2009/09/27 - 2009/09/27
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練馬の材木屋さん
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3年間の運転無事故無違反その後の
5年間のゴ−ルド免許、それら8年間が経過
しようとする2ヶ月前、都営路線バスのあとに
くっついて、右折したら「バスはok,
お客さんはど-ぞ違反切符」、1台も走行していない
交差点の手前で車線変更したら「お客さんいらっしゃい」
で
免許書き換えのため、埼玉県鴻巣市にある免許センタ−
まで、バス2つと電車3つを使うハメになった。
実にしゃくなことである。
私の営業エリアは東京練馬が主体だが住いは隣の
新座市その新座市から深谷市までの大紀行記です
鴻巣のそれはくだらないので省略
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- その他
PR
-
自宅の前におなじみ「ウニ」の木
食べごろです、ただすし屋などで「時価」
などとあったら、気をつけて下さい
トゲトゲ、イガイガにご注意 -
近所の墓地で
お地蔵さん2体
宝暦?年とある徳川9代家重のころ
1750年ごろの作
このふたりカメラをむけたら
照れて、顔を隠してしまった -
荒沢不動明王
延宝2年(1674)4代将軍家綱の時
江戸幕府の諸制度が整ってきたころ
このご本尊、小屋掛けすると
必ず、火事にあうとの事
屋根を作ってきた人達、最後は
うんざりして、「もうやあだ」
お参りするところはちゃんとした
お堂でも、お不動のみは野ざらし
雨さらし、写真はちゃんとした
屋根つき畳しきの参拝堂から
気の毒なご本尊を。 -
お墓その1
安永2年、4年とあるから
1773,1775年の没年
将軍は9代家重
老中田沼意次が辣腕をふるっていて
ワイロが横行、官僚政治華やか
庶民生活は現代と似ていたのかな -
お墓その2
享保10年(1725)没
と刻まれている
8代将軍吉宗の治世のころ
この頃、江戸町火消しの制度や
人口調査などが始まった -
お墓その3
宝永2年(1705)6代将軍
家宣の頃
新井白石が登用されていた
この二年前に富士山が大噴火をおこし
被害があった、それから今まで
富士山はなりをひそめているが
信用できない。
左に元禄12年(1695)とあるのは
5代将軍綱吉の頃で、この2年後に
浅野さんが吉良さんに切りつけた。 -
お墓その4
寛政4年(1627)
3代将軍家光の頃
江戸幕府の威光が諸藩に行き渡り
鎖国政策の始まったころ
そのほか
天保、文化、慶応などの時代の
お墓がある -
「マン儒者下」
どうしてこういう風に
変換されるのかね
昔の、DOS頃の
松茸とかATOKとか
に比べると、近年の変換システム
の作り手は「ばかあほ」の領域にある。
話がそれた、「マン儒者下」には
黄色のもあるんですね -
この春大変お世話になった
「タケノコ」の木
来年も「ガンバロ−」 -
「綿アメの木」「綿菓子の木」
だろって、あ-たね、ほざいたね
私はプロの材木屋だけんね
なめてはイケナイこれはだね
ケヤキ -
間口1間奥行き21間の不思議な空き地
道路跡ではない、詳細については
目下調査中
このあと、バス1本
電車3本、バス1本を
乗り継いで鴻巣市まで行く
屈辱の免許書換講習2時間を済ませて
それから。 -
思いつき紀行のオソマツ
デジカメの電源切れた
ここからは携帯で
高崎線、13:29鴻巣乗車高崎ゆき
877M運転席はかなりデジタル化
されている
この運転手も運転が楽しくてたまらん
みたいな雰囲気をだしていて、完全な
鉄チャンなのだろう -
深谷駅に到着
なんだなんだあの建物は -
乗降客ど-せ一日5人くらいのくせになんで
こんな駅舎と思ったら由緒正しい
レンガ工場があって、PRのため
東京駅に似せて、レンガタイルを
ぺったんぺったん貼ったら
こうなった -
深谷市内をテクテク
中仙道の宿場町
渋沢栄一の生誕地で
近代的なレンガ工場も
作ったんだって、古代は
瓦の生産地だったって。
今は皆眠っている。
歩いている人に出会わない。 -
浄土宗石流山「清心寺」
どうしてこんな所にきたかというと
JRの駅にあったミニコミ紙に
平薩摩守忠度の墓があると書かれていた
それを、退屈な免許更新講習の合間に
こっそり、堂々と読んでいて
「嘘こくな--忠度は一の谷の合戦で
死んだんだぞ、墓は須磨とか
明石あたりの優雅なところだろ
駄さいたまの、深谷になぞあるものか」
よ-しそんなら行ってみんべ
で -
「ありゃ本当だよ」
忠度を討ち取った
岡部六弥太が自分の生地に
首を持ってきて
勅撰和歌集にも載せられる
ほどの
平家の公達の菩提を
弔ったのだね -
狂言の演目に「薩摩守」と
いうのがあって、博多の
大濠公園能楽堂だったか
奈良の県立能楽堂だかで
演じたことがあったが
それは「ただのり」という
無銭乗船の駄洒落を
もっともらしくした
番組だった。 -
今から900年位前の
お話がここに眠っている -
どう考えてもこの駅舎
身分不相応だ -
帰りは疲れたのでJRエア−
深谷空港発上野空港行き
1234便に搭乗する
使用機材はマックラネスダガラスの
DC-13ダッシュ400
2階建てである
JRの傍系エアラインなのでなんとなく
電車に似せてある
搭乗口付近も駅のホ−ムのようで
グリ−ン券などとかいてあるのも
実に芸が細かい。 -
シ−トピッチ84インチの
席はガラガラ、もっとも
現地の天候により最寄空港の
池袋か新宿空港に降りることもあると
チェックインで言われたから
こちとらその方がいいのに -
CAのオネ−チャンが
飲み物を配り始めた -
いいねいいね
国内線のくせに
ビ−ルくれたよ
サ−ビスいいね -
もうすぐ離陸
シ−トベルトちゃんと締めた -
巡航速度55ノット
高度は聞き漏らした
1階席も
ガラガラ -
帰ってきた
夕焼け空に幾く筋も
飛行機雲 -
「お帰り」
「どちいっちたの」
「おぎやめは」
「そんなのあるか」
「ちっ」
なんたって、我家全員
あの超難関で知られる日本猫語検定の
準一級の資格をもっているので、会話は
スム−ズである。ただお土産のことを
「おぎやめ」などと言うので、多少読解力を
きたえねばにゃらにゃい。 -
そんなこんなで
壮大な歴史紀行だか
お墓紀行だかはおしまい
なんだか知らぬが
クリがあった。
左は栗ご飯で右は
甘-く煮て暫く
放っとくとのこと -
それでもって
栗の皮をむいて -
庭から季節外れの
お茶のはなをとってきて
ついでに南天の葉っぱも -
今日は栗ご飯と
この「サンマ」は
三枚に卸し、30分塩に浸し
水洗いした後、30分
酢でしめて、刺身にする。
お供は諏訪の銘酒「真澄」
永---い一日はかくして終了
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この旅行記へのコメント (1)
-
- 権天使さん 2009/10/01 21:21:14
- あのねぇー
- うち、浄土宗。
あと、私の先祖と浅野さんは知り合いでした。
それと、、、 おお、そうそう。
札幌往復、とりあえず 「鶴」 になったから。
すまねぇ。
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