2003/10/02 - 2003/10/08
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インド北西部に広がるタール砂漠。
この苛酷な地には、色鮮やかなサリーを纏った女性たちやジプシーの祖ともいわれる楽師たち。
そして、豪壮なマハラジャの宮殿が聳え立っています。
↓ブログでも紹介しています。
http://search-ethnic.com/category/travel/south-asia/rajasthan
2003年10月、インド西部、ラージャスターン州を旅しました。
デリーから列車でジャイサルメールへ。
ジョードプルを訪れ、グジャラート州の州都アーメダバードへと向かいました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道
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10月2日(木)
デリーから南西へ。
パキスタンと長い国境を接する広大な砂漠地帯がある。ラージャスターン地方である。
その西の果て、タール砂漠の只中にある町ジャイサルメールへと私は向かった。
デリーを発ったのは夕方のこと。夜の闇を駆け抜けた列車は朝、私の知らぬ間に砂漠地帯に入り込んでいた。
列車の窓から砂埃が風に乗って入り込んでくる。
粒子の細かい砂は列車とその中にいる乗客全てをざらざらと粉っぽくさせていく。いつしか私の服の上にも薄っすらと砂が積もっていた。
昼頃、単調な半砂漠地帯の眺めの中に、ふいに巨大な城砦の姿が現れる。岩山の上に聳え立つ無骨で堅固な城。その麓にはびっしりと細かい住居が密集して建っていた。
黄色一色で彩られた城とその城下町。
あれがゴールデンシティとの異名を持つ町、ジャイサルメールだ。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/to-jaisalmer -
イチオシ
10月3日(金)
ジャイサルメールの城砦は12世紀、ラージプート族のバッティ家によって築かれたといわれている。
ラージプートはムガル帝国を始めとするイスラム教徒の侵攻に対して勇猛果敢に立ち向かったとされるヒンドゥーの一氏族だ。
このラージプートという名はラージャスターン州の語源ともなっている。ここはラージプートの戦士の地なのである。 -
かつて、ジャイサルメールの町は、東西交易路の要衝として繁栄を誇ったという。
数世紀前、ラクダの群れが西へ東へと行き来していた頃、キャラバンは宝石のようなこの町で束の間の休息を取った。そして、人々は晩餐を楽しみ、商品を取引し、人との出会いを楽しんだことであろう。
いうなればここは、『旅人の町』であったのである。
↓
http://search-ethnic.com/jaisalmer -
この日は、ジャイサルメールの王宮と、城外の3つのハヴェリー(貴族たちの私邸)を見学した。
写真は、最も豪華で美しいといわれるパトウォンのハヴェリー。
ジャイナ教徒のパトゥアーによって建てられた邸宅で、1805年の創建である。
せり出した沢山の出窓に細かな装飾が施されている。
パトウォンのハヴェリーは道路を跨いで繋がっている。
五階建ての五つの建物がくっ付いた壮大な邸宅なのである。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/jaisalmer-haveli -
これは、ナトマルのハヴェリー。
大臣のナトマルによって建てられた4階建ての邸宅で、1885年の創建だそうだ。
ジャイサルメールの日中は猛烈に暑かった。
日陰に居ても耐えられないくらいの暑さで、宿の部屋で何度も行水をした。 -
夕方は、サンセットポイントへと向かった。
ジャイサルメールの街からほんの2,30分ほど歩いたところにあるサンセット・ポイント。
ここからはゴールデンシティとも称されるこの街の全容が見渡せる。
サンセット・ポイントにはチャトリ(サンスクリット語で傘を意味するチャトラに由来するという開放的な建物)がたくさんあり、チャトリ越しに見るシタデル(城砦)の姿もなかなかのものだった。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/jaisalmer -
10月4日(土)
この日は駅まで行き、明日のジョードプル行きと、明後日のアーマダーバード行きの列車の予約をした。
駅まで行くだけであまりの暑さにダウン寸前だった。
夕方。陽が陰るまで城下のカフェで涼んでいた私は城砦の中に戻ることにした。
私は城門への坂道をゆっくりと登っていく。
ふと横を見ると、大量のこぶ牛や山羊たちも続々と城砦へ向かって歩いていくのが見えた。
ここジャイサルメールにも他のインドの町同様、聖なる牛がたくさんいる。
日中、彼らは暑い城砦の上から城下の日陰へと避難している。ぐだ〜っと、道端でだらけている牛たちを私はよく見掛けた。
そして、夕方。牛たちは寝床を求め安全な城砦へと戻ってゆくのだ。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/jaisalmer-haveli -
10月5日(日)
街をぶらぶら歩いたり、宿でビールを飲んだり行水したりして怠惰な日中を過ごす。
ジョードプル行きの列車は夜中発。
それまでは、宿でイタリア料理を食べたり、ビールを飲んだりして過ごした。
宿のスタッフがチェックアウトしたにもかかわらず、部屋を使わせてくれたのがありがたかった。
(ちなみに宿はHymalaya Hotel シングル50ルピー)
夜、薄暗いジャイサルメールの町を発ち、駅へと向かった。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/jaisalmer-haveli -
10月6日(月)
インド北西部、ラジャスターン州にある広大な砂漠、タール砂漠の入り口にある町ジョードプル。
ここはかつてマールワール国の首都であった。
ラーオ・ジョーダは1459年、この地に町を開く。
ジョードプルとはジョーダの町の意味である。
ジョードプルは古くから交通の要衝として栄え、現在でも州都ジャイプルに次ぐ人口と経済規模を持った町として知られている。
写真は、町のどこからでも見える巨大な城砦、メヘランガルフォート。
ジャイサルメールから夜行列車で到着した私は、荷物を駅のクロークルームに預け、聳え立つ城に向かって歩き始めた。
↓
ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/jodhpur -
城は麓から120mもの高さがある。
この堅固な城砦は歴史上、一度も陥落することがなかった。
写真は、フォートの上から見たジョードプルの町。
青い壁をした家が多く、この町はブルーシティの異名を持つ。
どうして青いのかは、かつて貴族が青壁の家に住んでおり、それを真似したためだとか、蚊避けのためだとか、色々な説があるという。
ジョードプルには宿泊はせず、その日の夜行でアーマダーバードへと向かった。
↓ブログの記事です。
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