2009/05/07 - 2009/05/08
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fighters008さん
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バスで行くシルクロード河西回廊 その5
⑤敦煌
-
翌日2009/5/7。
朝起きると、体全体がだるく動きたくない。
ここまで無理をしてきたため、疲労が大分蓄積している。
本来であれば敦煌の街へ散策に出たいのだが、
今日はおとなしくホテルで寝て疲れを取る事にした。
夕方になって沙州市場に食事しに行く。 -
本日のメニュー。
チンジャオロースー。
辛いけどおいしいです。
今日はこれを食べておしまい。 -
翌日2009/5/8。
昨日の分も取り返すべく、敦煌郊外の遺跡に
向かいます。
その途中でも、漢代の烽火台が見えます。
タクシーの運ちゃんも人が良さそうです。 -
敦煌郊外100キロにある玉門関へと向かう道。
周囲はゴビ砂漠で何もありません。
おまけに砂嵐で前方が視界不良になり、
かなり不安です。
ここで車が故障したら助からないでしょう。
この道を1時間以上ひたすら北へ走ります。 -
延々と走って行くと、
前方に、かすかに長方形の建造物が見えてきます。 -
玉門関が見えてきました。
四方は完全な砂漠地帯です。 -
接近して撮影。迫力があります。
玉門関は漢代の関所で当時ここまで権力が及んでいた。
ここから先が本当の意味での西域である。
ただし周囲は広大な砂漠で何もないので、ここにだけ
関所を設けても他からいくらでも侵入可能な気がする。昔は壁で囲まれていたのだろうか。 -
玉門関は小方盤城と呼ばれ、25m四方、
高さは10mほどである。
ここで漢代の軍隊が陣を張ったのであろう。 -
玉門関から西へ15km程行くと、漢代の長城がある。
2000年前の建造物がいまだ風雪に耐えて残っているのは奇跡である。 -
またその朽ち方が何とも味があり、訪れる人を魅了
する。 -
こちらは漢代の烽火台。
当時ここから長安の都まで狼煙で1日で連絡が届いた
そうである。まさに古代の高速情報通信といえる。 -
烽火台より長城を望む。
今回の旅のベストシーンの一つといえる。 -
驚いたのは、ここから西へさらに長城が続いていて、
そのほとんどは朽ち果てて土台だけがかすかに残っている。
漢代の長城ははるかロプ・ノールまで続いていたそうである。
時間と金があれば、ここから西へ長城が終わるまで
ずっとたどって行きたい気がした。
これもベストシーン間違いない。 -
今度は来た道を東に戻り、河倉城に着く。
ここは漢代の武器・食料庫と考えられている。 -
近づいて撮影。
-
裏側に回って撮影。
河倉城を後にして、来た道をまた1時間以上かけて
戻り、次は陽関を目指します。 -
陽関入り口。
現在は陽関博物館が併設されている。 -
遠くに烽火台が見える。
陽関にはこれ以外の建物は残っていない。
頑張って歩いていく。 -
やっと近づいた。
-
この柵を乗り越えた者は200元〜500元の罰金との
注意書き。 -
周囲は荒涼とした砂漠。
所々で砂嵐が舞い上がり、かすんで遠方が見えない。
本当に西域に来たという実感が沸きます。
まさに王維の詩に出てくるように、
「西、陽関を出ずれば故人無からん」です。 -
敦煌の街に帰る途中で、運ちゃんが倣宋古城に
寄ってくれた。
これは映画「敦煌」で撮影したときのセット。
そういえば高校生のときにこの映画を見て、
シルクロードに対する憧れが芽生えたのを思い出します。 -
敦煌の街に戻ってきました。
この街はまさに砂漠のオアシスです。
これは街の中心のロータリーに立つ反弾琵琶像。 -
清真(イスラム)料理の店に入り、
シルクロードでの最後の晩餐を食す。
手前はチンゲン菜と椎茸の炒め物。
観光客はあまり来ない店らしく、店の女の子達が
自分の食べる様子をジロジロ見ていました。
ちょっと食べにくかったです。
長かった河西回廊の旅も終わりに近づいています。
明日は西安経由で上海まで戻ります。
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