1998/02/27 - 1998/03/03
520位(同エリア1012件中)
kovaさん
これは既に10年も前のお話である。
中国がようやく経済が活気ずき日本人観光客を呼びこもうとしている時代の観光旅行のお話である。
例によりフィルムからDigiに変換してUPしてあります。
早春の江南都市めぐり
上海・紹興・杭州・無錫・蘇州
1998年2月27日 出発 JTB旅物語
1日目 2.27.1998
JAL791便は、成田を10:10に発って上海空港に正午過ぎ到着(飛行時間3時間20分) 、出迎えの中国国際旅行社の案内人にバスに誘導される。
バスは、中型二台で案内者は張さんという一寸スマートな男性と宋さんという二人である。勿論日本語はペラペラである。後から判ったことだが、参加者は48名、殆どはシニアーのご夫婦、中には小母さん同士、爺ちゃん同士、春休みを利用した親子などである。日本からツアーデレクターが1人ついている。
早速、最初の訪問地、紹興へ向けてバスを走らすことになり変化ある旅が始まった。
上海から紹興まではバスを飛ばして約5時間とのこと、市街を出てから幹線道路を文字どおり飛ばすように車を走らすのに驚きである。
しかもコンクリート舗装路ではあるけれどローラなど掛けていない手づくりの路面だから振動が激しく全身に響く。おまけに運転は神業で遅い車があれば追いかけ反対車線に出て追い越して行く、どかなければ警笛を鳴らし続け追い立ててわれ先とぶっ飛ばして行く、 我々の車社会常識ではこの道路は命知らずで無ければとても運転はできまい。
長旅のため途中でようやく見つけたガソリンスタンドに立ち寄りトイレ休憩をして、また中国産ビールを買って貰ってのどの渇きをいやした。初めての中国ビール、美味しく感じておなかに納まった。
また、初めて煬帝運河を見る。
運河沿いの農家が水路に面して並んでおり、はこ柳や鈴懸の木の並木が続く中国らしい風景が見られた。
夕刻に鈴懸の古木が並木になっている街、紹興に到着、勤務を退けて帰る自転車群の流れの中を今晩の宿「ホテル感亭飯店」(HARBOUR RING HOTEL)に到着。 チェックイン前に夕食をこのホテルの隣にあるレストランで食べることになった。
この店はアサヒビールと提携しているそうで紹興酒のメーカーでもあるらしく紹興酒の利き酒をして良いことになり、低級なものから高級酒まで飲ませてくれた。
紹興酒は醸造期間で新年ものを陳酒といい、五年ものは五年陳、八年ものは八年陳といい、味といい、香りといいやはりすばらしいものであった。
中には酒豪のおばちゃん(書道をやっているとか)がいて、散々飲んだあげく二三本まとめ買いをして賑やかしに一番だった。 夕食に初めてグループの人たちと良く顔合わせをしたような気がする。
中華料理は初めて本場物を食べたのだが大変美味しく、先入観念の「中華料理は油っこいもの」とは大変に違っていたし、また日本の中華料理とも違う味で珍しいものだった。 中国旅行が初めてなのだから当たり前だが。
ホテルは出来立てのホヤホヤらしく床は大理石であるし、中国風な紅い壁や飾りが多く、調度類はキンキラキンの黄金色が多かった。
部屋は十分の広さもあり、設備も良く五つ星だと宣伝しているのもうなずける。
2日目 2.28 (土)紹興
朝食をカフェテリアでとったあと蘭亭のある元の桧稽に向かう。途中田舎町の街道を走るものの、道路工事中で土埃もうもうである。
町中は掘りかえされた土埃と煉瓦くずの山である。
観光のため道路の改修に力を入れている感がする。
それにしても中国の道路工事は大変である。どこを掘っているのを見ても粘土や微粉末の土だけで砂利や石がないのだ。 とてもコンクリートで固める日本の工法は採れないだろう。日本とは大違いだ。
粘土を人力でスコップ掘り、切石を積み重ねて縁を作りといった方法である。 これは日本で言えば幕末か明治の初期の工法だ。
蘭亭は竹林の奥にあった。京の草庵風の門をくぐり、小道を奥へと入っていくと、石畳の両岸を持った小な流れがあった。
ここが流しょうの地、かの王義之が書いた蘭亭序の舞台であるが、それにしても金石の座布団とはいくら酒を飲んでもお尻は痛いだろうし、冷えたことだろう。 こんなトコで何時間も詩を読んでいるなんて現代人には耐え難い難行であることは確かだ。
鵞池(義之が好んだと言う池)をみて奥に進むとアヅマヤ風な建物があり、そこには大きな石碑が建っている。 宋の康煕帝が王義之を讃えて書いたものというが、碑の中央が割れて継いである。
文化大革命時の破壊したものを復元した跡だという
さらに小川を渡った山裾に記念館や売店があり、ここの売店に居た書の係員は「王義之が流しょうの宴で興に乗って蘭亭序を記した筆はネズミの髭である」といい、「このネズミのヒゲ筆これで書けば上手に書ける」と言葉巧みに客を引きつけている。
隣では書家が客の希望する漢詩を見本から選んで、半切や扇面に目の前で書いてくれるなど商売熱心だ。
戻り道で右軍廟という展示館があり、そこには王義之の蘭亭序の模写だといわれるいろんな書家の本物やコピーが展示してある。
まさにどれが王義之の真筆に近いのか判らない。
すなわち、王義之の真筆を溺愛する唐の太宗が秘匿してしまい現存して無いのだから何とも致し方のないことだ。
太宗の墓が開示されることはないだろうから永遠のナゾのままで書家の追求心を刺激するだろう。
ここ蘭亭旧跡は書を知っている人、あるいは興味のある人にはとても貴重な見学場所に違いないだろう。
現地案内人の女性楊さんは日本にもいたことがあるらしく分かりやすい日本語発音だが、シ、リなどは強音で耳にひびき少し疲れた。
次ぎに、紹興酒の瓶詰工場を見学、正式の名前は浙江省糧油食品進出口股份有限公司という瓶詰め工場である。
日本では花彫り紹興酒で知られ、塔牌マークで知られ比較的上級の酒であると思っている。
そもそも紹興で紹興酒が出来るのは、第一にコメが良いこと第二に天水湖のタンスイという水の良い湖があるためという。でも地図を見ても載って居ないんだよなー この湖は。
で紹興酒は、非常に有名になり今では量産も出来ず、かといって昔のままでは拡大もできないと言うわけで、ボトリングだけ別工場にしたとのこと。
しかし、製造元から大きなカメに入れて持ってきたものをタンクに開け、一部殺菌して瓶詰め機に掛け自動でやっていますと説明している。
が、機械と言っても瓶に注ぐだけで瓶を洗うのも、並べるのも、レッテルを貼るのも、箱に詰めるのも全て人手なのである。
建物は立派だがやっていることは機械化とはまだまだで、設備資金がないのと、人手がいくらでもあるからがその理由のようだ。
紹興酒で花彫酒というのは、娘が生まれたときに、表面に綺麗な花の模様を描いた大きなカメを作り、それに紹興酒を作って埋めて置いたのだそうだ。そうして娘がお嫁に行くときそのカメを嫁ぎ先へ持っていって振る舞ったものという。
その花彫りが紹興のブランドとしてこの公司の本家醸造元で出している。
我々は、ここの貴賓室に招かれて利き酒をさせて貰った。
安いものから、最高のものでは10年もの(10年陳という)で綺麗な絵の描いてある瓶で1万5千円といっていた。
町中を花彫りのカメを積んだ小型トラックをみかけたが、やっぱり実際に使って居るのだなと見送った。
<魯迅故居>
見学後は市内に引き返し、魯迅の生家(故居)と学んでいた塾(学校)をみる。それは本当に小さな民家の学びやでしかないところだった。
故居のほうは、鈴懸の大木が連なる大通りに面していて門を入ると中庭がありそこには三つ又の植え込みがあり黄色の花を付けている。
その奥は居間や炊事場、阿片を吸っていた父親の部屋、母親の部屋などあり裏手に出ると魯迅が小さいとき遊んだという野菜畑があった。当時のものではないだろうが柿の木もたっている。
魯迅は貧しかったといわれるが父親が地方役人の小さな長か知らないが、家の作りを見ても中流並の家ではなかったのかと思う。
もっとも官職をはなれ阿片に身をまかすようになってから家計も豊かではなく家族の病気などで必然かもしれないが、魯迅が医学を志すもとだったかもしれない。
昼食は市内の紹興国際大酒店の最上階レストランだった。
中華料理も美味しいし、窓からは紹興の市内が良く見渡せ煉瓦作り古い建物をあちこち取り壊して盛んに新しいビルの建築がなされていて興味が尽きない眺めである。
市街総面積 688キロ 人口約 161万
蘇州と並んで景勝地であり、杭州は9世紀から14の王朝がここに都を置いたという。
紹興から何時間かかったろうか、気が付いたときはガイドが銭塘江を渡りますよと言っている。
とても大きな河の橋を渡り杭州に入る。河を渡ったとたん、景色が一変する。
まだ2月の末だと言うのに緑が濃い。常緑樹が多いのだろうか。
霊隠寺
rienshu 西湖の北、山麓にある禅宗の寺でインド僧によって建てられたという。
山門や本堂など壮大な木造建築であり圧倒されるほどであり、大雄宝殿には中国最大の木彫り(19.6M) のお釈迦様がありその両脇には如来とか菩薩とかが遠近感を感じさせるように配置して並んでいる。
どこでも日本と同じように太くて長い線香の煙が立ちこめており、おのぼりさんの参拝者や奉仕者らしきグループ、若いカップルたちなど中国でもまだまだ仏教が生きているのか、あるいは観光なのか改めて不思議な感じがてしまった。
ここは日本からも修行のため、栄西だったかが来訪したところだという。
ここ霊隠寺の向側は崖山で、数しれない摩崖仏が刻まれており、日本ゆかりのものもあるとのことだが見つけられなかった。
霊隠寺から西湖畔に到着、徒歩で蘇堤を歩む。初春の風は未だ寒いが、観光の人々や、散策の人たちが多く往来している。
柳の芽がようやく出始めた程度で湖面はうっすらとして輝いている。
蘇堤中程の船着き場から、朱塗りの建物を乗せたような屋形船に乗船し西湖遊覧に出る。
いつもはモヤが強くて四方が良く見渡せないそうであるが、「市街地も遠望でき今日は素晴らしい日和です」とガイドがいう。
この広い水面が全て浚渫湖だとは信じ難いものがある。
西湖は周囲15キロ 面積5.6 平方キロ 四季を通じて姿を変え、天気の変わるたび、そして朝、昼、夜とまた表情を変えるという。
我々が船着き場に向かう頃、夕陽の斜光の中で光る湖面に舟遊びをする人たちがシルエットになって浮かんでいた。
<西冷印社>
下船し白堤(白居易の作業になる堤)を渡り、西冷印社を見学。
西冷印社は中国の金石てん刻を研究する印章学の学術団体で、1904年に設立されたという。
いくつかの建築は木造の趣を凝らしたもので、豪壮な石組みの枯山水と調和して中国文化の重厚さをみせている。
巨大な築山のあずまやで西湖を眺めながら妻としばし休憩した。
夕食は、午前中に行った霊隠寺のそばにあるレストラン「天外天」というところ。
ここで面白いものを見た。どういうわけだか解らないが、レストランへ入って行くとき現地の人たちの食べる広間を通って行ったときのことだ。
若い人たちが食事を終えて帰った直後だったらしく、その人達のテーブルを見て我ら一同びっくりしてしまった。
なんとテーブルの上は食べカスだらけなのである。動物の骨やら魚の骨やら無惨な有り様、皿、お箸、楊枝などが散らばっているのだ。 ウエイトレスはいとも簡単にテーブルクロスに包み込んで始末をしている。
みんな驚きの一瞬だった。われわれの社会では山族でもこんな食べ方はしないであろうに!
後で知ったことであるが、中国では食べ物のカスや肉などの骨はテーブルに、あるいは床に捨てるのが習慣なのだそうだ。
ここの中華も大変美味しいものだった。水の都だけあっていろいろな魚が素材としてあった。また、有名な(そうであるが) 乞食鶏を食べる。あの詩人蘇軾が好んで食べたものという。
得もいわれぬあじつけの風味と香りがして、肉はまた柔らかく口、喉に余韻を残してゆく、そんな感じか。
聞けばいろんな香の材料で味付けして、蓮の葉に包んで泥で更にくるみ蒸し焼きにするのだそうだ。
勿論作るのには相当な時間と手間が要るのだそうだ。
生きていて、中国に来て食べられてよかったなーと思う瞬間だ。
宿泊 中山大酒店(ZHONGSHAN HOTEL)
3日目 3.1 (日)
杭州7:45 出発し無錫に向かう。
またゆられて田園地帯を走る。
観光が奨励されてはいるが、まだ休憩所や売店みたいなものはなく、途中トイレ休憩地を見るまで我慢して走らなければならない。
ようやくポイントがあっても、いっぺんにみんな行けないので男子から行く。ガソリンスタンドの私設トイレだ。
ここのはコンクリートの樋みたいなところにするわけだが、間仕切はパッターンの小さい簾があるだけ。 それも2個しか無い。 良く見たら樋の流れて行く先は隣の田んぼの中だった。 みんなが済むまで大変だった。
初めて中国式トイレに出会った瞬間であった。
暑いのに水分をなるべく控えめにして、次の休憩地点までの所用時間を見て、ジュース、ビールなどを飲まねばならない。
私は食べ物か水のせいかお腹が調子悪く、下ってしまい大変だった。 さぞかし後の人が難儀をしたことだろう。
<無 錫>
無錫に到着、大湖畔のレストランで昼食、今回の旅行では朝食夕食ともに全部ビール付きである。
勿論現地ビールだが結構喉も渇いており美味しい。
同じテーブルには羽生から来たという女学生とお母さん、四街道のご夫婦と進学する息子さんの三人組、酒の強い奥さんのいるご夫婦と一緒で賑やかに食べる。
ここは大湖の湖畔で窓から太鼓橋などが見えるほど湖水地方なので、料理も魚、海老、蟹、などめずらしい食材で食べきれないほどだ。
食後、大湖遊覧の船に乗る。浅草の田原町に金庫屋さんをしているというご夫妻と船上で写真をとりあう。
大湖(注参照)は水深が2,3メートル (平均1.9m)といい、とてつもない広い湖面を走る。
あちこちに緑濃い大小の島が点在する。なんと言うことは無いがただ広いなーと眺めるだけだった。
遊覧船を下りてから、錫恵公園を散策、特産品を売る国営の売店を案内される。
売り子は結構日本語がうまく商売上手だ、ただし、中国国内価格からすれば割高の値段、つまりツーリスト価格なのだ。
ここの特産は淡水真珠だ。白やグレイのつぶれた真珠で感じは良いのだが比較的高価でありあまり買う人はいない。
無錫までかなり距離があり暗くなってしまう。昨日も感じたことだが、暗くなった窓の外に民家が点在しているのが見えるが、どの家も明かりが灯っていない。
どうしてだろうと妻と話をして見ていると、かなり遅くなってから、ポツンポツンと裸電球がつきだしていた。
多分電力不足で供給されていないのではないかと思った。
宿舎は無錫四ツ星ホテル「錫州賓館」XIZHOU HOTELで二年前オープンというしゃれた現代風の綺麗なホテルだ。
(注)
大湖 中国の五大淡水湖の一つで、琵琶湖の約 3.6倍( 2,428平方キロメートルの広さ。古来その美しい景観を讃えられてきたが、近年は深刻な水質悪化に悩んでいる。
大湖につながる河川の流域は、江蘇、浙江など三省と上海市にまたがる計36,500平方キロ。流域人口は 3,400万人を超える。今や中国随一の商工業圏であり、その急速な経済発展が、大湖の水質汚染の主な原因となっている。
(読売新聞 中国環境報告 part 3)
4日目 3.2(月)
寒山寺
蘇州は水の都、昔水運が盛んで船旅や運河の交易で賑わった。ここに楓江という河があり、ここに架かる橋のたもとに船泊りして明かした晩秋の寂しさを詠んだ詩
月落烏啼霜満天 江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船
(訳)
月落ち烏啼いて霜天に満つ、江楓、漁火愁眠に対す 姑蘇 (蘇州)場外の寒山寺、夜半の鐘声客船に到る。 張継 「楓橋夜泊」
ここ寒山寺は日本の文学などにこの詩や、寒山と拾得など取り上げられてから広く知られるようになったそうで、今では日本からの観光客でいっぱいである。
運河に続く水路を目の前にした黄色の門を入る。
山門、塔、本堂、経堂、鐘楼その他いろいろの建物があって周りは高い塀で囲まれているかなり広い寺である。
寺の貫首さんが居る売店では、掛け軸や、肉筆書を売っているし、また張継の「楓橋夜泊」の石碑は当初のものが拓本をとりまくって碑面が減ってしまい、次々に作って数えて4本目まであり見ることが出来る。
それぞれ書体も違い、どれがよいかわからない。
半切に書かれた、特長のあって闊達な筆運びの「楓橋夜泊」を買ってくる。
(注)別掲の写真「楓橋夜泊」は、この半切りを小生が表具を実習して完成させたもので大変に気に入っているものである。
グループの人たちは鐘楼に登り鐘を突いている。内部は極めて狭く、鐘もそんなに大きくなく、チャゴン、チャゴンと頓狂な音がうるさかった。
虎丘
蘇州はむかし三国志の少し前、群雄割拠している頃の呉の都であった。
その呉王扶差の父(こうりょ)が死んで此処に埋葬したとき、白虎が来てここの岩山に登り墓を守ったと言い伝えられているという。
この丘の上には煉瓦作りの斜塔(雲巌寺)がある。
その下は寺院があり公園になっていて、岩で出来た広場があり泉(剣池)も湧いている名所で、高校生らしい旅行グループが中国式のポーズをつけて写真を撮っている。
ここの公園で初めて、有料のトイレに入る。
料金は5角ほど、日本の公衆トイレほどのものでおばちゃんが徴収していた。
蘇州の名産品、蘇州絹、刺繍、絨毯、泥人形などを売っている売店を見る。 めずらしいものに両面刺繍があり、実演して見せてくれる。 糸一本、一本のハリで両面に全く同じ絵柄を作ってしまうのだ、驚きの他はない。
国で養成する学校があるのだそうだ。
これは蘇州美人の張現地ガイドが教えてくれた。
蘇州をもう少し見たいところだが、上海向けて出発。
田舎道、蘇州の農村を車が走る。
裕福と見えて農家の建物が皆立派な二階建でしゃれた作り、日本にもないような雰囲気だ。
だいぶ走って陽澄湖畔の料理店(豊澤園)で昼食、蘇州料理と本場上海カニを食べる。
蘇州料理は水産品、野菜、鶏など彩りよく、又さっぱりしたものが多かったように思う。特にご飯が日本のもののように粘りがあって美味しかった。上海カニは小ぶりで食べるのに大変で期待ほどでなかった。
(注)上海カニはここが産地であり日本にも当然輸出されている。 けれども広い湖水だが見ただけで食べたくない気分であった。 あおさが広がり臭い風が来ている。それ以来食べたことはない。
<上海>
午後3時頃か上海に到着、早速乗り込んできた現地ガイドの孫さん、上海の言葉で「今日は」とか「有り難う」とか教えて貰う。
夕暮れ迫る外灘(わいたん)=Band を見物、上海の中心街でビジネスの本場、かつての列強とくに日独英などの築いた建物が現在でも健在、バンドの対岸は新興のビル群が壮観だ。
その中間の運河を長蛇の筏を引っ張る運搬船がエンジン音を響かせて行く。
バンドでは、観光客、ここの若い人たち、年寄り達、いろんな人が集まり景観を楽しんでいる。物売り、物乞いも多くスリに気をつけて歩く。
夕食は、バンドのすぐそば、漕宝路の鉄木真蒙古焼火考というレストラン、まあ、早くいえば焼き肉バイキングである。
ただし、蒙古料理らしく羊や馬肉、牛、豚、鶏と材料は多彩である。
食事の後、国営物産館に行く、色々あるのだが例によって旅行者向けの価格でべらぼうな値段、中国旅行に詳しい同行のシニアーが国家宴会用といういわば政府御用達の紹興酒をコンビニで見つけたと言って喜んで帰ってきたのを見て我らもと妻と出かけた。
たしかに、紹興で買えば五千円以上した五年陳ものが5元(900円)程度で買えるのである。
勿論、他の商品、たとえばウーロン茶、茉莉ファー茶なども土産として良いものであった。
ショッピングが終わってホテル上海賓館(SHANGHAI HOTEL)にまずチェックイン、それから有名な上海雑技団見物に出かけた。
円形の劇場内は殆ど観光客で、しかも大部分は日本人らしかった。
こんな大勢来て居るんだと思いながらも、始まりの挨拶や演技の説明など全部英語でやっているのを聞いて腹立たしくなった。 やっぱり、中国は西欧に顔が向いて居るんだなと。
演技は次から次ぎへと素晴らしい技の連続だった。
特に7歳の少女が全曲逆立ちで演じた「白鳥の湖」には感動させられた。
鑑賞が終わってホテルに帰ってシャワーを浴びたりなどしていたが、中国旅行社の張さん、宋さんは大変だったらしい。
同行の単独参加者の爺さんが、劇場でウエストポーチを擦られたか、失ってパスポートがなくなり警察やら、手続きで殆ど寝ていなかったようである。
5日目 3.3
今日は朝ゆっくりで気分がよい。いつも朝早くからよる遅くまで忙しいので、朝粥も美味しい。
朝の上海市街は通勤の車や自転車ですごい。切れ目なしに続く人波を見ると巨大な動く大都会という実感がしてくる。
自由市場見学ということで、上海の海鮮市場「泰安市場」を歩いてゆく。さすがに湖のものが主体で色々なものがある。 鯉、ナマズ、ドジョウ、カニ、カエル、鰻、海老、蛇、鶏、野菜はもちろんのこと、地のお茶、穀類、衣類、市場と言っても通りを挟んで小屋が並んでいると言った風情のものである。
じっくり歩いて街路の端までやってきてバスと待ち合わせ場所に集合した。
がバスが来ない、待てども待てども、やってこず2時間半も寒い街路に待ちくたびれ、おしっこはしたくなる大変であった。
幸い、コンビニが近くにあってそこで入れ替わり用を済ました。
ようやく、バスの運転手が血相を変えてやってきて何やら案内人に言っていたが、説明によると交通事故に遭いここまで回ってこられなかったという。我々はこの説明に内心納得できなかったがもうお昼の時間になってしまい早く休憩したい一心だった。
それにしても、携帯電話を運転手が持っていないとは驚きで、案内人が持っていても役にたたなかった。
もっとも案内人も通話料は個人持ちだそうから、運転手が持てるはずはないだろうが。
かくして、二カ所目の期待の<豫園>は時間の関係で割愛となってしまった。 ここで中国旅行の始めてのハプニングを経験したことになった。
食事場所も急遽空港への途中虹橋路「新苑賓館」になった。
蘇州中国旅行社はここで思い切りよく食事をサービスしてご馳走させる羽目になってしまった。
図らずもここでお別れ食事会になってしまった。
出発のカウンターでは荷物が一個行方不明になり、我々の添乗員とカウンター中国女性がやり合うトラブルが発生したりしたが、成田到着によって貨物は無事到着をして事なきを得てツアー参加者はそれぞれ家路に向かった。
上海発 14:10 JAL792便 成田着 17:45
それにしても中国旅行は未知の発見と体験で、しかも何やら親しみやすくもあり、あるいは理解しがたい訳の分からないことも多く、同じ様な顔かたちでもやはり、中国は日本とかなり違うことの発見がある面白い旅が出来るところである。
旅行メモ
旅行代金 58,800 *2= 117,600
VISA 料 3,000 *2= 6,000
渡航手続き料 4,200 *2= 8,400
旅行保険料 4,620 *2= 9,240
計 70,620 141,240
空港利用税 4,200 narita
; 2,500 shannhai
事故慰謝(JTBより返還) -6,000
二人分 合計 141,940 円
購入したお土産
紹興酒 2本 800
蘇州泥人形 1箱 2,000
書 楓橋夜泊 1本 1,500
ウーロン茶 2本 400
水墨画用淡墨 1本 1,000
(注)余り欲しいものはなかった。今回の旅行は何よりも中華食のオンパレードであって毎食でも飽きないものと言うことが判った。また、中国ビールもここで飲めば美味しいものである。
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蘇州へ行く途中の風景
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これが隋帝運河だそうでこんな巨大な運河を掘削するとは・・・・・
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蘇州 魯迅の故郷 魯迅が学んだと言う寺子屋風の学校の前で入館を待っている。
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ここが有名な王義之の「永和九年歳・・」で始まる蘭亭序の場所である。
流れる杯の到達するまでに歌を詠み書き連ねたという。 -
義之の愛した池 ガチョウがいるのでガ池と言ったそうだ。
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康煕帝の書による王顕彰碑
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霊陰寺の奉仕活動?の人達 -
霊陰寺で見かけた中国の若い人達
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杭州 西湖畔の風景
春未だ寒き蘇堤のたたずまい。 -
蘇堤湖畔のアベック
春めいて緑が多いと絵になるな・・・ -
無錫へ移動 太湖の入り江風景
レストランがすぐ傍にあり、湖の魚料理を食した。
上手な処理と味付けでした。 -
同じ場所である。 メガネ橋が珍しい。
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剣池 ここから水が沸くのだそうだ。
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斜塔
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寒山十得の寒山寺
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これがこのとき仕入れた「楓橋夜泊」の書。拓本にあらず。
仕上げるのに2〜3月かかったと思う。
伝統的な書法ではなく、現代風な変化の多い書風で初心者の私には面白いと感じたものでした。 -
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上海雑妓団の最後のフィナーレ。
自転車の上にこれだけのダンサーが乗って廻るのです。
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