2004/11 - 2004/11
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mas98765さん
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これは昔の旅行記です。
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まずは北京で使った交通機関。これは地下鉄。
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これがバス。当時はSARS問題があった後で、バスにはどれも「消毒済み」の表示が出ていました。
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次は食べ物。これは、「麦当労(マクドナルド:類似文字で代用)」と「肯徳基(ケンタッキー)」を合わせた「麦肯基」という店。
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北京は羊のしゃぶしゃぶが名物の一つです。でも、個人的には日本のしゃぶしゃぶの方が好きです。
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水餃子の有名な店にて。個人的には日本の焼き餃子の方が好きです。
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吉野家には何回も行きました。この時、日本ではアメリカ牛の問題で、吉野家の牛丼が食べられませんでした。
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中国のシンボル、天安門です。明の時代の城の正門だそうです。「U」の字を逆さにした形の5つの門が特徴的です。
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このトーテムポールみたいなものは華表といって、宮殿や陵墓の前などに置かれた門がまえのようなものです。左上のUFOのようなものはレンズの汚れです。
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夜はこのように照らし出され、輪郭が電球で飾られてきれいです。門の前には大きな獅子像が2対あります。日本でいう狛犬のようなものです。
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手前の橋のところには、守衛さんが直立不動で立っています。
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中央の門の上には毛沢東の大きな肖像画があります。
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天安門広場の端のここには国旗掲揚台があって、五星紅旗が高くあがっており、
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下の辺りには衛兵が直立不動で立っています。
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広場には、凧揚げなどをして遊ぶ人々の姿がありました。
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公安の車(パトカー)もあります。
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毛主席記念堂。天安門広場にある毛沢東の墓です。姿を一目見ようと多くの人が並んでいたので、自分も列に加わりました。庭には花屋さんもあって、玄関の毛主席像に熱心に献花する人もいました。列は二手に分かれ、毛沢東の遺体の両側を進みました。係官が止まらないように叫ぶ中、あっと言う間に通り過ぎてしまいました。やや遠目ながら、毛沢東は安らかな顔をしていました(蝋人形ではないかという人もいます)。中はもちろん撮影禁止ですが、入口で買ったパンフレットには毛沢東の遺体の写真がのっていました。
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記念堂は夜にはライトアップされます。
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毛主席記念堂に入るには、まずここで荷物を預けなければなりません。
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当時は、北京オリンピックのカウントダウンが行われていました。
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人民英雄記念碑。青島産の石を使った高さ38mの記念碑。新中国成立のために殉死した人々を追悼するものだそうです。
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人民大会堂。中国の国会議事堂です。正面の上にある丸くて赤いものは中国の国章です。全国人民代表大会など、重要な会議が開かれます。
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正面玄関。通路には赤い絨毯が敷かれていました。
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中は自由に歩きまわれますが、靴にビニールのカバーをしなければなりません。中は綺麗で、近代的なトイレもありましたが、誰かの大便が流してありませんでした。
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万人礼堂(大会議室)。ここで全国人民代表大会が開かれます。テレビでよく見かける有名な部屋です。
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天井には、このように綺麗な星がデザインされています。
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豪華な天井に対し、椅子は比較的シンプルです。
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大きな中国画。外国の首脳が来た時は、大抵ここで中国の首脳と写真を撮るらしいです。
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中国各地の名前がついた会議室がいくつもあります。これは北京庁で、天安門の絵があります。
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パーティールーム
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夜はライトアップされます。
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故宮に行きます。天安門の真ん中の入口を入ると、裏手にこの門があります。午門といって、故宮の正面入口です。中央の門は皇帝の出入りだけに使われていました。
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午門をくぐると、この門があります。太和門といいます。両脇に青銅獅子像があります。
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太和門をくぐると、太和殿があります。故宮の代表的な建物の一つで、即位詔書の宣布、元旦、冬至、皇帝の誕生日、皇帝の大婚、宣戦出兵などの際は、ここで儀式を行ったそうです。
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太和殿前に日時計があります。
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亀鼎もあります。亀は皇帝の長寿を表しています。
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銅製の湯沸し釜もあります。表面に金が塗られていましたが、義和団事件の際に侵入した連合軍の兵士が削り取ってしまったそうです。
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穀物の量り。中国語と英語による説明板があります。
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太和殿の宝座。皇帝の座る所で、世界の中心でした。
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太和殿の裏はこんな感じで、その後ろに
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乾清宮があります。故宮の重要な建物の一つです。皇帝の寝室で、執務室でもありました。
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各建物にはこのような扁額があって、普通の文字と満州文字で建物の名前が書かれています。
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乾清宮の宝座。皇帝は暗殺防止のため毎日違う寝台に寝たらしいです。
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故宮の土産物売り場。
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自分の名前のやつを売っているらしいです。もちろん日本人の名前ではありません。
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故宮の北側に景山公園があります。明の永楽帝が北京に都を移した時、風水によると皇居の北側に山があるのがよいという事で、人工的に山を作ったのが今の景山公園のもとです。この写真は、故宮の北側出口手前から見たものです。
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景山公園では、このように太極拳をする人々の姿が見られました。
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首吊りの木。明の最後の皇帝である崇禎帝(すうていてい)が反乱軍に追われてここで首を吊り、明は滅びました。後ろの木がそれらしく見えますが、実は当時の木は文化革命時代に切り倒され、今あるのはその後に植えられたものだそうです。岩の上の男の子が危険です。
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景山公園の山を登ると万春亭という建物があり、そこから故宮が一望出来ます。でも、行った時は大気汚染のせいなのか、一面にかすんでしまっていました。それでも、このような人が絵を描いていました。
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今度は天壇公園に行きます。天安門の前を南に歩いていった所にあります。明や清の時代に皇帝が天に五穀豊穣を祈る場所でした。中にいくつか建物がありますが、これはその中で最も有名な祈年殿という建物です。皇帝が毎年正月にここに来て豊作を祈ったのだそうです。丸い形のユニークな建物です。
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屋根
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行ったときは夕暮れ時でした。
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祈年殿の内部
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祈年殿の前にあった賽銭箱。前面が透明になっていて、いくら入っているのかはっきり分かります。
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天壇公園の皇穹宇。円錐形の青い屋根が特徴的な建物で、ここに皇帝の先祖の位牌が置かれました。
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皇穹宇は壁で丸く囲まれています。回音壁といって、壁に向かって小声で囁くと180度反対の所でその声が聞こえるそうで、このように試している人たちがいました。左上に見えるのはただの指です。
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同じく天壇公園の円丘。石造りの3層の壇で、皇帝が神に祈る場所でした。
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天壇の中心である円丘の更なる中心(丸い部分)に立つ人が多いようです。どこかのツアーでしょうか。
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円丘の周りは四角です。
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北京自然博物館にも行きました。当時、「人体真奇妙」というコーナーには、小規模ながら、死刑にされた人の体のホルマリン漬け標本があって面白かったのですが、あいにく撮影禁止で、見張りのおばさんもいました。
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恐竜骨格標本があって、
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子供たちがパネルを操作して勉強しています。
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魚もいて、
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象や
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パンダの剥製もあります。
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軍事博物館にも行きました。地下鉄の駅前なので便利です。
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ミサイルでしょうか。
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これは何というのかな。
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戦車も多数あります。
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これではないのですが、戦車に乗って記念撮影できるようになっていました(記念写真は公開しません)。ハンドルを持って左右に振って遊んだら、手が真っ黒になって参りました。
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毛沢東が愛用した車。表面が磨かれて光っています。
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飛行機もあります。
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当時はこの軍事博物館を含め、あちこちに「南京大虐殺30万人以上」と書かれていました。
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王府井に行きました。
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王府井のいわれが書かれたマンホール。
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王府井のネオン街。当時の北京はまだネオン街が少なかったです。
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王府井の屋台。観光客で賑わっていました。
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コオロギや
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サソリも食べ物として売っています。
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郊外の盧溝橋に行ってみました。日中戦争は、1937年7月7日にここでの一発の銃声から始まりました。
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石畳はかなり磨り減っています。
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このような石の獅子像がずらりと並んでいます。マルコポーロが美しい橋として西洋に紹介したため、英語ではマルコポーロブリッジといいます。
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盧溝橋からみた風景
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恐縮ながら面白半分で、盧溝橋の近くにある抗日戦争記念館に行ってみました。入口にいた案内係は日本語を話しました。中に人はほとんどおらず、いたかと思ったら日本人でした。
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「偽満州国」の貨幣だと説明されています。
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中国人を解剖する日本軍のジオラマもありました。
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万里の長城に行ってきました。今となってはよく覚えていないのですが、地下鉄でどこかの駅に行き、路線バスで郊外の八達峰に行きました。盧溝橋にもバスで行きましたが、このバスの方がずっと綺麗でした。
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八達嶺長城に到着。
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万里の長城は、紀元前数世紀の中国各地にあった国々が他の国や北の騎馬民族から領土を守るために築いた壁を、中国を統一した秦の始皇帝がつなぎ合わせたものです。そのうち、北京から比較的簡単に足を運べるのが八達嶺です。「長城に来なければ立派な男ではない」という毛沢東の言葉があります。
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入口を入って右側は女坂(日本だけの呼び方かも)と呼ばれ、比較的ゆるやかです。
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土産物屋もあちこちにあります。何故かここにはラクダがいて、またがって記念撮影をすることが出来ます(記念写真は公開しません)。
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こんな感じでどこまでも続きます。
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壁はこんな感じで、
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ところどころに穴があります。
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しばらく行って引き返します。
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上の方にも長城が続いているのが見えます。
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入口を入って左側は男坂と呼ばれ、結構険しいです。
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はるか遠くに続いている頂上が見渡せます。
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戻ります。険しい階段を人々が上ってきます。
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土産物屋が並んでいます。
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帰りは、来たときと同じ番号を掲げていた「小公共」と呼ばれるマイクロバスにうっかり乗ってしまいました。かなり荒い運転で、山道のカーブでもクラクションを鳴らし続けながら前の車を追い越します。何回も対向車とぶつかりそうになりました。その後高速道路を使わずひどい渋滞の一般道路を走って、バス停ごとに何かわめいて客引きをしました。そのうちエンジンが壊れて、ある場所で強制的に降ろされ違うバスに乗らされました。しかもそのバスは地下鉄の駅には戻らず直前で曲がってしまい、道を尋ねながら歩いて駅に戻るはめになってしまいました。これもいい思い出です。
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