2010/01/23 - 2010/01/24
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ひま人さん
「坂の上の雲」は昨年NHKで放映された、司馬遼太郎の代表作の一つで時代は明治、舞台は奇蹟的な発展で文明国の仲間入りをする日本で、伊予松山生まれの秋山好古、秋山真之兄弟と正岡子規の3人の人物を中心に展開します。
松山に入る前に「しまなみ海道」を行き、大島で降り村上水軍博物館と舟で、瀬戸内の浪の早い潮流体験をする。そして松山へ、梅津寺見晴山にある秋山好古、秋山真之像を見る。秋山兄弟や子規が上京する際、乗船した三津浜へ、渡し船で対岸まで渡る。三津厳島神社、熱田津万葉歌碑に寄り道後温泉で宿泊した。夏目漱石が通った「坊ちゃん風呂」、道後温泉本館(国重文)は外せない。
2日目は日露戦争の捕虜が眠るロシア人墓地、正岡子規記念館、内子の田丸橋、子規堂、愚陀佛庵、秋山兄弟誕生地を見学し帰路に着いた。
写真は村上水軍博物館、村上水軍の歴史が展示されている。
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
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秋山好古像、秋山兄弟の兄、明治の陸軍騎兵隊創設者で陸軍大将。退役後、郷里松山で中学の校長に赴任、人材育成に当たる。
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三津浜港、松山の西部の海岸で、秋山兄弟、子規がここから上京した。当時小さな桟橋しかなく、小さな手漕ぎ船で沖の瀬戸内渡船に乗り移ったという。
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子規句碑「十一人一人になりて秋の暮れ」、明治28年(1895)10月19日に上京することになり、前日三津浜港の「久保田回漕店」に宿泊した子規のもとを、松山の俳句仲間10人が訪れ、送別の宴が開かれた。この句は、宴となったがやがて一同は去って子規一人が残されたと、そんな心境を詠んだもの。
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三津厳島神社本殿、創建は第32代崇峻天皇の時代に九州宗像三女神を迎えたのが始まりとされる。その後8世紀初めに安芸厳島神社の神を迎えて厳島神社となった。厄除け、交通安全、子育ての神様が祀られ、除災招福の神として松山を代表する神社の一つである。
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熱田津万葉歌碑(にぎたつ)、「万葉集」巻1−8に額田王が歌った「熱田津に船乗りせんと月待てば 潮もかないぬいまはこぎいでな」という格調高い歌があります。意味は<熱田津で、舟に乗り航海しようと月待ちをしていると、月も出、潮流加減も丁度舟出に都合良くなった。さあ、皆の者、今こそ漕ぎ出よう>というもので、この熱田津が、瀬戸内に面する越智水軍(村上水軍以前の水軍)のふるさと、愛媛県松山のいずれかの津であるとされている。
この歌は女帝・斉明天皇の新羅征伐への出発を歌ったもの。 -
松山ロシア人墓地。日露戦争当時、日本で始めて松山にロシア兵捕虜収容所が造られ、多い時には、4000人を超える捕虜を収容したが、彼らは比較的自由な生活が許され、市民との交流もさかんに行われた。当時の松山市民は、お遍路さんをもてなすように彼らを厚遇し、そのうわさはロシア兵の間に広まり、彼らは投降の際、「マツヤマ」と叫んだといわれている。そんな捕虜のうち、異国で生涯を終えたロシア捕虜たちを埋葬した墓地が、市内城北の閉静な丘にあり、現在でも、市民や地元中学生らによる清掃活動がおこなわれている。
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松山市立子規記念博物館、昭和56年4月2日オープン。
正岡子規の世界をとおして、松山の伝統文化や文学について認識と理解を深めるのを目的としている。
展示第1室では、「道後・松山の歴史、子規とその時代」展示第2室では、「子規のめざした世界」展示。 -
田丸橋、松山の西、内子町河内の一角に、ドラマ「坂の上の雲」のロケ地として度々使われた田丸橋が架かっており、真之と律が子規の病状について語り合うシーンや、子規が「写生」に取り組むシーンなどが撮影された。この地区には、昭和初期〜中期には10橋の屋根付き橋が架かっていたが、現在は田丸橋と弓削神社太鼓橋のみになっている。屋根があることで橋の腐食を防ぎ、あわせて木炭製造の盛んだった頃は、橋自体が出荷の際の倉庫として利用されていたそうです。内子町指定有形民俗文化財になっている。
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子規堂、正宗寺内にあり、正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた木造平屋建。子規が使っていた机や遺墨、遺品、写真など展示が充実している。
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子規堂前の広場にある現存する最古の軽便機関車「坊ちゃん列車」が展示されている。
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秋山兄弟生誕地、秋山好古、真之兄弟が生まれ育った住居を再現したもの。大正13年(1924)、陸軍大将から郷里松山の北予中学校長に転じた好古が、昭和5年(1930)に校長職を辞するまでこの質素な生家で単身生活を送った。旧家は戦災で焼失したが、平成17年(2005)当時の図面をもとに再建。
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秋山好古像、生誕地前庭に建つ。戦前道後公園にあった騎馬像の復元。
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秋山真之胸像、生誕地前庭に兄好古像とともに設置されている。現・海上自衛隊幹部学校蔵の胸像(1925年作)の複製。真之は日露戦争の日本海海戦において、東郷平八郎司令官のもと、作戦を展開し勝利に導いた。
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愚陀佛庵(ぐだぶつあん)、松山城山麓南側に、正岡子規と夏目漱石が松山で共同生活を送った愚陀佛庵が復元されている。もとは松山市二番町3丁目、大街道と呼ばれる商店街の西側3筋め沿いにあった。明治28年(1895)に松山中学英語教師として赴任してきた夏目漱石が下宿した住居。友人である子規が漱石に勝手に「愚陀佛庵」と命名した。
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萬翆荘(ばんすいそう)、旧松山藩主久松家、第15代当主久松定謨が、松山で住む邸宅として欧米外遊帰朝直後の建築家木子七郎氏に設計建築させた建物。大正11年に完成、現在、愛媛美術館分館として様々なイベントが行われている。
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