルディス(Pardis)に由来している。
《3》ペルシャ庭園は2500年あまりに渡るイラン、中東に関する文化的伝統の稀で独特な証拠を有している。
その発展を通してペルシャ庭園は墓廟・公園設計・宮殿庭園・広場等の私邸、宮殿、公共建造物や同様に慈善・宗教関連施設における中心的特徴となることで様々な人類社会の文化的・社会的側面において役割を果たした。
《4》ペルシャ庭園は自然と人工の要素を利用し、ペルシャ文化の集大成を自然との調和における物理的・象徴芸術の表現に統合することで達成された庭園設計の類型の顕著な例である。
実際、ペルシャ庭園は幾何学設計の庭園の原型となり、世界中に普及した。
《6》ペルシャ庭園は顕著で普遍的な価値を有する文化的発展と直接関連している。
これらはサアディー、ハーフェズ、フェルドウスィーらの文学作品や詩を含んでいる。
ペルシャ庭園はまたペルシャの絨毯や織物の意匠、小絵画、音楽、建築装飾等の重要な発想源でもある。
ゾロアスター教の古代の聖書であるアベスタにおいてペルシャ庭園とその聖なる植物は自然の四大要素(地・天・水・植物)の1つとして称賛されている。
チャハール・バーグは古代のイラン人の視点における神話的な自然の認識、さらには宇宙の摂理の反映である。
【イラク共和国】
ハトラ
《2》ハトラの神殿の至聖所のアーチ形の完全さが顕著なイーワーンや周囲に散らばる13の小神殿はイスラム教以前のこの地域一帯の建築に永続的に影響を与えてきた。
《3》その建造物や記述に示されるとおり、ハトラはギリシャ・ペルシャ・ローマ・アラブの影響下にあったアッシリア・バビロニアの様相の稀な証拠を示している。
《4》ハトラはフィルザバードやジンジルリ同様、東洋諸都市の円形の基礎平面に沿った要塞化都市の中で傑出した例であり、その二重壁の完璧な外見はペルシャ・ササン朝・古代イスラムの様々な文明を網羅した顕著な例となっている。
《6》難攻不落と称されたハトラの都市はローマ帝国を長年脅かし続けたペルシャの力の象徴である。
アッシュール
《3》紀元前3000年頃に建造されたアッシュールは紀元前14〜9世紀のアッシリア帝国の最初の都であった時代に最も重要な役割を果たした。
アッシュールはまたアッシリアの宗教的中心地であり、王の戴冠や埋葬の行われる場所でもあった。
《4》アッシュールで発掘された公共建築や住居の跡はパルティア時代に短期間だけ復興したものも含むアッシリア帝国の支配時代を通したシュメール人からアッカド人までの建築方法の発展の顕著な記録である。
サマッラー
《2》サマッラーはそのモスク・発展・街路や溜池の計画・建築装飾・陶磁器産業の長所から、アッバース朝時代の顕著な建築段階を表している。
《3》サマッラーはチュニジアから中央アジアまで勢力を伸ばし当時世界最大の権勢を誇ったものの1つとなったアッバース朝の建築・都市計画の最も保存状態の良い例である。
この所領の遺跡は日干し煉瓦と再利用された煉瓦が頻繁に使われた為、常に不十分な保護状態である。
《4》マルウィヤやアブ・ドゥラフのモスク等のサマッラーの建造物群は先行する成功した建造物群との比較によるイスラム建築の新たな芸術概念を表している。
それらの広大な空間において独特なミナレットやこれらモスクは当時の国家の強勢・全盛に相当の政治的・宗教的強勢・全盛期を証明している。
【ヨルダン・ハシミテ王国】
アムラ城
《1》アムラ城の壁画はウマイヤ朝時代の独特な偉業である。
《3》アムラ城はその視覚芸術に僅かな足跡を残す厳格な宗教環境を有する先イスラム時代の世俗文化に満ちたウマイヤ朝の文明の稀な証拠を有している。
《4》ムシャッタ城の石膏作品がベルリンの博物館へと送られたことや、ヒシャム宮殿のモザイク画が現在エルサレムのパレスチナ考古学博物館に展示されていること、カサール・ハイール・シャルキやカサール・ヒール・ガールビの遺跡のみが希少な装飾要素を有することを回想してみると、アムラ城はヨルダン・シリアに残るウマイヤ朝の宮殿や城の中で完璧ではないとしても最良の保存状態を誇る複合建築と認められるものである。
ウム=エル=ラサス
《1》ウム=エル=ラサスは聖ステパノ教会のモザイク画が描かれた床の芸術的・技術的特性に人類の創造性の才能の傑作を見ることが出来る。
《4》ウム=エル=ラサスはその独自性や完全性から柱頭修行者の為の塔の顕著な例を示している。
《6》ウム=エル=ラサスは修道生活や、イスラム教も含むこの地域一帯における一神教の普及に密接に関連している。
【レバノン共和国】
アンジャール
《3》《4》アンジャールはウマイヤ朝の都市性の卓越した完璧な例である。
バールベック
《1》《4》バールベックは独創的芸術性を誇るローマ帝国時代の聖域の傑出した例である。
ビブロス
《3》ビブロスはフェニキア文明の始まりの稀な証拠を有している。
《4》青銅器時代よりビブロスは地中海世界における都市計画の主要な一例を示している。
《6》ビブロスはアヒラム、イェヒミルク、エリバアル、シャファトバアルら王達の碑文に示される、
現在広範囲で使用されているフェニキア・アルファベットの波及の歴史に密接に関係している。
ティール
《3》《6》ティールは世界でも最古の大都市の1つとされ、人類の歴史の重要な段階に密接に関係している。
アルファベットや紫の顔料が発見され、また時のビブロス王によりエルサレムにソロモン王の神殿が建設された。
地中海西部へと航海しカルタゴ等の多くの交易都市を築き上げたことは重要な海商を半ば独占した形となった。
補足 明確な該当理由は不明。報告書から摘要したものです。
カディーシャ渓谷と神の杉の森
《3》カディーシャ渓谷はキリスト教の最初期の時代から継続した修道社会の場であった。
レバノンスギの森は現存する神聖な森であり、その木々は古代世界における最高級の建材の1つであった。
《4》カディーシャ渓谷の修道院群はこの地のキリスト教信仰の根本的な証明となる最も重要な現存する実例である。
【オマーン国】
バフラ要塞
《4》バフラの日干し煉瓦の城壁や見張り塔・石の基礎を伴う巨大要塞はこの型の要塞建築の顕著な例であり、当時の有力者バヌ=ネブハン族の権力を証明するものである。
補足 明確な該当理由は不明。概略の項から適用しそうな部分を和訳したものです。
バット・アル・フトゥム、アル・アインの遺跡
《3》バットの居住地跡や埋葬地を取り囲む区域は紀元前3000年頃の最良の保存状態を誇る最も良く知られた遺跡の1つであり、オマーン半島のヒリ、フィルク、ワディ・バフラの類似遺跡よりも遥かに特筆すべきものである。
歴史的典拠によりマガン地方は紀元前3000年頃の当時の銅の一大産地であり遠くメソポタミアまで輸出されていたことが分かっている。
長方形の家屋跡と対照をなす円形の防御構造物や埋葬空間の配列がより複雑な、墓地遺跡に示される厳密な階層社会組織の出現は同時に交易経済に関連した高度な生活基準と社会変化に至った。
《4》限られた場所に凝縮したバットの墓地遺跡はオマーン半島における青銅器時代最初期の埋葬慣習の発展の典型的で独特な証拠を有している。
アラビアン・オリックス保護区【2007年削除】
《10》保護区は絶滅が危惧されるオリックスの自然の生息地を正確に線引きする地形学的・自然地理学的構造を含んでいる。
乳香の土地
《3》乳香の土地の考古遺跡群は古代世界において最も重要な高級交易品であった乳香の生産・流通網を表している。
《4》シスルのオアシスとホール・ルーリ、アル・バリッドの貿易地はペルシャ湾地域の中世要塞化集落の顕著な例である。
ファラジの灌漑設備
《5》推薦されたファラジの灌漑設備はオマーンで現在も機能する3000にも及ぶ同設備を代表するものである。
古代の土木技術は極度に乾燥した土地での椰子やその他の作物の耕作の為の水源が長期間に渡り維持し続けられたことを例証している。
この様な設備は相互的な自立と社会的価値により実証されたこの灌漑における以前の社会の全体的な独立性や時間を有効に使える公平で効果的な管理及び水源の共有を反映している。
【シリア・アラブ共和国】
古都ボスラ
《1》古都ボスラは信仰の歴史の重要な出来事に関連した極めて稀な独創的美術価値を有している。
《3》古都ボスラはアラブ地域におけるローマ帝国の地方都市・ビザンツ帝国の重要な宗教的主要都市・隊商の中心地・メッカへの巡礼路の休息地として常に重要な場所であった。
《6》ボスラは思想と信仰の歴史上重要な出来事に関連している。
マホメットは2度ボスラを訪れており、最初の訪問の際修道士バヒラからキリスト教の訓戒を学んでいる。
補足 明確な適応理由は不明。報告書から適応すると思われる箇所を要約したものです。
パルミラ
《1》《2》パルミラは独特な芸術的偉業であり建築様式の後の発展に深く影響を与えた。
《4》特に大列柱は主要な芸術発展を表す建造物の見本となる典型的な例である。
補足 明確な適応理由は不明。報告書から適応しそうな部分を当てはめたものです。
古都アレッポ
《3》紀元前2000年から幾つもの交易路の中間地点に位置したアレッポはヒッタイト・アッシリア・アラブ・モンゴル・マムルーク朝・オスマン=トルコと連続して支配されそれぞれの足跡を残していった。
《4》アレッポに残る建造物群は都市の凝縮した独特な都市構造を形成している。
補足 明確な適応理由は不明。概略の項から適応しそうな部分を要約したものです。
クラック・デ・シュヴァリエとサラディーン要塞
《2》十字軍の城郭はヨーロッパの非常に受動的な防衛系統とは実質的にかけ離れたものであり、レバント地方の城郭の発展に貢献した要塞の系統における重要な発展を表している。
十字軍時代から中東には幾つかその城郭が残っているが、推薦物件は東西に影響を与えたこの分野における価値の交流を示し発展を記録する最も重要な例である。
《4》建築史上クラック・デ・シュヴァリエは十字軍時代の城郭の最も良好に保存された例とされ、特に軍事様式の文脈における中世城郭の原型と見られている。
同様に、部分的に荒廃してはいるがサラディーン要塞もその建造の特性や歴史的配列の現存物であることからこの型の要塞の顕著な例を表している。
シリア北部の古代の村落群
《3》シリア北部の古代の村落群と関連する残存景観は1〜7世紀の中高地の石灰質の岩山での中東で発展した地方文明の文化的伝統の稀な証拠を示している。
《4》シリア北部の古代の村落群と残存景観はビザンツ時代の古典期の終焉における地方住居や民間・宗教建造物の建築の稀な証拠を呈している。
村落と崇拝の地のそれらの関連性は古代の多神教世界とビザンツのキリスト教の変遷が特徴的な残存景観を形成している。
《5》シリア北部の古代の村落と残存景観は土壌・水・石灰石の慎重な利用と価値の高い農作物の生産の専門的技能に基づいた、1〜7世紀の持続可能な地方集落の卓越した例を呈している。
残存景観内に内接している住居・水力工学技術・低層防御壁とローマの農業の区画計画はこのことの証拠となっている。
【トルコ共和国】
カッパドキアのギョレメ国立公園と岩石群
《1》その特性と密集度からカッパドキアの岩窟聖域は偶像崇拝を禁止したビザンツ芸術のかけがえのない証拠を示す独特な芸術的偉業である。
《3》岩窟住居や村落・修道院や教会は4世紀からオスマン=トルコの侵略を受けるまでのビザンツ帝国時代の面影を留め、それ故消滅した文明の重要な証拠となっている。
《5》カッパドキアは自然の浸食や観光化により危機に晒されている伝統的人類居住地の顕著な例である。
《7》ギョレメ渓谷は独特な自然の特徴を持ち、自然と文化の景観の要素が見事な調和を醸し出している。
ディヴリーの大モスクと施療院
《1》ディヴリーの大モスクと施療院はイスラム建築の最も美しい建築空間の1つを表す独特の芸術的偉業である。
《4》ディヴリーの大モスクはアナトリア高原に位置するセルジューク朝時代のモスクであり、中庭や列柱・入浴部屋を持たないが外界と隔離された地域にあっても全ての宗教機能を備えているものである。
隣接する施療院は既に傑出していたが王侯の命によりさらに興味深いものになっていった。
イスタンブール歴史地区
《1》イスタンブールはタラルスのアンテミオスやミレットのイシドロスによる聖ソフィア寺院やミマール・スィナンによるスレイマニエ・モスクの様な普遍的な建築の傑作や独特な記念碑を有している。
《2》イスタンブール歴史地区はその歴史を通してヨーロッパ・アジアの建築・記念芸術・空間構成に多大な影響を及ぼした。
聖ソフィア寺院は全ての宗派の教会や後のモスクの手本となり宮殿や寺院のモザイク画は東西のキリスト教芸術に影響を与えたが、それ以前より447年に建てられた6650mにも及ぶ
陸側の防御壁であるテオドシウス大城壁は軍事建築の躍進を導くものであった。
《3》イスタンブールはビザンツ帝国とオスマン=トルコの文明の独自の証拠を有している。
《4》隊商宿・神学校・医学校・図書館・ハマーム・医療施設・墓地といった様々な施設を併設するトプカプ宮殿とスレイマニエ・モスクはオスマン=トルコ時代の複合宮殿群・宗教建造物群の最良の例である。
ヒッタイトの都ハットゥシャ
《1》獅子の門や王の門、「文字の刻まれた岩」の意味を持つヤズルカヤを伴う彫刻装飾が施された
ハットゥシャの要塞は記念碑として独特な芸術的成果を表している。
《2》ハットゥシャはアナトリア高原からシリア北部にかけての紀元前2000〜紀元前1000年頃の文明に主要な影響を与えた。
《3》ハットゥシャの政治的・宗教的主要都市の宮殿・神殿・交易広場・埋葬地の遺跡は、都の包括的な全体像を示しており、消滅したヒッタイト文明の独自の証拠を有している。
《4》王宮や住居・神殿・要塞等の幾つもの建造物群の類型がハットゥシャにて完璧に保存されている。
ネムルト・ダウ
《1》アンティオコス1世の王墓は独特な芸術的偉業であり、ネムルト・ダウの従来のままの遺跡の景観は9トンにものぼる石材を使用したヘレニズム期の一大事業の1つである。
《3》ネムルト・ダウの王墓はコンマゲネ王国の文明の独自の証拠を有している。
アンティオコス1世はこの記念碑において、父のミトリダテスよりダリウス大王の末裔として、母のラオディスよりアレクサンダー大王の末裔として表されている。
その家系図における半ば伝説の様な血統に西洋と東洋の境にあってその権力を維持しようと試みた王朝の野心を見て取ることが出来る。
《4》ネムルト・ダウの墳墓群はその従来のままの万神殿の豊富な文化的重層構造を通して重要な歴史時代を例証している。
ギリシャ神話の最高神ゼウスとオルムズド(ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダ)の同一視や英雄ヘラクレスとアルタグネス(勝利の神ヴェレトラグナ)の同一視は彫像や浮き彫りにおいてギリシャ・ペルシャ・アナトリアの同等の価値を持っていたと見られる美意識の融和を見出すことが出来る。
ヒエラポリスとパムッカレ
《3》ヒエラポリスは特異な自然立地に特別に創設されたギリシャ=ローマ時代の温熱設備の稀な例である。
水の効能は巨大な温泉や水泳用の溜池を含む様々な温熱設備において活用され、水による治療法は地方宗教に関連して発達してきた宗教的慣習である。
アポロ神殿は有毒ガスが噴出す断層上に建てられており、セウェルス帝の時代に遡るローマ劇場は儀式の行進やエフェソのアルテミスへの生贄の儀式を描き出している見事な装飾帯で飾られている。
2kmにも及ぶ墓地遺跡はギリシャ・ローマ時代の埋葬慣習の全体像を見せている。
《4》4〜6世紀頃に建てられたヒエラポリスのキリスト教建造物群は大聖堂・洗礼堂・教会等の初期キリスト教建築群の顕著な例を構成している。
街壁北西部の外側に位置する聖ピリポ殉教者聖堂は最も重要な記念碑であり、その素晴らしき階段通路の頭頂部における建造物の八角形の外観はその特異な空間構成から傑出したものと言える。
中央の八角形部分から放射状に伸びる各部分に、礼拝堂、多角形の広間、三角形の部屋などがそれぞれ複数配置されている。
それらは玄関廊に隣接する長方形の各部屋によって囲まれた、一つの正方形の構造物の中で完結されている。
《7》泉から湧き出す温かく濃度の高い鉱水は見た目にも美しい温泉段丘を生み出しており、ヒエラポリスの歴史的・考古学的特徴を伴って文化的な景観を築き上げている。
補足 《7》は報告書から自然的評価の部分と追加表記の部分に記された文化的価値に関する意見をまとめあげたものです。
クサントスとレトーン
《2》クサントスは古代のリキュア王国に直接影響を与えたことがパタラやピラナの考古遺跡に伺うことが出来、また周辺地域にも多大な影響を及ぼした。
世界の7不思議の1つに数えられるハリカルナッソス廟はクサントスのネレイド記念堂から直接派生したものである。
《3》クサントスとレトーンはそこで発見された多くの碑文・埋葬建築・この地に起源を持つものなどからからリキュア王国の文明の稀な証明を有している。
紀元前358年に遡るリュキア語・アラム語・ギリシャ語の3言語による碑文がレトーンのアルテミス神殿近辺で発見された。
それ故クサントスとレトーンで発見されたその殆どが岩か巨大な石柱に刻まれた碑文はリュキア語の最長・最重要の文となっており、遥か昔に消滅した独特なインド−ヨーロッパ語の一級の記念碑とされる。
装飾石墓・塔墓・塔の上に固定された石棺は前例の無い埋葬建築の型を表している。
様々なクサントスとレトーンのリュキア人の墓石群により紀元前6世紀以降のリュキア王国で起こった連続する文化変容の現象の理解が可能となっている。
サフランボル市街
《2》数百年に渡る隊商交易に重要な役割を果たしたことから、サフランボルは繁栄しその結果による公共・家屋建築の基準はオスマン=トルコの広大な領土の都市発展に重大な影響を与えた。
《4》隊商交易は何百年もの間東洋とヨーロッパとの主要な商業的繋がりであった。
その結果交易路に沿って特徴的な形式を持つ都市が育ったが、19世紀の鉄道の敷設により多くの都市がその存在理由を失い他の経済基盤に適応していった。
サフランボルはその影響を受けることなく往時の形態・建築を傑出した規模で保ち続けるものである。
《5》隊商交易の崩壊はサフランボルに破滅的効果をもたらした。
近接するカラビュックの鉄細工が新たな社会経済的役割を与えてはいるが、現在でも対外的な重圧の危機に晒されており伝統的な町並みを保存する為に早急な対策が必要である。
トロイ遺跡
《2》《3》《6》トロイ遺跡はヨーロッパ文明の初期の発展の重要な段階における進展の研究に計り知れないほどの重要性を持っており、2000年以上に及ぶ創造芸術へのホメロスの叙事詩「イーリアス」の深い影響により傑出した文化的重要性を有している。
セリミエモスクと関連施設
《1》エディルネのセリミエモスク施設は16世紀のオスマン帝国の建築家でで最も有名な、スィナンによる人類の創造性の才能の傑作である。
8つの柱に支えられた単一の大ドームは、4基の急上昇するミナレットに囲われた45m×36mの祈祷空間に及ぶ31.5mの直径を有しており市街の眺望を占有している。
革新的な構造設計は数多くの窓が非常に明るい内装を生み出すことを可能にしている。
モスクの総体はスィナンをして彼の最重要建築作品であると認識されている。
《4》都市景観を飾る円蓋、空間構想、建築的・技術的総体、地取りを有するセリミエモスクはオスマン帝国の最盛期という人類史上の重要な段階を例証している。
その生産の最盛期からイズニックタイルを使用した内装はこの原料においては超えるものの無い一大芸術の形状の証拠となっている。
慈善奉仕の施設を備えたモスクはこの最も独特なオスマンの施設の類型である、キュッリイェで達成された最も調和的な表現を表している。
【イエメン共和国】
サナア旧市街
《4》部分的に保存された防壁内においてサナア旧市街は時代を超えて重んじられてきたイスラム紀元初期の時代の典型的な空間構成を詳細に示す意匠・細部装飾を有する均質な建築集合体の顕著な例となっている。
《5》現在の社会変化の結果、危機に瀕しているサナアの家屋群は独特な伝統的人類住居の顕著な例である。
都市の専門家・建築家・歴史家により数限りなく行われてきたサナアの家屋群の研究は、部分的とはいえその破壊の弁解には成り得ないものである。
その全体像を現在まで保つサナアの都市景観は完璧な保護を証明している。
《6》サナアはイスラム紀元初期の時代のイスラム教の伝播の歴史と密接に関係している。
ザビード歴史地区
《2》13〜15世紀にかけてラスール朝の都となったザビードの建築はイエメンの沿岸地域の建築に深い影響を与えた。
《4》ザビードの家屋建築群はアラビア半島南部の広大な地域で見られる中庭を持つ住居のティハーマ様式と呼ばれるものの最も典型的な例である。
《6》ザビードはイスラム教の大学が置かれた地として数百年の間アラブ・イスラム世界において重要性を持っていた。
学生らは遠く東アフリカやマダガスカル・コモロ諸島・イスラム圏のインド・インドネシアからも訪れた。
補足 これらはイエメン政府の適用基準の内容を和訳したものであり、《2》《4》《5》の基準で推薦されている。
《6》に関しては《2》の適用基準から適宜抜き出したものです。
ソコトラ群島
《10》ソコトラ群島は多くの陸生・海生の有機体の高度な生物多様性・固有性の水準により、生物多様性の保護において国際的に重要である。
ソコトラ群島は特に植物の多様性において重要であり、307種(全体の37%)が固有種である825の植物種が生息している。
ソコトラ群島はバードライフインターナショナルにより定められた22の重要な鳥類生息地域に区分されたことにより鳥類種にとって極めて重要である。
ソコトラ群島は又、数多くの絶滅危惧種を含む国際的に重要な陸鳥・海鳥の個体群を育んでいる。
ソコトラ群島の爬虫類(34種の内90パーセントが固有種)・陸貝類(96種の内95パーセントが固有種)は極めて高水準である。
253種の造礁サンゴ・730種の近海魚・300種の甲殻類等、海洋地域に表れているようにソコトラ群島の海洋生態系はまた、非常に多様である。
【サウジアラビア王国】
アル-ヒジル考古遺跡(マダインサーレ)
《2》アル-ヒジル考古遺跡は後期古代の様々な文明の交流点、アラビア半島・地中海世界・アジアとの交易路に位置していた。
それは建築・装飾・言語使用・隊商交易における重要な文化的交流の顕著な証拠を有している。
ナバテアの都市は先イスラム時代の間は放棄されていたが、かつての行路は隊商にとって、後にはメッカへの巡礼者にとって国際的な役割を果たし続け、20世紀始めには鉄道の敷設により近代化していった。
《3》アル-ヒジル遺跡は紀元前3〜2世紀から先イスラム時代の間のナバテア文明の独特な証拠を有している。
それはかなりの数の装飾模様を有する正面装飾による、岩に直接刻まれた記念碑により編成されているナバテア特有の建築様式の顕著な実例である。
同遺跡は殆どが崩壊しているが多くの井戸を含み、農業目的の為のナバテア人の灌漑技術の熟達振りを証明している。
ディライーヤ遺跡のトゥライフ地区
《4》本資産はアラビア半島の中心でのみ発展した、ナジド地域の建築・装飾様式の独特の例である。
それは中央アラビアの過酷な砂漠環境への対応及び無難な生活条件の提供への多大な独創性によりこの地で普遍的に採用された建材である日干しレンガの独創的な使用を例証している。
トゥライフ地区の遺跡は社会的・政治的・精神的・宗教的機能が資産内で同時に、かつ相互連関的に発展した優れた都市の一貫性の証拠を有している。
トゥライフの城塞地区はオアシスの立地における広大かつ多様な都市と宮殿の総体で構成されている、一線を画する地域的様式を形成する日干しレンガの独創的な建築・装飾への使用の証拠であり、その環境にうまく適応させた建造手段の連携と幾何学装飾の特別な感覚を伴う主要な宮殿建造物における日干しレンガの使用の証拠を有している。
《5》ディライーヤ遺跡のトゥライフ地区は18世紀半ばのディライーヤがアラブ独立国家の首都となった時代の中央アラビア高原の人類集落の重要な段階を例証している。
ディライーヤのトゥライフ地区は砂漠環境において発展した伝統的人類集落の顕著な例である。
アラビアの主要なワディ(涸れ川)に位置したディライーヤの集落は景観や自然資源、土地利用への人類の努力の深い繋がりを例証している。
ワディ・ハニファーの河岸の表層に近接した豊富な地下水面と肥沃な土地によりトゥライフ地区において政治行政の中核を生み出した広大なワディを基礎としたオアシス集落が発展した。
トゥライフの家屋や宮殿建造に使用された粘土は、その堆積物は沈泥と砂が自然に混合した粘着性の泥が大半を占めているワディ・ハニファーの川底から直接産出されたもので、用水は地下水面まで掘り下げられた井戸から汲み出された。
これらの井戸にはロバやラクダが使われている。
それらの幾つかは現在でも見る事ができる井戸はその起源が紀元前2000年にも遡ると見られる非常に古い手法の進化を表しており、伝統的農業技術の生きた記憶となっている。
《6》ディライーヤ遺跡のトゥライフ地区の重要性はこの地に生き、教えを説き、そして亡くなった偉大な宗教改革者シェイク・ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブの教えに密接に関連している。
1745年のムハンマド・イブン・サウードとの同盟に従ってディライーヤから宗教改革の宣託がアラビア半島へ、そしてイスラム世界へと広まった。
この運動の支持者は自身を初期イスラム教徒の信仰と慣習の従属者とし、クルアーンの純粋かつ本来の教義及びスンニ派(預言者ムハンマドの伝承)へのイスラム教徒の回帰、数百年を超えて蓄積されイスラムの教義に追加された新機軸と逸脱行為(ビダ)からの宗教的信条・慣習の純化を必要とした。
宗教改革はカリフの統治時代以降最初に遊牧民と定住者に秩序と体制を課しアラビアを統一した強国と中央権力を生み出した。
それはアラビアの人々の社会的慣習に影響を与えた改革をもたらし18世紀以降の多くのイスラム教の改革者の思想を呼び起こした。
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