2009/07/06 - 2009/07/06
303位(同エリア385件中)
まみさん
2009/07/06月 キエフ観光1日目
・独立広場
・聖ソフィア大聖堂(教会、鐘楼、パン焼き場を利用した企画展、琥珀博物館)
・黄金ドームの聖ミハイル修道院の教会
アンドレイ坂を少しだけ見学した後
・ウクライナ歴史博物館
・そばの小さな教会のミサを見学
・アンドレイ教会
【キエフ泊:ホテル・フレシチャーチク(Khreschatic)】
先史時代から現代まで回り終えたと思ったのに、続く展示室ではまた昔に戻ってしまいました。
どうなってるの、この博物館の構成?
と思ったけれど、眺めていくうちに、たぶん今度は民俗コレクションを集めたのではなかろうかと思いました。
民俗コレクションを見るのは大好き@
しかも、東欧の民俗品は、素朴ながらも可愛いものが多いです。
というわけで、これまでの東欧旅行でチャンスさえあれば民俗博物館を回ってきました。
ただし、完全に素人なので、国ごと、あるいは民族ごとの見分けなんて、できません。
このウクライナ国立歴史博物館にも、他の国の民俗博物館で見た覚えのあるコレクションがいくつもありました。
もっとも、伝統的な文様やデザインは村単位であって、人の営みに、本来、国境は関係なかったはず。
民族闘争や信仰問題、政治外交のせいで国境線は何度も塗り替えられたり、ひとつのエリアの民族が強制敵的に交換されたりしてきたのですから国を超えて似たコレクションがあってもちっともおかしくありません。
たとえば、ブコヴィナ地方はひとつの文化エリアにくくられるのに、いまはルーマニアとウクライナに分断されています。
ウクライナに、ルーマニアでみたブコヴィナ地方の民俗品に似ているものがあって当然です。
同じことは、ウクライナの一部を長いこと支配していた、西はポーランドやオーストリア・ハンガリー帝国、そして東はロシアの民芸品に似たものが、ウクライナにあってもおかしくないわけです。
※ウクライナ歴史博物館の旅行記は次の3つに分けました。
(1)歴史が分からなくても楽しめる!?
(2)魅惑の民俗的コレクション
(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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中世の鎧・武器
さっき現代までたどりついたのに、次の展示室ではなぜか、また中世に逆戻りしました。むむむ。
それに、羽のある鎧……というとポーランドを思い浮かべます。
その連想はあながち間違いでもないでしょう。
16世紀から17世紀。貴族の承認がなければ軍隊もろくに動かせなかったポーランド王は、オスマントルコ等の脅威に対して、ウクライナのコサックを積極的に利用したというのです。
コサックに登録制度を導入してポーランド王の正式の軍人の地位を与えました。
そのようにしてコサックを取り込もうとしたのです。
(情報源:中公新書「物語ウクライナの歴史─ヨーロッパ最後の大国」黒川祐次・著)
正式な軍人ともなれば報酬がでたり、身分の保障がされます。
コサックといえば「自由民」や「群を離れた者」という意味があるので、登録された時点でコサックではないような気もしますが、軍人として報酬をもらえば生活が安定するでしょうから、魅力ある地位でもあったはずです。
そうして登録を許されたごくごく限られたコサックは地主化して、ポーランドの貴族(シュラフタ)の仲間入りをしたのです。
ちなみに、当時のポーランドは貴族の人口がヨーロッパの中でずばぬけて多い代わりに、大半は富農に毛が生えたような地主の小貴族で、大貴族(マグナート)の格差は激しかったようです。
なら登録コサックも、小貴族にならすぐに仲間入りできたに違いありません。
いや、そこには厳然たる身分の差や差別はあったかもね。
でなければコサックが何度もポーランドに反乱を起こすことはなかったでしょう。 -
チャーミングなハートのくりぬきと羽飾りが豪華
鎧の羽は大将の印であるとともに、その羽音で敵の馬を驚かしたり威嚇したりする目的があったようです。
もっとも、この写真の鎧の羽はポーランドで見たことがある羽付きの鎧に比べるとちょっと貧弱に見えなくもないかな。
参考までに、ワルシャワ軍事博物館で見た、背中に羽のあるポーランドの鎧の絵の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10992650/
関連の旅行記
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その20 ワルシャワ軍事博物館(完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032727/ -
可愛い粘土細工
先史時代のものというかんじはしませんね。 -
コサックの携帯品
手榴弾に見えるのは、たぶん水筒でしょう。 -
コサックの絵、出で立ち参考
あの髭も特徴的です。 -
デザイン気に入った@
これもコサックの持ち物かしら。
ちなみにコサックは18世紀末、ロシアのエカテリーナ2世のとき廃止させられ(1775年)、やがて消滅してしまいます。 -
17世紀中頃〜18世紀初頭のコサックの要塞(シーチ)の絵
石壁の付きの手前のイスの部分だけ3次元です。 -
コサックの英雄ボフダン・フメリニツキーの肖像
「コサックの歴史
14世紀にはウクライナの大部分はリトアニア大公国、一部はポーランドの支配下に入り、1569年、両国が合併し、単一のポーランド王国を作るとウクライナは同国の領土となりました。その間14世紀から16世紀にかけて今日のウクライナ南部(ザポリッジャ)、黒海沿岸にかけてポーランド、リトアニアからの逃亡農奴を中心としたウクライナ・コサック集団が形成され、海賊行為、漁業を営んでいました。
「コサック」とはトルコ系の言葉で“群れを離れた人々、自由民”を表します。17世紀にはキエフを再建、本拠地を移して正教を保護しましたが、巨大化したコサック集団に対し、ポーランド政府は統制下に置こうとし、衝突が頻発。1678年にはボフダン・フメリニツキー(5フリヴニャの肖像画になっています)に率いられたウクライナ・コサックとの全面戦争に発展しました。
1654年フメリニツキーは劣勢を挽回するため、ロシアのツァーリに対しポーランドからの保護を求め、そのかわりにツァーリの宗主権を認めることとしました(ペレヤスラフ協定)。右を受け入れたロシアはポーランドと戦い、アンドルソフ講和によりドニプロ右岸はポーランド領、左岸及びキエフはロシア領となりました。
当初ロシアはウクライナの自治を認めましたが次第に統制を強め、18世紀には女帝エカテリーナ二世によって完全にロシアの一部とされました。」
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「キエフ案内(2007年1月現在) II. 首都キエフ」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/kyivannai/1kyiv.htm#kyiv
ボフダン・フメリニツキーは始めはポーランドの登録コサックとしてまずまず平穏な人生を送っていたようです。
ところが彼の土地を狙ったポーランド貴族のだまし討ちにあって土地・財産を奪われ、しかもその非道性を訴えても、当局もポーランドびいきで理不尽な態度をとりました。
そのため彼は、同じようにポーランドに搾取されて不満を募らせていたコサックを集めて、ポーランドに反旗を翻したそうです。
そしてポーランドからの独立をかちとり、コサックの自治国家をいったんは作りあげることが出来たのですが、その際に保護を求めたロシア(当時はピョートル大帝)には裏切られたり(ロシアはフメリニツキーとの協定を破ったり、後に裏でポーランドと手を組んだ)、ロシアとポーランドの両方の宿敵スウェーデンが関与してきたりして外交関係が非常に微妙なときに、脳溢血で失意のうちに亡くなくなりました。
(情報源:中公新書「物語ウクライナの歴史─ヨーロッパ最後の大国」黒川祐次・著) -
華やかな兜に注目
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ちょっとグロイ人魚のデザイン
ワルシャワの都市の紋章にもなっている人魚「シレナ」を思い出しました。
2005年にポーランド旅行したときはまだフィルムカメラ時代でしたので、シレネの写真はこれくらいしかありませんが、ワルシャワで何箇所かで見かけました。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11042491/
関連の旅行記
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その18 美しいワルシャワ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032653/ -
18世紀の馬車
解説はウクライナ語しかなかったのですが、かろうじていくつか分かった単語から推測するに、1744年にエリザヴェータ女帝(ピョートル大帝の娘)がキエフを訪問したときにお乗りあそばした馬車ではないかと。 -
美しい刺繍と不思議なガラスの像
手書きの書物は何なのかさっぱり。 -
何か抱っこして見えるガラスの像
そもそも、これ人間?
ただ、これと似たようなガラスの像は、後日、ペチェールスカ修道院内の国立ウクライナ民族装飾美術博物館でもいくつか見ました。
なんだかよく分からないものの、ウクライナ独特のフォークロア的な品といえるのかも。 -
ロシア帝国時代のウクライナ兵の制服かな
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穀物を運ぶ馬車か牛車かしら
使われ方は絵が参考になります。
ルーマニアやブルガリアの田舎で今でも使われている馬車に似てるかな?
現在は舗装道路もあるせいか、こんなにものものしくなかったです。
ルーマニアで見た、今も田舎を走る馬車
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12708943/
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http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10180035/
ルーマニアで見た、今は使われていない古い牛車
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12942855/
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http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10192261/
ブルガリアで見た、今も田舎を走る馬車
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14276467/
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http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10260540/ -
糸つむぎ、籠、木の入れ物
糸つむぎはまさに「眠れる森の美女」に出てきそう。
糸つむぎと機織りの実演は、ウクライナと隣接するルーマニアの田舎のマラムレシュ地方で見たことがあります。
ただし、糸つむぎの道具はだいぶ違いました。
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http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10192259/ -
すてきな……花瓶?
近代都市生活の展示より。
花瓶だと思うのですが、ひょっとしたらロウソク立て? -
陶器のタイル
この色合いはウクライナの緑ではないかと思うんです。
ルーマニアの民俗博物館でもこういう色タイルをよく見ました。
こちらはストーブのタイル
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12349323/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12349324/
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http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10158476/
そしてこの色合いがウクライナの陶器と知ったルーマニア・スチャヴァ(ブコヴィナ地方)の民俗博物館での写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13503790/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13503831/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13503832/
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http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10216978/ -
素朴なフォークロアチックな柄の壷
シンプルな花模様がすてきです。
現代アートといっても通じる気がします。 -
近代工業、産業革命の道具か?
興味を覚えたのですが、何の道具か不明。
上に掛けられている工場の絵は関係あるでしょうか。 -
道具の記事があったやけど、やはりわからない
ウクライナ語なのでさっぱり分かりません。
印刷関係の道具……ではなさそうですね。 -
19〜20世紀の近代市民のリビング
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民俗コレクション
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まずは左のショーケースの中の美しい陶器と刺繍に注目
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刺繍が見事な民族衣装と、絵画を飾る布と、紋様が凝っている飾り皿と入れ物
衣装の刺繍が見事です。ダリアかしら?
また、このように布をかけるのはイコンが多いのですが、ふつうの絵画にかかっているのは珍しいかも。 -
民族衣装と糸つむぎの道具ほか
さきほどの衣装とずいぶん印象が違います。
違う地方のものか、少なくとも同じ村の民族衣装ではないでしょう。 -
この長細い板は一体……?
一番上は教会や十字架、真ん中は太陽や十字架や波の模様が彫られていて、一番下は星やら建物やらの寄木。
ひょっとしたら道具ではなく、建築物の一部かしら。 -
いったい何か不明な板と、皿と……パン型?
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美しい模様が施されたさまざまな道具
一番左端にあるのは、ひょっとしたら洗濯棒かしら。 -
双頭の鳥のパン型
たぶんイースターなどに焼く特別なパンの型ではないかと推測。 -
イースターの展示
布地の花模様が可愛い@ -
さまざまな図柄のピーサンキ(イースターエッグ)
ピーサンキには色にも模様にも意味があり、イースターのときにはさまざまな願いをこめたピーサンキを交換したり贈り物にするそうです。 -
これもきっとピーサンキ
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クリスマスのときのイエス生誕場面の展示に使われる動物たち?
イタリアではプレゼピオ、ドイツではクリッペ、ポーランドではショプカなどと呼ばれますが、それ以外のヨーロッパの国にもあって良さそうです。
でも、ワンちゃんはともかく、ガチョウさんまで登場しましたっけ? -
美しいカーペット
3人の騎馬人物と、おそらく生命の花がと思われる鉢植えの花の模様が特に見事です。 -
美しいカーペット
こちらに織り込まれた人物の図柄、兵士たちと楽隊かしら。 -
庶民の男女のコスチュームと楽器
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手がスカーフで結ばれています!
結婚式かもしれません。 -
庶民の生活道具
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デフォルメされた美しい花の刺繍
赤いひまわり?
そして、あざみ? -
おそらくイースターに使うドライフラワー
ドライフラワーとは呼ばないと思いますけどネ。 -
家庭内のイコンの祭壇
あの用途の分からなかった長細い板は、このように室内を飾るものでしょうか。 -
美しい陶器がそろった戸棚
丸い取っ手付きのコップは、私が2007年にルーマニアで買ったお土産に似ています@ -
美しい陶器のお皿と……
壁にかかっているものはなにかしら。
左の樽みたいなのは、まさか楊枝入れってことはないと思いますけど。
右のイヌの上に人がまたがっているようなのは、一体……? -
なかなかステキなスプーン置き
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農家の模型──母屋に向かって
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農家の模型──井戸のある中庭
「2009年ウクライナ旅行第2日目(7)キエフ:ウクライナ歴史博物館(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後」へと続く。
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