2003/02/05 - 2003/02/21
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緑の田園が延々と広がるベトナムと言う国の風景。
この国は豊かです。
あの凄惨を極めた戦争のなんて、まるでなかったものであるかのような穏やかな風景ですが、あの悲劇の記憶はこの国の大地の奥底に深く刻み込まれているのでしょう。
あれから30年経った現在、この国は猛烈な勢いで発展していました。
↓ブログでも紹介しています。
http://search-ethnic.com/category/travel/southeast-asia/vietnam
2003年2月、ベトナムを旅しました。
中国からハノイに入り、ハロン湾を訪問。フエ、ホイアンを経由し、ラオスへと抜けました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
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2月5日(水)
広州から列車で未明に南宇に到着。
駅を出てすぐ切符を買うために並ぶ。40分ほど並んで憑祥行きの切符をゲットした(30元)。
憑祥に着いたのは昼頃。駅を出るとすぐさまバイタクの兄ちゃんが来て値段の交渉となる。
国境までは17元でまとまった。
国境で出入国手続きを済ませ、ベトナムに入国。
ビザは香港で750HK$で取得していた。
国境からは、ハノイまで行くというワンボックスに乗った(105000ドン 1$=15000ドン)。
宿はPrince79というドミトリー(2ドル)。
夕飯に食べたフォー・ガー(8000ドン)がうまかった。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/hanoi -
2月6日(木)
昨日宿泊していた部屋は、タチの悪い白人が多く、あまりにうるさかったので、宿替えをした。
今度の宿はTrong Nghia(シングル 6ドル)。
エアコン&TV&バスタブまで付いた、かなり綺麗な宿だ。
午前中は郵便局で荷物を受け取った後、午後は部屋で休んで旅の疲れを取る。
夜は水上人形劇を観に行った(20000D)。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/vietnam-waterpuppet -
2月7日(金)
この日は翌日のハロン湾ツアーの申し込み(15.5$)と、ラオスビザの申請(1ヶ月 55$)を行った。
どちらも旅行会社にて。
昼は自転車をレンタルして(1$)、街の北西の湖にあるバイントムホータイ(エビのから揚げ)のレストランへと行く。ビールを飲み、ビーフフライドヌードルも頼んで42000ドン。
食後はホーチミン廟などを巡り、サイクリングを楽しんだ。
↓ブログの記事です。
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イチオシ
2月8日(土)
朝、ハロン湾にツアーバスで出発。
体調は悪くなかったが、そのうち次第に腹具合が悪くなってくる。
休憩所でトイレに行くが下っていた。しかも痛みを伴う。
ハロンベイに到着して船に乗る。
同席のイタリア人たちとビールを飲み、会話をする。
デッキから眺めた世界遺産ハロン湾の奇岩は絶景だった。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/halong-bay -
ハロン湾では、様々なボートが往来しており、こういったフルーツ売りのボートも寄ってくる。
「ハロン湾はベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾の名称であり、大小3000もの奇岩・島々が存在する。漢字では下龍湾と書く。 伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、龍の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている」(Wikipedia)
↓ブログの記事です。
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デッキで奇岩を眺めた後、洞窟に上陸。
見事な鍾乳洞を見学する。
その後、船は絶景ポイントに到着した。
ここで、小型ボートで洞窟に行くオプションがあったが、体調が不安だということもあり参加しなかった。
↓ブログの記事です。
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船は港へと戻る。
この時猛烈な腹痛が襲い、下船後、別の船のトイレに駆け込む。
30分はトイレに居たと思う。
既にツアーバスは出て行った後で、別のバスを探して戻った(5ドル)。
↓ブログの記事です。
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2月9日(日)
この日は一日中部屋に居て休んだ。
しかし、午後、異常に頭が痛くなってきて熱を計ると38.2度。
この綺麗な宿に移ってよかった。
2月10日(月)
朝からひどい下痢が始まった。
5分おきぐらいにトイレに行く。
宿のスタッフは心配してくれ、薬をくれたり、頼むとバナナを買ってきてくれたりした。
夜中、下痢が止まり始めた。
2月11日(火)
だいぶ良くなってきたので、昼飯に粥を食べることにした。薬を飲んで粥とバナナを食べ、横になって過ごす。 -
2月12日(水)
この日はベトナムで初めての雨の日だった。
外に出てみると雨のせいか、アジアの優しい匂いが漂ってきた。
心地よい匂い。
この匂いが心地よいと感じられるほど体も心も回復してきているようだ。
宿の人が良くしてくれている。
夕食は病後初めてまともな飯(ポークスライス・ティー・ヨーグルト 55000D)を食べた。
2月13日(木)
今日も雨が降っている。
古都ハノイには雨がよく似合う。
この日は町の南にある日本料理屋(Cafe Moi)に行ってみることにした。
ホアンキエム湖のそばで8番のバスに乗り、2500ドン。
久々の和定食に舌鼓を打つ。
明日の夜のバスでホイアンへと向かうことにした。
↓ブログの記事です。
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2月14日(金)
午前11時頃、宿をチェックアウトした。
宿のスタッフにお礼を言う。
日中はハノイの街をぶらぶら。
バッチャン焼きを眺めたり、ニョクマム臭い市場をうろつきまわったりした。
食事は昨日の日本料理屋で食べた。
夜、ツーリストでごった返すホイアン行きのバスに乗り込む(12ドル)。
大勢のツーリストを載せ、バスは夜の闇の中、疾走していった。
↓ブログの記事です。
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2月15日(土)
目覚めると外は雨だった。
グリーンの水田が一面に広がり、道の両側にはヤシの木が並ぶ。
雨に濡れた水田を見て、「この国は豊かだ」と思った。
10時過ぎ、フエに到着。
ここでホイアン行きのバスに乗り換える。
2時過ぎにホイアン行きは出発。
ベトナムの南北の文化と気候を分かつと言われるハイバン峠を越え、美しい海を眺めながらダナンへ。
アオザイ姿の女学生の下校時間と重なった。
そして、辺りがすっかり闇に包まれた頃、ホイアンに到着した。
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2月16日(日)
ホイアンでは、見所チケット(50000ドン)がある。
このチケットで多くの見所を巡ることができる。
まず、この日は明日のミーソン遺跡のバスツアー予約(25000ドン)、明後日のフエ行きバスの予約(30000ドン)をした。
その後、ホイアンの街をうろつく。
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最初に訪れたのは、海のシルクロード博物館。
ここは、ベトナム・中国・日本の様式を折衷した建物で、2階の吹き抜けの間が見所だ。
博物館には日本語の立派な本があり、16〜17世紀に中継貿易で栄えたホイアンの歴史を知ることができた。
日本から、タイ、インド、遠くアフリカまでその交易範囲は及んでいたのだという。
写真は、日本人橋。
当時、日本人はホイアンの一大勢力だったのだそうだ。
他にも福建会館やクアンコン寺、チャンフー77の家などを訪れる。
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イチオシ
ホイアンの町を抜け、しばらく歩いていると一面の田園地帯に出る。
私は田園の中にあるという日本人の墓を見るため、緑の海を歩いていった。
しばらく歩き続けると田園の片隅にそれはあった。
谷弥次郎兵衛という碑銘。そして、入り口には解説が書かれている。
ホイアンの日本人町で暮らしていた谷弥次郎兵衛。彼は幕府の貿易禁止令により日本に帰国した。
しかし、遠くホイアンに残した恋人に会うため再び出国。その途上倒れたのだという。
この墓碑はその昔、日本人とベトナム人が共に暮らし、生きていたことの証である。
そんなことが書かれていた。
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2月17日(月)
朝8時、ミーソンツアーに参加した。
ワンボックスカーで1時間、田園地帯を抜けてミーソンに到着。
入場料は50000ドン。
ミーソンの遺跡は、かつてこの地方を支配したチャンパ王国の聖域の跡である。
いくつか残っているレンガ造りの寺院群は、7世紀から13世紀にかけて造られたのだといわれている。
当時、チャンパ王国の人たちは、ヒンドゥー教を信仰していた。
遺跡にはシヴァ神の象徴であるリンガ(男根)やナンディ(牡牛)の像がある。
長い間、この地は聖地として人々にとって大事な場所であったが、ベトナム戦争の爆撃によって多くの伽藍が破壊されてしまったそうだ。
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夜は、ホイアンでトラディショナル・ミュージックを観賞した(40000ドン)。
琴、二胡、笛、ドラム、竹のベース等6人組の演奏で、歌や踊りが入る。
素晴らしい音色だった。
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2月18日(火)
朝、ホイアンからバスでフエへと向かった。
午後1時ごろ、フエに到着。
フエでまず訪れたのは、もちろん王宮だった(50000ドン)。
ベトナムを長らく支配した阮(グエン)朝。その都だったところがフエである。
このフエが阮朝の都となったのは1804年。1807年には支配者であった阮福映は、中国の清から越南国王に封ぜられた。ここに越南(ベトナム)国が誕生したのだ。
王宮の城門は立派だったが、敷地内は荒れ果てていた。
その荒れ果て具合はいい感じだと思った。
↓ブログの記事です。
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2月19日(水)
この日はDMZツアーに参加(8ドル)。
ベトナム戦争の戦跡を巡るツアーだ。
ヒエンルオン橋、ピンモックトンネル、ケサン基地、ロックパイル、弾痕の撃ち込まれた教会などを訪れる。
2月20日(木)
ラオスのサワンナケート行きバスチケット(16ドル)で、この日は夕方にドンハの街へ。
素泊まりした後、翌早朝のバスでラオス国境へと向かった。
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