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昨日ひろみちゃんと一緒にオーストリアに着いた。せっかく付いて来たので、是非ともスロヴァキアにも連れて行きたいと思い、朝早く起き、ひろみちゃんを起こしに行った。電車に乗る前へにおしゃれなパン屋に行き朝食を買い、電車に乗った。<br />ブラスチヴァに着いた。旧共産圏なのか、少し寂しげな感じだった。中心部に行くに連れて観光客もちらほら見られ、街も賑わいを見せてきた。街には様々なユニークモニュメントがあった。これは写真に収めなきゃだめでしょ!?だんだん楽しくなってきた。ドナウ川やビールも飲めたし!感じたのは物価が安い!ホットドッグコーヒー付きで150円くらい。スイスで1000円くらい払っていた。こんなにも違うものか。ウィーン観光もあるので、4時間くらいでスロバキアを後にした。ちなみに、ウィーンースロバキア間は電車で1時間、あっという間だね☆<br /><br />概要<br />スロバキア共和国、通称スロバキアは、中央ヨーロッパの国。首都はブラチスラヴァ。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。<br />古代にはサモ王国・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スラブ系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。<br />第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。<br /><br />歴史<br />古代 <br />ケルト人が先住民であるが、1世紀ごろゲルマン人が、この地を支配した。5〜6世紀ごろにスラブ人が移住して来、9世紀には、大モラヴィア帝国を創り上げた。<br /> 大モラヴィア王国 <br />9世紀に現在のスロバキア、モラヴィア、ボヘミア、シレジア地方に大モラヴィア王国が成立。スロバキアでは大モラヴィア王国がスロバキア人による王国であると主張する者もいるが、歴史学的には証明できる事実ではない。又この地域のスラブ人が現在のように簡単にチェコ人、スロバキア人などと言うように分類できない面があった。<br /> ハンガリー王国 <br />10世紀になるとマジャル人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立すると、この地域は北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一地域として扱われるようになる。ただしハンガリーに比べてスラヴ人の多い地域であった。更にオスマン帝国がハンガリーに侵入するとプラチスラヴァ(ポジョニー)にハンガリー王国の首都が移され、ハンガリーにとっても北部ハンガリーは重要な地域と見なされるようになった。この首都移転は北部ハンガリーの人口バランスを狂わせるもので、増加したマジャル人に対して北部ハンガリーのスラヴ人の反感は高まった。19世紀の中ごろに周辺のスラヴ人が民族主義の流れからクロアチア人(クロアチアのスラヴ人から)、ボヘミア人(ボヘミアのスラヴ人から)と呼び名を変えて行く中で北部ハンガリーでは自らの地域・北部ハンガリー地域のスラブ語に転化したスロバキアと名づけ、自らをスロバキア人、自分達が話す言語をスロバキア語であると主張するようになった。またこの頃、勢力の大きいマジャル人に対して、チェコ人(チェック人)とスロバキア人の連合が主張され始めるようになった。<br /> チェコスロバキア独立 <br />オーストリア・ハンガリー二重帝国体制下においてはチェコ、スロバキアは共に連邦国家構想を支持していたが第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。1918年、独立運動の指導者トマーシュ・マサリクは、チェコスロバキアは民族自決の対象となる単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言した。更にハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから収奪した。これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっている。しかしこの行動はハンガリー等で領土回復運動が高まるきっかけとなった。<br /> 独立スロバキア(1939年-1945年) <br />1938年9月29日、ミュンヘン会談。ハンガリーのスロバキア領要求が列強に確認される。 <br />1938年11月2日、第一次ウィーン裁定。南部スロバキアをハンガリーに割譲することが決まる。 <br />1938年11月9日、スロバキア自治政府が成立。 <br />1938年11月30日、チェコスロバキアの国名がチェコ=スロバキア共和国に変更される。 <br />1939年3月14日、ナチス・ドイツの支援により、ヨゼフ・ティソを国家元首としてスロバキアはチェコスロバキアから独立(チェコスロバキア併合)。ドイツの保護国「スロバキア共和国(独立スロバキア国)」となった。ほぼ同時に東部のカルパト・ウクライナ地方(カルパティア・ルテニア)も独立を宣言するがほどなくハンガリーに占領される(第二次世界大戦後はソビエト連邦領になる。現在はウクライナ領ザカルパッチャ州)。 <br />3月23日、ハンガリーがスロバキアに侵攻(スロバキア・ハンガリー戦争)。ドイツの仲介により、南部スロバキアをハンガリーに割譲。 <br />1939年9月1日、ポーランド侵攻に参加し、枢軸国として第二次世界大戦に参戦。 <br />1944年8月29日、スロバキア民衆蜂起。 <br />1945年4月4日、ブラチスラヴァをソ連軍が占領。 <br /> 共産党体制下のチェコスロバキア(1945年-1989年) <br />1945年チェコスロバキア亡命政府が帰国、チェコスロバキア共和国が再興される。 <br />1948年 共産党政権が成立。 <br />1960年 国名がチェコスロバキア社会主義共和国と改名。 <br />1969年 連邦制が導入され、チェコスロバキア社会主義連邦共和国と改名。 <br /> 民主化から連邦解体へ(1989年-1992年) <br />1989年11月、ビロード革命。共産党政権が解体される。 <br />1990年4月、ハイフン戦争の末、国名をチェコおよびスロバキア連邦共和国に変更する。 <br />1992年11月、チェコとスロバキアの連邦解消が決定される。 <br /> スロバキア共和国(1993年-) <br />スロバキアは2004年、EU加盟国となった。1993年1月1日、チェコと連邦解消し、独立(ビロード離婚)。 <br />2000年12月、経済協力開発機構 (OECD) 加盟。 <br />2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟。 <br />2004年4月17日、新大統領に元国会議長のイヴァン・ガシュパロヴィッチが当選。 <br />2004年5月1日、欧州連合 (EU) に加盟。 <br />2006年6月 総選挙行われる。 <br />2006年7月5日、イラク派遣部隊を撤退させる方針を確認。2003年に地雷処理部隊など約100人をイラクに派遣していた。3人が死亡。 <br />2009年1月1日、EUで16カ国目にユーロを導入。 <br /><br />

ユニークモニュメント スロヴァキア ブラスチヴァ

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2009/10/17 - 2009/10/17

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kawabekentarou

kawabekentarouさん

昨日ひろみちゃんと一緒にオーストリアに着いた。せっかく付いて来たので、是非ともスロヴァキアにも連れて行きたいと思い、朝早く起き、ひろみちゃんを起こしに行った。電車に乗る前へにおしゃれなパン屋に行き朝食を買い、電車に乗った。
ブラスチヴァに着いた。旧共産圏なのか、少し寂しげな感じだった。中心部に行くに連れて観光客もちらほら見られ、街も賑わいを見せてきた。街には様々なユニークモニュメントがあった。これは写真に収めなきゃだめでしょ!?だんだん楽しくなってきた。ドナウ川やビールも飲めたし!感じたのは物価が安い!ホットドッグコーヒー付きで150円くらい。スイスで1000円くらい払っていた。こんなにも違うものか。ウィーン観光もあるので、4時間くらいでスロバキアを後にした。ちなみに、ウィーンースロバキア間は電車で1時間、あっという間だね☆

概要
スロバキア共和国、通称スロバキアは、中央ヨーロッパの国。首都はブラチスラヴァ。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。
古代にはサモ王国・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スラブ系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。
第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。

歴史
古代
ケルト人が先住民であるが、1世紀ごろゲルマン人が、この地を支配した。5〜6世紀ごろにスラブ人が移住して来、9世紀には、大モラヴィア帝国を創り上げた。
大モラヴィア王国
9世紀に現在のスロバキア、モラヴィア、ボヘミア、シレジア地方に大モラヴィア王国が成立。スロバキアでは大モラヴィア王国がスロバキア人による王国であると主張する者もいるが、歴史学的には証明できる事実ではない。又この地域のスラブ人が現在のように簡単にチェコ人、スロバキア人などと言うように分類できない面があった。
ハンガリー王国
10世紀になるとマジャル人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立すると、この地域は北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一地域として扱われるようになる。ただしハンガリーに比べてスラヴ人の多い地域であった。更にオスマン帝国がハンガリーに侵入するとプラチスラヴァ(ポジョニー)にハンガリー王国の首都が移され、ハンガリーにとっても北部ハンガリーは重要な地域と見なされるようになった。この首都移転は北部ハンガリーの人口バランスを狂わせるもので、増加したマジャル人に対して北部ハンガリーのスラヴ人の反感は高まった。19世紀の中ごろに周辺のスラヴ人が民族主義の流れからクロアチア人(クロアチアのスラヴ人から)、ボヘミア人(ボヘミアのスラヴ人から)と呼び名を変えて行く中で北部ハンガリーでは自らの地域・北部ハンガリー地域のスラブ語に転化したスロバキアと名づけ、自らをスロバキア人、自分達が話す言語をスロバキア語であると主張するようになった。またこの頃、勢力の大きいマジャル人に対して、チェコ人(チェック人)とスロバキア人の連合が主張され始めるようになった。
チェコスロバキア独立
オーストリア・ハンガリー二重帝国体制下においてはチェコ、スロバキアは共に連邦国家構想を支持していたが第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。1918年、独立運動の指導者トマーシュ・マサリクは、チェコスロバキアは民族自決の対象となる単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言した。更にハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから収奪した。これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっている。しかしこの行動はハンガリー等で領土回復運動が高まるきっかけとなった。
独立スロバキア(1939年-1945年)
1938年9月29日、ミュンヘン会談。ハンガリーのスロバキア領要求が列強に確認される。
1938年11月2日、第一次ウィーン裁定。南部スロバキアをハンガリーに割譲することが決まる。
1938年11月9日、スロバキア自治政府が成立。
1938年11月30日、チェコスロバキアの国名がチェコ=スロバキア共和国に変更される。
1939年3月14日、ナチス・ドイツの支援により、ヨゼフ・ティソを国家元首としてスロバキアはチェコスロバキアから独立(チェコスロバキア併合)。ドイツの保護国「スロバキア共和国(独立スロバキア国)」となった。ほぼ同時に東部のカルパト・ウクライナ地方(カルパティア・ルテニア)も独立を宣言するがほどなくハンガリーに占領される(第二次世界大戦後はソビエト連邦領になる。現在はウクライナ領ザカルパッチャ州)。
3月23日、ハンガリーがスロバキアに侵攻(スロバキア・ハンガリー戦争)。ドイツの仲介により、南部スロバキアをハンガリーに割譲。
1939年9月1日、ポーランド侵攻に参加し、枢軸国として第二次世界大戦に参戦。
1944年8月29日、スロバキア民衆蜂起。
1945年4月4日、ブラチスラヴァをソ連軍が占領。
共産党体制下のチェコスロバキア(1945年-1989年)
1945年チェコスロバキア亡命政府が帰国、チェコスロバキア共和国が再興される。
1948年 共産党政権が成立。
1960年 国名がチェコスロバキア社会主義共和国と改名。
1969年 連邦制が導入され、チェコスロバキア社会主義連邦共和国と改名。
民主化から連邦解体へ(1989年-1992年)
1989年11月、ビロード革命。共産党政権が解体される。
1990年4月、ハイフン戦争の末、国名をチェコおよびスロバキア連邦共和国に変更する。
1992年11月、チェコとスロバキアの連邦解消が決定される。
スロバキア共和国(1993年-)
スロバキアは2004年、EU加盟国となった。1993年1月1日、チェコと連邦解消し、独立(ビロード離婚)。
2000年12月、経済協力開発機構 (OECD) 加盟。
2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟。
2004年4月17日、新大統領に元国会議長のイヴァン・ガシュパロヴィッチが当選。
2004年5月1日、欧州連合 (EU) に加盟。
2006年6月 総選挙行われる。
2006年7月5日、イラク派遣部隊を撤退させる方針を確認。2003年に地雷処理部隊など約100人をイラクに派遣していた。3人が死亡。
2009年1月1日、EUで16カ国目にユーロを導入。

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