2004/01 - 2005/06
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SATORUさん
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プロフィールにも書いていますが、2004年1月〜2005年6月まで、モンゴルの首都ウランバートルの孤児院でボランティア活動をしながら、モンゴルの大学で教鞭をとってました。
モンゴルでの生活は空き巣に入られ、お金をほとんど持っていかれたり、酔っ払いに殴られそうになったり…決して楽な生活ではなかったのですが、苦しい生活をして学んだことはたくさんあります。また、悩み苦しんでいるときに限って、多くのモンゴル人や日本人に助けられました。当時、私に手を差し伸べてくれた人には本当に今でも感謝の気持ちで一杯です。
2007年にモンゴルへ行ったときの写真も合わせて掲載しています。一部2007年版につきましては、旅行記に使用している写真と同じものもあると思いますが適当に流して下さい。
2004年〜2005年まで滞在した時の写真(ブログから転載)と2007年の写真です。
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ハラホリンの町の様子。
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ハラホリンにある亀石。
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ハラホリン・エルデニゾー。
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ハラホリン・エルデニゾー。
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ハラホリン・エルデニゾーの外壁。外壁には108つの仏塔があった。思った以上に広くびっくり。エルデニゾーの周りには、何箇所かツーリストキャンプ地があった。私はお金が無かったため、地元の人間が利用するホテルに宿泊。
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日本政府が援助して建てられた小麦を保存しておく?プラント。ハラホリンにて。
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ハラホリン〜ウランバートル行きの帰りの車。12人のりの韓国製バンに20人位押し込められ7時間。相当辛い旅になった。
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私が1年間働いていたオルホン大学。ウランバートルにある私立学校。学生数が1600人と比較的大きな学校だった。外国語学部の他、観光学部、経済学部、法学部などがあった。
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孤児院でお仕事♪私のモンゴルの原点はここから始まる。最初の9ヶ月間はこの施設で住み込みながら働いていた。この施設を出た後も日本に帰国するまで、ボランティア活動をしていた。
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オルホン大学の卒業式。
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オルホン大学から撮った砂嵐の様子。毎年春、数回凄く強い風が吹き、前が見えないくらい砂が舞い上がる。孤児院があったヤールマグでは、道が舗装されていなかったため、よりえらいことになっていた。
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孤児院の凧揚げ大会。日本の方が来られて、この大会が実現した。
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この紙に教えた授業を記入し、月末この紙を持っていくと給料がもらえた。専属教員は月に2回半分ずつ給料が支給された。
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オルホン大学・卒業式の前日。
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オルホン大学・卒業式。(6月)
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モンゴルの有名な歌手?モンゴルの卒業式には有名な歌手が呼ばれ、コンサートなどが行われる。歌はラジオで聞いたことがあるが、何と言う歌手かはわからない。
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チンギスハーン村にて。
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中国・内モンゴル自治区省都・フフホト。建物はフフホト駅。モンゴルと内モンゴルはどのように違うのかを自分の目で確かめるために訪れた。1国の首都・ウランバートルとは比べ物にならないほど、フフホトはでかかった。
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フフホトの有名な寺院。
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上の寺院の入り口。
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大都市・フフホトも裏道に一歩入れば舗装されていない道があった。
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中モ国境の中国側の町・二連。白い建物で出入国審査を受ける。
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モンゴルの遊園地にある観覧車。少し危ない気が…。
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ウランバートル市内でも山手では牛が放牧されている。
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ボクドハーン寺院。この博物館は見ごたえ十分。何度も行った事があるが、毎回外国人料金を支払わず、モンゴル人料金で見学していた。
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2005年のスフバートル広場。今は政府庁舎前にはチンギスハーン像があるが、この当時はまだ無かった。夏の祭典・ナーダム時の様子。
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スフバートル像。よくこの像の前で友人と待ち合わせをしたのを思い出す。写真を撮ったときは、ナーダムが行われており、献花されていた。
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ナーダムの様子。ナーダムでは弓、相撲、競馬が行われ、この時は競馬を見に行った。
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自然史博物館内の様子。夏は写真を撮るとお金がいるようだが、冬場はオフシーズンということもあり、お金が要らない。この博物館は入場料が高いが、見応えあり。写真にもあるが、モンゴル南部ではよく恐竜の骨が発掘されている。
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ザイサントルゴイ。ここに登ると、ウランバートル市内が一望できる。
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孤児院のお遊戯。
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モンゴルでよく飲まれているチンギスビール。ドイツの製法が用いられているとの事。
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私が孤児院に住み込みで働いているときによくお世話になったお店。孤児院があったところには、水道が来ていないため、毎朝20L 入るプラスチック容器を運び水を買いに行った。
夏場はいいが、冬はマイナス40度になり、地面も凍ってしまうので、水を買うのにも一苦労。蛇口をひねると水が出る状況がどれだけありがたいものかを実感させられた。 -
孤児院があったところは、スラム街。写真ではごみが溜まっていないが、みんなここにありとあらゆるものを捨てに来る。当然ながら不法投棄。しかし、捨てても何のお咎めも無いため、捨てに来るようだ。ごみが一杯になったら、トラックで回収。衛生的に問題のある地域だ。
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少年院を訪問した時の職業訓練の様子。子供たちは一生懸命仕事に励んで技術を習得しようとしているものの、出所しても教育を受けていないなどの問題があるため、なかなか仕事につくことが出来ないようだ。
遊牧民がテレビで町の様子を知り、憧れ、家畜を売って町に出てきたものの、仕事が無いためお金が稼げず犯罪に手を染めるケースが多いようだ。政府には何とか治安の悪いウランバートルを改善してもらいたいものだ。 -
ウランバートルから車で約1時間の距離にある中央県・ゾーンモドのマンジュリヒード。キャンプ地としても使える。
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「先生に実家から送ってきた肉あげるわ」と学生から貰った馬肉。あまりの大きさにどうやって食べようかと悩んだ末、大和煮にした。そのまま焼いて食べたものの、臭いがきつかったので食べられず…。生姜をどっさりと入れて臭いを消して食べた。
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マンジュリヒード。
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マンジュリヒード。
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軍事博物館。住宅街の中にあり、わかりにくい場所に位置していた。いつものようにモンゴル人料金を支払い見学。
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大学で飼われていた番犬。食事にはいつも羊の頭の骨が与えられていた。モンゴルでは犬が番犬用として飼われていることが多い。噛まれそうになって向かってきたら、モンゴル人は犬に向かって石を投げていた。
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大学から撮った廃墟と化した工場。雰囲気に合わせてセピア色で写真を撮り、学生に見せたら怒られた。当然といえば当然かも。
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私が住んでいたヤールマグ。空港からウランバートル中心地に向かう途中にある。
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ザイサントルゴイ(冬)。冬にザイサンから見るウランバートルは美しいが、頂上まで行くのが大変。
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ザイサントルゴイから見たウランバートル市内。
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川の上。冬場はマイナス40度位にまで下がるので、凄い量の川の水もすっかり凍ってしまい、その上を歩くことが出来る。
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モンゴルの旧正月。旧正月は知り合いの家に挨拶しに行く。1日平均5軒くらい回っていた。家を訪問すると毎回凄い量のボーズや酒が出てくる。私は酒が全く飲めないので、他の人間に比べより一層多くのボーズを皿に盛られ、食べるように促された。
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大学から撮影したモンゴルの夕暮れ。
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オボー。モンゴル人はこの周りを三周し石を投げる。
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モンゴルでは夏に時々ゲリラ的な大雨が降る。私の家も時々雨漏りがして水浸しになったことがよくある。私にとってはとても迷惑な雨だったが、モンゴルでは雨が少ないため雨は非常に喜ばれる。
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雨が上がったあとのヤールマグ。
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孤児院付属の小学校。木柵は私がペイントした。
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中モ国境のモンゴル側の町、ザミンウードにて。10km先は中国・二連。国境を超えると風景が一変するのでびっくり。
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ザミンウード。地平線に沈む夕日。
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フフホト発ウランバートル行きの国際列車。1週間に2便列車がある。ザミンウードで撮影。
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ハラホリンへ向かうときに撮った放牧風景。
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ウランバートルからハラホリンへ向かう車。ドラゴンバスターミナルでこの韓国製バンを捕まえ、ハラホリンに向かった。車の中は相変わらず満員。一人でも多くの人を乗せようとするのでどうしようもない。価格は900円前後だったと思う。時間は7時間くらい掛かった。ウランバートルからハラホリンまでは道が舗装されているので、まだ車で行っても楽といえば楽かもしれない。
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モンゴル〜ハラホリンまでの韓国製バンと運転手。
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私が長い間ボランティアをしていた孤児院。赤ちゃんが孤児院の入り口に置き去りにされていたり、警察からこの孤児院へマンホールチルドレン達が運ばれてきたり…。ここでは悲しい思いをしたことが多々ある。愛情を注がれないといけない年代なのに、この施設の子供たちは自分の両親から暴力などを受け、家出し保護される。モンゴルはまだまだ難しい問題をたくさん抱えている。
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孤児院付属小学校。建物の前の遊具はアメリカ大使館から寄付されたもの。
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孤児院前の様子。ここでは貧困層の人々が大半を占める。昼から大人たちは集まり、少ないお金を出し合って店で酒を買い、些細なことからけんかをする…。時にはこちらにとばっちりが来るときもあった。2ヶ月に1度の割合でここを歩いていると襲われた。モンゴル人は私が「ヤールマグで生活している」って言うと、誰もがびっくりした。だけど、ここでの苦労は自分自身にとって非常に良い経験になったのは言うまでもない。
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モンゴルのトイレ。穴が掘ってあって、その上に板が敷かれているだけ。
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孤児院創立10周年記念イベント。
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孤児院創立10周年記念イベント。
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孤児院創立10周年記念イベント。
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6月1日モンゴルの祝日・こどもの日。この日に限り、お店ではタバコやお酒が買えない。写真はスフバートル広場・こどもの日の様子。
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軍事博物館。
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ウランバートル発ザミンウード行きの列車。一日一便運行されている。この列車に乗る人の多くは、中国へ品物を仕入れに行く人たちだ。
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ウランバートル駅。
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列車の中から。列車は13,4両つないでいる。
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列車でザミンウードに向かっているときに突然の豪雨。空の色が美しかったので思わず写真を撮った。
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中モ国境のモンゴル側の町・ザミンウードは小さな町。町の端から端まで1時間もあれば十分歩ける。国境のために作られた町といえるかもしれない。町から10分も歩けば写真のような荒野が広がる。しかし、この先にはツーリストキャンプがあった。一体何も無いこの町に誰が泊まりに来るんだろう!?
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モンゴル国鉄の路線図。列車の車内にて。
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列車には石炭を燃やしてお湯を沸かしたり、車両の暖を取るようになっている。お湯は好きなときに組むことが出来る。
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冬場はあまりの寒さにトイレから流れるものは凍る。○便がツララになっていた。
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ザミンウード駅。建物はヨーロッパ風。駅舎の中にはホテルもある。また、この駅前から中国・二連へ行く車も多数出ている。外国人だとわかると2倍くらいの金額を吹っかけてくる。今は価格はわからないが当時は8000tgくらいだった。多分今は値段が多少上がっていると思う。私自身も15000tg位言われた事があり、他の車に乗り換えた。値段交渉をすると応じてくれることが多いが、モンゴル語が出来ないとどうにもならない。運転手は英語が通じないと思った方が良い。
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ザミンウードでもチンギスビールは売られているが、圧倒的に中国のビールの方が安い。輸送コストの違いだと思われる。写真は燕京ビール。
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ザミンウードで唯一の中華料理店で鍋を食べた。久しぶりにモンゴル料理とは違うものを食べたので、非常に美味しく感じた。
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ウランバートルからハラホリンに向かう途中の風景。
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ウランバートルからハラホリンに向かう途中の風景。
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物資を輸送するロシア製のトラック。
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少し高い丘からハラホリンを望む。広大な草原にエルデニゾー全体を見ることができる。あまりの美しさにボーっと眺めてしまった。
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モンゴルのサービスエリア。食堂が並ぶ。
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モンゴルのお店では中国製の食品がたくさん売られている。グリーンピースと思い購入したが、袋のに写っているものと中身は全く違ったものが入っていた(笑)
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モンゴルの労働ビザを取得するのは難しいと言われている。その背景には中国人の不法滞在者の問題があるらしい。私自身は運よく取得することが出来たが…。取得するまでには色んな役所を周り、非常に手間がいった。まず労働局へ行って、書類(高校及び大学の卒業証書を翻訳したもの)を提出。モンゴルで観光ビザから労働ビザに切り替えることが出来ると聞いていたが、「中国へ行ってビザを再発行しないといけない」と無情の宣告。二連のモンゴル総領事館で取得した。
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労働許可証を取得するのに必要な書類。確か滞在先を証明する書類だったと思う。警察署で発行された。
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受け入れ先の書類。これも労働許可証を取得するのに必要な書類。受け入れ先が発行。
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労働許可証を取得する際に必要な書類・4枚目。モンゴルの公的機関が企業に対して発行する書類?。
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労働ビザを取得する際に必要な書類5枚目。何かよくはわからない。
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写真は日本で取得したモンゴル観光ビザ。本当は労働ビザが必要。このビザと他の5枚の書類を提出して無事に労働許可証をもらえる。これがなくて働くと、不法就労となる。労働許可証を取るのは本当に大変。
ちなみに、モンゴルの労働ビザは中国の二連領事館で取得。 -
孤児院の敷地内に建てられているゲル。
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孤児院に滞在している間、毎日モンゴル人家族から晩御飯を食べさせてもらっていた。その中で、ほとんど毎日出された夕御飯は野菜スープにうどんが入っているものだった。この当時、私が養ってもらっていたモンゴル人家族は肉を買うお金も無かったが、毎日御飯を提供してくれた。モンゴル人は仲良くなると本当に親切にしてくれる。この家族無くして、モンゴルでの私の活動はありえない。精神的な支えにもなってくれた。
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私が好きなモンゴル料理の一つ。饅頭ボーズ。いつも肉を買ってくると作ってくれた。肉まんといった方がわかりやすいかもしれない。僕は大好きだけど、食堂ではあまり売られていないのが残念。
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お金に余裕がある時、ごくたまにハムをダライエージザハへ買いに行った。ハムはドイツ人が作っており、どのハム、ソーセージを食べても美味しかった。ただ、値段が非常に高くなかなか口に入らなかった。一方、ハムの隣にあるのはロシア製スモークチーズ。このスモークチーズも一度食べるとやめられない。非常に美味しいものだった。
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ツアガーンサル(旧正月)後の初めての授業。みんなモンゴルの伝統的な衣装デールを来て登校。
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ウランバートル駅。
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ザミンウード駅。
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ザミンウード駅。
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行き着く先は中国。数キロ先は中国。写っている車は中国側の町・二連へ。
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検問所に並ぶ車。遠くから写真を撮ったのでわかりにくいかも。ザミンウードにて。
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ザミンウード。少し歩けば荒野が広がる。
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地平線に沈む夕日。
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中国へ向かう貨車と月。
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遊牧民の家。
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ザミンウード駅。
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モンゴル国鉄。ザミンウード駅にて。
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ザミンウードにあった自動車教習所。この時は誰もいなかった。
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ザミンウードの自動車教習所。
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ザミンウードにあるツーリストキャンプ。
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ザミンウード。
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ザミンウードの荒野に咲く草。尾の草はらくだのみが食べれるといわれている。茎にはとげがあった。
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中国へ向かう貨車。日本の貨車とは異なり、モンゴルの貨車は非常に長い。一般食料・物資のほかに木材や石炭、石油なども運ばれている。一番驚いたのは、韓国で使われていた現代製のバスが運ばれていたことだ。ザミンウードからウランバートルまでは舗装された道が無いので仕方が無い。
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ザミンウードの荒野。
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中国内モンゴル自治区・二連で見つけた浜崎コーラ。
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二連の恐竜博物館。二連は最近になって急速に発展した町。何も無いので恐竜博物館へ行った。入場料10元。見物客はゼロ。ゆっくり見学することが出来た。
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中国・二連。恐竜博物館。
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中国・二連にはモンゴルのツーリストビザから労働ビザに切り替えるためにやってきた。ビザは一日で取得することが出来たが、しばし二連に滞在。
ちなみに二連でもモンゴル領事館があり、ビザを取得することができる。領事館の場所はわかりにくい場所にあり、その上外国人が取得できない日もあるようだ。それに、領事の気分しだいでビザが発行されないということもあるらしい。ビザは大抵簡単に取れるが、ここでは申請用紙を取るときも門の前で待たされ、1回目は用紙を取りに入り、2回目に呼ばれたらやっとこさパスポートを領事に渡す。午前中にパスポートを預け2時ごろ取りに来いと言われた。こちらから頼んでもいないが、緊急で発給。通常の2倍の値段を取られた。ビザ代420元。2時に取りにいくと「ヤポン」と呼ばれパスポートを返してもらった。
この領事館には中国人がたくさんビザの発給を受けるために来るので、本当に申請までに時間が掛かる。この時は領事が機転を利かせてくれ、12時近くになり申請がストップする前に中国人達の順番を抜かして先に申請させてくれた。
それにしても話は変わるが、ザミンウードと二連…。国境を越えればこんなにも町の様子が変わるか!?と本当にびっくりした。 -
二連の町並み。
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中国で食べた水餃子。8元。1皿を頼もうと思って注文したが、従業員から1皿を一人で食べるのは無理。半分にしておけと言われ、その言葉を信じ半分で注文。半分でも十分な量だった。ジューシーでとても美味しかった。
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二連に売られていたゲルの形をした容器に入っているアイスクリーム。容器が面白かったので、迷わず購入。味は普通のバニラアイスだった。
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リッツの中国版。
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私が二連で宿泊していたホテル。1泊100元。地球の歩き方にはここにモンゴル総領事館が入っていて、ビザを取得することが出来ると書いてあったので宿泊したが、現在は違うところに領事館はある。領事館まで歩いて30分くらい掛かったように思う。
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二連駅前の通り。
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二連の町並み。ここはモンゴル国境の町・ザミンウードから10キロくらいしか離れていない。しかし、国境を越えるとここまで町の様子が一変する。ザミンウードはあまりに寂れすぎている。
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久しぶりに食べた焼き芋。中国の焼き芋は甘くて美味しかった。モンゴルには焼きいもは無かった。
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二連・恐竜博物館。
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二連の町並み。
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モンゴルの私が勤めていた孤児院の前の道。未舗装の道も冬場は道が凍るくらい寒い。冬場に水を買いに行くのは本当に大変だった。
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モンゴルのお茶・スーテイツァイ。日本語ではミルクティーとよく訳されている。しかし、普通のミルクティーと思って飲むと度肝を抜かれる。モンゴルのミルクティーは決して甘くなく塩が入れられている。モンゴル人は岩塩を入れることによって、ミネラルをお茶を飲むことによって得ている。
最初苦手だったこのお茶も今では癖になり大好きだ。モンゴル人はこれに羊の脂などを入れて食べる人も少なくない。モンゴル人にとってスーテイツァイは欠かせない飲み物だ。 -
観覧車から撮ったウランバートル市内の様子。
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観覧車から見た風景。
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モンゴリアンスタイルのテイクアウト。私が大好きなツォイワンを持ち帰りにすると、ナイロン袋に直接食べ物を入れてくれる(笑)決してこの店だけがこういう感じではなく、どの店でもこのスタイルをとっている。
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ナイロン袋を開けるとこんな感じ。皿にあけずそのまま食べた。ツォイワンの持ち帰り約75円。
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モンゴルのポテトサラダ。私自身もよくモンゴルにいるときはモンゴルのポテトサラダを作っていた。日本との違い…。それはモンゴルのポテトサラダはポテトを潰さない。食材は全て角切り。材料はジャガイモ、きゅうり、モンゴルハム、胡椒、マヨネーズ、お酢。味付けはマヨネーズが中心になるため、本当に美味しかった。約45円。モンゴルでは非常にマヨネーズが高い。1kgで500円前後していたように思う。モンゴルでは、牛肉1kg買うより高かった。当時モンゴル産というのはほとんど無く、ロシアか韓国製が中心だった。
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夏のウランバートル市内。ザイサンの丘より。
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ヤールマグからウランバートル市内へハイキング♪バスでは30分の道のり。何時間もかかり、歩くと相当遠かった。
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ウランバートル市内でも放牧が行われていることにビックリ。
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ナーダム競馬の会場にて。
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ナーダム競馬の様子。
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ピロシキと言えばロシア。以前ロシアと同盟関係にあったモンゴルでもピロシキは食べられている。1個約10円。中にはひき肉、玉葱、米などが入っていた。安くてボリュームもあり、私が大好きなモンゴル料理の一つ。学生たちともよくピロシキを食べに行ったのを思い出す。
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モンゴルから北京行きの国際列車の切符。この当時、6500円位で乗ることが出来た。
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モンゴルから北京行きの国際列車の切符。
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孤児院前の様子。貧しい人たちが住むゲル地区。ゲル地区の冬は大変。ここにはヒーティング設備が無いため、石炭を焚いて暖をとる。この石炭を燃やしたときに出る煙が体に影響を及ぼす。ここには風呂が無い。一週間もいれば体の至る所が真っ黒に。
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孤児院にて。
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モンゴルで売られているのは中国製インスタントラーメン。日清出前一丁なんかも売られていた。
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孤児院にて。
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私がモンゴルで住んでいたゲル。1人にしてはかなりでかかった。
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中国製のUFOなんかも売られていた。中国製の日清UFOはあまり美味しくなかった。
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石炭を燃やして環境に悪影響を与えているモンゴルで一番大きなモンゴル第4火力発電所。
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日の出。
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モンゴルで使っていた調味料の数々。中国製のしょうゆ、韓国製のコチュジャン、シンガポール製のチリソース、マレーシア産唐揚げ粉…。モンゴルでは外国製の調味料が溢れていた。
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冬のモンゴル。
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ここからは2007年の年末にモンゴルへ行ったときの写真です。
ナラントールザハにて。私がモンゴルで仕事をしている時は、1週間に1度は必ずここへ買い物に来ていました。ナラントールへ行けば、食料品から服、食器から電化製品まで何でも揃うので、行くだけで楽しい。ただ、スリが非常に多いので注意が必要です。
写真はダウンジャケットを買った店にて。最初45000tgを提示してきてましたが、30000tgまで値切り2枚購入。値段交渉が出来るのもこのザハの魅力です。
ちなみにザハでの写真は厳禁です。スリに目を付けられる恐れ有り。 -
2006年12月31日のスフバートル広場。2年ぶりに訪れたスフバートル広場にはチンギスハーンの像がありました。それにはビックリ。
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年末のスフバートル広場。人気歌手によるコンサートがあるため人で溢れかえっていた。
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スフバートル広場
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スフバートル広場。
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2005年1月15日。ブログより。
昨日無事モンゴルに到着。日本からモンゴルへ来る時の機内食はいつも通り大したことが無かったのだけれど、ソウル〜ウランバートルまでの機内食は久しぶりにあたりだった。メニュー
メイン…豚肉のコチュジャン炒めとご飯。
サラダ…レタス・子海老・パプリカのサラダ
パン
アロエゼリー
以上
ところで、今日は早速一つ授業を終えてきた。みんな田舎に帰っているために、人はあまり集まっていなかった。それに加え、来週の金曜日から3週間の休みだと。そんなことなら、モンゴルの渡航を2月末から始めるべきだった。と少し後悔している。あ〜、今後がちょっと心配。 -
2005年1月19日(ブログより転載)
朝自宅の窓を見てみると、部屋の中に氷が…。僕の部屋は他の部屋に比べ何故か極度に寒い。寒くて得すことは、冷蔵庫が必要ないということだけだ。
今は外の気温マイナス15度位かな。夜になるとマイナス30度近くまで下がる。しかし、2月9日の旧正月を過ぎると春が来るとモンゴルでは言われている。あと少し、我慢しなければ… -
2005年1月22日 ブログより転載
昨日、生徒をと共にモンゴルで一番でかい市場・ナラントールザハへ行ってきた。日本人には米が欠かせない。ということで、かねてから買おうと考えていた炊飯器を購入。800円也。そして、早速夕食にご飯を炊いてみた。炊き終えて炊飯器を見るとヒビが入っていた。
そう言えば以前一緒に働いていたカナダ人ボランティアのクリスタは「モンゴルで売られている中国製は安いけれどすぐに壊れる」と言っていたのを思い出す。さすがはモンゴルで一番評判が悪い中国製。いつ壊れるか心配だ。 -
2005年1月25日
最近ウランバートルでは雪が降り、昨日なんか本当にありえないくらい寒かった。しかし、仕事があるので自分が住んでいる寮から15分掛けて歩いていかなければいけない。学生は寒くて別に大学へ来たくなければ来る必要性は無い。学生という身分は非常に楽だ。今日の写真は僕の勤めるオルホン大学です。 -
2005年1月27日
今ウランバートルの気温を調べてみると、マイナス25度。その上雪が吹雪いている。気温が低いだけならまだ耐えることができるんだけれど、風が真正面から吹くと顔が痛い。今週一杯はこの寒さが続くとのこと。ハァ〜。
さて、先日は生徒を連れて市場へ行ってきた。やっぱり、机の上で勉強するよりも市場とかへ行って実物を見ながら、「あれは何」とか「これは何」と説明したほうが、いくらか頭の中に入るようだ。実際、生徒たちがはじめてみる野菜も多かったらしく、相当驚いていた。
今日の写真は、ウランバートル駅近くの様子です。 -
2005年1月30日
今週金曜日は冬休み前最後の授業。生徒たちは僕の授業がいやなのか、それともただ怠け者なのか…。いつもは教室に人がたくさん埋まっているんだけれど、金曜日授業には2人しかきなかった。よって、授業はできず自習。大学は3週間の冬休みに入ったため、インターネットが使用できない。写真は何枚か用意してあるものの多分なかなか投稿できないと思う。 -
2005年2月2日
さて、これは何でしょう?
答えは…。牛の舌。昨日無性に塩タンが食べたくて、市場で1kg260円で購入してきた。しかし、日本で売られているものとは異なり、何の下処理もしていない。そして、当然僕はこんな牛タンの下処理などはしたことが無い。
3時間格闘した後ようやく念願の塩タンにありつくことができました。苦労した分昨日のご飯は美味しかった。今日も牛タン♪牛タン♪ -
ご飯の上にのせて牛タンを食べた。
味付けは塩・胡椒にレモン汁。
脂ののりもよくジューシーで美味しかった。 -
2005年2月5日
先週の日曜日の気温最高気温マイナス22度。最低気温マイナス38度。いつまでこの寒さが続くのやら…。 -
2005年2月4日
昨日はモンゴルの一番大きな市場・ナラントールザハへ行ってきた。旧正月が近く、また品物が安く買えるという事もあり、寒いのにもかかわらず市場は人で一杯だった。
この日僕は市場で食用油を購入。寒さのあまり、油が凍ってしまっている。「凍った油」をモンゴルに来て初めてみた。
その他、アイスクリームも冷凍庫に入れられているのではなく、そのままチョコレートなどのお菓子の隣にダンボールに入れられて売られている。冷凍庫に入っていないアイスクリームを見ると、非常に違和感がある。しかし、寒いからこれでも全く問題が無い。 -
2005年2月5日
昨日は仕事でウランバートル郊外にある孤児院・Lotus Childrens Centerへ行ってきた。Lotus Children Centerは、私が9ヶ月間住み込みでボランティア活動していたモンゴルでの活動の原点となる場所だし、子供達も大好きだったので。その為、大学で働き始めた後もここでモンゴルを去るまでボランティア活動をしていた。
この日の授業内容は、折り紙だった。ここでは子供達に対するしつけがしっかりとなされていないこともあり、好き放題に教室中を子供たちが動き回る。一番初めに教室に入ってしなければいけないこと。それは教室中を動き回る子供たちを席に着かせることだ。よって、子供たちと格闘技することに…。
そして、授業が終わるころには、へとへと。家に帰るとすぐにお休みです。 -
2005年2月13日
やっと旧正月が終了した。気が付けばモンゴルで旧正月を迎えるのは今年で3度目だ。多分今年で一生旧正月をモンゴルで迎える事はないだろう。
モンゴル人は旧正月期間中、友人や知り合いの家々を回り、新年の挨拶をする。僕も期間中5軒モンゴル人の家々を訪問してきた。今肉を食べ過ぎて胃が痛い。私は体が大きいため、ボーズ(蒸し餃子)を山盛り出された。出してもらうものは全部食べないと悪いって思うので、ついつい全部ボーズをたいらげてしまった。
多分、こんなにも肉を食べたのは26年間生きてきて初めての事だ。明日からは待ちに待った仕事だ。今日の写真は家族のように接してくれるサルー家のお正月の様子です。右からクッキー、チョコレート、羊肉の塩茹でといった感じで並んでいます。 -
2005年3月4日
セブンイレブン、イ〜気分。っていうCMが以前あったような…。モンゴルでも発見しました。セブンイレブン。
っていうか…。
セブンイレブンはモンゴルに無かったような…。
看板は似ているものの当然偽物でした。 -
2005年3月19日
3ヶ月間住み続けた学生寮とはお別れです。
何故か?
鍵を掛けていたにもかかわらず、家の中に誰かが入り込みお金を盗まれたからです。総額20万円近くの現金。現時点で6月に日本へ帰る飛行機チケットも買うことが出来ません。
そして、今は職場まで歩いて0分。大学の五階にある大学直営のホテルに住んでいます。今の家には盗難カメラも付いているし、犬だっている。
「最初っから安全な家を与えろ!!」と言いたくもなります。警察や大使館に言っても何の解決にもならないと思うので、とりあえず就職活動して、お金をコツコツ貯めて何とか日本行きの飛行機チケットを買いたいです。
「人助け」がしたくて、モンゴルへやってきたのに、結果はこのありさま…。本当にモンゴルでの生活は苦労の連続です。 -
2005年3月19日
普段はなかなか投稿できないので、今日はもう一枚投稿したいと思います。
モンゴル料理…。
はっきり言ってものすごく脂っこい上に、美味しくない。主食である肉は形を変えただけで味は同じ。
だから最近僕は自炊しています。昨日の料理は、酢豚で〜す。疲れているときは酸っぱい物に限る。ヤフーで酢豚の作り方を調べ、見よう見まねで作ってみました。「我ながら良くできた」と自画自賛。非常に美味しく出来上がりました。 -
6月22日付けブログより
毎回授業の最初に行っていたテストの様子です。モンゴルで一番悩まされるもの、それはカンニングです。一度「カンニングをしてはいけない」と怒ると、「何でカンニングをしてはいけないの?」と言われ、非常に驚いたことがありました。カンニングはいくら怒っても直らない。本当にどうしようもなかったし、いつも悩まされていた。
モンゴルではカンニングの達人がいるらしく、
達人クラスになると、
前の学生の鉛筆の動きを見るだけで、
答えがわかるとの事です。
モンゴルの学生は恐ろしい。 -
6月25日付けブログより
モンゴルで見つけました。パソ粉。外国では「ン」と「ソ」をよく間違えるのはありがちかな?コロッケを家で作ろうと思い購入。普通のパン粉でした。メルクーリザハで購入。 -
2005年7月30日 ブログより
オルホン大学の入り口です。学生がいる時は賑やかなのですが、この時は夏休み中。こじんまりしていました。 -
2005年8月23日 ブログより
家に空き巣に入られ、お金に不自由している時
このパンにはよく助けてもらいました。
値段は35円程度。
はっきり言って、全く美味しくありません。
お腹をふくらませるだけの食べ物です。
しかし、イラストで使われているミッキーマウスは
しっかりと許可を得て使っているんだろうか?
多分、何の許可も無く使っているに違いない。
モンゴルでは最近美味しいパン屋も増えてきているみたいだが、
僕が仕事をしていたときは、
そういうお店があまり無く…。
それでも、ウグージ社のパンは値段が高い分、
比較的美味しいパンを食べることが出来ました。
それでも、一度パンの中に紙切れが入っていたことも…。
日本だったら大顰蹙だけど、
モンゴルなので紙の部分を捨てて残りを食べました。(笑) -
「モンゴルへ行ったら日本人には誰にも会わない」と決めてモンゴルへ渡った。日本人と友人になると、そこで「自分自身に対する甘え」が生じると考えたからだ。
不幸か幸運かはわからないが、私が住んでいたゲル地区で、当然日本人の姿を見ることはなかった。
日本人の方と知り合い始めたのは大学で働き始めてからかも知れない。
と言っても、モンゴル在住の方で知っている日本人は10人もいなかった。
孤児院があったゲル地区。
さっき、日本人の姿を見ることがなかったと書いたが、孤児院訪問で見学される日本人は3,4回見たことがある。
その中に私がモンゴルで仕事を始めて、初めて日本人の方と知り合うことができた。
それが、在モンゴルアメリカ大使館の大使夫人だった。
この方は日本人、当然ながらはご主人はアメリカ人で、夫がアメリカ大使館の大使として働く事になり、家族でモンゴルへやって来たとのこと。
元々、私が働いていた孤児院はアメリカ大使館から色々と援助して貰っていたと言う事もあり、オーナーと親交があったみたいだ。
その孤児院のオーナーの紹介で知り合う事ができた。
一時帰国し再びモンゴルへ行った際には、異動でモンゴルにいらっしゃらなかったけど、夫人がモンゴルにいらっしゃった時は日本語教育の教材を頂いたり、「困った事があれば何でも言って下さい」と、とても親切に接してもらった。
「また今度お茶でも・・・」と言われたが、結局その機会が得られず、非常に残念だった。写真は夫人から頂いた手紙。
モンゴルで仕事をすると日本では絶対に知り合うことが出来ない人に出会えるということも最大の利点かもしれない。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- picotabiさん 2019/01/23 19:26:57
- お金は盗まれたけど
- お金に変えられない多くのものが
得られたのですね。全てが宝物ですね。
私は人の人生がとても好きです。
全てがその人の素晴らしい物語りだから。
- SATORUさん からの返信 2019/01/27 13:03:30
- RE: お金は盗まれたけど
- モンゴルでの経験は私にとっては厳しく、
そして、苦しく当初言葉も話すことができなかった私にとっては、
非常に辛い場所でした。
しかし、その厳しく苦しい環境の元での生活は、
私に考える機会を与え、人として成長させてくれた場所だと感じています。
お金を取られた時にはどうなるかと思いましたが、
周りのモンゴルの友人が手助けをしてくれ、
大学での仕事を増やすことができ、
何とか日本へ帰国することができました。
大学での仕事をしてからは、
学生達が日々成長していく姿を目の当たりにすることができ、
充実したモンゴル生活を過ごすことができたと思います。
現在ウランバートル市内は経済が発展し、
私がいた頃とは大きく異なっていると思いますが、
何か御座いましたら、お聞きになって下さいね♪
わかる範囲内になるかとは思いますが、、、
では、今後とも宜しくお願い致します。
-
- まほうのべるさん 2012/11/21 23:49:18
- 異国でのボランティア!
- こんばんは、SATORUさん。
訪問・投票有難うございます。
モンゴルでは本当に大変な体験をなさったのですね。
異国でのボランティア活動は文化の違いもあり想像を
絶することも多かったことと思います。
寮でお金を盗まれたことは本当に悲しい出来事でしたね。
でもまわりの親切な人たちに助けられたことは良かった
ですね。
モンゴルで生活をなさった事はとても辛いことの方が多か
ったでしょうが、辛かった分これからの人生にもたくさん
役に立つことと思います。
モンゴルでのボランティア本当にご苦労様でした。
byまほうのべる
- SATORUさん からの返信 2012/11/22 11:11:40
- RE: 異国でのボランティア!
- まほうのべる さん
はじめまして。
投票&掲示板への書き込みを頂きまして有難うございました。
まほうのべるさんが書かれている通り、モンゴルでの生活は大変ではありましたが、周りの人々、大学で働いていた際に日本語を教えていた学生達、非常に多くの人々に支えて貰う事ができ、1年半を過ごすことが出来ました。
大変だった分、彼らから学んだことも多々あり、今振り返るといい思い出だったように思います。厳しい環境に身を置くことが「人」として成長していくために、どれだけ大切な事かを実感できたように思います。同時に、自分一人では生きていけない事、感謝の気持ちを忘れないことを痛感しました。
将来、また機会があれば人々に喜んでもらえお役に立てる現場へ戻りたいですが、現実を考えるとなかなか難しいですね〜〜。
これからもよろしくお願いたします。
SATORU
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