2009/12/11 - 2009/12/11
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カメちゃんさん
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何より目出度い傘寿のお祝いが出来て、美味しいお料理と共に思い出に残る一夜を過ごすことが出来ました。
ホントに、私もカミさんとともに元気に傘寿を迎えたいものです。
さて、次は田原城跡にある「田原市博物館」を訪ねます。今では、田原と言えばトヨタの主力工場である田原工場が有名ですが、歴史的には「渡辺崋山」が知られています。私も渡辺崋山のことは知ってはいましたが、名前と蘭学者だったという程度のことを知っていただけでした。今回、そこを訪ねることは、とても楽しみにしていました。
渡辺崋山。改めて勉強になりましたし、感じるものが多々ありました。
お昼は「渥美半島どんぶり街道」のお店で「あなご天丼」を堪能しました。いつの日か「渥美半島どんぶり街道」のお店を全制覇!!してみたいものとの、崇高な目標を密かに決めたのです。
お帰り前は豊川稲荷に立ち寄って、年末ジャンボ当選を含めて今後の幸せを祈願したのです。その後の皆さんがひっそりとされているご様子からして、何かよい御利益のあったのを隠しているような気がなりませんね〜〜(~o~)!(^^)!
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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-
4、50分バスに揺られて、田原城跡に到着しました。
お城を訪ねるなんて、何年か前にTさんにご案内していただいて犬山城を訪れて以来ですよ。
田原市博物館の地図は、↓をご覧下さい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&brcurrent=3,0x6004bad5499332e7:0xeb5fa65d181541a7,0&ll=34.672972,137.269143&spn=0.003719,0.005236&t=k&z=18 -
渡辺崋山立志像
普通は立って遠くを仰ぎ見る像が多いのですが、この像は寝転がっていますね。
ひょっとして、この像は「暴辱」を受けた時の格好でしょうか? -
渡辺崋山年表です。
世に有名な「天保の大飢饉」の時、崋山が積極的に働いて(部下に指示して)、田原藩では餓死者や流亡者を出さなかったとのことです。
それで、全国で唯一幕府から表彰されたことは有名ですね。 -
「崋山の生い立ち」
得意の絵を描いて貧しい家計を助け、学問にも励んだとの話。
その資質に驚き、また頭が下がる想いがします。 -
天保三年、40歳にして家老職に就く。
やはり、天保の大飢饉の時のことが書いてありますね。崋山の識見・人柄もさることながら、その政策を支えた人々も立派でしたね。
後にみる「蛮社の獄」では、崋山の才能は目の敵にされたのですからね。それは結局、幕府の崩壊へと繋がっていきましたね。 -
学者としての崋山
いや、もう、頭が下がるばかりです。
人は勉強しないとね〜〜。
分かってるけど、難しすぎて、やれるモンではありません。
私はやっぱり、食べて寝るのが一番でしたからね〜〜(-_-;)
今も昔も、学問を「カネ」と出世の道具にする人が多いですね。
一般庶民が一生懸命勉強しても、「カネにならない学問なんかしても・・」などと、笑われかねない時代ですね。 -
画家としての崋山
26歳頃には、画家として有名になったというのですから、本当に万能ですね。 -
「報民倉」
天保の大飢饉を体験する前に、このような「倉」を作っていた先見性と見事な政策に、驚きます。
本当に心底から尊敬します(もっと強く言いたいですけど、そんな尊敬の言葉を知らないのです)。
今時の底の浅い「競争」と「自己責任」の考え方からは、「報民倉」など思いつくことも出来ないのでは?と危惧してしまいます。
(※)報民倉
人々のために食料を備蓄しておく倉のこと。天保の大飢饉の時に文字通りの役割を果たしました。 -
渡辺登進書趣意書
「渡辺登」は崋山の本名です。
読むほどに胸がキューン!!としてしまいます(T_T)
これ以上の誠実さというのはない!!と思いますね。
デジタル化の進む中での「豊かさ」と「貧困」と「自己の喪失」の現代。崋山の生き方から何を学ぶのでしょうか? -
蛮社の獄
誠実な崋山の才能を活かすのではなく、それを妬み或いは目の敵にする者もいたのですね。
崋山を追い詰めた人たちの所行は本当に腹立たしいことで、崋山のことを思うと本当に悔しいですし、怒りをも感じてしまいます!!
目先の利益や自分の利益を元に、他人を見る。こんなことは今でもどこでもまかり通っています。
上に立つ者が、大局的な立場から人々の利益を見ることが出来なくなった時、歴史は大きな回り道を歩むことになるのですねぇ(-_-;) -
「鴃舌或問(げきぜつわくもん)」と「慎機論」
崋山は外国事情を深く研究し、日本の海防についても真剣に考えました。
「鴃舌或問」「慎機論」を書くに当たって、世界のどれほどの範囲を調べ研究してたかを示す資料です。あの当時にあって、驚くべき博識と熱意の持ち主であったことが窺えますね。
世界の事情や事例がインターネット等で簡単に手に入る今ですから、崋山ほどではなくても多くのことを学べるはず。なのに、なかなかそうはならない(^^;)
私たちが海外の事例に学び・参考にしようとするとき、しばしば「宗教・文化・習慣の違い」を強調され、一考だにされない方がおられます。
こうした考え方は、海外の好例を日本の社会・制度・生活習慣の中に如何に具体化するかという難題を避け、これまでの古く狭い社会・生活感情から抜け出すことなく、むしろそこに安住しているとも言える感じがしないわけでもないですね(その反対に、海外の〈主としてアメリカの〉経済感覚を、日本の国民性を半ば無視して直截に政策化したことも問題がありますね)。
崋山はあの時代にあって、海防という任務遂行と知識人としての関心を持って「宗教・文化・習慣の違い」を乗り越えていった人だったかも知れませんね。 -
上の資料の裏面です。
「慎機論」には、誤情報や誤認識に基づく記述も一部にあったようです。
しかし、それにもかかわらず多くの人々に読まれ今に伝えられていることは、崋山の論述の内容と方法と熱意が如何に優れていたかを示すものでもあると思います。
いつの時代でも、個人も指導者も時代の変化に対応して変わっていかなければいけません。
自分で分からなければ、その一番の近道は身近に意見をしてくれる人の話を取り入れるとですね。
江戸湾測量で崋山らに負けたからといって、崋山らから学ぶことをせず、逆に崋山らを排除しようとしたのは、間違っていたと思いますね。
朝河貫一は明治時代に、いずれ日米戦争が起きることを案じ、もし起きれば日本が負けることも予測しました。結果はその通りになりました。
渡辺崋山や朝河貫一の誠心誠意の研究と提言も、共に時の指導者に無視され、その結果として人々は払わなくても良い犠牲と苦労を払わされたとも言えますね。
また、よくあることですが、全体の内容が基本的には正しく的を得たものでも、ホンの一部の記述のことで、全てが無価値にされることがありますね。
そういう重箱の隅をつつくことをやる人が、どこにでもいるんです(-_-;)
宝は泥や砂の中に隠れているのに、上役の眼鏡に合うことと機械的な基準に拘って、真面目に物事を見ようとしない傾向の多いことは、多くの宝を失うことにつながりますね。 -
蟄居生活
蟄居の身で生活は困窮したようです。蟄居を命ぜられた場合の禄高はどうなるのか分からないのですが、いずれにしても、ひどい仕打ちですね。
現在でも、会社や上司の理解がなくて左遷される人や、景気調整弁のように派遣切りされる人がいると思いますが、このようなことは本当にいやですね。 -
崋山の最後
困窮している蟄居生活の足しにするため、門人たちが崋山の絵を売って協力しました。それを、「罪人身を慎まず」と言う者たちがいたがために、そう言う動きから藩主を守るために自らの命を絶ってしまったのです。
いつの時代も、言わなくてもよいことを言いたてる者がいるものです。残念でなりませんね。弱い者を責め、強いものに与する。そんな人には断じてなりたくないですね。
一時よく言われた「自己責任」も、基本的には弱い人たちを責めましたね。 -
自刃の時の言葉です。
「渡辺登」は渡辺崋山の本名です。
誰を恨むでもなく、自らの命を絶った崋山の心の中は如何ほどだったでしょうか。
「累の及ぶ」のを恐れての自刃だったため何も言わずに逝ってしまいましたが、封建時代のもとではやむを得なかったのかもね。
トヨタの、ある「元副社長」さんは、八十ン歳で亡くなるまで個人としての話が出来なかったですね。
崋山とは時代が違っていたのですから、戦後史の核心を語って欲しかったです。
国民の利益よりも会社(封建時代ならお殿様?)の利益を上に置いた(長い目で見れば、会社にとっても損なこと)、時代錯誤の一面を感じさせた人でした。
私だったら、愚痴も大いに入るかも知れませんが、「真実を語って」逝きたいですね。 -
椿山あて遺書
「崋山以杞憂罹罪」。崋山の気持と松崎慊堂の気持を、私達は真剣に受け止めなければなりませんね。
いまでも、社会や集団・人の行動に関わる問題は、利害や感情の色眼鏡を通して捉えられることが多く、その人自身にとってもプラスになる問題解決さえも遅らせていることが多いのです。
現状への妥協と安住、その立場からの他人への非難こそ、進歩にとっての最大の障害なのですね。 -
「渡辺崋山」とはどのような人?
私がお話しするまでもありません。
読んでいただければ、幸いです。 -
8歳(満7歳)で若君のお伽役になる。
その頃から聡明な才能が認められていたのですね -
渡辺崋山年表の続きです。
読んでいただけれれば、嬉しいです。 -
崋山の生涯 <表面>
崋山は、人々の生活をよく絵に描写しました。暮らし方が本当によく分かります。
「報民倉」を作ったのも、人々の生活を描写していた崋山ならではこそと思われてなりません。
理屈は知っていても、人々の暮らし向きを知らなければ、あのような着想に至らなかったはず・・。そう思われるのです。
人々の暮らしを助けると言っても、人々の間には感情的な妬みもあったりしますから(門人たちが絵を売って崋山の生活支えたのを妬んだ人もいたと思いますね)、それ自体は難しい事業だったと思います。本当によくやったと思いますね。
大切なことは、崋山がやったように実際の生活に触れ、「生の声」を蒐集することです。
今時では5者択一式のアンケートが流行っていますが、このようなやり方では、全く異質の生活でさえも似たようなデータとなってしまい易く、かゆいところに手の届く方向は出せませんねぇ。 -
崋山の死後27年が過ぎて、その罪を許され、50年過ぎて功臣として称えられたんですね。遅い!!本当におそい!!
「それが、世の中さ!!」
と、気楽に言い切ってしまえば、それまで・・。
そう、言い切れないところに、歴史の教訓があるのでしょうね。 -
その時代の帆船でしょうか。
-
田原城を振り返って撮ったものです。
これまで知らなかった崋山のこと、その一端だけでも知り得たのは本当に幸いでした。 -
今日のお昼はこちらのレストランです。
「グリル・ハナ」です。
さあて、どんなものが頂けますか??(^o^)
「グリル・華」の地図は、↓をご覧下さい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&brcurrent=3,0x6004bad5499332e7:0xeb5fa65d181541a7,0&ll=34.669134,137.271622&spn=0.003719,0.005236&t=k&z=18 -
お店に入った、こんなものを見せてくださいました。
渥美半島「どんぶり街道手形」
へぇ〜〜、変わった手形があるモンだ。
そう言えば、どこかで手形みたいなモンをもらったことがあったねぇ。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/13891686/src.html -
上の写真のものをひっくり返すと・・
約2年のうちに11店でどんぶりをいただくと、どんぶり2ついただけるみたいです。
全店を回ったら、どんぶり4つ。
これは是非とも挑戦したいですね!!
今年から、忙しくなるぞ!!(~o~) -
手形を開くと・・、こうなるのであります(~o~)
いろいろなお店が書いてありますね!!
「ロマンチックな嫁さがし丼」ですか???
彼女と一緒に食べると、結婚してもらえるとか??
「毘沙護丼」
これも良さそう!!
これはもう、全部食べてみたくなりますね〜(^o^) -
これは↑の裏側です。
「ちりめん丼」
これは、いっぺん食べてみたいですね。
「豚の角煮丼」
どんな感じでしょうか??
食べてみるしかないですね(~o~)(^O^) -
これはカミさんが注文した「あなご天丼定食」です
-
これは私が注文した「あなご天丼大盛りセット」だったかな??と思いますけど・・。
あなご以外のものも「天ぷら」なので、この辺がちょっと「くどい」かな〜と感じましたね。
とにかく、満腹になることは請け合いです。
いっぺん、行ってみて、食べてみてちょ〜〜〜(^-^)(^_^)v -
三河田原駅です。
田原駅の地図は、↓をご覧下さい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&brcurrent=3,0x6004bad5499332e7:0xeb5fa65d181541a7,0&ll=34.66747,137.269143&spn=0.003719,0.005236&t=k&z=18 -
例によって記念写真です!!(^o^)
大変失礼な話ですが、豊橋鉄道といえばローカル線で鉄道路線も短いので、当然のように短くて小さいオンボロ電車が走っているものと思っていました。
ところがドッコイ!! この電車はキレイで大きくて、結構カッコいいではないですか!!人間をみる時もそうですが、何でも先入観でみてはいけませんね。(-_-;) -
この電車は、1970年代から東急電鉄で7200系車両として使用・改良されてきた電車のようです。
ちょっとだけオンボロですが、今でも十分通用する電車ですね。
窓も大きく明るい車両でとってもいい電車ですね。
私が子供の頃の名鉄のローカル線の電車は、木製のグリーン色の小さい電車でした。電圧もチンチン電車と同じ600Vでしたねぇ。 -
お天気は雨。
これから先が案じられますね。 -
田原を出る時にはあんなに少なかったお客さんも、どんどん増えてきました。
乗ってくれる人々がいて、本当によかったと妙に安心してしまいました。 -
豊橋駅到着です。
こちらの電車の塗装は青いですね。
豊橋駅の地図は、↓をご覧下さい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&brcurrent=3,0x6004bad5499332e7:0xeb5fa65d181541a7,0&ll=34.7635,137.380718&spn=0.00743,0.010471&t=k&z=17 -
豊橋駅構内の案内板です。
愛知県内では、名古屋駅に次ぐ大きな駅ですよ。 -
豊橋駅の階上コンコースです。
この駅から、名鉄名古屋本線の電車に乗りますよ〜〜。
そして、国府まで行って、乗り換えて「豊川稲荷」へ向かいます。 -
名鉄豊川線の八幡駅前にある工場です。
左側の低層ビルは、日立製作所豊川工場です。
正面奥の赤いSマークのあるところはスズキ自動車の豊川工場です。
ここではオートバイと船舶用船外機を製造していますよ〜〜。
愛知県はトヨタだけではないですよ〜〜。本当に多種多様な企業が、生産拠点を置いています。
スズキ自動車工場の地図は↓にて。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&brcurrent=3,0x6004bad5499332e7:0xeb5fa65d181541a7,0&ll=34.824981,137.349755&spn=0.007821,0.008959&t=h&z=17 -
豊川稲荷駅に到着です。
雨はまだ降っていました。 -
豊川稲荷の正面です。
正面の門は「総門」と言われているようです。
それにしても、雨・風共にひどくなって、本当にひどい日になりました(-_-;)
豊川稲荷の地図は↓にて。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&brcurrent=3,0x6004bad5499332e7:0xeb5fa65d181541a7,0&ll=34.824897,137.392627&spn=0.002871,0.004281&t=h&z=18 -
豊川稲荷の中で最古の建物で、「山門」です。
天文年間に今川義元が寄進したといわれています。
豊川稲荷の詳しいことは、↓をご覧下さい。
http://toyokawainari.jp/inariframe1.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E7%A8%B2%E8%8D%B7#.E6.96.87.E5.8C.96.E8.B2.A1 -
↑の「山門」の奥に見えていた「妙厳寺大法堂」で、ご本尊に「千手観世音菩薩像」が安置されてい流とのことです。
ナンマンダブ、ナマンダブ・ナマンダブツ・・合掌・礼拝・・合掌・礼拝m(_ _)mm(_ _)m
どうもありがとう御座いました。
お直り下さい。 -
こんなに風雨が強いというのに、お札売りのビジネスはちゃんと勤めておられますね〜。
ご苦労様です。
ナンマイダブツ、ナマンダブ・・・ -
風雨の強い中を本殿へとお参りに向かう、奇特な人々・・
善人とは、本当にこのような人々ではないでしょうか??
で、お参りの目的をインタビューさせていただきましたところ、
「年末ジャンボで一等が当たりますように・・」(-_-;)
とのことでした。
この皆さんは、その後ダンマリを決め込んでおられますから、ひょっとして当たったのかも知れませんよ〜〜(^o^)(^_^)v -
本殿の方から来た道を振り返ります。
昨年の初詣にきた時には、人・人・人でごった返していましたけどね〜。
そう言えば、初詣客は毎年100万人を越えているとのことですけど、最近の全国ランキングではベストテンから消えて、13位(107万人・2009年)となっています。 -
このお天気ではお狐さんも寒いですね。
赤い前掛けも濡れて大変です。
お稲荷さんと狐の関係については、豊川稲荷HPでは「豊川吒枳尼眞天(だきにしんてん)が稲穂を荷い、白い狐にまたがって・・」との記述があります。
狐との関係で、ほかには「ネズミを捕るので穀物の守り神」「御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ・・」「堰止め→咳止め(御利益)→コンコン(咳の音)→キツネ→稲荷の使いに・・」等々・・。まさに、諸説紛々ですね。 -
さて、ここで記念写真です。
この風雨の強い中を、お参りに来たのはこの方々のみです!!
きっとお稲荷さんからの、何倍ものご加護があることでしょうね。
五穀豊穣(田畑がない)・子孫繁栄(もうダメだ)・立身出世(これもダメ)・商売繁盛(これもない)…、お祈りすることもなくなってきましたねぇ。
あとに残るは「金運成就」だけですかね(~o~)!(^^)!(やっぱり、これしかない)
そして、健康だね!!
それはともかく、ナンマンダブ・ナマンダブ・・合掌!!m(_ _)m -
そうそう、大事なご本尊さんも知らないでお祈りしても、御利益は出ませんね!!
こちらのご本尊さんは「千手観音菩薩様」です。曹洞宗の系統になるようです。
従って、多くの「お稲荷」さんが「神社」である中で、「豊川稲荷」はお寺です。先ほどの吒枳尼眞天(だきにしんてん)も、大日如来によって改心した魔女とのことで、神仏混淆の人みたいです。
豊川稲荷には、その上位に位置する「本山」はなく、「別格本山」とされているようです。そして早くから、各地に(北海道から九州まで)「別院」があって、その信仰活動も広いですね。 -
豊川稲荷ご参拝を終えて、これから帰ります。
なんか、心なしかお天気がよくなってきましたね。
(実際、電車が走り出した頃にはお天気がよくなってきたのですよ。これも、御利益かもね)
今回の旅では、なんと言ってもSさんの傘寿のお祝いがメインでしたね。学習も兼ねた楽しい旅でした。
<終わり>
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 三昧さん 2010/01/22 03:54:42
- カメちゃんさんの旅行記にも頭がさがります
- カメちゃんさん、おはようございます。
渡辺崋山、勉強になりました。と、同時にカメちゃんさんの崋山への意見を取り入れながらの丁寧な旅行記の出来上がり、時間がかかった事でしょう!読ませて頂いて、内容の濃さを感じ、4トラベラーの旅行記って、作り手によって こうも違うものかとカメちゃんさんの旅行記に頭がさがりました。
黒鯛釣師の住んでいる所から日帰りで行けそうな距離なので、もう少し暖かくなったら渡辺崋山に学び行って見ることにします。
黒鯛釣師。
- カメちゃんさん からの返信 2010/01/22 13:36:29
- RE: カメちゃんさんの旅行記にも頭がさがります
- 黒鯛釣師さん こんにちは〜(^^)
お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません<(_ _)>
コメントを頂き、ありがとうございましたm(_ _)m
また、投票もしていただいたようで、重ねて御礼申し上げますm(_ _)mm(_ _)m
> 渡辺崋山、勉強になりました。
読んでいただき、本当に嬉しく思っています!!
崋山のことはあまり知らなかったのですが、博物館での展示物を見て私なりに共感するところ多々ありました。
そんな想いを、日々私が感じていることも交えて前後も恥も弁えないままに書いてしまいました。
そんなわけで、旅行記らしからぬことを書いてしまいました(^_^;)
渡辺崋山の生涯の中で気づいたことは、「絵」という形ながら人々の暮らしをスケッチしていたことに感銘しましたね。現実を知る原点であり基本であるこのスタイルが、是非ぜひ今に活かして欲しいと思いますね。
その後の蛮社の獄から自刃に至る流れは、私の胸を息苦しくしましたねぇ(-_-;)
この崋山の苦悩は、彼個人のものだけでもなく、また、決して過ぎ去ったものでもなく、現在も同じように又は形を変えて、広く存在し続けていると思われてなりません。
私もこうして書いていますと、いろいろな想いが次々と浮かんできて話が止まらなくなってしまいそうです。
現状を乗り越えていく努力と学ぶことの大切さを、改めて感じるこの頃です。
私にとって、崋山に教えてもらったことは大きなことだと思っています。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
カメちゃん
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