2009/07/08 - 2009/07/08
253位(同エリア386件中)
まみさん
2009/07/08水 キエフ観光3日目
<ペチェールスカ修道院>
上の修道院から入場
・トラペズナ教会でミサ見学
・ウスペンスキー大聖堂、修復中で入れず(泣)
下の修道院へ
・「近い洞窟」
上の修道院に戻り
・国立ウクライナ民俗装飾美術博物館
・ミクロミニアチュール博物館
・ウスペンスキー大聖堂宝物展示
・ウクライナ歴史文化財博物館(スキタイの黄金文化@)
【一等寝台泊:キエフからクリミア半島のシンフェロポリまで】
夢中になって写真を撮っていたら、おじさんが近付いてきました。
僧侶でもなく、いかにも一般人のおじさんです。
「ここは撮影禁止だよ」とでも言いに来るのでしょうか。
そんな風に口をはさむおじさん・おばさんはよくいます(おばさんの方が多いです)。
特にこのような宗教施設では。
はいはい、分っています、建物の外観を撮るだけでも有料なんですよね。
私はきちんと払ってます。ほら、これがフォト・チケットよ。
───そのようにすぐに答えられるよう、チケットをしまった旅のルーズリーフノートに手を伸ばして、おじさんを待ち受けました。
おじさんは私に向かって言いました。
「クラースノ(美しいだろう)?」
一瞬、ぽかんとしてしまった私でしたが、すぐに盛大にうなずいて、「クラースノ、クラースノ」とおじさんのことばを繰り返しました。
それを聞いたおじさんは、嬉しそうにうなずいて去って行きました。
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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門を入って内側から、順光で鮮やかに撮れた三位一体教会
「三位一体教会
12世紀初頭に建てられた教会。現在、ペチェルスカ大修道院の正門となっています。正門をくぐった左手に教会への入口があり、入口を入ると「寺院から追放される商人」と題された壁画が描かれています。寺院の内部は三位一体をモチーフとした壁画で飾られ、1725年に取り付けられた全部で重さ500キロにおよぶ16本の蝋燭が、聖堂の中央に吊されています。」
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「キエフ案内(2007年1月現在) III. 観光」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/kyivannai/3kyivkankou.htm#kankou
中は一見の価値あり、とLonely Planetでも薦められていたのですが、入口が分かりませんでした。
Lonely Planetにもメインゲートをくぐってすぐに左に曲がれとあったんですが。
後で寄ろうとしたら、結局、時間がなくなってしまいました。 -
三位一体教会前は、団体さんの待合場所
少し後ろに下がって三位一体教会の全体を撮りたかったのですが、この場所は人が途切れることがありませんでした。
右手の建物に何かの受付かインフォメーションのようなものがあったからでしょう。
到着したのは9時15分で、団体さんにもまだそんなに遭遇しませんでした。平日のこの時間帯は空いていました。 -
鐘楼前にあった鐘
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鐘楼と、いわくありげな瓦礫
「大鐘楼
1744年、サンクト・ペテルブルグ出身の建築家シェーデリの設計で建てられました。四階建て高さ96.5mの塔に金色の円屋根が付いています。3階には、13個(約100t)の鐘楼が吊されていましたが、現在その内の3個だけが残っています。鐘楼の最上階からは、キエフの景色を一望できます(別料金)。この鐘楼の最先端が、キエフで一番高い所だとされています。」
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「キエフ案内(2007年1月現在) III. 観光」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/kyivannai/3kyivkankou.htm#kankou
2008年6月刊行第二版のLonely Planetにも、174段の階段を上って鐘楼からの眺望が楽しめるとありましたが、2005年現在修復中で、それが終わるのは早くても2009年とありました。
この日、入れそうになかったし、鐘楼に上っている人はいなかったので、2009年7月現在はまだ一般公開が再開されていなかったということでしょう。
鐘楼は、ちょっとだけピサの斜塔を連想させます。
ただし、斜めに写っているのは、広角側のレンズの歪みと、私のカメラの構え方のせいです。
瓦礫は、第二次大戦中に爆破されたオリジナルのウスペンスキー教会の破片であることが後で分かりました。 -
朝の光のもとのウスペンスキー大聖堂
逆光……。
でも午後は小雨まじりの曇りでしたし、観光客の数がずっと多くなったので、後から思えば、このときがこういうアングルで撮る一番の撮影チャンスだったといえるかもしれません。
ウスペンスキーとはdormition、つまり聖母マリア就寝教会です。就寝といってもお眠りあそばしたのではなく、亡くなったことを意味します。
「聖母マリアは、他の人間とは異なり、「眠りにつかれた(マリアは「死んだ」とは考えられていません)」後、直接天に召されました。したがって、死体も存在しません。聖母マリアの「お眠り」のことは、英語でDormition、ギリシャ語でKoimesis(現代ギリシャ語では「キミシス」と読む)と呼び、八月十五日がその祝日となっています。これに先立つ二週間は断食期間で、告白をして、聖体拝領(コムニオン)を受けなければなりません。」
(HP「ギリシャへの扉」─「ギリシャ正教会」─「聖母マリア」より引用)
http://www.mesogeia.net/orthodox/teotokos.html -
ウスペンスキー大聖堂の美しい扉
現在あるのは2000年に再建されたものであって、Lonely Planetによると、これを爆破したのがナチスだったのかソ連だったのか、歴史家の間でまだ特定できていないようです。
修復中なので入れないのかなと思ったのですが、Lonely Planetには、たいてい土曜の午後5時か日曜の朝7時に行われるミサのときなら見学できるとあったので、逆に、ふだんは入れないのかもしれません。
どうりで「地球の歩き方」に特にウスペンスキー聖堂についての説明がないはずです。
残念ながら本日は水曜日です。
これでも、日程と相談しながら、ペチェールスカ修道院内でぜひ行きたいと思っているミュージーアムの休館日は外したんです。 -
金細工の美しい扉
「ウスペンスキー寺院
ペチェルスカヤ修道院の主聖堂であるこの寺院は1941年11月、第二次世界大戦中にドイツ軍あるいはソ連軍によって破壊され、今でも真相は謎のままです。もともとは1073年から1089年にかけて、古代ロシアの建築家と12人のギリシャ人によって建てられました。寺院の大きさは、高さ43m、長さ34m、幅30mあり、壁と床はモザイク画とフレスコ画で飾られていたそうです。
1949年、神話を題材に描かれた12世紀のプレートがドイツから返却されましたが、多くの美術品は爆破される前に既に修道院関係者らに持ち出され保管されていたようです。
現在の寺院は2000年秋に外側、2001年に内部の修復が整い開帳されたものです。」
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「キエフ案内(2007年1月現在) III. 観光」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/kyivannai/3kyivkankou.htm#kankou -
ウスペンスキー教会の壁画の一つ、弟子と天使に囲まれるマリア
お眠りのシーンかしら?
正教会だとマリアのお眠りのシーンの絵は、マリアはベッドに横たわっている絵が多かった気がしますが、たくさんの弟子と天使に囲まれています。
だから、これは天使が迎えに来ている図に見えなくもないかな、と思いました。
あるいは、弟子が、イエスの復活のことをマリアに伝えに来ているのかな。 -
見ることが叶わなかったウスペンスキー大聖堂のイコノスタシス
(ペチェールスカ修道院で買ったフォトガイド「The Kyiv-Pechersk National Historico-Cultural Preserve」より)
外観にふさわしい金きら豪華なイコノスタシスです。見たかったな。
イコノスタシスとは何ぞや。
簡単にいうと、聖職者しか入れない聖なる空間である礼拝堂と、一般信者が立ち入れる俗なる世界との境界となっているイコンの壁です。
こちらの旅行記の写真コメントもご参照ください。
「イコンのこころ」(高橋保行・著/春秋社)から、イコノスタシスの説明となりそうな部分を引用しています。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967865/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967883/
関連の旅行記「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(4):ブラショフ中央公園とルーマニア正教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10135677/ -
イスラム寺院の屋根のようなドームをもつトラペズナ教会
「オリエンタル風の柱が並ぶトラペズナ教会
19世紀後半に建てられた、比較的新しい教会。平べったいドームの下の教会は、修道院の創設者である聖アントニオスと聖フェオドスィを祀ったもの。西側に続く長方形の建物はもと修道院の食堂で、オリエンタル風の柱が並んでいる。
教会内部を覆うフレスコ画は20世紀初頭にポポフらによって描かれたもので、モダニズムの影響が強く見られる。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)
1893〜1895年建築。第二次世界大戦で損傷を受けましたが、戦後に修復されました。
ペチェールスカ修道院で買ったフォトガイド「The Kyiv-Pechersk National Historico-Cultural Preserve」より補足。
午前中、この向きは逆光で、撮りづらかったです(泣)。
下の修道院から見上げた方がいいアングルで撮れました。 -
トラペズナ教会を順光で青空と一緒に
中を見学できました。
ちょうどミサの最中でした。
迫力の男声のアカプラの音楽で、腹の底から力いっぱい歌っているぞ、というかんじでした。
それから、たいていの教会のミサは司祭さまは1人なのに、ぞろぞろいました。
特別なミサだったのか、トラペズナ教会ではそれが普通だったのか分かりません。
司祭以下の聖職者には、空色の礼服の人と黒服の人とがいました。
正教会の序列には詳しくありませんが、空色の礼服の人は助祭で、黒服の人は修道士かな。 -
ウスペンスキー大聖堂の脇から鐘楼
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下の修道院へ向かう途中、後ろから見たウスペンスキー大聖堂
おじさんに話しかけられたのは、この写真を撮っているときです。 -
ホワイトバランス「晴れ」モードで撮り直したウスペンスキー大聖堂の後姿
さきほどの写真は、ホワイトバランスを「曇り」にしたまま撮っていたことに気付きました。
「晴れ」モードで撮ると、色合いは爽やかです。
でも、「曇り」モードの、ちょっと暑苦しいくらいの黄味がかった写真も、あれはあれで気に入りました。 -
壁に聖人のイコンがたくさん@
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ホワイトバランス「晴れ」モードで撮り直したウスペンスキー大聖堂の後姿
色合いは爽やかになりますが、黄金はちょっと冷たいかんじになりますネ。 -
とりわけ豪華な部分@
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下の修道院に向かって坂道を下りる途中で撮ったウスペンスキー教会
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下の修道院で洞窟を見学して戻ってきた後の11時頃
ウスペンスキー大聖堂の背後の黄金の光輪に注目。 -
下の修道院への坂道の塀の一部
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曇り空で一層光る黄金ドーム
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黄金カップのような装飾のある列柱
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東屋で一休み
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東屋の屋根下の細部
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ウスペンスキー大聖堂、正面の一部
昼近く、太陽はこの大聖堂の真上にあって、この向きはまだ逆光でした。 -
正面ファサードと黄金の屋根
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少し開いていた、美しい扉
さりげなく撮ったように見えると思いますが、どこでファインダーを切るか、慎重に選んだ1枚ですよ@
実は中は修復中でもあったので、こっそり覗きに入ることはできませんでした。 -
一休みした東屋
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お城のようなウスペンスキー大聖堂
そろそろ順光になるかな、ってところか。
じりじりタイミングを測っています。
せっかくの良い天気なのに、青空を背景に撮れないなんて残念ですもの。 -
ウスペンスキー大聖堂、横から
違う建物に見えます@ -
ほれぼれする細部
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青空を背景に映える黄金ドーム
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民俗装飾美術博物館を見学後の13時すぎ
トラペズナ教会とウスペンスキー大聖堂。
この右手背後に民俗装飾美術博物館があります。 -
三位一体教会脇の中庭と記念碑
時刻は14時半ごろ。
民俗装飾美術博物館の後、ミクロミニアチュール博物館やウスペンスキー大聖堂宝物展示などを見学し、それから少し休憩した後です。
最後に、ペチェールスキ修道院で一番のハイライト、スキタイの黄金のあるウクライナ歴史文化財博物館を見学します。
この記念碑は、ペチェールスカ修道院で買ったフォトガイド「The Kyiv-Pechersk National Historico-Cultural Preserve」によると、ギリシャのオスマントルコからの独立運動に参加したギリシャの愛国者に捧げられたものだそうです。
ギリシャの独立といえば、イギリスの詩人バイロンがその独立戦争に参加し、その最中に亡くなったことが有名な、アレですね。
この記念碑は1816年に作られたものですが、1997年に修復されているとのこと。 -
雲行きが怪しくなってきた午後の空の下でのウスペンスキー大聖堂
曇り空の下では、黄金ドームが晴れ空よりも妖しく艶やかに輝いていたので、ウクライナ歴史文化財博物館に向かいながら、ささっと撮影。 -
ウスペンスキーの脇からトラペズナ教会
でも実は、ウクライナ歴史文化財博物館に向かう前に、おトイレに寄ったんでしたっけ。
トイレは下の修道院へ向かう坂道の途中にあります。
こちらの地図を参考。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17143133/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第4日目(1)キエフ:バスに乗ってペチェールスカ修道院へ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10374643/ -
噴水のあるちょっと粋なエリア
背後の建物は、書籍印刷博物館でした。
「国立ウクライナ書籍印刷物博物館
18世紀には修道院の印刷所だった建物を利用し、修道院内に伝わる貴重な書籍や印刷製本技術の歴史を展示した博物館。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
書籍印刷物博物館の前から、ウスペンスキー大聖堂の魅惑の背後
晴れているときに撮ったのとは、また違った魅力があります@ -
ウスペンスキー大聖堂と鐘楼
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帰り間際に撮った1枚、ウスペンスキー大聖堂といわくありげな瓦礫
なんのいわくがある瓦礫かは、後で分かりました。
「ウスペンスキー寺院の爆破
ユネスコ世界遺産の一つに登録されているペチェルスカ大修道院の敷地内に、ここでは最も古い寺院であったウスペンスキー寺院があります。しかし現存しているのは、ウクライナ独立後に再建されたもので、昔の寺院は第2次世界大戦中に爆破されてしまいました。ウスペンスキー寺院が爆破された理由としていくつかの説が挙げられていますが、その爆破で命を落とした学者チェルノフビウ氏の婦人が語ったものは興味深いです。
「1941年11月3日(当時キエフはドイツ軍に占領されていた)、スロバキアの軍人ティッソがペチェルスキー大修道院を訪問した。当時、スロバキア人はドイツ人と同様に、ソ連軍にとってはファシストであり人民の敵であった。ウスペンスキー寺院を爆破させようとあらかじめ地雷を仕掛けていたドイツ軍にとっては、その爆破をソ連愛国者によるティッソ暗殺に見せかける絶好のチャンスであった。当日、ティッソが大修道院の敷地内から一歩足を踏み出した途端、ウスペンスキー寺院は爆破し崩壊した。」
おそらく、ドイツ軍は、ギリシャ正教を代表し、ウクライナ人の心のよりどころでもあるウスペンスキー寺院を爆破することは、ウクライナ人に対して精神的なダメージを与えることができると考えたのではないでしょうか。
なお、第二次大戦後、ドイツは修道院内にあった財宝類を全てウクライナに返還しています。」
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「ウクライナ・エピソード集(2006年7月)」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/Episodes_ukr.htm
以上、ペチェールスカ修道院の「上の修道院」で撮った写真を集めました。
「下の修道院」で撮った写真は、次の旅行記「2009年ウクライナ旅行第4日目(3)キエフ:洞窟見学しに、ペチェールスカ修道院の下の修道院へ」にて。
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