1994/08/24 - 1994/08/29
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北風さん
「ハノイ」はベトナム戦争時代は、北ベトナム軍(つまり、中国・ロシア共産国側)の本拠地となっていた街だった。
ベトナム戦争での勝利国が北ベトナム軍という事は、当然、ハノイは現在の首都でもある。(もし、南ベトナム軍が勝ったなら、サイゴン=ホーチミンが首都になった?)
長期旅行者の間では、ベトナムは南と北で全く違う国になると言われていた。
南ベトナムを象徴する街「ホーチミン」は、さすが民主主義、自由主義国の代名詞「アメリカ」が拠点にしていただけあって、確かに現代的で、垢抜けて、明るく、そして気の抜けない胡散臭い雰囲気が漂っていた。
さて、お堅い禁欲主義、共産主義国の代名詞「ハノイ」の現状は・・・
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旅日記
『ハノイへ!』
もう、バスはこりごりだった。
おまけにここから、ハノイまでは今まで以上の悪路と言われている。
ニャチャンまでのバスでも背骨が砕ける思いだったのに。
足は既に、列車が停車する駅に向かっていた。
駅のチケット売り場のおね−ちゃんがにっこり微笑んでいる。
しかし、その魅力的な唇からは、とんでもない発言が飛び出した。
なんと、社会主義国ベトナムでは、列車には外人料金が設定されているらしい。
しかも、その値段が地元の人間の2倍!
なるほど、白人ツーリストがあえて困難を犯してまでもバスを利用するはずだ。
ここで、ケチってバスをとれば、あの、背骨の耐久試験のような移動が待っている。
「背に腹は・・」という言葉があるが、今回は「背骨には変えられない」と決断する事にした。 -
列車のチケット代、2等席、3000円!
ベトナムはなかなか手ごわい。 -
<HANOI(ハノイ)>
ベトナムの首都、HANOI(ハノイ)到着!
戦時中は、北ベトナムの本拠地となっていたこの町は、ソ連・中国側の支援を受けていた事になる。
そのせいか、アメリカの支援で近代化されていたホーチミンに比べると、かなり田舎臭さの残った街だった。
現在でも、ハノイが政治の中心地で、ホーチミンが経済の中心地と言うのが、その証拠かもしれない。 -
ハノイのメインストリートを歩いていると、懐かしい母国語の書かれた布があちこちにひるがえっていた。
日本の首相がここを訪問するらしい。
それより、現在の日本の首相は、村山という名前だったのか?
(日替わりのように変わるので、覚え切れなくなっていた) -
街を行きかう人々に妙な違和感を覚える。
「何故だろう?」と記憶の底を探ると、頭に乗っけている物が南ベトナムの人々と違う事に気づいた。
そう、南ベトナムの人は、あの三角形の笠「ノン」をかぶっていたのだが・・・
<南ベトナムの人>
肌が浅黒く、ミクロネシア系の顔立ちの人が多く、性格は社交性に富み、派手。
主に女性がかぶるのは、編み笠「ノン」 -
<北ベトナムの人>
肌が白く、中国系の顔立ちの人が多く、性格は朴訥、地味。
男性が頭にかぶる帽子は、中国製のサファリ帽。 -
人々の活気が溢れかえるホーチミンに比べると、首都ハノイは、あもりにものんびりした街だった。
未だフランス植民地時代の建物が軒を連ねる街並み。
よく考えると、4階建て以上のビルを見たことが無い。 -
植民地風の建物が、今も数多く残っている市内には、乗り物にも戦争の名残がある。
普通の物より車高が高いバスは軍用のものを改造した物らしく、よく見かけるサイドカーは水平対向エンジン付きの完全な軍隊用のものだ。 -
うーん、のどかだ。
一国の首都に来ている気がしない。 -
ハノイ市内の裏通りの一角に、見慣れない風景が広がっていた。
軒を連ねる植民地風の家々の壁に、ちゃっかり鏡がかけられ、イスが並ぶ。
青空散髪屋ストリートだった。 -
歩道を埋め尽くす、毛髪の海、道路を走りぬける車の騒音以外は、チャキチャキとはさみの音しかしない。
ここを通るたび、俺は何人もの床屋に声をかけられる。
「男が髪を伸ばしてどうする?」
「こっちへ来い!俺のはさみが、お前を男にしてやる!」 -
<What is アオザイ?>
ハノイの街で若い女性を見る度、まるで、タイムスリップしたような感覚にとらわれた。
ジーンズにTシャツが世界共通の若者の普段着で通用している現在、この街では、ほとんどの女性が、このベトナム民族衣装「アオザイ」を着ていた。
「アオザイ」は、正確には「アオジャイ」と発音する。
チャイナドレスに似ているが、こちらは長袖、長ズボンの組み合わせだ。
この熱帯の国で、過ごし易い様に、生地は薄い絹がほとんどで、脇にはざっくりスリットが入っている。 -
現在、政府の民族意識向上政策により、女子高生の制服にもなっているらしい。
社会主義もいいとこあるじゃないか! -
旅日記
『アオザイの誘惑』
俺の宿は、女子校の前にあった。
別段それを重要視して選んだわけではなかったが、なかなかいい選択だったのかもしれない。
安宿の前で、お茶を飲んでいる俺達の前を、女子高生の集団がチャリンコに乗って通り過ぎる。
脇の下まで切れ込んだスリットが、「クワッ」と開いて地肌が覗く。
同時に俺の目も「クワッ」と開き、その横でフレッドがカメラのシャッターを切る。
ベトナムの首都まで来て、俺達は最低野郎に成り下がっていた。 -
<LANG-CHU-TICH HO-CHI-MINHにて>
ハノイには似つかわしくない近代的な建物だった。
実は、ソ連からプレゼントされたこの建物の中には、ベトナム建国の父「ホーチミン氏」が眠っていた。
なんと、記念碑ではなく、建物内部には冷凍保存されたホーチミン氏の遺体が安置されていた。
青白いライトで浮かび上がるタイムカプセルのような棺の中で、遺体は胸の上で手を組まれた格好で眠っている彼の周りを、地元の見学者と共に厳かな気持ちで眺る。
何かの拍子に起き上がってきそうだ。
ソ連のレーニン、中国の毛沢東も同様に冷凍保存されていると聞く。
社会主義は、歴史上の人間を、死してもなお生かしておくらしい。
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