2009/11/09 - 2009/11/11
165位(同エリア267件中)
極楽人さん
内陸のロンダからイベリア半島南端の港町アルへシラスを経て、
アフリカ大陸の北西部モロッコへと旅を進めます。
アルへシラスはヨーロッパからアフリカへの玄関口です。
ここにはとんでもない「魔物」が住んでいます。
通りかかる者に「アフリカへおいで〜、アフリカへおいで〜」と囁くのです。
声を聞いた旅人は、熱に浮かされたようにアフリカを目指すことになります。多くの人にとって、アフリカ大陸は謎と冒険に満ちた迷宮の大陸です。幻想も作用して、身体の中では好奇心以上の何かが熱く疼き出します。
学生の頃、リスボンからセビリア〜コルドバ〜グラナダと周遊したあと、
つい立ち寄ったこの港町で"魅惑の囁き"を聞いてしまいました。
見えない手に引かれるように、地図も情報もないままセウタ〜
タンジェ〜カサブランカ〜マラケシまで行ったことを思い出します。
今回の目的地はモロッコ北東部のシャウエンです。
最初の計画ではアルへシラスからマラガ方面に抜ける予定でしたが、
水色の家並みを写真で見てからどうしても行きたくなりました。
これも例の魔力のせいかもしれません。
アルへシラスとテトワンの話は後廻しにして、旅行記の方は一路シャウエンへ急ぐことにします。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
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臨時バスは、列車で行くはずだった約30人の乗客を乗せて、ロンダ鉄道駅を定刻16:41に発車しました。
このバスで初めて、乗車券に記載されている座席番号通りに座りました。 -
バスは山の斜面に刻んだ危なっかしい道を走り、いくつかの峠を越えてひたすら南下し・・・
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1時間と少しで地中海に到達しました。
そこから右折して、海岸線に沿った快適なハイウエーをばく進して・・・ -
列車の時刻表どおりに、出発からきっかり2時間でアルへシラスに到着しました。午後6時40分過ぎです。
終点のひとつ手前が、ちょうど予約しておいたホテルの前だったので、あわてて降りました。
終点のバスターミナルは左奥方向へ徒歩7分、向かい合って鉄道駅があります。
ホテル・マレはフェリー桟橋の正面でもあります。
この夜の一泊と、さらに一日あけてもう一泊の予約をしたのは、モロッコ小旅行の間に大きな荷物を預かってもらうため。予約時に確約しておきました。 -
翌朝8時半、小さなリュックひとつの身軽な旅装でホテルを出ました。
ホテルと同じビルの船会社でセウタ往復を買います。奨められた『高速フェリー』の往復切符はちょっと高めの 69.6ユーロ、帰りはオープンにしてあります。
40年前は確か片道1ドル(¥360)でしたから、値段は約13倍になった計算です。
次のセウタ行きは 9:00出航、毎時1本はあるようです。
桟橋はすぐ目の前ですが意外と距離があって、ぎりぎりの乗船になりました。乗船時、荷物とパスポートの簡単なチェックがありました。 -
フェリーは桟橋を離れ、湾を出て、しばらく英国領ジブラルタルの岩山を見ながら南下します。
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ジブラルタルが後方に流れて少し小さくなった頃、今度は前方にアフリカ大陸が見えてきます。
モロッコのタンジェ(Tange)行きだと船の中で入国手続きをするので慌しくなりますが、セウタ(Ceuta)はまだスペインなので、ここはのんびり船旅を楽しめます。 -
セウタに到着。
わずか45分の船旅、乗船・下船の時間を入れても1時間の短い航海です。
少しでも早く先へ進んでおきたい気持ちから、下船後はすぐにタクシー乗り場へ駆けつけました。
モロッコ国境まで5〜6分(5ユーロ)、そこからは歩いて検問を超えます。 -
写真の左端、海と丘に囲まれた海岸道路にまずスペインの検問所、500mほどの緩衝地帯を挟んだ先にモロッコの検問所があります。ここからは撮影禁止です。
タクシーを降りたときから、ガイドだ何だと人が寄ってきますが、全て無視です。
スペイン出国はスムーズ、さらに500m歩いてモロッコの検問所へ向かいました。久々の国境らしい国境でした。でも、国境自体が"20世紀の遺物"ですよね。
入国書類で『無職』と書いたことにイチャモンがつきます。「ガクセイデスカ?」と日本語。白髪の髭男に対して学生はないでしょうが、仏語、西語、英語の断片が交じり合って返す言葉が通じません。困っているところへ、運よくドイツ語が分かる大男の補助員が来てくれました。「定年退職ですよ」とうまく説明してくれたんでしょう。彼のお蔭で、順番待ちを含めて約40分で国境を通過できました。 -
モロッコ検問所の先にグランタクシーの溜まり場がありました。グランタクシーは都市間の移動を専門にする乗り合いタクシーで、乗客が6人集まると出発します。
とり合えず近郊の町テトワンまで、まだ両替をしていなかったので2ユーロで手を打ちました。手元の資料では「相場は15DH」となっていて、少し高いけど止むを得ません。
運転手を含めて前に3人、後ろに4人。ギュウギュウ詰めで出発、30分間の道のりです。 -
グランタクシーは、だいたいが水色のオンボロベンツ。乗客は身体こそ押し付けあっていますが、無駄口たたかず、不快感与えず、じっと堪えて車内モラルを守っています。何処かの通勤電車よりずっと紳士的でした。
車は海岸を離れ、国旗はためく街道を急ぎます。
路線バスもありますが、断然速く、断然確実で、何より断然面白い・・・
路線バスはグランタクシーの半値ほどですが、不正確なうえ2倍ほどの時間がかかるようです。 -
テトワンで両替。
通貨はダラハム(DH)、1DH=14円というより、10DH≒1ユーロのほうが簡単です。
グランタクシーは行き先ごとに集合場所が違います。
シャウエン行きのグランタクシー乗り場まで、今度は市内専門の黄色いプチタクシーで移動します。これは乗り合いではありません。
シャウエンまで30DHだと言う集客係りのおじさん(写真)に、相場は25DHだと粘って負けさせました。
でもこの情報は古かったかもしれません、地元客はちゃんと30DH払っていました。
僅か70円ほどの差ですが、気の毒なことをしました。 -
シャウエンまでは約1時間の道のりです。
今度も乗客は前2人後4人で、いっさい身動きできません。私は後部座席の左から3番目で、すぐ左に太めのおばさん、右に筋肉質の中年男性が。
何かの拍子に右手を上げたらそのまま下ろせなくなって、疲れてくると次第に筋肉男の肩を抱くような格好になってしまいます。イスラムの戒律に反していそうで心配になりましたが、筋肉男は大人しくしていました。
その右手一本で、右窓へ左窓へ根性のデジカメ撮影。
シャッター音は消しておけばよかったと反省しています。 -
しばらく走るうち、隣のおばさんが咳き込んでなかなか止まりません。空いている右手で胸ポケットの「のど飴」を取り出し進呈したらみんなが注目、結局全員に提供することになりました。
筋肉質の男が「何て名前?」と小声で聞くので、アメのことか自分のことか分からなかったけれど、「龍角散(リュウカクサン)」と答えておきました。彼はその名を、口の中で2度ほど繰り返していました。ミントティーとも通じる(?)ツウの味、独特の風味を気に入ったようです。
前席の一人は口に合わないのか、そっとティッシュに出していました。誰にも合う訳ではないようで・・・ -
13:00 シャウエン到着。いいペースです。
スペインとの1時間の時差を修正するため、時計を12:00に戻します。
村の正式名はシェフシャウエン(CHEFSHAOUEN)ですが
スペイン統治時代の呼称シャウエン(CHAUEN)で今も通っているようです。
タクシーを降りた大通りの先に、メディナ(アラブ旧市街)への入口(左奥の茶色の門)がありました。
これは『アイン門』、志村けんが出てきそうな名前です。 -
門をくぐったあたりは商店が軒を連ねています。
お土産物というよりは生活必需品が中心。
あふれんばかりの商品が所狭しと並べられ、時にはみ出し、まるで町じゅうがドン・キーホーテかロジャーズになったような、ごちゃごちゃした無秩序さです。
こういうのも割と好きです。 -
しかし、その先も商店が続くばかりで・・・
一体どこが水色なんだと、ちょっと横路をのぞくと -
ありました、ありました。
控えめですが、確かに水色の街角が・・・ -
ここからは露地づたいに、ゆるい坂道を町の中心に向かって歩きます。
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意匠を凝らしたドアまたドア。
よく見ると水色にもいろんな色があり、一軒ごとに微妙に違います。 -
これは青に近いドア。
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公衆トイレも、やっぱり青。
ちなみに、公衆電話も青く塗ってありました。 -
♪あ〜〜〜、みずいろの〜まち〜〜〜!
みずいろの『雨』だったでしょうか。
これが見たくてここまで来ました。 -
人が写ると抗議されることもあって、できるだけ人通りの絶えた瞬間にシャッターを切るようにしていますが・・・
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猫なら構いません。
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同系色でまとめた、ツートンカラーの町並み。
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先のほうに、広場への階段が光って見ます。
海の中から出てゆくような、不思議な感覚です。 -
やがて、またお店が現われて・・・
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お土産屋さんも現われて・・・
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メディナの中央、ハマン広場に辿りつきました。
ここは買い物客や散策の人々で賑わっています。
「ハシシュはどう? 」と近寄ってきた若者がいましたが、大きな声で「要らん!」と一喝したら消えました。
このあたりは名産地のようです。
それにしても、「要らん!」は「Iran」とでも理解したのでしょうか。 -
17世紀の要塞は"カスバ"と呼ばれます。
昔、『カスバの女』という歌謡曲が流行ったことを思い出します。
♪〜ここは地の果てアルジェリア
どうせカスバの夜に咲く
酒場の女の薄情け・・・
『カスバ』は、城砦で囲まれたメディナ(旧市街)全体を指すこともあります。
♪〜明日はチュニスかモロッコか・・・ -
その隣のグラン・モスク。
ちょうど午後3時になった頃、モスク附近から低いはっきりとした祈りの声が響き渡りました。
その声は風に乗り、蒼い壁に反響して町の隅々にまで広がってゆくようでした。
"異国"を強く感じさせる響きです。 -
ハマン広場の西に、マクゼン広場。
ここも賑やかで、カフェやレストラン、ホテルやペンションなどが集まっています。
広場の端から「リューカク、リューカク!」と呼びながらやって来る人がいます。
タクシーで隣合わせた筋肉男です。あのとき尋ねたのは、やはりアメではなく私の名前だったようです。「サン」を省略したのは"日本人の敬称"だと思ったからでしょうか。
ご婦人連れだったので、『龍角散のど飴』はあげないまま、軽い挨拶だけで別れました。 -
『休みな!』という親切な名前の宿。
つい、泊まりたくなります。
ペンションの相場は50〜100DH、節約するなら20DHくらいからあるようです。
値段と居心地は必ずしも連動していないので、頑張れば安くていい宿を探し当てることもできそうです。 -
マクゼン広場の中央にある水飲み場(?)。
山麓に位置するシャウエンの水はとても美味しく、モロッコ国内で販売されるボトル水の"人気ブランド"になっているそうです。 -
広場の山寄りに、プール付きの豪華なオテル・パラドール。ガイドブックには「一泊400DH〜」とあって、欧州基準では"割安ホテル"の部類に入る価格帯です。
町をひと周りしたので、そろそろ今夜の宿を決めなくてはいけません。 -
安宿にするつもりで、必需品といわれるトイレットペーパーも持参しましたが、突然、気が変わりました。
ここでは"贅沢"した方が得かもしれません。
オテル・マドリッド、『〜歩き方』では「パラドールに匹敵する・・・」かの如くに書いてありました。
場所はパラドールの坂を下った城壁のすぐ外側です。
フロントで297DH(≒29ユーロ)と半端な数字を言われて、予算内ですが一応部屋を確認しました。 -
なかなか開かない鍵をこじ開けて入ってみたら、これ。貴族の寝室か場末のラブ・ホテル。
あんまり可笑しいので泊まろうと決めて、まずお湯チェック(チョロチョロ)、電気チェック、トイレチェック、テレビチェック、備品もチェック。
シャワーカーテンがない他は、まあまあですか。
いったい、どんな夢を見ることになるのか。
料金は朝食込みですが、カード払いは不可です。 -
ロビーもピンクでまとめてなかなか豪華、大型のパネルテレビにちょっとしたバーもあります。喫煙OK。
ただ、他のお客の気配はありません。
翌朝7時半からの朝食はここでいただきました。 -
リュックを置いて、再びメディナの中へ。
ホテルの前に犬がいて、目が合うと寄ってきました。ピンと立っていた耳を折りたたんで、親密さを全身で表しながら近づいてきます。
シャウエンは猫と犬と子供が多いところです。
犬はほとんどが放し飼い。仲間と群れることもなくひっそり暮らしています。「気配り」や「遠慮」が災いして、この町ではいちばん生きづらいのでは、と同情します。
有利なのは猫。人間に媚びないマイペースの振舞い、仲間と群れて、恥も外聞もなく餌をあさります。 -
今度は広場から坂道を登って、いちばんの高みをめざします。
勾配が急になり、足場も悪くなってきました。 -
城壁の外にたどり着きました。
これがシャウエンの、メディナの全貌です。
たくさんの人々が貧しさと格闘しながら、この中で必死に暮らしています。 -
壁の外の斜面では、荒地に放った羊を追う人。
民族衣装の『とんがりジュラバ』は、昔ドイツの学生寮で事務のアルバイトをしていたモロッコ学生が着ていたものと同じですが、ここではまだ健在でした。 -
牛、馬、ヤギ、羊もたくさんいましたが、中でもロバはいちばんの働き者に見えました。
-
少し戻って、また露地へ。
このへんはシックな住宅街です。 -
建材屋さんを見つけました。
家々に塗られているのは、この塗料でしょう。
青系以外はあまり眼につかなかったのですが、内部に使われているのかもしれません。 -
こちらは『色見本』、これまで見てきた街角にあてはめてみました。
しばらく眺めていると、中からご主人が笑いながら出てきました。
今回は留守番の妻に「青い塗料を買ってきて」と頼まれていましたが、お土産用の小袋はないようです。
『シャウエンの青は"虫除け”だ』と何かで読みました。事実を確認したかったのですが、フランス語混じりのあまりに丁寧な説明で、かえって理解不能でした。 -
反対にご主人から、『キミの煙草もシャウエン・カラーだね』と指摘されて、このショット。
なるほど、壁際に置いたら違和感なく溶け込んでいます。
下地がデコボコなので、この状態で置くのに苦労しました。 -
夕方6時過ぎに一旦ホテルに戻り、レストランが開く夜7時半まで部屋で休憩しました。
テレビはチャンネル数が結構多く、フランスやスペインの放送も受信できます。
天気予報、明日も快晴が続くようです。
気温はスペイン南部と変わらず最高23度、最低15度。寒暖の差が激しく朝晩は涼気を感じますが、日中は歩いていることもあって汗ばむくらいです。 -
夜のメディナに出かけるとき、フロントに「迷子になると10年は出てこられないよ」と脅されました。
10年後ならまだ70代の前半、何とかなります。
もっともシャウエンの迷路は小さくて、すぐ壁にぶつかるので心配ありません。
レストラン選びは、持参した『〜歩き方』のコピーに従いました。一泊なので、確実にモロッコ料理とめぐり合いたかったからです。ハマン広場の裏露地、分かりにくい場所に『ティセムラル』がありました。
古い邸宅を改造したという天井の高い店内には、暖炉もあります。
メニューは決まっていて、前菜やメイン、デザートを何種類かの中から選ぶ方式です。羊スープのハリラ、串焼き肉のカバブ、ミントのアイスを選びました。 -
味も分量も程よく、満足できました。
ただ酒類はメニューに一切なく、炭酸水だったのが悔やまれます。ビールかワインがあれば・・・ 喫煙はOKでした。
コース価格は一律80DH。飲み物とサービス料合計で96DHを、気前よく(?)100DH支払ってきました。
それでも10ユーロまで届きません。安くて、美味しくて、雰囲気の良いレストランでした。 -
翌朝8時半にチェックアウト。
直前にバーで美味しいコーヒーをいただきましたが、これが10DHと、モロッコ価格としては結構な割高でした。
この日は新市街を見ながら、テトワン行きのグランタクシー乗り場まで歩きます。
ホテルからアイン門までは壁づたいの道です。
この道筋に、モロッコでは珍しい「ビールのあるレストラン」があります。一杯20DHと、これも欧州価格でした。 -
アイン門脇の道路標識。
アルファベット併記なので、かろうじて理解可能です。 -
シャウエンのメインストリート『ハッサン二世通り』が、200m先の『ムハンマド5世広場』まで続きます。
そこが新市街の中心のようです。 -
ムハンマド5世広場に建つ大きな『シディ・アリ・ベン・ラシッド・モスク』は、町の守護聖人を祭るそうです。
-
露地に目を向けると、青空市場が。
アラブらしい精悍な目つきの若者が店番をしています。 -
青空市では、メディナの中になかった青果や肉類、生鮮品を主に販売していました。
メディナの内と外、両輪で生活がまわっているんですね。 -
青果店にあふれる野菜と果物。
最近は日本と同じミカンが好んで食べられるようで、バナナと並んで「手を汚さない」のが受けているんでしょうか。 -
青果店を曲がったところが、テトワン行きグランタクシーの乗り場になっています。
青いオンボロベンツが7〜8台、客待ちしています。
今回はちゃんと30DHで手を打ちました。
先頭車両では既に中年夫婦が前の席を、後部座席には品のいいご婦人と、聖職者と思われる人物が掛けています。
自分を入れて5人の乗客、あと一人がなかなか集まりません。
10分ほど待って、欠員のまま発車しました。なんというラッキー、後部はゆるゆるです。
行くまでが面白い、行ってからも面白いシャウエン。「一粒で二度おいしい」町でした。
9:30 シャウエンを後に、スペインに戻る道すがら次の目的地テトワンに出発します。(完)
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