2010/03/18 - 2010/03/29
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eimeiさん
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2年前の「ユーラシア大陸一人旅」でタイを訪れ際、ミャンマーも行きたかったが、バンコクでビザが取れなかったので、訪れることができなかった。
高校時代に「ビルマの竪琴」(竹山道雄 著)を読み、一度は訪れてみたい国の一つであった。
現在の状況は、軍事政権、スーチーさん軟禁、日本人ジャーナリストが撃たれ死亡、経済制裁を受けアジアの最貧国のひとつ、など、良いニュースが日本に伝わってこない。
また、先の大戦の末期、多くの日本兵がビルマ人に助けられ、日本へ帰国できたと聞いているが、それでも19万人もの日本兵がビルマで亡くなっている。
仏教寺院や遺跡を訪れながら、庶民の生活も垣間見たい。
現地からブログへアップできるか確信が持てないが、チャレンジしてみたい。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー
- 航空会社
- 中国国際航空
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名古屋→羽田→北京→ヤンゴン→バゴー→マンダレー→バガン→ヤンゴン→北京→羽田→名古屋の実質10日ほどの旅です。マンダレー→バガンは船で移動の予定。それ以外のミャンマー内の移動はバスの予定。
エアーチケット・バス代・宿代などトータルで10万円ほどで旅をする予定。 -
3月19日、羽田から中国国際航空の飛行機に乗り、北京へ向けて飛び立って、富士山がきれいに見えた。
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北京国際空港で中国人と一夜を過ごした。
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3月19日、北京を発ち、昆明で飛行機を乗り換え、ヤンゴン国際空港へ予定通り14時に着いた。空港は中部国際空港より閑散としていた。
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ビザが取ってあるので、イミグレ等は1時間ほどで済み、タクシーでバゴーへ向かった。30$払い、1時間ほどで着いて、予定していたグリーン色のホテルへチェックインした。朝食付きで10$。
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ホテルから少し東の橋の拡張工事をしていたが、日本の建設機材が活躍していた。また、走っている乗用車・トラック・バスの8割ほどが日本の中古車です。先進国で唯一の日本の援助がないと、道路整備もできないと思われる。
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夜に、インド系の人々によるヒンズー教のパレードがあった。夜、停電の雨あられで、扇風機も回らず、蒸し風呂状態の中で寝た。部屋のクーラーは飾り状態。
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朝の托鉢。男の子の坊さんもいたが、女の子の尼さんも多くいた。こうして、ストリートチルドレンを町全体でなくしていると思われる。
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最初に、サイカー(自転車のサイドカー)で、シュエターリリャウン寝仏を見に行った。その入口に鎮座するライオンがかわいい。中で最初に10$払った。バゴーの他の観光施設は領収書を見せれば良い。ただ、カメラの持ち込み料を30円程度取られる。
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シュエターリリャウン寝仏。長さが55メートルあるが、修復中のため、顔しか見えない。
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次に、近くのミャッタリャウン寝仏を見に行ったが、長さが60メートルもあり、笑ってしまうほど大きい。
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写真を撮っていると、一人の少年が流暢な日本語・英語を駆使して10枚組の観光写真を売りに近寄ってきた。結局、買いたいような写真でなかったので、断ったが、このような人材が、活躍できる場が、ミャンマー国内にないのが残念で仕方がない。
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寝仏の足の裏。その後、近くの僧院へ日本から持参した文具などを届けた。
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サイカーでシュエモード・パヤーへ向かった。
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シュエモード・パヤーの入り口。ここにも入口にかわいいライオンくんが鎮座している。
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仏塔は、あまりにも大きいので、広角レンズに収まらない。金箔は本物の金です。
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あまりに珍しいマツダの三輪車を見かけたので、思わずパチリ。現役で氷を運んでいた。
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バゴーのバスセンターへ行く途中に、ヒンズー教のパレードに出会ったので、バスセンターで荷物を預け、写真を撮りに行った。
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パレードの先頭の若者。痛そうで、鳥肌が立ってきた。
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パレードの後半の人たち。飾りが重たいので、肌に食い込み痛そう。このまま激しい踊りをしていた。
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パレードの最終時点は、ヒンズー寺院。
その後、日本製の中古観光バスに乗り、マンダレーへ向かった。途中、新首都ネーピードーの手前で軍の検問があり、外国人はパスポートチェック。ネーピードーに入ると道は良くなり、街路灯が街全体に煌々とついており、停電まるけの国とは思われない別世界。 -
3月22日の早朝、マンダレーの王宮近くの中国系中級ホテルに1泊20$で2泊。自家発電装置を備えているので、クーラーを入れ、仮眠。遅めの朝食を取り、マンダレーヒルへ乗り合いバスで向かった。登り口で降りたところ。
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屋根のある階段をどんどん登ろうとしたが、体力がついていかず、休憩ばかりしていたので、頂上まで1時間以上かかった。
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頂上近くの大きな仏像。このポーズの仏像は初めて見た。
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頂上にある守り神の「ツゥ・スネイク」。頭をなでると御利益があるらしい。
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ミニ仏像と仏塔。この構図が一番美しい。
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願いごとをしながら、ミニ仏像にお水をかけて一周すると、願いが叶うらしい。ただし、有料。チベット仏教のマニ車に似ている。
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マンダレーヒルから乗合タクシーで降り、サイカーで旧王宮へ行った。お堀の一辺が3キロもある。東門(外国人はここから出入り)にかかる橋からマンダレーヒルを望む。ここで入域料10$を払った。
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先の大戦末期に、日本軍がここに立てこもり、英印軍と戦い、建物などはすべて消失してしまった。したがって、建物はすべて復元されたもので、建物内にはほとんど何もない。
右にある監視塔へ登ってみた。 -
監視塔から見た王宮の中心部分。後ろの山がマンダレーヒル。
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その左側には、家臣の住居と思われる建物が整然と建っている。
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マンダレーの若者3人組とデジカメで撮りあいっこ。
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王宮前の店で、サトウキビジュースを飲んだ。ハエが多少たかっていようが、気にならなくなってきた。
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ホテルへの帰り道、ほとんどの店先に自家発電施設がある。ミャンマー第二の都市でも頻繁に停電がおきるので、自己防衛するしかないのかな。ミャンマー南部で天然ガスが産出するので、それをうまく使えば、あっという間に電力不足は解消するのに。外国の援助が日本以外ほとんどない現状では仕方ないか。
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ホテルの窓からマンダレーの街を望む。大都会のためか裕福な人と同時に、ストレートチルドレンやホームレスを何人も目にした。インターネットカフェは何軒もあるが、メールはGmailしか使えないし、速度は遅い上、USBメモリーを使ったら、ウイルスに感染してしまった。
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3月23日、マンダレーから10キロほど上流のミングォン観光へ小型船で出かけた。入域料3$と船賃400円を払い、欧米観光客4人と私の5人で、9時に出航した。すぐ見えてきたのは、中州に住んでいる人々の家。漁業やコンクリート用の砂などで生計を立てているようだが、雨期はどこへ移動するのだろう。
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40分もすると、ミングォン・パヤーが見えてきた。1800年頃の王が世界一高い仏塔を造らせ始めたが、途中で王が亡くなり、中断したままの夢の跡。
現在も人間は、同じことを繰り返している。 -
上陸して、そばまで行くと大きさがわかります。これはまだ土台部分でこの上に仏塔が建つ予定でした。土台はレンガを積み上げて作ってあり、痛みがひどい。中央の裂け目に仏像が安置してあり、右側に階段があり、上まで登ることができます。ただ、下で下足を脱がなければならないので、暑い日中は階段が暑くて登れない。
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ミングォン・パヤーの上からの風景。白い仏塔はこの後行くシンビューメェです。
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パヤーの近くのお寺に、ミングォン・パヤーが完成したら納めることとなっていた「ミングォンの鐘」が置いてある。あまりに重いので、鉄骨を使って吊してある。
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最後に、白い仏塔のシンビューメェ。現在も使われており、地元の人がお参りに見えていた。
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土産物屋の通りに、数軒絵画の店があり、なかなかの作品もあるが、持ち帰りが大変なので、売れている様子はなかった。
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竹の産地らしく、竹で作った家も多い。旧日本兵が川を渡るのに竹で筏を作ったのも納得できる。ホテルへの帰り道に、明日のバガンへのボートチケットを買いに行ったが、ハイスピードボートはなく、スローボートのチケットを10$で買ったが、出航が朝5:30、起きれるかな?
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3月24日、眠い目をこすりながら、バイクタクシーで船着場まで行き、外国観光客用のスペースに席を確保。昨日の欧米人にも再会したが、観光客20名ほどのうち、またもや日本人は私のみ。
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出航してしばらくすると、夜が明け、ザガインヒルの仏塔が朝日に照らされて美しい。
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しばらくすると、インワ鉄橋が見えてくる。この後、バガンまで橋は一本もなかった。地元の人は渡し船で渡っている。
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船内の様子。地元の人がどんどん観光客用のスペースを侵略し、ゴチャゴチャ。
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村の近くの船着き場に寄るたびごとに、物売りが、船内に突入してくる。私もバナナやスイカを買った(買わされた)。
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地元の人も相当下船し、船内もすいてきた。もうすぐバガンなので、余裕で夕日を撮ってみた。しかし、日が暮れて、夜間走行になり、川の中央部分の浅瀬に船が乗り上げ、動けなくなってしまった。仕方ないので、船上で雑魚寝して朝を迎えた。参った!参った!
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翌3月25日朝、小型船が迎えにきたので、乗り移り、やっとバガンの船着き場へ到着。
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欧米人がチャーターしたトラックタクシーに便乗させてもらい、ヤーキンターホテルへチェックイン。欧米人は、近くのゲストハウスへ。
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早速、ホテルのレンタサイクルを借り、「地球の歩き方」のモデルコースに沿って出発。
まずは、シュエズィーゴォン・パヤー。朝日に照らされて、黄金が眩しいこと。 -
暑いので、小物はパスして、美しい仏像で有名なアーナンダ寺院へ。外観もなかなかのもの。
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4つある仏像のひとつ。ひとつひとつお参りすると、一周できるようになっている。
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自転車で移動していると、「ピキチャー」と言って、着飾った女の子を連れた母親が近づいてきた。子供をだしに使う商売は好きではないが、そうしないと食っていけない現実がありそうなので、写真を撮り、お金を母親に渡した。
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次に、ダビィニュ寺院へ行った。この寺院が目的ではなく、その向かいにある僧院の敷地内にある「日本人戦没者慰霊碑」にお参りするため。
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僧院の人が線香を用意していただけたので、線香を立て、お参りをした。その後、お布施をわたした。
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もっと回る予定でいたが、広いのとあまりの暑さのため、ホテルに逃げ帰った。バガンの夜のレストラン通り。カンボジアのアンコールワットと雰囲気が似ている。
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3月26日朝、朝日を撮るため、シュエサンドー・パヤーへ自転車で向かった。急勾配の階段を手すりにつかまりながら登った。
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バガンの朝日。仏塔の多さがわかる。
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朝日と反対方向の風景。こちらも仏塔だらけ。
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ホテルに帰りがてら、重厚な形をしたダマヤンヂー寺院へ寄った。寺院前の出店でカエルの鳴き声が出る土産を買ってしまった(半分買わされた)。
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自転車で回っていると、いろいろな物が目に入ってくるので、紹介したい。
まずは、素焼きの瓶の気化熱を利用した水飲み場。しかし、とても観光客は手を出せない。イランの水飲み場の方が上。 -
ミャンマーとサボテンはあまり結びつかないが、家の垣根としてよく見かける。
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朝、子供たちがサッカーをしていた。ミャンマーではボールのリフティングのような遊びが昔からあるので、サッカーもなかなか上手い。国営放送しかないテレビでも、ヨーロッパサッカーやNBAやF1などは放送されている(タイの衛星放送かも?)。
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若者が小型バイクでウイリー走行の練習をしていた。馬力がないので、後ろの人が体重をかけないと前輪が持ち上がらない。バガンのような田舎だと、若者はバイクを走らせるぐらいしかやることがない。
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3月27日早朝、夜行バスでヤンゴンへ着いた。途中、3回もパスポート(国民は身分証)チエックがあり、軍事政権であることを再認識した。バスで一緒だった欧米人たちは、ダウンタウンへ向かったが、私は、タクシー(ヤンゴンはなぜかバイク禁止)でシュエダゴォン・パヤー近くのユザナホテルへ。受付の親切なおねえさんに割引価格にしてもらい、それでも26$。物価の高いヤンゴンでは仕方ないか。
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ホテルからの朝日。高いビルもあり、ヤンゴンはミャンマー随一の大都会であることがわかる。朝日の下のあたりにシュエダゴォン・パヤーがあるが、ビルに隠れてよく見えない。
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早速、シャワーを浴び、途中で朝食をとり、シュエダゴォン・パヤーへ向かった。両側に店と屋台が並び、その先に二匹のライオンくんのところから階段を上がっていく。
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階段を上り終わると、まばゆいばかりの仏塔がある。
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土曜日のせいか、日本の七五三のような行事をしていた。
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仏教の教えを絵に描いた仏塔もあった。側面・裏面にも絵があります。
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夜、夕食がてら、シュエダゴォン・パヤーへ再度行ってみた。昼間よりすごい人出で、入口前の屋台の数も多い。
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仏像の頭の後ろが、パチンコ屋のネオンサインのように光っている。あまりに派手なので、笑ってしまう。
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昼間のシュエダゴォン・パヤーでアベックウオッチ。男性はズボンとロンヂーは半々、女性はほとんどロンヂー。若い女性は、ボディーラインが出るようなタイトなロンヂーをはいている。
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茶髪はたまに見かける程度。顔に塗るタナカは、都会ではあまり使われていない。化粧品が使われはじめ、タナカが使われなくなってきていると思われる。
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ホテルの近くにも1階をテナントにしている高層ビルがいくつもあるが、土曜日だというのにシャッターが閉まったままのところが多い。テナント料を払っても採算が合うほど国民の購買力がない証拠。開発途上国によくあるパターンで、トルコやエジプトなどでよく目にした。
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3月28日、予想外に快適なホテルの無線LANでブログへアップをし、荷造りをし、11時にチェックアウトし、タクシーで空港へ。閑散としたヤンゴン国際空港を予定通り出発し、昆明で乗り継ぎ、北京国際空港へ。
北京国際空港に置いてある上海万博(5月1日〜10月31日)のマスコット。このマスコットが記念撮影場所となっていた。 -
3月29日朝、北京国際空港での離陸ラッシュ。羽田へ向け予定通り離陸。
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ミャンマーのほんの一部しか見てこなかったが、皆親切で、優しく、治安もよい(政治的なことは御法度)。もっと、日本人もミャンマーを訪れてほしいと思います。
ただ、ミャンマーでは、どうしても女性の方が輝いているように見えてしまう。男性が生き生きと活躍できる場が少ないためか、知的レベルの高い男性ほど虚無感のようなものを感じてしまった。 -
品川から新幹線・在来線で夕方に帰宅。
新幹線代まで含め、総予算10万円で済んだ。
夜行バス3回、船上泊1回、空港内泊2回、強行スケジュール、暑さ、私の年(57歳)のため、疲労困憊。
温度差と疲れのため、風邪をひいてしまった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- がまだす@熊本さん 2010/06/16 12:26:41
- 魅惑のミャンマー旅・・・憧れています。
- eimeiさん、魅惑のミャンマー旅はいいですね〜
私も一人旅が好きでアジアの辺境地を放浪していますが、
いつかミャンマーまで足伸ばしたい願望でeimeiさんの旅行記まで辿り着き、最後までしっかり拝見させて頂きました。
ところで、実際現地の諸状況はいかがでしたでしょうか?
例えば治安とか言葉、宿探し、そして物価とか。
ぶしつけに訪問して質問ばかりで申しわけありませんが、
よろしくお願いします。
- eimeiさん からの返信 2010/06/17 23:25:25
- RE: 魅惑のミャンマー旅・・・憧れています。
- ブログを訪問していただき、ありがとうございます。
以下に、私のミャンマー旅行での感想を記します。
?入国:ビザを取るために、書類を多く用意する必要がありますが、揃えればビザはおります。ビザがあれば、入国は簡単にできます。
?治安:政治的な活動をしない限り、治安は良く、人々は親切です。ただ、バスでの移動の際、軍によるパスポートチェックがありますが、ビルマ人と同じように、素直に従えば何も問題ありません。国土の中央部分以外へ行くには、更に許可が必要なので、短期の旅では無理です。
?ホテル:「地球の歩き方」やインターネットに載っているホテルしか泊まれませんが、日本人観光客が激減している関係で、ホテルが満室になることはありません。当日、交渉で充分です。
?交通機関:バス(日本の中古観光バス)が安くて、快適です。バガンにはレンタサイクル(ママチャリ)がありますが、レンタバイクはありません。
?言葉:イギリスの植民地だったこともあり、英語が日本以上に通じます。
?食事:どこへ行っても、焼き飯と焼きそばはあります。
?一日の生活費:宿・食事・交通費等で3000円ほどでした。ホテルをランクアップしても5000円もあれば十分です。
日本人の旅行者はほとんどいないので、欧米人と一緒に旅をするのも悪くないと思います。
※民主化され、タイからバイクで入国できるようになったら、ぜひもう一度ビルマを訪れたいと思っていますが、私の寿命の方が早く尽きてしまうような気がします。
自宅よりeimei
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