2009/08/02 - 2009/08/02
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morino296さん
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観音の里といわれる滋賀県湖北・高月町では、8月第1日曜日にふるさとまつりが開かれ、各集落で先祖代々守り続けてきた仏像が御開帳されます。
この日は、24か所の観音堂を3コースに分けて回る臨時の巡回バスが運行され、町役場の職員さんたちが乗り込みガイドをしてくれます。
湖北は信仰心の厚い地域で、人情深い人々が多く、皆さんとても親切にしていただきました。
(前半)は、尾山釈迦堂→石道寺(木之本町)→高野大師堂→雨森観音寺→保延寺阿弥陀堂→保延寺観音堂→円満寺→理覚院
(後半)は、渡岸寺観音堂→浄光寺→西野薬師観音堂→西野正妙寺→赤後寺
(コメントは観音の里ふるさとまつり実行委員会のパンフレット「観音の里めぐり旅」を参照しています。)
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滋賀県・高月町ふるさとまつりのパンフレット
例年8月第1日曜日に開催されます。
「高月」の地は、古代、槻(けやき)の大木があることから「高槻」と呼ばれていましたが、平安時代、歌人の大江匡房が訪れ、月の名所として歌を詠んだことから「槻」を「月」と改め村名にしたといいます。 -
最初に訪れたのは、”尾山釈迦堂”
JR高月駅、10:30発の巡回バス(?コース)に乗って約15分。
生憎、土砂降りの雨です。
奥に見えるのが釈迦堂、手前のテントには集落の世話役の皆さんがいらっしゃいます。 -
尾山釈迦堂
安楽寺釈迦堂、この寺の建立は不明であるが、東にそびえる己高山を中心に、藤原時代に仏教が繁栄し、多くの伽藍が建立され、修行僧の道場として発展し、その一つに尾山安楽寺があり、この付近一帯に諸堂が建ち並んでいたといいます。
諸堂が次第に廃朽するにつれ、仏道は一堂に移され、釈迦如来像も大日堂に安置されるようになり、この堂が釈迦堂と呼ばれるようになったそうです。
旧釈迦堂は木造萱葺きで堂内に厨子がありましたが、老朽化甚だしく、昭和56年に現在の収蔵庫が完成しました。(解説書より) -
尾山釈迦堂
2体の仏像が安置されています。
写真撮影はOKです。
地元の世話役さんは、「写真を撮って帰って、自宅でも拝んでください」と優しく話されていました。 -
尾山釈迦堂 大日如来像(町の文化財)
智拳印を結んだ金剛界の大日如来座像。高さ156cm。
平安期の大日如来像がある時期に大きく破損したため、後世(室町時代から江戸初期の頃)修復されて今日に及ぶものと考えられています。 -
尾山釈迦堂 大日如来像の足
世話役さんの説明では、2体の仏像が「自分たちの目線の高さに安置されているので、足の裏も見ることができるのですよ」と教えてくれました。 -
尾山釈迦堂 釈迦如来座像(重文)
平安中期、10世紀頃の作と考えられるが、修復の手が加えられており、造像当初から釈迦如来であったかどうかは分からないとされています。
高さ156cm、主要部分は桧の一材。 -
2か所目は石道寺(しゃくどうじ)へ向かいます。
尾山釈迦堂から巡回バスで3分。
雨はとめどなく降り続いています。
天気予報は、これほど雨がふるとは言ってういなかったのですが・・・。 -
石道寺(木之本町)
木之本町にあるお寺ですが、高月町にも隣接していることから、巡回コースに入っているそうです。
明治2年に再興された旧石道寺の本堂を大正3年に現在の地に移したもので、大正4年に旧石道寺ならびに向山の観音堂にあった諸仏をこの一堂に合祀したものです。 -
石道寺(木之本町)
神亀3年(726)延法によって開かれ、行基が仏像を刻み堂宇を建立。
その後焼失し、最澄が十一面観音、持国天、多聞天を彫刻して石道寺と名付けたそうです。
本堂厨子の中には3体の十一面観音菩薩が安置されています。 -
石道寺(木之本町)の十一面観音菩薩像
国重文に指定されています。
(写真撮影は禁止されており、この写真は寺で購入したものをスキャンしました。)
平安後期11世紀の作とみられ、均整のとれたスタイル、鮮やな彩色が残ります。
欅材一木彫極彩色、高さ173.2cm。
腰を僅かに左にひねるかのようにして右足の親指をあげられた姿は印象的で、奈良・法華寺や小浜・羽賀寺の十一面観音と共に数少ない平安期の造形美を表しています。(解説書より) -
石道寺の近くに咲いていた花
激しい雨に濡れていました。 -
石道寺近くの用水路
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石道寺近くの風景(11:50頃)
天気予報通りに、雨も止んできました。 -
高野大師堂
石道寺からバスで約6分。
己高山満願寺の大師堂も織田信長と浅井長政との戦の兵火にかかり焼失。
宝永8年(1711)再建。 -
高野大師堂
天台宗の開祖・伝授大師(最澄)の肖像と伝えますが、その姿から比叡山の中興の祖慈恵大師良源(元三大師)を表しているとみられています。 -
高野大師堂の大師像(重文)
弘安6年(1283)、仏師院信の作と判明しているそうです。
寄木造で玉眼入りの彩色像、高さ76.4cm。
世話役の方から、写真を撮るのであれば、この角度が一番良いと教えてもらいました。 -
高野大師堂の横に並べてあった石仏
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高野大師堂
雨に濡れた苔が綺麗でした。 -
高野大師堂の右手にある薬師堂
もと、己高山(こだかみさん)満願寺と称した古刹で、湖北に栄えた天台系己高山仏教の中心寺院の一つと考えられます。
盛期には七堂伽藍、四十八坊を配したといいます。 -
薬師堂の御本尊・薬師如来坐像
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薬師堂
薬師堂には、薬師如来坐像のほか、日光・月光両菩薩立像、十二神将立像、不動明王立像、毘沙門天立像が安置されています。 -
高野薬師堂には江戸時代に奉献された絵馬14画が伝わります。
右は、「源頼政鵺(ぬえ)退治図」(寛文11年、画者不明)
近衛天皇の御殿の上に宿る鵺を頼政が郎党猪早太とともに射落とし、天皇の病が治癒したという武勇伝に基づくもの。
左は、「唐武人図」(文化元年、画者・高橋惟信)
この他、源義経弓流し図、壇ノ浦合戦図など -
雨森観音寺の近くの風景
近くには高時川が流れ山並も広がります。
12:25頃、午前中の激しい雨も上がり、雨傘を日傘にして歩きました。 -
雨森観音寺(あめのもりかんのんじ)
この村の氏神「天川命(建速産霊神)」が降臨した地として「雨が降りる里」(天降里)とかいて「あまもりのさと」と言っていたが、後に「雨森」の字をあてたそうです。
観音寺(通称蔵座寺)は、往古、己高山(こだかやま)の頂上近くにあったといわれるが、創建時期や御本尊は定かでないそうです。いつの時代にか観音寺と改称されたそうです。
往時は、七堂伽藍僧坊の建ち並んでいたそうですが、天正元年、浅井・朝倉と織田信長の雨森磧(かわら)合戦の時に、天台宗に激しい敵意を持つ信長により焼き払われました。
その後、信仰深い村人により再建されたが、明治12年に焼失するなどを繰り返したそうです。(解説書より) -
雨森観音寺の御本尊
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雨森観音寺の御本尊「千手観音立像」
別名「袋掛け観音」といわれ、頭上で手を重ね阿弥陀如来をのせている姿(京都・清水寺)に特徴があります。 -
雨森観音寺
伝弁財天(右)と薬師如来 -
保延寺(ほうえんじ)阿弥陀堂
雨森観音寺から歩いて直ぐです。
保延寺は地名で阿弥陀堂の正式名称は不明です。
この地は、古代「花寺」という大きな寺院があり、白鳳時代の屋根瓦や古銭などが大量に発見され、早くから仏教文化が根付いたことが確認されています。 -
保延寺阿弥陀堂
正面の厨子に3体の阿弥陀如来坐像が安置されています。
中尊(真ん中の仏)と右尊は室町時代、左尊は江戸時代の作とみられます。
中尊と右尊は定印を結び、左尊は来迎印を結んでおられます。
3体を並べて安置することは、おそらく「観無量寿経」に説く上品上生(じょうほんじょうしょう)から下品下生(げほんげしょう)までの9等級の極楽往生の仕方を大きく3つに分けて、各像が分担、象徴しているものと思われます。(解説書より)
3体ともお顔が笑っているように見えませんか? -
保延寺観音堂
こちらの観音堂も正式名称は不明です。 -
保延寺観音堂
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保延寺観音堂の御本尊
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保延寺観音堂の御本尊・千手観音立像
戦国時代に湖北を治めた武将・浅井長政氏ゆかりの像といわれ、小谷城の合戦の際の犠牲者を弔うため、奈良の長谷寺から移されたと伝わります。
一木造、素地仕上げで高さは17.1cmでとても可愛らしい千手観音様です。ちょっと、頭が大きくて愛らしいお姿です。 -
井口・己高山円満寺
保延寺観音堂から歩いて直ぐです。
井口・日吉神社の神宮寺、創建はふめいですが、遠く上代に遡るものと考えらます。
創建当初は、奈良文化や北陸白山信仰などの影響を受け、平安時代以降近世までは天台宗に属し、幾度もの政変・戦乱を潜りぬけ、その後宗派から離れ無住寺院となり、現在は日吉神社の所属として、井口区民全体によって護持されています。(解説書より) -
円満寺の堂内
中央に御本尊阿弥陀如来、左に十一面観音と地蔵菩薩、右には日吉山王二十一社本地仏が安置されています。
(この日、日吉山王二十一社本地仏は観音の里歴史民俗博物館へ貸出中でした。) -
円満寺 地蔵菩薩坐像
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円満寺 御本尊・阿弥陀如来像
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円満寺 十一面観音立像
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理覚院
往古、この地に己高山長安寺と称する巨刹があり、平安・鎌倉時代には隆盛を極めていましたが、幾多の戦乱・政変・宗教的変遷を経て、戦国時代天正年間には兵火によって荒廃し、僅かに残った一坊がこの理覚院です。
理覚院は、近江国主佐々木氏や湖北を制した浅井氏らとゆかりの深い当地の土豪・井口家代々の菩提寺。 -
理覚院 観音堂
御本尊聖観音・十一面観音と百体観音像が安置されています。 -
理覚院 御本尊・聖観音像
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理覚院 百体観音像
百体観音像は、西国・坂東・秩父の各三十三所札所霊場のミニチュア版を一堂に揃えたもの。 -
理覚院 百体観音像
百体観音像は、まず西国が江戸時代中期に造立され、続いて坂東・秩父が幕末安政年間に寄進されたものだそうです。 -
理覚院 百体観音像
右端の観音様は後ろを向いていらっしゃいます。
世話役の方の説明では、「修業をなさっている」とのことでした。
誰もお顔を拝見したことがないとか。 -
理覚院 観音堂
ここを守っていらっしゃるのは、今では、僅か4軒だそうです。
4人のおばあちゃんが、拝観者に親切に説明をしていらっしゃいました。(13:25頃)
この後は、巡回バスに乗り、渡岸寺へ向かいました。
(後半)へ続きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ツーリスト今中さん 2009/08/18 12:43:22
- 湖北
- ご無沙汰しております。
相変わらず精力的に回られているようですえ。
今夏は各地、雨が多いし予報は当たらないしで
旅人泣かせでしたね。
湖北は自然と共に歴史文化の面でもしっとりとした
奥深さがありますね。
地域に根付いた信仰を垣間見られるチャンスを逃さずに
ご覧になれていいですね。
スキャンで取り込んだ観音像も有難く拝ませて頂きました。
撮影禁が多い中でこうして見せて頂けると嬉しいです。
今度の日曜日は伊吹山とか。
5月のリベンジ!
そちらも旅行記も楽しみにしています。
- morino296さん からの返信 2009/08/18 20:48:58
- RE: 湖北
- ツーリスト今中さん
こんばんは!
こちらこそご無沙汰しております。
北海道、入れ替わり立ち替わりのお客様で大繁盛ですね。
ご案内、ご苦労様です。
近江路、あらためて奥の深さを知りました。
湖北といえば、皆さんと余呉湖にも行きましたが、
観音様めぐりに出かけて、信心深い地元の皆さんの優しさに触れることが出来たのが良かったです。
花を愛でるのも、仏像を拝むのも、良いですが、人の温かさに触れるのが最高だと思います。
湖北の観音様めぐりは、また機会を作って出かけたいです。
今、井上靖の”星と祭”を読んで、湖北を思い起こしております。
次の日曜日、伊吹山、初挑戦ですが、どうなりますか。
morino296
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