2004/02 - 2004/02
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ドクターキムルさん
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九州地方には「あまぎ」と呼ばれる地名が多くある。地図で見ると、「甘木」と表記されている場合が多い。
始めにJR新飯塚駅裏の歴史資料館に立ち寄り、福岡県飯塚市の立岩遺跡がある甘木山から巡った。稲作が広がった弥生時代には、九州北部地方一帯でここの石包丁が稲の穂先を刈るのに使用されたとされる。甘木山辺りを巡ってもどこが遺跡なのかは分からなかった。どうやら線路の反対側を散策したようだ。
次に、筑豊本線を下って、基山から甘木鉄道に乗り換えて終点まで。甘木駅に降り立つと、金文字の「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」の石碑が建っている。平成の大合併で甘木市、朝倉町、杷木町が合併し、朝倉市となった。市と町の合併で町の名が残ったのは、おそらくは郡の名に戻ったからであろうか。甘木市が無くなったことは少し残念ではある。甘木の地名は、安長寺縁起によると、甘木安長が建立した甘木山安長寺(かんぼくざんあんちょうじ)の山号「甘木山」によると言われている。奈良時代頃からの地名のようだ。岡崎敬氏の本には、遠賀川流域から甘木の地に移り住んだと書かれている。そうだとすれば平塚川添遺跡が出来る以前か?そうすれば甘木の地名は古墳時代以前にも遡り得る。今回は市内の甘木歴史資料館を訪れ、平塚川添遺跡からの出土品を見るに止まった。平塚川添遺跡はその後に、レンタカーで回った際に立ち寄った。甘木駅から直線でも2.5km程度は離れた郊外の田圃の中の工業団地の一角にあった。筑後川が氾濫したら水没しそうな平地、おそらく当時は沼地のような立地に、弥生時代中期から古墳時代前期にこのような集落が営まれるのは不思議な気がした。
さらに、西鉄甘木線を下ると西鉄天神大牟田線に合流し、大牟田市に入ると甘木山の麓に東甘木駅がある。甘木山一帯が甘木の地名になっている。弥生以降の遺跡もあり、古墳時代後期の古墳が点在している。今は山頂が甘木公園として整備されていて眺めもいい。焚き火をしているが、人が居ないのが心配だ。見渡しても公園の職員は見当たらない。夕方になって、燻っているだけだから大丈夫だな。そう思って山を下ったが誰とも出会わなかった。
この他に、まだ訪れていないが、熊本県上益城郡嘉島町の緑川北岸の甘木(北甘木)があり、その側に13世紀には味木庄(あまぎのしょう)が営まれる。
甘木の名は一般名詞的な響きはなく、固有名詞的な感じがするのであるが、このように何箇所もの地域に同じ地名が残るのは奇妙な感じがする。
(表紙写真は甘木鉄道甘木駅前に建つ「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」の石碑)
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