2010/02/26 - 2010/02/26
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harusanさん
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ちょっと遅くなりましたが・・・、
「二・ニ六事件」で、東京以外でたった一つの舞台であった「神奈川県・湯河原町」の「光風荘」を、事件当日に当る2月26日に訪ねたのでUPします。
1936年(昭和11年)2月26日、珍しく大雪になった早朝、陸軍の青年将校の一部が「国家改造」をめざして、軍や政府の高官を襲うという事件がおきました。
これが、日本の近代史に必ず登場する「二・二六事件」です。
この事件は「東京」で起きたのですが、東京以外の唯一の現場となったのが「神奈川県・湯河原町」にある「光風荘」です。
ここは老舗旅館「伊藤屋」の元別館で、当時「内大臣」であった「牧野伸顕伯爵」が静養のために滞在していました。
そして、2月26日の朝、東京から雪の湯河原に到着した別行動隊の「河野大尉」ら8名が、光風荘を襲うという、事件の現場となったのです。
「電報!」という呼び声に勝手口を開けた護衛官「皆川巡査」は、河野大尉の姿に不信を抱き、ピストルを放ち銃撃戦となります。
大尉は、倒れながらも「光風荘」に火を放させ炎上させてしまうのですが、その後、部下に助け出されて熱海に有る陸軍病院へ運びこまれたのです。
(後日、病院で差し入れの果物ナイフを使い自決しました)
撃たれた皆川巡査は動けず、助けようとした部下や使用人に「伯爵を守れ」と、言い残し息絶えました。
河野大尉が襲撃時に「女・子どもには手を出すな」と、言っていたのを聞いた家人が、伯爵に「女の着物」をきせかけて裏山に逃がしたそうです。
その時に、伯爵といっしょに光風荘に滞在していた孫の「麻生和子さん」が、後日「当時の様子や、宮川巡査を助けられなかったことを悔やむ手紙」が展示されています・・・和子さんは、麻生元総理のお母様です。
全焼した光風荘は、その翌年「再建」され、73年たった今、「これを保存し、後世に伝えたいというボランティアの方々により「二・二六事件資料館」として公開されています。
当時の様子が生々しく伝わる「宮川巡査愛用の焦げた万年筆」とか、「河野大尉が自決に用いた果物ナイフ」「河野大尉が兄にあてた手紙」なんかも展示されています。
また当時の事件を伝える「新聞」もたくさん展示されています。
光風荘のある場所は「万葉公園」「足湯・独歩の湯」にも近いので、見学の後は「散策」もおすすめします〜〜。
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