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スペイン旅行を追想する時必ず思い出すのは集団スリに狙われた時のことである。時を経た今では懐かしい想い出に昇華している。スリにあった日の日記を原文のままアップしておくことにした。<br /><br />平成11年3月20日(日) <br /> 「アグア・シン・ガス」というのがスペイン語で「ガスの入っていない水」という言葉である。スペイン人達は料理にオリーブ油を使うので味がしつこいからガスの入った水を好んで飲むのだそうである。これが胃腸の消化機能を助長するのだという。そこで日本人がミネラルウオーターを買う場合には水無しと指定しないとガス入りがくることになるのである。<br /><br /> コンスエグラで風車を見学したあとトレドへ向かった。<br /><br /> 折しも金曜日はサンホセの祝祭日であり、今日は三連休の中日にあたる日曜日なのでトレド市内も大変な混雑であった。春休みとあって欧米の学生達も加わって大勢の観光客が殺到しているのである。<br /><br /> トレド旧市内は城郭都市になっていてタホ川が巡る丘陵地に広がる中世の街である。この街は711年から約400年にわたってイスラム教徒によって支配され、1085年カスティリヤ王国のアルフォンソ6世の奪回後も1492年カトリック両王によって追放されるまでユダヤ人やイスラム教徒が居残って経済活動を続けた街である。かっては西ゴート王国の首都として或いは、レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒による国土回復運動の中心都市として繁栄してきた。いわばスペインの歴史が凝縮したような街である。道がせまいので大型車両は乗り入れができない。<br /><br /> そこで新市内のリカルド通りにある土産物屋でバスを降り、この店で手洗いを済ませ土産物を物色してから歩いて大聖堂へ向かった。城郭を巡る土手には桜によく似たアーモンドの花が折りしも美しく咲き誇っていた。1553年に作られたというビサグラ新門をくぐり抜けると、トレド旧市内である。ビサグラ門の上には鷲の紋章が描かれておりカルロス5世のものである。石畳でできた悪魔の通りとか、地獄の通りと名付けられた狭い坂道を観光客の人混みにもまれながら大聖堂へ到着した。<br /><br /> カテドラルと呼ばれる大聖堂はトレドの中心に位置して往年の栄光を象徴するかのように聳え建っている。道幅が狭いので美しい全景をカメラに収めることはできない。1227年に着工し、1493年に完成した。実に266年の歳月を費やしたのである。スペイン・カトリックの総本山ともいうべき大寺院である。主礼拝堂の祭壇飾壁は1497年から1504年の間に作られた木彫りの彫刻で、キリストの生涯を20場面に分けて表現しており、ゴチック様式の記念碑的な文化遺産である。<br /><br /> 大聖堂内の宝物室にはイサベラ女王の豪華な王冠、金箔で文字を書いた聖書やエンリケ・デ・アルフェ作の尖塔を持つ聖体顕事台が金銀宝石で豪華に飾られて収められている。その一部にはコロンブスが持ち帰った金が使われていると伝えられている。高さは3メートルもあり16世紀に作られたものである。イスパニアの冒険家達が次々と地理上の発見をしマヤ・アステカ帝国やインカ帝国を征服し莫大な財宝を獲得して持ちかえり、イスパニア王国が輝いていた時代の記念品といえよう。この聖堂内に飾られている絵は大半が宗教画であるが、その中でもエル・グレコやティティアーノの絵は人間味を帯びており、イタリアルネッサンスに一脈通じる萌芽のようなものが感じられる。  <br /><br /> 大聖堂からほど遠くない所に位置するサント・トメ教会の鐘楼はモサラベの塔と言われておりムデハル様式による建築物である。ムデハル様式とはレコンキスタによりキリスト教徒によって都市が奪回された後にも居残ったイスラムの職人によって伝えられた建築様式のことでキリスト教的要素とイスラム的要素が入り交じったどことなく東洋を感じさせる様式である。この教会にはエル・グレコの最高傑作と言われる「オルガス伯の埋葬」の絵が残されている。日本では殆ど見ることのできないエル・グレコの作品が彼の生家には沢山展示されている。<br /><br /> トレドの街の人込みから逃れて再びマドリード市内へ戻って国立ソフィア王妃芸術センターを見学した。ここにはピカソ、ダリ、ミロ、ファン・グリス、タピエス等現代美術の巨匠達の作品が展示されていて、最も有名なのはピカソのゲルニカである。この作品の前には黒山の人だかりができている。難解な絵であるが戦争への怒りと生命の尊重がテーマであると解説されて何となく判ったような気になって美術館を後にした。<br /><br /> この後ホテルまでは歩いても行ける距離なので集団で歩けば安全だろうとホテルへ向かうバスへの乗車を断って男3人、女5人計8人の組が市中見学の行進をホテルへ向かって開始した。公園沿いの並木道を周囲の景色を見ながら歩いているうちに隊列はいつしか長い一本の線になり前後の間隔が大きく開いていた。お互いの距離が大きく開いた瞬間の隙をジプシーの窃盗団に狙われた。<br /><br />「泥棒!」という大声に後ろを振り向くと同行の女性の一人D夫人が地面に転がって必死にショルダーバッグを抱え込んでいた。その回りにはジーパンをはいた若いアラブ系の顔をした男が3人取り囲んで彼女のバッグを無理やり引っ張っていた。咄嗟に助勢のため、その場へ急行しようと駆けだしたが、いかんせん距離が20メートルほども離れていて間に合わなかった。距離を詰める間もなくバッグの紐が切れて3人組はバッグを抱えて逃げだしてしまった。必死に「泥棒」と連呼しながら追っ掛けたがものの30メートルも追っ掛けるのが精一杯で3人組は四つ角を左に曲がって姿をくらましててしまった。四つ角に辿りついた時には既に姿は見えなくなっていた。泥棒と大声を出して追いかければ通行人が加勢してくれるかと期待していたが虚しい連呼であった。通行人は逃げた方向を指さすだけで捕まえてくれようとはしなかった。四つ角を左へ曲がった時、指さし示してくれた人があったが、死角になっており我々が追いかけていることが見える筈もなく、これは仲間の一人が犯人逃走方向と違う方向を差し示して、追跡を攪乱しようとしたものと思われる。<br /><br /> 私はD夫人の被害現場を目撃して直ちに駆けだしたので気がつかなかったが、私が追っ掛けている間に後ろでは同行のA男さんとC子さんがグループの別の男達にカメラとショルダーバッグを奪われていたのである。結局8人のうち4人までが5人連れの窃盗団に被害を受けたことになる。<br /><br /> 後から状況を総合すると次のような手順で被害を受けていた。<br /> 私が一人先頭を歩きその次をA男さん夫婦が並んで歩き、その後ろを二人並んでB子さんC子さんが歩き、最後尾をD夫妻とE子さんが並んで歩いていた。先ずどこからともなく現れた3人組の男のうち2人が背後左右から最後尾のE子さんに忍び寄り、背負っていたリュックサックの紐に手を掛けて簡単に奪い取った。同時に他の1人はD夫人のショルダーバッグに背後から手を掛けて奪おうとしたがD夫人がバッグ本体をおへその上に置いて両手で抱えていたので簡単に奪えなかった。そこでD夫人をいきなり押し倒してバッグ本体を掴み引っ張ったが紐を夫人が必死に握っていたので容易に取れない。そこへ仕事を済ませた2人組が加勢して3人掛かりでバッグを引っ張ったのである。切れた紐だけがD夫人の手に残り3人は逃走した。私が犯行現場を目撃したのはE子さんの「泥棒」という声に気がついて後ろを振り向き3人組がD夫人のバッグを引っ張っている時だったのである。この時点では既にE子さんがリュックサックをいとも簡単に奪われていることに私は気がついていなかった。<br /><br /> 私が大声を上げながら駆けだしたので、異変に気がついたA男さん、A男夫人、B子さん、C子さんが後ろを振り向いて状況を判断しようとした隙をA男さんとC子さんが狙われた。別の2人の男が一人はA男さんの高級カメラとショルダーバッグを奪い取り、もう一人がC子さんを押し倒してショルダーバッグを強奪したのである。こちらの2人組は前の3人組とは反対方向へ逃亡したという。A男さんC子さんも後を追ったが路地へ素早く逃げ込んでしまい姿を見失ったということである。<br /><br /> 不幸中の幸いでパスポートだけはセフテイーボックスに預けていたので誰にも被害はなかったが、手持ちの小遣い一切とクレジットカードの被害に遭いカード会社への連絡やら警察への被害届けやらで徒に時間を空費するとともに初日から不愉快な思い出を作ることになってしまった。彼らの狙いはパスポートであり、パスポートは一通百万円程度で取引されるとのことである。<br /><br /> 日本では考えられない白昼のしかも人通りのある大通りでの犯行であっただけに、被害者の受けたショックは大きく、ましてや初めての海外旅行であるというD夫人の落ち込みようは気の毒で慰めようもなかった。それにつけても日本人の危機管理意識が希薄なことを思い知らされた事件であった。<br /><br /> 今回の事件で痛感したことは外国の道路は油断のならない場所であり、自由行動の時などには貴重品は全てセーフティーボックスに格納し、必要最小限の小遣いだけを肌に密着したポケットに入れて、バッグやリュックサックは持ち歩かないようにすることである。ウエストポーチも刃物で紐を切断されれば簡単に奪われるから安心できない。従って、できるだけ手ぶらで歩き地図を見ながら歩いたり、写真を撮りながら歩いたりしてはならないということでもある。そして何人かで連れだって歩き仲間との間隔を作らないことである。要は相手に隙を見せないことであり、持ち物を見せないことである。<br />

ワープロで描いた俳画・・・コンスエグラの風車

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1999/03/20 - 1999/03/20

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早島 潮

早島 潮さん

スペイン旅行を追想する時必ず思い出すのは集団スリに狙われた時のことである。時を経た今では懐かしい想い出に昇華している。スリにあった日の日記を原文のままアップしておくことにした。

平成11年3月20日(日) 
 「アグア・シン・ガス」というのがスペイン語で「ガスの入っていない水」という言葉である。スペイン人達は料理にオリーブ油を使うので味がしつこいからガスの入った水を好んで飲むのだそうである。これが胃腸の消化機能を助長するのだという。そこで日本人がミネラルウオーターを買う場合には水無しと指定しないとガス入りがくることになるのである。

 コンスエグラで風車を見学したあとトレドへ向かった。

 折しも金曜日はサンホセの祝祭日であり、今日は三連休の中日にあたる日曜日なのでトレド市内も大変な混雑であった。春休みとあって欧米の学生達も加わって大勢の観光客が殺到しているのである。

 トレド旧市内は城郭都市になっていてタホ川が巡る丘陵地に広がる中世の街である。この街は711年から約400年にわたってイスラム教徒によって支配され、1085年カスティリヤ王国のアルフォンソ6世の奪回後も1492年カトリック両王によって追放されるまでユダヤ人やイスラム教徒が居残って経済活動を続けた街である。かっては西ゴート王国の首都として或いは、レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒による国土回復運動の中心都市として繁栄してきた。いわばスペインの歴史が凝縮したような街である。道がせまいので大型車両は乗り入れができない。

 そこで新市内のリカルド通りにある土産物屋でバスを降り、この店で手洗いを済ませ土産物を物色してから歩いて大聖堂へ向かった。城郭を巡る土手には桜によく似たアーモンドの花が折りしも美しく咲き誇っていた。1553年に作られたというビサグラ新門をくぐり抜けると、トレド旧市内である。ビサグラ門の上には鷲の紋章が描かれておりカルロス5世のものである。石畳でできた悪魔の通りとか、地獄の通りと名付けられた狭い坂道を観光客の人混みにもまれながら大聖堂へ到着した。

 カテドラルと呼ばれる大聖堂はトレドの中心に位置して往年の栄光を象徴するかのように聳え建っている。道幅が狭いので美しい全景をカメラに収めることはできない。1227年に着工し、1493年に完成した。実に266年の歳月を費やしたのである。スペイン・カトリックの総本山ともいうべき大寺院である。主礼拝堂の祭壇飾壁は1497年から1504年の間に作られた木彫りの彫刻で、キリストの生涯を20場面に分けて表現しており、ゴチック様式の記念碑的な文化遺産である。

 大聖堂内の宝物室にはイサベラ女王の豪華な王冠、金箔で文字を書いた聖書やエンリケ・デ・アルフェ作の尖塔を持つ聖体顕事台が金銀宝石で豪華に飾られて収められている。その一部にはコロンブスが持ち帰った金が使われていると伝えられている。高さは3メートルもあり16世紀に作られたものである。イスパニアの冒険家達が次々と地理上の発見をしマヤ・アステカ帝国やインカ帝国を征服し莫大な財宝を獲得して持ちかえり、イスパニア王国が輝いていた時代の記念品といえよう。この聖堂内に飾られている絵は大半が宗教画であるが、その中でもエル・グレコやティティアーノの絵は人間味を帯びており、イタリアルネッサンスに一脈通じる萌芽のようなものが感じられる。  

 大聖堂からほど遠くない所に位置するサント・トメ教会の鐘楼はモサラベの塔と言われておりムデハル様式による建築物である。ムデハル様式とはレコンキスタによりキリスト教徒によって都市が奪回された後にも居残ったイスラムの職人によって伝えられた建築様式のことでキリスト教的要素とイスラム的要素が入り交じったどことなく東洋を感じさせる様式である。この教会にはエル・グレコの最高傑作と言われる「オルガス伯の埋葬」の絵が残されている。日本では殆ど見ることのできないエル・グレコの作品が彼の生家には沢山展示されている。

 トレドの街の人込みから逃れて再びマドリード市内へ戻って国立ソフィア王妃芸術センターを見学した。ここにはピカソ、ダリ、ミロ、ファン・グリス、タピエス等現代美術の巨匠達の作品が展示されていて、最も有名なのはピカソのゲルニカである。この作品の前には黒山の人だかりができている。難解な絵であるが戦争への怒りと生命の尊重がテーマであると解説されて何となく判ったような気になって美術館を後にした。

 この後ホテルまでは歩いても行ける距離なので集団で歩けば安全だろうとホテルへ向かうバスへの乗車を断って男3人、女5人計8人の組が市中見学の行進をホテルへ向かって開始した。公園沿いの並木道を周囲の景色を見ながら歩いているうちに隊列はいつしか長い一本の線になり前後の間隔が大きく開いていた。お互いの距離が大きく開いた瞬間の隙をジプシーの窃盗団に狙われた。

「泥棒!」という大声に後ろを振り向くと同行の女性の一人D夫人が地面に転がって必死にショルダーバッグを抱え込んでいた。その回りにはジーパンをはいた若いアラブ系の顔をした男が3人取り囲んで彼女のバッグを無理やり引っ張っていた。咄嗟に助勢のため、その場へ急行しようと駆けだしたが、いかんせん距離が20メートルほども離れていて間に合わなかった。距離を詰める間もなくバッグの紐が切れて3人組はバッグを抱えて逃げだしてしまった。必死に「泥棒」と連呼しながら追っ掛けたがものの30メートルも追っ掛けるのが精一杯で3人組は四つ角を左に曲がって姿をくらましててしまった。四つ角に辿りついた時には既に姿は見えなくなっていた。泥棒と大声を出して追いかければ通行人が加勢してくれるかと期待していたが虚しい連呼であった。通行人は逃げた方向を指さすだけで捕まえてくれようとはしなかった。四つ角を左へ曲がった時、指さし示してくれた人があったが、死角になっており我々が追いかけていることが見える筈もなく、これは仲間の一人が犯人逃走方向と違う方向を差し示して、追跡を攪乱しようとしたものと思われる。

 私はD夫人の被害現場を目撃して直ちに駆けだしたので気がつかなかったが、私が追っ掛けている間に後ろでは同行のA男さんとC子さんがグループの別の男達にカメラとショルダーバッグを奪われていたのである。結局8人のうち4人までが5人連れの窃盗団に被害を受けたことになる。

 後から状況を総合すると次のような手順で被害を受けていた。
 私が一人先頭を歩きその次をA男さん夫婦が並んで歩き、その後ろを二人並んでB子さんC子さんが歩き、最後尾をD夫妻とE子さんが並んで歩いていた。先ずどこからともなく現れた3人組の男のうち2人が背後左右から最後尾のE子さんに忍び寄り、背負っていたリュックサックの紐に手を掛けて簡単に奪い取った。同時に他の1人はD夫人のショルダーバッグに背後から手を掛けて奪おうとしたがD夫人がバッグ本体をおへその上に置いて両手で抱えていたので簡単に奪えなかった。そこでD夫人をいきなり押し倒してバッグ本体を掴み引っ張ったが紐を夫人が必死に握っていたので容易に取れない。そこへ仕事を済ませた2人組が加勢して3人掛かりでバッグを引っ張ったのである。切れた紐だけがD夫人の手に残り3人は逃走した。私が犯行現場を目撃したのはE子さんの「泥棒」という声に気がついて後ろを振り向き3人組がD夫人のバッグを引っ張っている時だったのである。この時点では既にE子さんがリュックサックをいとも簡単に奪われていることに私は気がついていなかった。

 私が大声を上げながら駆けだしたので、異変に気がついたA男さん、A男夫人、B子さん、C子さんが後ろを振り向いて状況を判断しようとした隙をA男さんとC子さんが狙われた。別の2人の男が一人はA男さんの高級カメラとショルダーバッグを奪い取り、もう一人がC子さんを押し倒してショルダーバッグを強奪したのである。こちらの2人組は前の3人組とは反対方向へ逃亡したという。A男さんC子さんも後を追ったが路地へ素早く逃げ込んでしまい姿を見失ったということである。

 不幸中の幸いでパスポートだけはセフテイーボックスに預けていたので誰にも被害はなかったが、手持ちの小遣い一切とクレジットカードの被害に遭いカード会社への連絡やら警察への被害届けやらで徒に時間を空費するとともに初日から不愉快な思い出を作ることになってしまった。彼らの狙いはパスポートであり、パスポートは一通百万円程度で取引されるとのことである。

 日本では考えられない白昼のしかも人通りのある大通りでの犯行であっただけに、被害者の受けたショックは大きく、ましてや初めての海外旅行であるというD夫人の落ち込みようは気の毒で慰めようもなかった。それにつけても日本人の危機管理意識が希薄なことを思い知らされた事件であった。

 今回の事件で痛感したことは外国の道路は油断のならない場所であり、自由行動の時などには貴重品は全てセーフティーボックスに格納し、必要最小限の小遣いだけを肌に密着したポケットに入れて、バッグやリュックサックは持ち歩かないようにすることである。ウエストポーチも刃物で紐を切断されれば簡単に奪われるから安心できない。従って、できるだけ手ぶらで歩き地図を見ながら歩いたり、写真を撮りながら歩いたりしてはならないということでもある。そして何人かで連れだって歩き仲間との間隔を作らないことである。要は相手に隙を見せないことであり、持ち物を見せないことである。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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