2009/07/06 - 2009/07/06
232位(同エリア385件中)
まみさん
2009/07/06月 キエフ観光1日目
・独立広場
・聖ソフィア大聖堂(教会、鐘楼、パン焼き場を利用した企画展、琥珀博物館)
・黄金ドームの聖ミハイル修道院の教会
アンドレイ坂を少しだけ見学した後
・ウクライナ歴史博物館
・そばの小さな教会のミサを見学
・アンドレイ教会
【キエフ泊:ホテル・フレシチャーチク(Khreschatic)】
キエフってなんて美しい街なんでしょう
それが、初めてのウクライナ、そして初めてのキエフの印象です。
ここ数年、中東欧の国ばかり旅行してきました。
そんな中で、キエフの美しさは、私の中では、ウイーンに匹敵するといってもいいと思えたくらいです(ちょっと大袈裟ですが@)。
中欧であるオーストリアは別として、私は東欧は、ソ連解体以降、共産主義の画一化の前の自国の姿を取り戻そうと、昔の美しい旧市街の復旧がどんどん進んでいる姿からしか知りません。
そのため、東欧の諸都市はペレストロイカ以前の街とは見違えるようにきれいになっているところが多かったはずです。
ただし、きれいに復旧されたところは、たいてい限定されていました。歩いていてすぐに境界線がやってきて、無味乾燥な建築群やきれいとは言いがたいエリアが現れます。
キエフ初日の本日は独立広場を基点に徒歩圏内しか回りませんでしたが、その境界線がやって来ることはありませんでした。
街の美しさに感嘆させられっぱなしでした。
筆頭は、おとぎの国のお城のような3つの教会です。
そしてその間を埋める建物もお洒落で、思った以上に状態も良く、思った以上に真新しかったです。
その真新しさも、ペンキ塗りたてのような居心地の悪さではなく、適度に使い込まれた、心地よい新しさで。
建物の造形も、おとぎの国チックなだけでなく、乙女チックだったり、スターリン様式の古めかしいかっこよさのある建物があると思ったら、前衛的すぎない程度に現代アートチックだったり(その方が私の好み@)。
でもそれは、私が歩いたこの範囲がとりわけ整備がきいたエリアだということで、キエフの一部にすぎません。
なにしろ、ウクライナは1991年にやっと永年の悲願の独立を達成したばかり。
ソ連時代に荒廃した、特に宗教施設は、人々の心のよりどころだから、そして独立の誇りと気運から、きっと他を後回しにしても復旧作業が急がれたでしょう。
そして今や独立からあと2年で20年。
その復旧作業も一段落したというところではないでしょうか。
そして何より、天気が良く、ドラマチックな雲のある理想の空模様を背景に、美しくて感動した筆頭の3つの教会を、ちょうど順光のときに心置きなく写真が撮れたことは、私のキエフへの好感度を10割増にしました。
もちろん、天気が良かろうが悪かろうがキエフのせいじゃありません。
知らずに順光のときに回れたものの、どれも逆光のときで思うように撮影できなかったとしても、それもキエフのせいじゃありません。
それでもこういうめぐり合わせだって、街の印象を決める重要な要素になってしまいます。
本当にラッキーな1日目でした。
というわけで、この旅行記では、初めてのキエフ観光1日目で撮った写真のうち、聖ソフィア大聖堂を出た後、観光を終えてホテル方面に戻るまで、ウクライナ歴史博物館で撮ったものを除く残りをアップしました。
ハイライトは副題どおり、感動の3つの教会のうちの残り2つです。
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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青空に映える、ちょっといいなと思った建物
その正体は、インターコンチネンタル・ホテルでした。
はじめからホテルとして建てられたか、別の建物をホテルに流用したかは不明。
この写真を撮ったのは聖ソフィア大聖堂の前から延びるウラジミールスカ大通りを通って聖ミハイルの黄金ドーム修道院へ向かう途上です。
聖ミハイルの黄金ドーム修道院はもう目の前@ -
こちらの通りもお洒落な建物が続いてそう!
ウラジミールスカ通りとは聖ミハイル広場で鋭角で交わっている、お隣のジトミルスカ通り(Zhytomyrs’ka Str.)です。
横幕に書かれているのは、「親愛なるウクライナ」? -
聖ミハイル広場にて、オリガ公妃の像の前で
あの子が写真を撮り終わってからここの写真を撮ろうと思ったのですが、カメラを構えてみたらいいなと思ったので、一緒に入れちゃいました@
真ん中の女性像はウラジーミル聖公の祖母で最初にキリスト教に改宗し、聖人となったオリガ公妃。
向かって左にいるのは、伝説によると今から約1000年前キエフで最初に説教したといわれる聖アンドレイ。
右はキリル文字を創設し(ただし彼らが作った文字は現在のキリル文字とは違います@)、聖書をスラヴ語に翻訳したといわれるキリルとメトディウス。
背後の左側の建物は、何かアカデミーの建物のようでした。
(建物に書かれてあったのですが、アカデミーと書かれたウクライナ語しか分からなかったです。) -
とんがり鋭角のインターコンチネンタル・ホテルが見える@
オリガ公妃は、夫のイーゴリ1世の死後、イーゴリ1世との間の子スヴャトスラフ1世の摂政としてキエフ・ルーシを統治しました(945年〜963年頃)。
夫を暗殺した一族への復讐は徹底していたようです。ただし、当時の習慣からすると、極端に残酷というわけでもなく、そのくらい徹底しなければ回りに示しがつかなかったのではないかしら、というのが私の印象。
彼女はスラヴ社会でも早くにキリスト教となったため聖人となったようですが、やはり政治的動機からですね。
フリー百科事典ウィキペディアでも「東ローマ帝国の援助と支持を獲得し、またその高度な文化を移植しうる人材を獲得するための、たぶんに政治的な動機によるものであったと考えられる」とありました。 -
サンクトペテルブルクを思い出す一角
聖ミハイル広場の向かって左脇です。
……まさか真似たとか!?
(ロシアを旅行した9年前の記憶なので、実際に比べるとそう似てないかもしれません。) -
聖ミハイル広場から、聖ミハイルの黄金ドーム修道院の鐘楼と塀の向こうに見える教会
この広場にはたくさん観光客がいたり、その観光客目当ての屋台などがあってもよさそうだと思いましたが、思ったより閑散としていました。
平日、月曜日の午後だったからかしら。
「青い教会 聖ミハイルの黄金ドーム修道院
(前略)その歴史は、11世紀に創設されたドミトリエフスキー修道院に始まる。12世紀に、修道院内に黄金ドームの聖ミハイル教会が建設され、いつしか修道院全体がこの名で呼ばれるようになった。しかし、その歴史は1936年で突然途切れてしまった。宗教弾圧の一環として政府庁舎建設計画の候補地となり、修道院全体がすっかり取り壊されてしまったからである。
現在見られる建物は、すべてウクライナ独立後の1997年から2000年の間に再建されたものだ。1719年にオリジナルが建てられた鐘楼は、現在は修道院の歴史を扱った博物館になっている。その上からは周辺の広場などを見渡すこともできる。
修道院中央に建つのが聖ミハイル聖堂で、オリジナルは1713年の建設。ウクライナ・バロック様式の大きな教会だ。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)
鐘楼内の歴史博物館は翌日見学しました。 -
外壁の聖人の絵と
あらっ、人の顔が……(泣)。 -
教会の華やかなファサード(正面)と黄金の聖ミハイル大天使像
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鐘楼をくぐって、聖ミハイルの黄金ドーム修道院の教会を見上げる
ここは聖ソフィア大聖堂と違って、無料で入れます@
写真を撮るのに写真代も撮られません@
この聖ミハイルの黄金ドーム修道院はヤロスラフ賢公の息子の代(11世紀)に建てられた古い歴史ある修道院でしたが、ソ連時代、スターリンによって破壊されてしまいました。
1991年のウクライナ独立後、まだ経済が安定していない中、国家事業として再建されたそうです。
やはりそこには、キエフ・ルーシ時代に建てられた教会をもう一度キエフに取り戻すことによって、巷ではロシアの起源とされているキエフ・ルーシはウクライナの起源であることを確認する意図やナショナリズムの回復といった目的があったようです。
(情報源:中公新書「物語ウクライナの歴史─ヨーロッパ最後の大国」黒川祐次・著) -
ちょっとアングルを変えて
スターリン時代の1936年にこの修道院が破壊された後、教会のモザイクの一部はモスクワの教会を修復するために使われたという説もあるようです。
(情報源:キエフのインフォメーションでもらった「Yours Truly, Kyiv City Guidebook」2006年刊)
中を見学しました。
イコノスタシス(聖なる空間と信者のいる世俗空間の境界線となっているイコンの壁)が三廊分にまたがっていて、巨大で、まさに壁でした。
正教会の内部はもともと外壁にイコンがぎっしり描かれているので、はじめ、それがイコノスタシスと気付かず、そのまま壁の続きだと思ったくらいです。
教会が古くてもイコノスタシスはバロック時代の新しいものという正教会は、ルーマニアにもブルガリアにもよくありました。
ここもイコノスタシスだけは、ほかよりも新しい様式に見えました。新しいと言っても18世紀くらい。
また、黄金の植物文様でぎっしりだったのも印象的でした。 -
教会のお隣の、黒い木造屋根の建物
中は、イコンのある礼拝堂みたいなところと、聖書やイコンを販売している売店でした。 -
修道院内の聖水の泉とイエス像
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聖水の泉を覆う建物の美しい装飾と黄金ドーム
教会のファサード(正面)の装飾と同じタイプです。 -
聖母子と聖人たち?
一見、手のひらの彫刻に見えます。 -
西側の門
一貫して水色と白の爽やかな色合いで統一されている修道院です。
ちなみにこの左手の奥には、下町に下りるケーブルカー乗り場があります。
なので、この修道院の裏手はすぐに崖下にでもなっていのかなと思っていたのですが、実はなかなか散歩しがいのありそうな公園が広がっていたことに、翌日、気付きました。 -
オーストリアのフンデルトヴァッサーの建築を連想させるペイント
聖ミハイルの黄金ドーム修道院の西側からアンドレイ教会に続くデシャトゥンナ通り(Desiatynna St.)にて。
通りを歩いているときに、こんなペイントのある中庭がちらっと見えました。
駐車場のようだったので入ってみました@ -
オーストリアのフンデルトヴァッサーの建築を連想させるペイント
通り側の建物は、銀行か役所のオフィスの建物のようでした。
この扉も、個人に割り当てられたオフィスのようでした。
ギャラリーやカフェ等ならともかく、お堅そうなオフィスにこんなステキなペイント!
キエフっ子もなかなかお洒落なのね。 -
オーストリアのフンデルトヴァッサーの建築を連想させるペイント
フンデルトヴァッサーの建物を見学できたのは、2003年のオーストリア旅行と2004年のブダペスト・ウィーン・チェコ旅行のときです。
当時はフィルムカメラでしたので、そんなに写真を撮っていません。
関連の旅行記
「2003年夏のオーストリア旅行15日間【ウィーンその1】2大博物館プラス2004年のリベンジ感想付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10040553/ -
オーストリアのフンデルトヴァッサーの建築を連想させるペイント
天気が良いせいで影の部分が非常に濃くなってしまうのが残念!
こういう時は天気が良いのも良し悪し。。。
フンデルトヴァッサー公式サイト(英語かドイツ語版)
http://www.hundertwasser.at/ -
アンドレイ坂のお洒落な建物!
明日行くのを楽しみにしていた「ウクライナの心の宝博物館」です。
こういうオーストリア・ハプスブルグ帝国やロシアのロマノフ帝国を思わせる建物が随所で見られたのが、キエフって思ったよりきれいな街並みなんだな、という感想を抱いたきっかけのひとつです。
ただし、キエフ初日の本日はそのようなところばかり回ったといえます。
「ウクライナの心の宝博物館」はもともと個人コレクションから始まった博物館だそうです。
15世紀〜19世紀の300以上ものイコン・コレクションや、ウクライナのナイーヴ派の画家の作品があるという博物館で、キエフで楽しみにしていた博物館のトップの1つです。
ただし、月・水・金と休館の博物館。だから明日の火曜日に見学する予定でした。
でも実際は翌日も、なぜか入れませんでした……(泣)。 -
アンドレイ教会
これもネットかガイドブックで写真を見た覚えはあったのですが、やっとたどり着いて実物を拝んだときの感動はひとしお!
「エレガントな装飾のアンドレイ教会
アンドレイ坂を見下ろす丘に建つ、ロシアバロック様式の優雅な教会。ロシアの女帝エリザヴェータのキエフ来訪を記念して、1749年から建設が始められた。女帝自身が基石を置いて建設が始められたという。
設計は女帝お気に入りの建築家ラストレッリによるもので、彼自身がキエフまでやって来て指揮をした。サンクトペテルブルクの冬宮なども手がけた彼の建築のなかでは、この教会は小規模なものだが、その分細部にも配慮が行き届き、調和の取れた建築となっている。
女帝の死後、教会はかなり荒れた状態になっていたが、現在は修復され博物館となっている。教会内部はロココ調の装飾がなされ、天井の高さまであるイコノスタスには『最後の晩餐』ほか見事な絵が描かれている。
ちなみに教会の名は、今から約1000年前キエフで最初に説教をし、ここに十字架を建てたとされる伝説の聖人アンドレイにちなんだもの。」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)
女帝エリザヴェータはピョートル大帝の娘です。
わざわざ女帝がキエフまで訪問したんだ!……と思ったのですが、よく考えたら当時のキエフは完全にロシアの領土だったので、領土めぐりをする皇帝/女帝なら訪問してもおかしくないでしょう。 -
お城のようなアンドレイ教会
アンドレイ坂には明日もウクライナの心の宝博物館目当てで来る予定なので、教会は見学せず、先にウクライナ歴史博物館に向かうことにしました。 -
アンドレイ坂のみやげ屋の一部
こういう屋台が歩道の両側にずらっと続いていました。 -
可愛いマスコット
なんで飾ってあるのかなぁと思ったのですが、これも立派な売り物でした@ -
かわいいマスコットとアンドレイ教会
アンドレイ坂は観光客も多かったけれど、車もごったがえしでした。
もともとそう広くない石畳の坂道を、駐輪中の車がさらに狭めています。
それなのに大型の観光バスが何台もやってきました。
アンドレイ教会の下が三叉路のようになっているのですが、どの大型バスも駐輪中の車に負けず、ちょっとずつちょっとずつハンドルを切ってUターンしていました。
その辛抱強さには脱帽ものです。
もっと広いところにバスを停めてから、観光客だけアンドレイ坂までちょっとくらい歩かせればいいと思いました。
いや、下ろしていなかったかな。
キエフ名物のひとつのアンドレイ坂を窓から見せるだけだったから、観光バスもあんな狭いところをがんばって通らざるをえなかったのかもしれません。 -
ウクライナ歴史博物館前から屋根だけ見えたアンドレイ教会
ウクライナ歴史博物館はすぐそばのはずなのに、なかなか見つからなくてあせりました。
歴史博物館前の広場が工事用の柵に覆われていたせいで、先を見渡せなかったし、ちょっと遠回りっぽかったせいです。
マスコットを売っていたおじさんが、親切そうに「どこに行きたいの?」と尋ねてくれたのですが、私を引きとめるためか、「歴史博物館は今日はやってないよ」とデタラメを言って私を不安にさせるし、おじさんの言うとおりなのかと、心配しちゃいました。
歴史博物館では入場料と同じ12.00フリヴニャの写真代も払って(つまり計24.00フリヴニャ)、写真を撮りまくりました。
(2009年7月現在、1フリヴニャ=約14円で換算)
その写真は、続きの次の3つの旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第2日目(5)キエフ:ウクライナ歴史博物館(1)歴史が分からなくても楽しめる!?」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368090/
「2009年ウクライナ旅行第2日目(6)キエフ:ウクライナ歴史博物館(2)魅惑の民俗的コレクション」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368091/
「2009年ウクライナ旅行第2日目(7)キエフ:ウクライナ歴史博物館(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368092/ -
歴史博物館を見学し終わった後の、夕方のアンドレイ教会
時刻は19時すぎ。
日照時間が長い上にサマータイムを導入しているヨーロッパは、まだまだ昼間のように明るい時間帯です。
アンドレイ教会は、ガイドブックに載っていた見学時間はとっくに過ぎていたのですが、ミサでも終わった直後だったのか、中を見学することができました。
アンドレイ教会は1754年に建てられましたが、これまでひどい損傷を受けたことはなく、再建の必要がなかったという、キエフでは珍しい建物だそうです。
また、外見の華やかさに比べると中身はシンプルでちょっとがっかりするというのは定説のようです。
確かにイコノスタシスは思ったよりシンプルでした。教会のファッサードのようでした。
そのため、まるでマトリョーシュカみたいに、教会の中にまた教会があるような印象を受けました。 -
19時すぎの夕方のアンドレイ教会
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アンドレイ坂にて見つけた、芝居がかった彫刻@
女性はプロニア・プロコピヴナ(Pronia Prokopivna)、男性はホロホヴァストフ(Holokhvastov)というそうです。
ウクライナの喜劇「2兎を追う」からの場面のようです。
テーマは「2兎を追う者は1兎をも得ず」で、経済的に苦しかったホロホヴァストフは財産目当てで同時に2人の女性と付き合いますが、この女性プロニアを騙すつもりで、逆にしてやられた、といったような話らしいです。
(情報源:キエフのインフォメーションでもらった「Yours Truly, Kyiv City Guidebook」2006年刊) -
お洒落な「ウクライナの心の宝博物館」の建物、再び
楽しみにしてたのに、楽しみにしてたのに、楽しみにしてたのに……。
明日の火曜のハイライトとして楽しみにしていたのに、なぜか入れませんでした。
でも、ウクライナのイコン・コレクションは、きっとここほどではないでしょうが他の博物館でも見ることができました。
また、ナイーヴ派のマリア・プルマチェンコの作品は、思いがけずリヴィブの民俗博物館の特別展でたっぷり見ることができました。 -
帰り道、夕日に照らされた聖ミハイルの黄金ドーム修道院
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帰り道、夕日に照らされた聖ミハイルの黄金ドーム修道院
……実は、とても日が射していたのに、カメラのホワイトバランスを曇りにして撮っていたため、こんなにキンキラキンな色合いになってしまったのです。 -
帰り道、トゥロホスビャティテルスカ通り(Tr’okhsviatytel’s’ka St.)の建物
看板によると、ウクライナ大学の哲学科かアカデミーの建物のようです。
そして7月上旬のキエフの街路樹は、このようにすでに黄ばみはじめて、秋の様相を呈していました。
もっとも気候は夏らしく扱ったですが、湿度も低く風もあったので、旅の前半で滞在したときは、思ったより過ごしやすかったです。
ただし、約10日後にキエフに戻ってきたときは、湿気は低くても照りつける太陽の日差しの厳しさで、立ってるだけでへとへとになりました。
この通りは坂道になっていて、それを下りた突き当たりは、滞在ホテルのあるフレシチャテーィク通りとなります。
そしてウクライナ初日のディナーは、ぜひウクライナ料理のレストランで食べたかったのですが、そういうレストランはホテルから地下鉄を使わないと行けないようなところばかりです。
でも、疲れ切っていた上に腰痛もやばかったので、そこまで行く気力も体力もありませんでした。
なので、ホテルの目の前のセルフ・レストランですませました。
セルフ・レストランといっても一応、ウクライナ料理の店でした。
そのセルフ・レストラン「ドヴァ・グシャ」の写真と食事レポートはこちらです。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662396/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662397/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその4:ウクライナの食べ物レポート」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361986/
ウクライナ国立歴史博物館の旅行記へと続く。
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