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天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。<br /><br />湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。 <br /><br />

天台寺門宗総本山園城寺 「三井寺」

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2010/02/06 - 2010/02/06

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53

みにくま

みにくまさん

天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。

湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。

  • 三井寺<br /><br />今日はうなぎを食べに大津まで来ました。<br />食後には、この近辺でどこか観光したいと思い、一番歴史のありそうな三井寺にやってきましたが、予想以上に境内が広いのでビックリ。<br /><br />見どころも多そうです。

    三井寺

    今日はうなぎを食べに大津まで来ました。
    食後には、この近辺でどこか観光したいと思い、一番歴史のありそうな三井寺にやってきましたが、予想以上に境内が広いのでビックリ。

    見どころも多そうです。

  • 園城寺<br /><br />★ みにくまかくれんぼ ★<br /><br />みにくま君とちびくま君が隠れています。<br />

    園城寺

    ★ みにくまかくれんぼ ★

    みにくま君とちびくま君が隠れています。

  • 園城寺<br /><br />この時はまだ天気が良く、太陽も出ています。<br />しかし、さっきまで雪が吹雪いていたし、この時もいつ雪が降り始めてもおかしくないくらい、寒かったです。<br />

    園城寺

    この時はまだ天気が良く、太陽も出ています。
    しかし、さっきまで雪が吹雪いていたし、この時もいつ雪が降り始めてもおかしくないくらい、寒かったです。

  • 大門(仁王門) 重要文化財<br /><br />室町時代 宝徳四年(1452年)<br /><br />三間一戸楼門 入母屋造 桧皮葺<br /><br />三井寺中院の表門で、東面して建ち、両脇の仁王像が山内を守護しています。<br />記録によると、天台宗の古刹常楽寺(湖南市石部町)の門で、後に秀吉によって伏見に移され、慶長六年(1601年)に家康によって現在地に建てられたとしています。 <br />

    大門(仁王門) 重要文化財

    室町時代 宝徳四年(1452年)

    三間一戸楼門 入母屋造 桧皮葺

    三井寺中院の表門で、東面して建ち、両脇の仁王像が山内を守護しています。
    記録によると、天台宗の古刹常楽寺(湖南市石部町)の門で、後に秀吉によって伏見に移され、慶長六年(1601年)に家康によって現在地に建てられたとしています。

  • 大門(仁王門) 重要文化財<br /><br />

    大門(仁王門) 重要文化財

  • 食堂(釈迦堂) 重要文化財<br /><br />重要文化財 室町時代<br /><br />正面七間 側面四間 一重 入母屋造 桧皮葺<br /><br />大門(仁王門)を入ってすぐ右手に、南面して建つ比較的に簡素な造りの堂です。秀吉による破却の後、清涼殿を移築したものとの伝えもありますが、室町時代に建立されたものと思われます。 <br /><br />「園城寺境内古図」には、大門を入ってすぐ右手に食堂が描かれており、この堂も食堂として移築されたものと思われますが、現在は清涼寺式釈迦如来像を本尊とする釈迦堂として信仰されています。 <br /><br /><br />写真の通り、現在は保存修理工事中でした。<br />

    食堂(釈迦堂) 重要文化財

    重要文化財 室町時代

    正面七間 側面四間 一重 入母屋造 桧皮葺

    大門(仁王門)を入ってすぐ右手に、南面して建つ比較的に簡素な造りの堂です。秀吉による破却の後、清涼殿を移築したものとの伝えもありますが、室町時代に建立されたものと思われます。

    「園城寺境内古図」には、大門を入ってすぐ右手に食堂が描かれており、この堂も食堂として移築されたものと思われますが、現在は清涼寺式釈迦如来像を本尊とする釈迦堂として信仰されています。


    写真の通り、現在は保存修理工事中でした。

  • 境内<br /><br />ちょっと前まで吹雪いていた(これから吹雪く)とは思えないほどいい天気。<br /><br />今のうちにどんどん建物を見て回ろう〜。<br />

    境内

    ちょっと前まで吹雪いていた(これから吹雪く)とは思えないほどいい天気。

    今のうちにどんどん建物を見て回ろう〜。

  • 手水舎<br /><br />龍神は九山八海の主、本寺仏法の守護神なり

    手水舎

    龍神は九山八海の主、本寺仏法の守護神なり

  • 境内<br /><br />一段高い場所にある金堂へ行こうと思ったら、いきなり雪が降ってきました。<br />

    境内

    一段高い場所にある金堂へ行こうと思ったら、いきなり雪が降ってきました。

  • 金堂 国宝<br /><br />桃山時代 慶長四年(1599年)<br /><br />正面七間 側面七間 一重 入母屋造<br />向拝一間 桧皮葺<br /><br />現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので、三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。また本尊弥勒菩薩もここに安置されています。 <br /><br />内部は外陣・中陣・後陣に別れ、中陣は中心となる内陣の両側に脇陣を設けています。<br />内陣以外の床は全て板敷とするのに対して、内陣は土間のままとしており、伝統的な天台系本堂の形式をよく伝えています。 <br /><br /><br />雪の中で撮影するのは初めてなので、どうにもうまく撮れません。<br />

    金堂 国宝

    桃山時代 慶長四年(1599年)

    正面七間 側面七間 一重 入母屋造
    向拝一間 桧皮葺

    現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので、三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。また本尊弥勒菩薩もここに安置されています。

    内部は外陣・中陣・後陣に別れ、中陣は中心となる内陣の両側に脇陣を設けています。
    内陣以外の床は全て板敷とするのに対して、内陣は土間のままとしており、伝統的な天台系本堂の形式をよく伝えています。


    雪の中で撮影するのは初めてなので、どうにもうまく撮れません。

  • 鐘楼 重要文化財<br /><br />桃山時代 慶長七年(1602年)<br /><br />正面一間 側面二間 一重 切妻造 桧皮葺<br /><br />近江八景のひとつ三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼で、金堂の南東に建てられています。<br />周囲には、下に腰板を廻らし、上は連子をはめています。<br />近年まで屋根は瓦葺であったが、修理時における調査の結果、建立当初は桧皮葺であったことが判明し、現在は桧皮葺に改められています。 <br />

    鐘楼 重要文化財

    桃山時代 慶長七年(1602年)

    正面一間 側面二間 一重 切妻造 桧皮葺

    近江八景のひとつ三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼で、金堂の南東に建てられています。
    周囲には、下に腰板を廻らし、上は連子をはめています。
    近年まで屋根は瓦葺であったが、修理時における調査の結果、建立当初は桧皮葺であったことが判明し、現在は桧皮葺に改められています。

  • 三井の晩鐘 県指定文化財<br /><br />桃山時代 慶長七年(1602年)<br /><br />銅鋳造 一口 総高208.0cm<br />身高155.2cm 口径124.8cm<br /><br /><br />乳の数が一区内五段五系列の計百個と上帯内部の八個を合わせ総計百八個となっています。 <br /><br />百八煩悩に因んだ数の乳を持つ梵鐘の在銘最古遺品に当たります。 <br /><br />弁慶鐘にならって新鋳しているため、弁慶鐘とほぼ同じ大きさに造られており、撞座と龍頭の位置を直角にするなどの奈良時代の形式を踏まえています。 <br /><br />撞座の位置が低く、駒の爪が外に張り出しています。 <br /><br />新しい様式が随所に見られますが、模古的な作風を持つ桃山時代の遺品として注目されます。

    三井の晩鐘 県指定文化財

    桃山時代 慶長七年(1602年)

    銅鋳造 一口 総高208.0cm
    身高155.2cm 口径124.8cm


    乳の数が一区内五段五系列の計百個と上帯内部の八個を合わせ総計百八個となっています。

    百八煩悩に因んだ数の乳を持つ梵鐘の在銘最古遺品に当たります。

    弁慶鐘にならって新鋳しているため、弁慶鐘とほぼ同じ大きさに造られており、撞座と龍頭の位置を直角にするなどの奈良時代の形式を踏まえています。

    撞座の位置が低く、駒の爪が外に張り出しています。

    新しい様式が随所に見られますが、模古的な作風を持つ桃山時代の遺品として注目されます。

  • 三井の晩鐘<br /><br />◎ 日本三名鐘<br /><br />「銘の神護寺」あるいは「勢の東大寺」、「姿(形)の平等院」、「音(声)の三井寺(園城寺)」<br /><br /><br />今回、三井寺の鐘を見たので、これで日本三名鐘を全て制覇しました。<br /><br />ちなみにこの鐘、実際に鳴らしてその音を聞くことができます⇒一回200円?<br /><br />私も鳴らしてみましたが、他の鐘の音をあまり聞いたことが無いので、比較対象が無く、よく分かりませんでした。<br />

    三井の晩鐘

    ◎ 日本三名鐘

    「銘の神護寺」あるいは「勢の東大寺」、「姿(形)の平等院」、「音(声)の三井寺(園城寺)」


    今回、三井寺の鐘を見たので、これで日本三名鐘を全て制覇しました。

    ちなみにこの鐘、実際に鳴らしてその音を聞くことができます⇒一回200円?

    私も鳴らしてみましたが、他の鐘の音をあまり聞いたことが無いので、比較対象が無く、よく分かりませんでした。

  • 金堂 国宝<br /><br />

    金堂 国宝

  • 金堂 国宝<br /><br />金堂前に建っていた石灯籠<br />

    金堂 国宝

    金堂前に建っていた石灯籠

  • 金堂 国宝

    金堂 国宝

  • 金堂 国宝

    金堂 国宝

  • 閼伽井屋(あかいや) 重要文化財<br /><br />桃山時代 慶長五年(1600年)<br /><br />正面三間 側面二間 一重 向唐破風造 桧皮葺<br /><br /><br />閼伽井屋は金堂西側奥に金堂と接して建っています。この内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。<br /><br />閼伽井とは、仏前に供養する水を汲む井のことで、閼伽井屋はその覆屋として建てられたものです。<br /><br />彩色や壁画が認められ、桧皮葺の屋根は丸いカーブを描いています。 <br />

    閼伽井屋(あかいや) 重要文化財

    桃山時代 慶長五年(1600年)

    正面三間 側面二間 一重 向唐破風造 桧皮葺


    閼伽井屋は金堂西側奥に金堂と接して建っています。この内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。

    閼伽井とは、仏前に供養する水を汲む井のことで、閼伽井屋はその覆屋として建てられたものです。

    彩色や壁画が認められ、桧皮葺の屋根は丸いカーブを描いています。

  • 光浄院<br /><br />光浄院は、山内で最も格式の高い子院で、その外郭には、城郭を思わせる豪快な石垣が見られます。<br /><br />一之間、二之間には狩野派による華麗な障壁画が残されています。<br /><br />桃山時代における、書院の代表的建築として極めて貴重です。<br /><br /><br />★ 光浄院客殿は一般公開致していません。<br /><br />特別拝観を希望する場合は、下記の手続きで申し込みをすること。<br /><br />(1)特別拝観志納金<br /><br />入山志納金とは別に、光浄院、勧学院とも各600円(一人)が必要になります。<br />※各客殿とも当寺の者がご案内いたします。<br />※授与品として絵はがき2葉が付きます<br /><br /><br />(2)特別拝観の申し込み方法 <br />下記の項目を明記の上、往復ハガキにてお申し込みください。<br />1.住所<br />2. 氏名(団体名・代表者)<br />3. 連絡先・電話番号<br />4. 人員数<br />5. 拝観希望日時(第2希望までご記入ください)<br />6. 拝観場所(「光浄院客殿」、「勧学院客殿」、<br />  または「両方」とをご記入ください。)<br />※拝観時間は9:30〜15:30<br />※3名様以上に限りますのでご注意ください。<br /><br />(3)申し込み宛先(お問い合せ先) <br />〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246<br />園城寺(三井寺)事務所(特別拝観係)<br /><br />TEL 077-522-2238<br />FAX 077-522-2221

    光浄院

    光浄院は、山内で最も格式の高い子院で、その外郭には、城郭を思わせる豪快な石垣が見られます。

    一之間、二之間には狩野派による華麗な障壁画が残されています。

    桃山時代における、書院の代表的建築として極めて貴重です。


    ★ 光浄院客殿は一般公開致していません。

    特別拝観を希望する場合は、下記の手続きで申し込みをすること。

    (1)特別拝観志納金

    入山志納金とは別に、光浄院、勧学院とも各600円(一人)が必要になります。
    ※各客殿とも当寺の者がご案内いたします。
    ※授与品として絵はがき2葉が付きます


    (2)特別拝観の申し込み方法
    下記の項目を明記の上、往復ハガキにてお申し込みください。
    1.住所
    2. 氏名(団体名・代表者)
    3. 連絡先・電話番号
    4. 人員数
    5. 拝観希望日時(第2希望までご記入ください)
    6. 拝観場所(「光浄院客殿」、「勧学院客殿」、
      または「両方」とをご記入ください。)
    ※拝観時間は9:30〜15:30
    ※3名様以上に限りますのでご注意ください。

    (3)申し込み宛先(お問い合せ先)
    〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246
    園城寺(三井寺)事務所(特別拝観係)

    TEL 077-522-2238
    FAX 077-522-2221

  • 光浄院前で<br /><br />物凄い勢いで雪が降っていて、まともに撮影できません。<br /><br />右手が光浄院、正面が金堂になっています。<br />右手前には、石垣が設けられているのが確認できます。<br />

    光浄院前で

    物凄い勢いで雪が降っていて、まともに撮影できません。

    右手が光浄院、正面が金堂になっています。
    右手前には、石垣が設けられているのが確認できます。

  • 霊鐘堂<br /><br />この中には、弁慶の引き摺り鐘が奉安されています。<br /><br />

    霊鐘堂

    この中には、弁慶の引き摺り鐘が奉安されています。

  • 霊鐘堂

    霊鐘堂

  • 弁慶鐘 重要文化財<br /><br />奈良時代<br /><br />銅鋳造 一口 総高199.0cm<br />身高156.0cm 口径123.2cm<br /><br /><br />金堂西方の霊鐘堂に安置される古鐘で、園城寺では数少ない智証大師入山以前の遺品です。<br /><br />龍頭と直角で、しかも比較的高い位置に撞座があります。<br />外に張り出さない駒の爪。<br />中世の遺品が一区内四段四列を標準とする乳の数を、五段七列としています。 <br />

    弁慶鐘 重要文化財

    奈良時代

    銅鋳造 一口 総高199.0cm
    身高156.0cm 口径123.2cm


    金堂西方の霊鐘堂に安置される古鐘で、園城寺では数少ない智証大師入山以前の遺品です。

    龍頭と直角で、しかも比較的高い位置に撞座があります。
    外に張り出さない駒の爪。
    中世の遺品が一区内四段四列を標準とする乳の数を、五段七列としています。

  • 弁慶鐘 重要文化財<br /><br />「寺門伝記補録」には文永年間(1264〜1275)にこの鐘が叡山に持ち去られていたとの記事があるので、これらの損傷は山寺両門の抗争の名残と思われます。幾度となく焼き討ちに逢った当寺の苦難の歴史を象徴する遺品と言えます。<br />

    弁慶鐘 重要文化財

    「寺門伝記補録」には文永年間(1264〜1275)にこの鐘が叡山に持ち去られていたとの記事があるので、これらの損傷は山寺両門の抗争の名残と思われます。幾度となく焼き討ちに逢った当寺の苦難の歴史を象徴する遺品と言えます。

  • 弁慶鐘 重要文化財<br /><br />◎ 弁慶の引き摺り鐘<br /><br />むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。 <br /><br />その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。  <br />

    弁慶鐘 重要文化財

    ◎ 弁慶の引き摺り鐘

    むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。

    その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。

  • 一切経蔵と三重塔 いずれも重要文化財<br /><br />今回の旅行記、トップ写真にしました。<br /><br />もの凄く寒かった当時の様子を、この写真一枚ですぐに思い出すことができます。<br /><br />なんとも寒々しい作品。<br />古い○十年前の写真のようにも見えるところが面白い。<br /><br />

    一切経蔵と三重塔 いずれも重要文化財

    今回の旅行記、トップ写真にしました。

    もの凄く寒かった当時の様子を、この写真一枚ですぐに思い出すことができます。

    なんとも寒々しい作品。
    古い○十年前の写真のようにも見えるところが面白い。

  • 一切経蔵 重要文化財<br /><br />室町時代<br /><br />正面三間 側面三間<br />一重 もこし付 宝形造 桧皮葺<br /><br /><br />一切経蔵は一切経を安置するための堂で、内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。 <br /><br />山内には珍しい禅宗様の堂ですが、もとは国清寺の経蔵で、慶長七年(1602年)に毛利輝元によって移築されたものです。輪蔵には、高麗版一切経が納められており、また天井から円空仏七体が発見されています。 <br /><br />※国清寺:山口市内にあった禅宗寺院。毛利氏との縁の深いお寺でした。 <br />

    一切経蔵 重要文化財

    室町時代

    正面三間 側面三間
    一重 もこし付 宝形造 桧皮葺


    一切経蔵は一切経を安置するための堂で、内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。

    山内には珍しい禅宗様の堂ですが、もとは国清寺の経蔵で、慶長七年(1602年)に毛利輝元によって移築されたものです。輪蔵には、高麗版一切経が納められており、また天井から円空仏七体が発見されています。

    ※国清寺:山口市内にあった禅宗寺院。毛利氏との縁の深いお寺でした。

  • 三重塔と灌頂堂 いずれも重要文化財<br /><br />

    三重塔と灌頂堂 いずれも重要文化財

  • 三重塔 重要文化財<br /><br />室町時代<br /><br />三間三重塔婆 本瓦葺<br /><br /><br />慶長二年(1597年)、豊臣秀吉によって伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したものです。<br /><br />一層目の須弥壇には、木造・釈迦三尊像が安置されています。軒深く、三重の釣合よく、相輪の水煙などに中世仏塔の風格をよく伝えています。

    三重塔 重要文化財

    室町時代

    三間三重塔婆 本瓦葺


    慶長二年(1597年)、豊臣秀吉によって伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したものです。

    一層目の須弥壇には、木造・釈迦三尊像が安置されています。軒深く、三重の釣合よく、相輪の水煙などに中世仏塔の風格をよく伝えています。

  • 唐院潅頂堂<br /><br />桃山時代<br /><br />五面五間 側面五間 一重 入母屋造 桧皮葺 <br /><br /><br />大師堂と四脚門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えています。<br />内部は前室と後室に分けられ、伝法潅頂を行うプランを備えています。<br />仁寿殿下賜の伝えそのままに、縁を廻らせ、蔀戸などをしつらえており、装飾の少ない堂です。 <br />

    唐院潅頂堂

    桃山時代

    五面五間 側面五間 一重 入母屋造 桧皮葺


    大師堂と四脚門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えています。
    内部は前室と後室に分けられ、伝法潅頂を行うプランを備えています。
    仁寿殿下賜の伝えそのままに、縁を廻らせ、蔀戸などをしつらえており、装飾の少ない堂です。

  • 長日護摩堂 滋賀県指定文化財<br /><br />桁行三間 梁間三間 一重 宝形造 本瓦葺<br /><br />後水尾天皇(1611〜1629年)の祈願により建てられたものといわれています。<br /><br />灌頂堂とは渡り廊下によって繋がっています。<br />

    長日護摩堂 滋賀県指定文化財

    桁行三間 梁間三間 一重 宝形造 本瓦葺

    後水尾天皇(1611〜1629年)の祈願により建てられたものといわれています。

    灌頂堂とは渡り廊下によって繋がっています。

  • 唐院への参道<br /><br />唐院というのは、先ほど見た三重塔・灌頂堂・長日護摩堂・大師堂(非公開?)などがあるエリア全体を言います。<br />

    唐院への参道

    唐院というのは、先ほど見た三重塔・灌頂堂・長日護摩堂・大師堂(非公開?)などがあるエリア全体を言います。

  • 村雲橋<br /><br />開祖、智証大師がこの橋をお渡りになっている時、中国の青竜寺が焼けていることをお聞きとりになった。<br /><br />閼伽井の水を以っておまきになると、橋の下から村雲が湧き起こり、中国に向かって飛び去ったが、翌年、青竜寺から鎮火のお礼の使者が来たという。<br />

    村雲橋

    開祖、智証大師がこの橋をお渡りになっている時、中国の青竜寺が焼けていることをお聞きとりになった。

    閼伽井の水を以っておまきになると、橋の下から村雲が湧き起こり、中国に向かって飛び去ったが、翌年、青竜寺から鎮火のお礼の使者が来たという。

  • 毘沙門堂 重要文化財<br /><br />江戸時代 元和二年(1616年)<br /><br />正面一間 側面二間 一重 宝形造 桧皮葺<br /><br /><br />毘沙門堂は、もともと園城寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和二年(1616年)に建立され、明治以降に三尾社の下に移築、戦後の修理に際して現在地に移りました。<br /><br />内部には文様などが彩色で描かれており、桃山建築の系譜を受け継いでいます。

    毘沙門堂 重要文化財

    江戸時代 元和二年(1616年)

    正面一間 側面二間 一重 宝形造 桧皮葺


    毘沙門堂は、もともと園城寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和二年(1616年)に建立され、明治以降に三尾社の下に移築、戦後の修理に際して現在地に移りました。

    内部には文様などが彩色で描かれており、桃山建築の系譜を受け継いでいます。

  • 毘沙門堂 重要文化財

    毘沙門堂 重要文化財

  • 毘沙門堂 重要文化財

    毘沙門堂 重要文化財

  • 西国十四番礼所 三井寺観音堂<br /><br />

    西国十四番礼所 三井寺観音堂

  • 観月舞台 県指定文化財<br /><br />江戸時代 嘉永三年(1849年)<br /><br />正面一間 側間一間 一重 入母屋造 桧皮葺<br /><br /><br />ひときわ目立つ舞台造の建物で、眼下には琵琶湖疏水と大津の町並みが広がり、琵琶湖の景観を望むことができます。<br />古来より観月の名所として知られてきた三井寺にふさわしい優美な建物です。 <br />

    観月舞台 県指定文化財

    江戸時代 嘉永三年(1849年)

    正面一間 側間一間 一重 入母屋造 桧皮葺


    ひときわ目立つ舞台造の建物で、眼下には琵琶湖疏水と大津の町並みが広がり、琵琶湖の景観を望むことができます。
    古来より観月の名所として知られてきた三井寺にふさわしい優美な建物です。

  • 観月舞台 県指定文化財

    観月舞台 県指定文化財

  • 観月舞台 県指定文化財<br /><br />京都の清水の舞台を小型にしたような建物です。<br />舞台は立ち入り禁止だったので、眺めは確認できませんでしたが、建物の足組み部分はしっかり見ることができました。<br />

    観月舞台 県指定文化財

    京都の清水の舞台を小型にしたような建物です。
    舞台は立ち入り禁止だったので、眺めは確認できませんでしたが、建物の足組み部分はしっかり見ることができました。

  • 観音堂前広場<br /><br />右手が観音堂、中央に手水舎、左は絵馬堂です。<br /><br />

    観音堂前広場

    右手が観音堂、中央に手水舎、左は絵馬堂です。

  • 観音堂 県指定文化財 <br /><br />江戸時代 元禄二年(1689年)<br /><br />礼堂:正面九間 側面五間 二重 入母屋造 本瓦葺<br />正堂:正面三間 側面二間 一重 入母屋造 桧皮葺<br /><br /><br />西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所として、篤く信仰されています。本尊は如意輪観音。<br />貞享三年(1686年)に火災にあい、元禄二年(1689年)に再建された大きな堂です。 <br /><br />礼堂・合の間・正堂からなり、内部には多くの絵馬が奉納されています。その中には観音堂再建の様子を描いた「石突きの図」や、その「落慶図」も残されています。 <br /><br />

    観音堂 県指定文化財 

    江戸時代 元禄二年(1689年)

    礼堂:正面九間 側面五間 二重 入母屋造 本瓦葺
    正堂:正面三間 側面二間 一重 入母屋造 桧皮葺


    西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所として、篤く信仰されています。本尊は如意輪観音。
    貞享三年(1686年)に火災にあい、元禄二年(1689年)に再建された大きな堂です。

    礼堂・合の間・正堂からなり、内部には多くの絵馬が奉納されています。その中には観音堂再建の様子を描いた「石突きの図」や、その「落慶図」も残されています。

  • 観音堂 県指定文化財 

    観音堂 県指定文化財 

  • 三尾神社<br /><br />御祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)<br /><br />三尾(みお)神社は、地元では「みおんさん」と親しまれる古社で、五月二日の例大祭、三日の神輿(みこし)渡御や七月二十二、二十三日の朝瓜(あさうり)祭には大勢の参拝者で賑わいます。 <br /><br />太古の頃、伊弉諾尊が長等山の地主神として降臨したのが縁起の始まりとされ、神はいつも赤、白、黒三本の腰帯を垂らしていたのが三つの尾を曳くように見えたところから「三尾」と名づけられました。  <br />

    三尾神社

    御祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

    三尾(みお)神社は、地元では「みおんさん」と親しまれる古社で、五月二日の例大祭、三日の神輿(みこし)渡御や七月二十二、二十三日の朝瓜(あさうり)祭には大勢の参拝者で賑わいます。

    太古の頃、伊弉諾尊が長等山の地主神として降臨したのが縁起の始まりとされ、神はいつも赤、白、黒三本の腰帯を垂らしていたのが三つの尾を曳くように見えたところから「三尾」と名づけられました。

  • 三尾神社

    三尾神社

  • 三尾神社<br /><br />ウサギの神社として有名だそうです。<br />

    三尾神社

    ウサギの神社として有名だそうです。

  • 三尾神社

    三尾神社

  • 三尾神社

    三尾神社

  • れすとらん 風月<br /><br />あまりにも寒い中を長時間歩きまわっていたので、身体が冷えてしまいました。<br /><br />ここのレストランで、少し休憩してから帰ることにします。<br />

    れすとらん 風月

    あまりにも寒い中を長時間歩きまわっていたので、身体が冷えてしまいました。

    ここのレストランで、少し休憩してから帰ることにします。

  • れすとらん 風月<br /><br />中はあったかい(*^_^*)<br /><br />ほっとします。<br /><br />

    れすとらん 風月

    中はあったかい(*^_^*)

    ほっとします。

  • 抹茶セット<br /><br />値段忘れ。<br />

    抹茶セット

    値段忘れ。

  • 抹茶<br /><br />ごく普通の抹茶。<br />

    抹茶

    ごく普通の抹茶。

  • 餅<br /><br />このあたりの名物だっていってたかな?<br /><br />けっこう甘い餅でした。<br /><br /><br />◎ おしまい<br /><br />いや〜もっと小さいお寺で、20〜30分くらいで見終わるイメージで来たのですが、予想外に境内は広く、全体を見て回ったらかなりの時間がかかってしまいました。<br /><br />意図したわけではないですが、日本三名鐘の最後を見ることができたのが、今回は一番の収穫です。<br /><br />吹雪の中の撮影は初めてのことだったので、いつもと全然調子が違って、うまく撮影できませんでした。<br />時々撮れた、寒々しい写真が、この日の様子をしっかり現していて良いのですが、何が何だか分からないような写真も多く、かなりたくさん捨てました。<br /><br />カメラの雪対策も全くしていなかったので、途中で壊れないか心配でしたが、何とか大丈夫だったようです。<br />次回からは雪が降りそうな時は、何か対策を立ててから出かけないと。<br />



    このあたりの名物だっていってたかな?

    けっこう甘い餅でした。


    ◎ おしまい

    いや〜もっと小さいお寺で、20〜30分くらいで見終わるイメージで来たのですが、予想外に境内は広く、全体を見て回ったらかなりの時間がかかってしまいました。

    意図したわけではないですが、日本三名鐘の最後を見ることができたのが、今回は一番の収穫です。

    吹雪の中の撮影は初めてのことだったので、いつもと全然調子が違って、うまく撮影できませんでした。
    時々撮れた、寒々しい写真が、この日の様子をしっかり現していて良いのですが、何が何だか分からないような写真も多く、かなりたくさん捨てました。

    カメラの雪対策も全くしていなかったので、途中で壊れないか心配でしたが、何とか大丈夫だったようです。
    次回からは雪が降りそうな時は、何か対策を立ててから出かけないと。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • kuritchiさん 2010/03/01 11:34:23
    雪の舞う中の三井寺いい感じですね…
    みにくまさん、こんにちは
    私も、この三井寺大好きです…
    雪の舞う中、とってもステキな三井寺を拝見し、
    わぁ……と声を上げていました

    去年だったかの早春に、義父とダンナと3人で三井寺に行ったときを思い出しました
    雪は降らなかったけれど、寒くて…手がかじかんで…
    同じレストランに入り、3人でうどんだったかを食べて温まりました
    味よりも、寒かったので暖かい店内で温かいものを頂いて、ほっとしたのを覚えています
    お抹茶の値段を忘れられたのも凄くわかります

    寒い中、お疲れ様でした…

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2010/03/01 13:04:34
    RE: 雪の舞う中の三井寺いい感じですね…

    kuritchiさん、こんにちは〜。

    三井寺の旅行記に投票&コメントいただき、ありがとうございます。

    私達は寒いのが苦手なので、このように寒い場所に出かけることがまず稀で、過去にも雪の中での写真撮影の経験がなく、今回のような写真はどうかな〜と思いましたが、とても寒かった雰囲気がお伝えできたようで、嬉しく思います。

    もっと工夫すれば、雪の舞い散る中でも、ビックリするような写真が撮れるのでしょうけど、あんな寒いところに自分達から出かけることはありえないと思うので、たぶん、一生上達はしないのでしょう^^;

    それにしても、極寒の中での長時間の観光後にいただいた一杯のお茶には、消えかかった生気が、じわじわと蘇ってくるような安心感がありました。
  • 一歩人さん 2010/02/27 13:35:25
    能 三井寺の舞台ですね
    みにくまさんへ
    歌舞伎ファンの前はお能ファンで、
    国立能楽堂へ入り浸りでした。
    三井寺といいますと、
    やっぱり、鐘ですよね。
    失礼しま〜す。

    http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/travel/112.htmから、
    。「初夜(=宵)の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり 後夜(ごや)(=深夜)の鐘を撞く時は是生(ぜしょう)滅法と響くなり 晨朝(じんじょう)(=明け方)の響きは生滅滅己(しょうめつめつに) 入相(いりあい)(=夕暮れ)は寂滅為楽と響きて」。

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2010/02/27 20:59:13
    RE: 能 三井寺の舞台ですね

    一歩人さん、こんばんは〜。

    あら、三井寺って、能で有名だったんですね〜。
    全然知らなかったです。

    三井寺の鐘
    以前、他のお寺を回っている時、日本三名鐘のうちの一つがあるということで、何度か名前を聞いていたのですが、思わぬところで出会えて、良かったです。

    この鐘、一回鳴らすのに200円だったかな?
    しっかり鳴らしてきましたよ〜。
    日本三名鐘と言われる鐘を鳴らせるなんて、なんて贅沢な。

    では〜(^O^)/

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