2009/07/15 - 2009/07/15
88位(同エリア106件中)
まみさん
2009/07/15水 リヴィブ近郊城めぐり(現地英語ガイド&車付)
・オレスク城(Olesk)
・ピドゴレツク城(Pidgoretsk)(まだ修復中)と付属教会
・ゾロチフ城(Zolochiv)
リヴィブに戻ってガイドと別れた後
・アルメニア教会
【二等寝台泊:リヴィブからコロミーヤまで】
Golden Horse Shoe(黄金の蹄鉄)と呼ばれるリヴィブ近郊城めぐり。
かつては壮麗な宮殿だったピドゴレスク城を去ったあと、車はほどなくして3番目、本日最後の城にたどりつきました。
堀と分厚い城壁に囲まれ、木の吊り橋の奥にある城は、ゲート付近と周辺は中世の雰囲気をよく残しており、城壁に囲まれた中は近代ヨーロッパ貴族の離宮という風情でした。
とんがり笠のような屋根の円筒ドームを真ん中に抱くオレンジの宮殿は、シノワズリ(ヨーロッパ近代の中国趣味)の影響をもろに受けた、その時代のヨーロッパの人々のあこがれの的のような、和洋折衷ならぬ中洋折衷!
ゾロチフ城で主に見学できたのは、この中国館です。
そのほか、この城でたっぷり楽しめたのは庭園撮影。
ゾロチフ城の庭園は、真夏なのにバラがたくさん咲いていて、ふだん花撮影に明け暮れている私の撮影意欲が刺激されました。
同時に、これもまたシノワズリの影響が随所に見られて、日本人の私から見たら、美しいけど一部はちょっとヘンな庭園でした@
本館は、一見するとさっぱりしているけど、よく見ると細かい装飾が美しいルネサンス様式の宮殿ですが、いかにもヨーロッピアンな宮殿です。
ただし、こちらはまだ修復中で、公開されていませんでした(2009年7月現在)。
このゾロチフ城もまた、オスマントルコに勝利した英雄で、後にポーランド王に選ばれたヤン・ソビエツキ3世にゆかりのあるところでした。
この城にはヤン・ソビエツキ3世の王妃マリア・カジミエラの幽霊が出現するという噂あるいは伝説があるとかないとか。
最近になって黒装束の騎士の幽霊が何かを探しているのが見られるようになったとか。
その騎士はヤン・ソビエツキで、愛しの王妃を探しているのでは、とまことしやかに噂されているのだとか。
ちなみに、2人は、「マリアはヤンを支配し、ヤンはポーランドを支配した」などと巷ではやされたりしたそうです。
中国館は、1階はオリエント博物館になっていました。
そして2階はなんと、復元が完了したばかりで、公開されるまであと数日という、悔しいニアミスでした(泣)。
復元された10ほどの部屋は、一番華やかな時代の豪華な内装が整えられたものだそうです。
ああ、ミーハーな私は、そういうのはぜひ見たかったのに。
1階のオリエント博物館では、主に、日本を含むアジア諸国から中東・アフリカを含めたオリエント諸国の在ウクライナ大使からウクライナ政府に寄贈された品々が展示されていました。
日本の根付や浮世絵、それから明治か大正くらいの中流階級以上にならありそうな、古めかしい調度品・日常使いの工芸品などがありました。
クリミア半島で4日間お世話になった現地ガイドのニーナは、日本文化にとても興味があり、一部は私よりもよっぽど詳しいくらいでしたが(苦笑)、この日の現地ガイドのダイアナは、ニーナほどは詳しくないにしても、日本文化にはとても興味があるようでした。
ここにある日本のものなら私の方が詳しいでしょう、と説明を控え、逆に浮世絵に何が描かれているのか私から聞きたがったのですが、残念ながら私はうまく説明できませんでした。
とっさに英語が出なかった以前に、日本語でも上手く他人に説明できるほどの知識のないジャンルです。
それでもトライしようとしましたが、さほどく詳しくない外国人に分かりやすく説明するのはとても難しく、すぐに言葉につまってしまいました。
工芸品に至っては、私が適当な英単語が何かと悩むよりも、ウクライナ語のラベルをダイアナが自分で見た方がてっとり早かったです。
非常にもどかしくて、恥ずかしかったです。自国の文化についてひとことも説明できなかった自分が。
ダイアナが、聞いて申し訳なかったというそぶりをみせたので、余計、いたたまれませんでした。
でも私は昔っから、自国より西欧の文化に関心が高かった西欧かぶれなんです。
最後の展示室となっていたホールは企画展用のスペースだったらしく、ダイアナは、「前に来たときと展示が変わっている!」と言って、館員さんから説明を聞き、それを私に説明してくれました(館員さんは英語は話せませんから)。
展示されていたのは、ウクライナの対ソ連パルチザンの記録ファルムから起こした写真でした。
城内に埋められていたのが最近発見されたそうです。
その分隊は、行き残ったのはたったの3人なのですが、その人たちがフィルムに写った仲間たちを見分けることができたので、展示の写真に人名やどんな場面などのキャプションをつけることができたそうです。
ウクライナにおけるソ連の爪跡は、私には未知の分野で、あまりピンと来なかったのが残念です。
もっとも、隠蔽体質だったソ連の情報が公開されるようになったのもグラスノスチから少しずつなので、やむえないといい訳ができるところもあるかしら。
だって世界史の基本事項って、あとで大人になって何度記憶を修正してみても、油断すると学生時代に受験のために必死で暗記したものに戻ってしまうんですもの。
そのときにバッチリ、偏見と先入観が形成されてしまうわけです。学校教育って、やっぱり重要だわぁ。
なので、そのときに空白だった東欧の歴史は、私の中でなかなか色がつきません。
半分言い訳です@
中国館の内部は撮影禁止でした。
バラが咲く緑の芝生の庭園の撮影は可能でしたが、有料でした。
はじめは、庭の写真は別に撮らなくてもいいやと思ったのですが、たくさんバラが咲いているのを見て、すぐに後悔しました。
でも、館内をひととおり見学し終わったあと、ダイアナがもう一度、庭の写真を撮らなくてもいいのか、と私に尋ねてくれました。
ダイアナが係員さんに話を通してくれた後、私は内部撮影ができなかった鬱憤を晴らすかのように、バシバシ写真を撮りまくりました。
あとでダイアナに「Fanatic!」と笑われたくらい@
<城の略歴>
1634〜1636年に砦として建設。城壁は当時のドイツ・スタイルで、四隅に八角形の見張り塔がある。
17〜18世紀は、ポーランドのソビエツキ家やラズヴィル家の宮殿だった。
この地方には珍しい中国式の宮殿は、ヤン・ソビエツキ3世から王妃マリア・カジミエラへの贈り物として建てられた。
1834年にオーストリア王室に売却された。
オーストリア・ハンガリー帝国時代の19世紀には救護施設や兵舎として利用されたが、1872年からソ連時代にかけて牢獄として利用された。
1985年からリヴィブ美術館が復旧作業にとりかかっている。
(英語版ウィキペディア・フリー百科事典より抜粋)
http://en.wikipedia.org/wiki/Zolochiv_Castle
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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ゾロチフ城の城壁の見張り塔
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復元された、中世の雰囲気を偲ばせる木の吊り橋
ゲートを閉じるときは橋桁が上がるタイプの橋です。 -
渡ってきたゲートを振り返って見たところ
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城の俯瞰図
函館の五稜郭を連想させる星型です。
長方形の建物が本館で、円筒ドームのある建物が中国館です。 -
唯一中の見学が可能だった、中国館(チャイニーズ・パレス)
でも2階のかつての部屋は、公開まであとちょっとというところでした……(泣)。 -
ルネサンス様式の本館とバラ花壇
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川の擬人像と神社の朱塗りの門という面白い組み合わせ
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庭の中央のキューピット像と中国館
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噴水のある円形の堀の中のトリトン像と真っ赤な情熱のバラ
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可愛らしいピンクの花と中国館
※ちなみに、この宮殿前では他にもこんな写真を撮っています。
ただし、ひととおり宮殿内を見学し終えた後で撮ったものです。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649904/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649905/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649906/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/ -
西洋アジサイが咲く、なんちゃって日本庭園!?
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日本庭園と西欧風の柱というミスマッチが面白い
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中国館のゲートの植えには、ポーランド王になった後のヤン・ソビエツキの紋章
盾の上に王冠が加わっています。
ポーランド王になる前のヤン・ソビエツキの紋章の写真はこちら。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/18469141/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第11日目(1)リヴィブ近郊城めぐり:こぢんまりしてるけどなかなか味があったオレスク城」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419199/ -
中国館を目の前に向かって左は、へんな柱のある中国風庭園かな
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中国風の庭園にチューリップのような柱
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2つの川の擬人像が見つめあう
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男の川の擬人像と中国館
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中国と日本のミスマッチ!?
それとも、中国にもこういう石灯篭ってありましたかしら? -
噴水のある円形の堀と、その回りのバラ花壇
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バラとほこら、キリストの磔あり
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バラ花壇と中国館
※ちなみに、この庭園では他にもこんな写真を撮っています。
庭園より花中心の写真なので、ウクライナ旅行記ハイライトの植物を集めた旅行記で紹介しています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649895/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649896/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649902/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649903/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649912/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649913/
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「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/ -
ハンガリーのどこかから見つけてきたという謎に満ちた石
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まるでパズルのようで、なんて書かれてあるかまだ解読されていない謎の石
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下から見た木の吊り橋
今は堀に水がないので、堀の中を歩けてしまいます。 -
城のすぐ外にある美しいモザイクの礼拝堂
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礼拝堂の全体
信者席は野外で、こちらから見ると野外劇場のような風情です。
礼拝堂を裏から見ると、ただの盛り土に芝生が生えたもの、あるいは古墳のようにしか見えません。
※ちなみに、ここでは他にもこんな写真を撮っています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649914/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649915/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/ -
堀にかかる吊り橋を再び
※そして帰りの車窓からは写真を撮りました。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649916/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649917/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(後編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361800/ -
本日の3つの城めぐりのルートマップ
リヴィブ周辺の古城が集まったエリア「黄金の蹄鉄」の英語版パンフレットの地図にルーとを書き込んだものです。
リヴィブを出発して、まずはオレスコ城(Oles’ko)、それからピドゴレツク城(Pidhirtsi)、そしてゾロチフ城(Zolochiv)と時計回りにぐるっと回ってリヴィブに戻ってきました。
<ヤン・ソビエツキ3世の王妃マリア・カジミエラについて>
「マリー・カシミール・ルイーズ・ド・ラ・グランジェ・ダルキアン(Marie Casimire Luise de la Grange d'Arquien, 1641年6月28日─1716年1月1日)は、ポーランド王ヤン3世ソビエスキの王妃。ポーランド語名ではマリア・カジミエラ(Maria Kazimiera)と呼ばれ、マリシェンカ(Marysienka)の愛称で知られた。
[生涯]
フランスの貴族アンリ・ド・ラ・グランジェ・ダルキアンの二女として、ヌヴェールで生まれた。5歳の時、ポーランド王ヴワディスワフ4世へ輿入れするルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガに侍女として同行し、ポーランドへやってきた。1656年(15才)に宮廷へやってきたヤン・ソビエスキ(当時27才)と出会うが、2年後マリーはヤン・ソビエパン・ザモイスキ(ポーランドのザモシチに一族の宮殿がある。)と結婚した。ザモイスキと1665年に死別すると、同年7月にヤン・ソビエスキと再婚した。1672年にヤン・ソビエスキはポーランド王に選出されるが、マリーの影響なしには叶わなかったといわれる。ポーランド王妃として、マリーはフランスの親族が特権を得られるようルイ14世に要求し、またフランスとの同盟関係締結に奔走した。ヤンとマリーは、1665年から1683年の間に交わした多くの恋文が知られている。ヤンの戦争による不在、マリーの私的パリ訪問などの間に書かれたもので、2人の死後に出版された。」
(ウィキペディア・フリー百科事典より引用・一部補足)
「2009年ウクライナ旅行第11日目(4)リヴィブ:リヴィブに戻った後、ちょっとだけ街散策とアルメニア教会」につづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10419209/
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