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伊豆に安い宿がとれたので、寄り道がてら、戦国時代、豊臣秀吉に攻め落とされた小田原城を訪れました。

伊東へ(1) 小田原評定の舞台、小田原城 ~2007年3月~

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2007/03/10 - 2007/03/11

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korotama

korotamaさん

伊豆に安い宿がとれたので、寄り道がてら、戦国時代、豊臣秀吉に攻め落とされた小田原城を訪れました。

交通手段
自家用車

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  • 内堀に架かる赤い橋。<br />奥に小さい隅櫓が見えます。

    内堀に架かる赤い橋。
    奥に小さい隅櫓が見えます。

  • 南に位置する馬屋曲輪から入る二の丸の表門、「銅門(あかがねもん)」。<br />桝形門の構造で、渡櫓門には名前の由来となる銅板の装飾が施された大扉があります。<br /><br />1872年(明治5年)に解体されたのち、1997年(平成9年)に復元されました。

    南に位置する馬屋曲輪から入る二の丸の表門、「銅門(あかがねもん)」。
    桝形門の構造で、渡櫓門には名前の由来となる銅板の装飾が施された大扉があります。

    1872年(明治5年)に解体されたのち、1997年(平成9年)に復元されました。

  • 小田原城、元々は15世紀中頃に大森氏が築いた山城で、その後北条氏の時代に拡張整備されました。<br />北条氏が滅びて後は、徳川家康の家臣 大久保氏、阿部氏、稲葉氏、そして再び大久保氏が城主となり、1870年(明治3年)に廃城となるまで小田原藩の城として使われてきました。<br /><br />現在見ることができる天守閣は、江戸時代の資料を元に1960年(昭和35年)に復興されたもので、付櫓や渡櫓を持つ三重四階の鉄筋コンクリート造り。<br />最上階の高欄は復興の際に追加したものだとか。

    小田原城、元々は15世紀中頃に大森氏が築いた山城で、その後北条氏の時代に拡張整備されました。
    北条氏が滅びて後は、徳川家康の家臣 大久保氏、阿部氏、稲葉氏、そして再び大久保氏が城主となり、1870年(明治3年)に廃城となるまで小田原藩の城として使われてきました。

    現在見ることができる天守閣は、江戸時代の資料を元に1960年(昭和35年)に復興されたもので、付櫓や渡櫓を持つ三重四階の鉄筋コンクリート造り。
    最上階の高欄は復興の際に追加したものだとか。

  • 天守からの眺め:伊豆、箱根方面。<br /><br />天守閣内部は資料館になっています。<br />城跡敷地内には図書館や郷土文化館の他、遊園地や動物園がありました・・・。

    天守からの眺め:伊豆、箱根方面。

    天守閣内部は資料館になっています。
    城跡敷地内には図書館や郷土文化館の他、遊園地や動物園がありました・・・。

  • 天守からの眺め<br /><br />JR東海道本線と小田急線が乗り入れる小田原駅が見えます。

    天守からの眺め

    JR東海道本線と小田急線が乗り入れる小田原駅が見えます。

  • 天守からの眺め<br /><br />南足柄方面

    天守からの眺め

    南足柄方面

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