2010/01/29 - 2010/01/29
582位(同エリア835件中)
youさん
「神田川」歌の名前としては良く知っていましたが、これまで川沿いを歩いたことはありませんでした。ということで、山歩きの仲間と2回に分けて源流から河口まで歩いてみました。この川は、三鷹市の井の頭池を源流とし、両国橋付近で隅田川に合流する全長約25Kmほどの東京のど真ん中を流れている中小河川です。この旅行記では、後半の飯田橋から河口、さらに隅田川沿いに晴美埠頭までを掲載します。表紙の写真は、神田川が隅田川に合流する付近
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スタートは前回の終点とした飯田橋駅前から。ここに10時に集合して晴天のなかを歩きだします
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飯田橋駅前の陸橋から神田川。都会の川で水と触れあうことはできない・・
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水道橋駅までは、神田川を覆いかぶさるように首都高速が並行して走る
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案内板(次の写真)によれば、明治時代、この付近に船着き場があった
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水道橋駅手前で神田川からそれて小石川後楽園に寄り道します。ここは、水戸徳川家ゆかりの「湖、河、山、野」を表現した庭園で、神田川から取水された水が屋敷内に導かれていた
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しばらくは神田川と離れて外堀通りを歩きます
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水道橋の欄干にはめ込まれた説明版。ここには神田川に渡した上水の懸樋が描かれている。この橋の少し下流に神田上水の懸樋(かけひ)があったため水道橋と呼ばれるようになった
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中央線が並行して走ります
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神田上水の説明版。江戸時代初期に創られた日本最古の都市水道とのことです
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神田上水の懸樋(かけひ)があった場所にある石碑。1901年まで江戸・東京市民に飲み水を供給し続けていた
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緩やかなお茶の水坂を、右手に神田川と中央線を見ながら歩きます
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路地を少し入ったところにある東京都水道歴史館に寄り道します。ここでは東京・江戸の上水道の歴史を勉強できます。写真は上水を導水する木樋
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小学生らも勉強にきていました
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お茶の水橋でJR線路と神田川を一跨ぎする。後方にニコライ堂が見えます
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少し寄り道して神田明神に立ち寄ります
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社伝によれば、天平2年(730年)創建とありかなり古い。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建されたという
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通りを隔てた向かいにある湯島聖堂(ゆしませいどう)にも立ち寄ります。ここは、元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた本来は孔子廟です
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再び神田川沿いに出ます。昌平橋から神田駅方向
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昌平橋からお茶の水駅方向。左側が中央線、鉄橋は総武線、橋脚の間に聖橋が見えます
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万世橋から。赤煉瓦造りの中央線高架の上にかつての万世橋駅の名残が残っています
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神田ふれあい橋から下流方向。山手線が横切っています
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神田川べりにある柳森神社
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神田岩本町付近に残る古い建物。いずれビルに建て替えられるのでしょうか
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2018年12月 同じ場所を訪れました。
2010年にあった古い建物の跡地には、高層ビルが建っておりました。東京の古い面影は時の流れと共に残念ながら失いつつあるようです。 -
ビルの間に今も唯一残っている古い建物がありました(2018年12月) 。創業100年を越えるというボタン屋さんです。
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レトロな建物が残るようにとの思いで・・・お店を覗かせてもらいました。
気さくなお店のご主人です(御了解を得て掲載)。私がお店を構えている間は、この建物は維持しますヨと・・・安堵しました。
以上3枚の写真は2018年12月に追加しました。 -
和泉橋付近。神田川岸に防災用の船着場が見えます
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この付近から下流には屋形船が係留されています
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左衛門橋から下流方向。先に柳橋が見える。神田川の河口はもうすぐ
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柳橋の少し先で神田川は隅田川に合流します。柳橋脇の説明版。これによれば、柳橋は、元禄十一年(1698)にはじめて架けられ、当時は川口出口之橋と呼ばれていたが、橋のほとりに柳が植えられていたことからいつしか柳橋と呼ばれるようになった。現在の橋は、昭和4年に架けられたもので、ローゼ形式の橋である
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隅田川対岸から神田川河口を見ます。井の頭公園お茶の水を源流とする神田川は、約25Kmを流れ下ってここで隅田川に注いでいます。飯田橋駅前から途中寄り道して約3時間半ほどで到着。歩き足りないということで、更に隅田川沿いに歩きます
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両国橋付近から建築中の東京スカイツリーが見えます。2010年1月時点で約200m、2011年12月までに高さ634mになる予定とのこと。東京の新名所になります
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隅田川に架かる両国橋。1686年(貞享3年)年に国境が変更されるまでは、下総国と武蔵国の国境にあったことから両国橋と呼ばれるようになったという
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美しいフォルムの吊り橋、清洲橋
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清洲橋を逆方向に少し歩いて、清澄庭園に寄り道します。ここは、明治11年、三菱グループ創設者の岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成をしたという
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隅田川の水を引いた大泉水や、全国から取り寄せた名石が配置されております
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清洲橋より一つ上流側の新大橋
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川沿いの整備された遊歩道を下流に向けて更に歩きます
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川沿いにある芭蕉記念館分館の屋上にある芭蕉のブロンズ像。説明版によれば、松尾芭蕉は延宝8年(1680)にこの場所深川芭蕉庵に移り、元禄7年(1694)10月12日、51歳で没するまで、この地を根拠地として全国の旅に出ていたという
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深川芭蕉庵跡にある芭蕉稲荷に参拝してゆきます
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重要文化財になっている永代橋。1926年関東大震災の復興事業として竣工された
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大横川が隅田川と合流する地点に設けられている大島側水門。周辺地域を高潮の侵入から守るための防潮水門
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気持ちの良い川沿いを風を感じながら歩きます
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相生橋から大川端リバーシティー2方向
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中央大橋。創架は1993年8月とまだ新しい
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中央大橋の橋脚に置かれた「メッセンジャー」 という作品。隅田川はセーヌ川と友好河川の縁組みをしており、パリ市から贈られたもの。船の安全を祈るためか像は隅田川に向ており、橋上から正面が見られないのは残念
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左の施設は霊岸島水位観測所。東京湾の平均海面(水位)を測定する施設らしい。説明版によれば、日本の水準原点は、国会前庭北地区内(憲政記念館付近)にあり、そこの高さ(24.4140m)は、東京湾の平均海面から測ったもの・・とのことです
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晴海埠頭から中央大橋方向
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隅田川を、のぼり--、くだりの--観光船
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隅田川の河口、レインボーブリッジが見える埠頭に到着です。
神田川の源流から河口、そして隅田川と2回にわたり歩きましたが、神田川の様子だけでなく、江戸の町の発展や歴史や地理などいろいろと勉強になりました。
最後までご覧いただき有難うございました
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2014/04/11 05:16:09
- スカイツリー建設中
- youさん お早うございます。
昨日に引き続きお邪魔しております。馴染み深い所が沢山ありました。
神田明神が天平2年の創建とは知りませんでした。驚くべき歴史ですね。
岩本町辺りの銅板で囲った商店、保存してもらいたい思うのは無理があるでしょうか?
建設中のスカイツリーがありましたね。つい先日のことのように思えますね〜
pedaruもいくつか建設中のスカイツリーを旅行記に載せていますよ。
清澄庭園で印象的なのは、全国各地から運ばれた庭石ですね。・・・沢山の名所を見せて頂いて、ありがとうございました。
この日も3万歩前後歩かれましたか?
pedaru
- youさん からの返信 2014/04/11 23:05:19
- RE: スカイツリー建設中
- pedaruさん こんばんは。
毎度のことながら、早朝にご訪問・コメントいただき有難うございます。
神田川界隈を歩いて、古くて新しい江戸と東京を発見して、とても新鮮な気分になった記憶があります。
このときも、確か3万歩以上は歩きましたが、舗装された道路を長く歩くためか、翌日は膝がガクガクしました。ただ、継続は力というか、だんだんと鍛えられてきた様な・・・・気がして喜んでおります。
pedaruさんは、自転車でこの付近を巡られた様ですね。さすが名前のpedaruさんらしい旅スタイルですし、行動範囲も違いますね。それに建設中のスカイツリーの写真も、だんだんと貴重なものになってきましたね。
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