2009/09/19 - 2009/09/21
5201位(同エリア7445件中)
のん太さん
旅の始まりは島根編
http://4travel.jp/traveler/nonta/album/10385584/
■■
■□旅程
◎1日目
(↓島根旅行記)
前20:30 出発
前21:00 東京IC→東出雲IC
9:00 松江城
10:30 玉造温泉
13:00 出雲大社
15:20 [世界遺産]石見銀山
(↓広島旅行記)
20:00 広島市内
広島市内泊
◎2日目
7:30 出発
7:50 [世界遺産]原爆ドーム、平和記念公園
8:30 広島城
11:30 宮島、[世界遺産]厳島神社
15:30 福山城
(↓岡山旅行記)
18:40 倉敷市内、倉敷美観地区散策
倉敷市内泊
◎3日目
7:50 出発
8:45 備中松山城
11:50 岡山城、後楽園
(↓姫路旅行記)
15:30 [世界遺産]姫路城
17:20 山陽姫路東IC→東京IC
翌4:00 自宅到着
(3日間移動距離約2020km)
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
-
◎2日目つづき
夕方に福山城に行ったあとPAで尾道ラーメンをいただき、倉敷にやってきました。
泊まったのは倉敷駅前の倉敷ステーションホテル。
駅前は車が渋滞気味で、駐車場にたどり着くまで時間かかった。
提携駐車場(立体)に車を入れて、ホテルチェックイン。
しょんぼりしたビジネスホテルですが、トリプルルームを予約していたのでベッドがちゃんと3台あるよ〜。
これで素泊まり10,500円!
古いビジネスホテルだけど、安くていいっす! -
夜の倉敷美観地区をお散歩。
ホテルからすぐです。
ここはアイビースクエア敷地内のキャンドルワールド(キャンドルを売ってるお店)の前。
桃太郎だぁ〜。
キャンドルワールドもすてきでした。 -
倉敷美観地区は歴史ある町並み。
想像通りの素敵な町並みなのですが、写真がうまくとれない…
三脚必要でした。 -
フラッシュなしだとこんな感じ。
倉敷川沿いの柳並木がよかったです。
あと、ライトアップしていると聞いて煌々としている様を思い浮かべましたが、そんなに光っていなくて情緒感じさせます。 -
ギリシャ神殿風の大原美術館はとても目立つ。
-
お散歩後はホテル近くの居酒屋へ。
ご当地グルメ、ままかりの酢漬けをいただけいました。
とてもおいしい。
魚好きなんで、たまんないおいしさでした。 -
う〜な〜ぎ〜。
これもおいしかったです。
この後、のん太(下戸)は眠くて眠くて、二人を残してホテルで寝支度。
残ったKTちゃんとKPちゃん(飲兵衛)はこのあとも長い夜を過ごしたそうです。
・・・zzz -
◎3日目
さて、シルバーウィークの弾丸ドライブ旅行の最終日。
頑張って早起きして、高梁に向かいます。
目的は、備中松山城。
ここもパーク&ライドな観光地。
途中の駐車場でシャトルバスに乗り換えます。
そしてシャトルバスを降りたとこからさらに20分くらい山登りします。
写真はその途中の景色。
すでに町はは眼下です。 -
足もとも悪くて、結構朝からこの山道はしんどい。
-
ようやく石垣が見えてきました。
-
でもこうやってちょっと大変な思いをする城って攻めがいがあります。
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この日もお天気良い。
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見えてきました、天守閣。
-
天守閣自体はこじんまり。
唐破風が独特な雰囲気です。
●備中 松山城
別名 高梁城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 複合式望楼型2重2階(1681改)
築城 1240
廃城 1874(明治7年)
築城主 秋葉重信
城主 三村氏、水谷氏、板倉氏
遺構 現存天守・櫓・塀、石垣、土塁
再建 櫓・門・塀
概要
現存天守のある12城の中では唯一の山城であり、日本三大山城の一つである。城のあった臥牛山は4つの峰からなり、小松山(海抜約430m)に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。
歴史
1240年秋葉重信が備中有漢郷(高梁市有漢町)の地頭となり大松山に最初の城を築く。1600年関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍に敗れた後、徳川幕府が城番を置く。1617年池田長幸が入城、2代で廃絶。備後福山藩主水野勝成家臣が城番となる。1642年水谷勝隆が5万石で入封。 2代勝宗により3年にわたり大修築が行われ現在の姿となる。水谷氏3代で廃絶、安藤氏、石川氏と入封転封を繰り返し、1744年板倉勝澄が5万石で入封し明治時代まで板倉氏が8代続く。 1868年戊辰戦争、無血開城。 -
さすが現存天守の趣きです。
-
急な階段も現存天守だ〜と思わせるもの。
-
山城なので、城下町ははるか眼下に見えます。
-
最上階。
飾り気のないお城にうっとり(笑)
外に出られないのが残念です。 -
さてお城が続きます。
備中松山城から岡山城に移動してきました。
岡山城、駐車場がなくて大変。
小さい駐車場で、連休だし人出も多くて満杯って感じでした。
立派な石垣と塀です。 -
あれ?もう葉っぱが色づいてる?
…小さい秋? -
岡山城!なんと立派なお城かしら。
下見板張りの黒いお城ってかっこいいって単純に思ってしまいます。
しかもこれだけ大きければなおさら。
入母屋破風が立派で目立ちます。 -
●備前 岡山城
別名 鳥城、金鳥城(きんうじょう)
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 複合式望楼型4重6階(1597)
現在 外観復元(鉄筋コンクリート造・1966)
築城 1346-1369(正平年間)
廃城 1873(明治6年)
築城主 上神高直?
城主 宇喜多氏、小早川氏、池田氏
遺構 櫓、石垣、堀
再建 天守・門・塀
概要
岡山城は標高十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設された。その丘のうち「岡山」に本丸が設けられたことで、城名そして城下町の名の元になった。外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から「烏城」とも呼ばれ、隣県の「白鷺城」とも呼ばれる姫路城と対比されることもある。また隣接する大名庭園・後楽園は、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とともに、日本三名園として並び称される。
歴史
南北朝時代、名和氏一族上神高直が城を築いたのが最初。1570年宇喜多直家が金光宗高を謀殺しこの地を支配。2代秀家は、豊臣政権下57万4千石の大大名となる。1590年から8年間にわたる大改修で近世城郭としての体裁を整え岡山城と城下町岡山の呼称が定着。1600年、関ヶ原の戦いで敗れた秀家は八丈島に流刑となり宇喜多家改易。代わり小早川秀秋が備前・美作52万石の領主となる。小早川家断絶後、姫路城主池田次男忠継に与えられる。1632年長男光政が31万5千石で入封。以後、幕末まで光政系池田氏の居城となる。 -
岡山城を見た後、お隣の後楽園に向かいます。
橋がね〜…味気ないです… -
岡山城から橋を渡って後楽園にやってきました。
入り口すぐの茶屋からは岡山城が見えます。
この景色で一服できたらいいんですけど、時間がないので急ぎ足でぐる〜っとします。 -
なんかこの日、いい天気過ぎて暑い。
そして人がいっぱい。
よってちょっと居心地悪くてあまりいい印象ないんです、後楽園。
日本三大庭園のひとつだっていうのに。
兼六園はとてもすてきだったよねとか、
でも今まで行った庭園の中では香川の栗林公園が良かったよねとか、
好き勝手言ってましたが… -
あれ〜…
あとから写真で見るととてもすてきな空間ではないですか。
もっとゆったりした気分で観光できたら最高でしたね。 -
後楽園内で稲作中。
こうべを垂れるのはまだ先。 -
う〜ん。なんてステキな景色なんだろう…
-
ぞろぞろとみんなに着いて歩きます。ふぅ。
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ここが岡山城を望むビューポイント♪
-
南門から入ってぐるりんと歩きまわり正門まで来ました〜。
-
また味気ない鉄骨の橋(月見橋なんてすてきな名前なのに…)を渡って岡山城側へ行き、駐車場に戻りました。
このあとはこのたび最後の目的地、姫路城へ向かいます。
〜つづく〜
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