2009/04/29 - 2009/04/30
1136位(同エリア1253件中)
あい万作さん
武田信玄を追跡すべく、山梨県へ!
武田神社・景徳院・恵林寺、土屋惣蔵…武田信玄の王道散策。
名古屋きっての歴史うんちく王と、歴女に程遠い妻との迷コンビ。果たして妻はこの旅で歴女になれるのか!?
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2009年4月29日8:29・名古屋を出発。
マツダ・アクセラをレンタル。普段はトヨタなので、
走りっぷりの比較が楽しみ!
レンタカーの醍醐味ですね★
とはいえ、ドライバーはダンナさんです…。
晴天に恵まれ一安心。 -
12;05・武田神社へ到着。
ETC割引等が始まったばかりで、まだお得でない時間帯&中央道だからか、思ったよりスイスイ行けました。
武田信玄とくれば、まずココを参詣!
下の方にちょと写ってる、紅色の橋に武田の風格が。 -
武田神社はお参り所だけではないのです!
城跡・資料館などなど、あらゆる形で武田一族を知る事ができます。
入り口から見た以上に、入ってみると広い! -
武田神社内:武田一族三代の居館
-
躑躅が崎居館跡といっても実際は城砦。
裏手にはこのような土塁が巡らされている。 -
古府中においても真田幸隆公の居館跡を訪ねました。
信濃先方衆のなかでは別格の扱い。
嫡男は源太左衛門信綱である。
三男の喜兵衛(後の真田昌幸)を府中に人質として武藤家に預けられた。 -
ほうとうの地元チェーン店・小作。
もちろん、ほうとうを注文。 -
小鍋にモリッと来ました、ほうとう。
かぼちゃや芋など根菜類がゴロリ+お団子が入ってます。
大半が野菜とはいえ、根菜類が結構お腹にきて
ボリューム満点でした。
貧しい戦国時代を生き抜くため、武田信玄がほうとうを兵士たちに食させた説がありますが、只今満腹の私は納得…。 -
15:15。景徳院に到着。
これが、あの景徳院なのか・・・。その風情と空気の重さに圧倒される。
なにか哀しげであり、いまでも武田勝頼一行の悲痛な叫びが聞こえてきそう。 -
駐車場あります。
-
武田勝頼の生害石。
-
勝頼親子の供養等。勝頼のものは少し欠けている。
北条婦人と信勝は、このとき19歳と15歳。ちなみに勝頼は37歳。 -
勝頼と共に逝った家臣団の墓。
風化が激しくて、誰のもの中かも分からない。
あの奸臣と言われた跡部尾張守勝資もここに眠っているのか?
長坂釣閑斎は、逃れたらしいが。 -
時世の句である。
北条婦人桂姫はさみだれや・・辞世を詠んで、お付家臣甲野某に自らの御髪と手紙を北条兄に送ったそう。
その後甲野は腹を召して桂夫人に殉じた。 -
甲将殿
-
勝頼のさいごは、鎧櫃に腰をかけて疲れ果て放心していたところを伊藤伊右衛門末光に討たれたと書物は言っているが、勇敢に戦った末ってことにしたいなあ。
当初は誰が討ったかわからなかったが、伊藤末光の馬の毛が勝頼の首に付着していたのが決め手となった。
ちなみに首実検はここではされていない。 -
首なし胴体亡骸を葬った場所。
小宮山内膳の弟拈橋(ねんきょう)が懸命に経を唱えたとしている。 -
激戦地、鳥居畑古戦場。
今は既に当時の面影はない。
昭和には激戦地としての名残を留めていたらしい。
安部貞宗、小原丹後などが柵をめぐらし奮戦の末討ち死。 -
謹慎蟄居中の小宮山内膳友晴がわざわざ勝頼の危急に駆けつけてくれた。
裏切り者が続出する中で、彼の者こそ忠臣中の忠臣であると徳川幕府も後世に絶賛。
地下人衆を糾合して勝頼を追い込んだ辻弥兵衛は元武田の家臣。
小宮山対辻の壮絶な戦いは伊東潤の小説のなかだけであろうか? -
さらに進むと、これが勝頼一行が目指した天目山栖雲寺。
祖先の武田信満が禅秀の乱のときに自刃したといわれている。
勝頼も祖先の眠る地で自らの命を全うしたかったに違いないが。 -
あの鐘を〜鳴らすのはっあな〜た〜(と言いたくなる)
-
そして、見つけました…衝撃の!
ダンナさんの背中に戦慄が走る…!! -
ダンナさん「これは…あの土屋惣蔵昌恒殿」。
武田勝頼の側近であって、小宮山内膳を凌ぐ忠臣である。
土屋惣蔵は、設楽が原で散った土屋昌次の実弟であって、水軍の将土屋豊前の養子でもある。
土屋宗家として右衛門丞の名を賜ったとも言われている。
このあたりの当時は岩壁が迫り、西側の絶壁の下には日川の激流が流れていた。
かなり急峻な狭い道、そこに立ちはだかった土屋は藤のツルを握って体を支え、残った片手で刀を握り、敵を討っていったといわれている。ちなみに27歳。自身小説では、土屋は槍を手に奮戦。土屋に恋心いだく真田くの一と背中合わせの戦い。土屋とくの一の乾坤一擲の戦いの行方は・・・。 -
「土屋惣蔵片手千人切!!!」
ちなみに土屋惣蔵の子息は徳川家康が探し出し、小栗城主に育て上げたと言われている。
徳川家康は武田家臣が大変お好きなようだ。 -
土屋惣蔵から宿へ向かう際の、渓谷。
流水音の激しさと清々しさが、心地良い〜
この激流に…戦国時代の過酷さと哀愁を感じるなあ…この川が土屋の刀によって三日間も血で赤く染まったと伝えらえる。
と、ダンナさん酔いしれる。 -
17:20頃、本日の宿「嵯峨塩鉱泉 嵯峨塩館」到着。
ここは良かったなあ。
ネットの口コミ評価の高さが分かる宿。
アクセスはやや不便かもしれませんが、
武田信玄の歴史探訪する延長線なら全く許容範囲。
さあ長い戦いの疲れ(←散策疲れ)を癒すぞよ。 -
夕食。
自家栽培の山菜にワイン豚、山魚…と、
街住まいの我々には普段食べられないものばかりで嬉しい♪
一見ボリューム少なく感じますが、
次々来るので、食べ終えた頃にはおなか苦しい〜!!
「食後のコーヒー、ロビーでご用意してますので
宜しければどうぞ」とスタッフの方。
コーヒー別腹夫婦は、もちろんロビーへ。 -
ロビーの真ん中には囲炉裏。そしてコーヒーと書物。
切り餅があったけど、もう胃がMAXで無理でした…。
食後のお客さんがすでに数組寛いでて、良い感じ。
囲炉裏がまた歴史旅行に花を添えてくれますね♪
まったりと時が流れる一夜でした。 -
朝食。
昨夜はお腹いっぱいと言っておきながら、
ヘルシーメニューだったからか胃もたれなし。
朝ごはんも美味しく、ペロリと頂きました。 -
恵林寺。
今日も天候に恵まれました!!
ダンナさん「武田軍がワシを歓迎しとる」 -
「心頭滅却すれば火もおのずから涼し・・。」
教育委員会の市名が消されているのだけが、気になる妻。 -
雲一つない青空。
-
「武田信玄公 訓言」の石造がドーンとあり…
-
ようやく恵林寺の拝観受付へ。
-
順路に沿って進むと、きれいに均された砂利の庭から。
-
そして、来た来たっ「うぐいす廊下」。
ああ京都の二条城を思い出しました。 -
心憎い掲示板です★
黒光りの暗い廊下…
どうしても足音が鳴ってしまう、うぐいす仕様…
気持ちが何だかキリッと引き締まります。 -
武田不動尊!
-
ここからは、お参りが始まります。
-
様々な武士のお墓をお参りし…
-
恐縮ながら写真に収め…
-
順路に沿い、さらに橋の形状をした廊下を歩き…
歴史に疎い妻「まだ何かあるのかな…」 -
ドーンと、美しき庭園。
歴史に疎い妻「これイイっ!!」
ダンナさん「この旅行で一番喜んでるな(苦笑)」
渋ーい廊下と、精彩な緑の庭園がベストマッチ! -
もう十分、恵林寺で満足した私。
しかし、まだまだ一人燃ゆる男がここにいた…
隣接の歴史資料館。「まだまだ行くぞっ」と当然入場〜
しかも“本日公開・信玄佩刀特別公開”と掲げられ
まっしぐら… -
12:40。さっそくお腹ペコペコになりました。
…とはいえ、ランチのお店が周辺に見当たらず、
何の気なしに歩いてお茶屋さんを発見。
ゴロリと大きい大福。
黄色はきび、緑は確かヨモギだったかな? -
-
-
-
葡萄工房ワイングラス館
-
只今、17:30.
旅行のクライマックスが近づいてきました。
デートコースのお約束・展望台。 -
18:30。
山梨から名古屋へ、長野県を経由するため、
おのずと晩御飯は長野県のチェーン店で「ソースかつ丼」。
名古屋在住の私たちには「味噌かつ」文化を刷り込まれているので、やはり「ソースかつ丼」は新鮮。
個人的には、ソースが染みたキャベツが好き♪
--------------------
馬…ではなく車を延々運転をする歴男は、助手席で爆睡する妻を尻目に「歴女には程遠い…」と痛感するのでした。
歴史に鈍い私ですが、このコースオススメです。
深淵の悲哀漂う景徳院、壮大な恵林寺、秘境の宿・嵯峨塩館。
季節を変えて、また行きたいと思います♪
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
51