2009/10/10 - 2009/10/10
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ソフィさん
2009年10月10日
名古屋発の特急「しなの」は、しばらくして山間に入る。
電車が走るにつれ、次から次へと想い出が頭をよぎる。
20歳代、社会人になった年、山深くに残されている素朴な人情を求めて、同僚10人と清内路峠を歩いたことがあった。
もちろん山の美しさにも、憧れていた。
1953年秋、55年前のことだ。
新宿深夜発の中央線夜行は満員で、それでも床に座ることはできた。
朝露の信州路、その頃まだ貴重品だった下ろしたての白いテニス靴が、まばゆかった。
パンにコロッケを挟んで、朝食とした。
安くて美味くてボリュームがあるこの料理は、当時私の専売特許で、私が主宰する週末山歩きの会を、皆は親しみと若干の侮蔑感を含め「パンコロ会」と名付けていた。
30歳代、1967年だったろうか。
私が国鉄本社建設局で線増課の総括補佐をしている頃、中央東線は複線化工事の真っさ中で、十二兼(じゅうにかね)−南木曾(なぎそ)間複線開業監査責任者としてやって来た。
完成予定が数日後に迫っているにもかかわらず工事工程が遅れ、現場に働く労務者の数が少ない。
そこで私は予定通りの開通はできないと判断し、意を決して「開業一週間遅れの見込み」との電文を用意した。
そうなると、全国ダイヤ改正を控えて、その段取りが広範囲に乱れるので、工事業者の負うべき責任は大きい。
その機に及んで工事業者は、汚名を避けるべくたくさんの働く人を集め、日夜必死の努力を重ね、無事予定通りの完成に漕ぎつけた。
私が「予定通り開通の見込み」と打電した際、「万歳」の叫びが山峡にこだました。
特急「しなの」は40年前のそうした出来事を全く知らない様子で、山間を駆け抜けてゆく。
その頃南木曾(なぎそ)駅は、三留野(みどの)駅と呼ばれていたのではないだろうか。
木曽福島は木材の町、この辺りの中心地だ。
50歳代に入って、木曽駒ゴルフの道すがら、タクシーの運転士さんが謡ってくれた「木曽節」は、今でも目を瞑れば聞こえてくる。
「木曽のなぁ〜中乗りさん・・・」
山の木々の魂を代表したような、朗々と木曽の谷間に響き渡る声だった。
写真は「ソフィーさんのマイページ」(写真6,100枚)、
http://4travel.jp/traveler/katase/
スイスの写真が美しい「片瀬貴文さんのマイページ」(写真2,400枚)
http://4travel.jp/traveler/takafumi/
ブログの作成日順に並んでいる「片瀬貴文の記録」
http://blog.alc.co.jp/d/2001114
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