2009/06/28 - 2009/06/28
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■山口県光市<初代内閣総理大臣・伊藤博文生家>
■伊藤公資料館
伊藤公資料館は、初代内閣総理大臣・伊藤博文の遺品等を展示して博文の業績を紹介するとともに、幕末までの日本の動きを学習する場として開設されました。
鉄骨造平屋建534.36平方メートルの本館の外観は、レンガ造りの明治風建築となっています。
■伊藤博文生家(復元)
初代内閣総理大臣伊藤博文公は光市(旧大和町)で生まれ、幼年時代を過ごしました。
伊藤博文公(幼名・林利助)が6才まで過ごした家を復元しています。
家の裏には、産湯に使ったとされる井戸や、幼年期に遊んだイチョウの木が現在も残っています。
【手記】
実は、本日はお昼までお勤めがあり、勤務終了後その足で山口県柳井市のやまぐちフラワーランド&光市の各観光地を訪問してまいりました。ネクタイ姿、しかも1日で一番暑〜い ;^^;)時間帯に行動したことになります。
【今回の訪問地】
山口県柳井市「やまぐちフラワーランド」→光市「光ふるさと郷土館」→光市「峨嵋山普賢寺」→光市「伊藤公資料館」→帰宅
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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■山口県光市<初代内閣総理大臣・伊藤博文生家>
室積海商通りから伊藤公資料館へ車を走らせて来ました。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
伊藤公資料館は、初代内閣総理大臣・伊藤博文の遺品等を展示して博文の業績を紹介するとともに、幕末までの日本の動きを学習する場として開設されました。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
旧伊藤博文邸(山口県指定有形文化財)が見えてきました。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤公記念公園の案内図 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤公銅像 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・旧伊藤博文邸(山口県指定有形文化財)
明治42(1909)年、博文は遠祖・林淡路守通起の没後300年の法要を行うための別邸をこの地に建設するように命じ、同年10月14日に満州(現在の中国東北地区)へと出発しました。
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■山口県光市<伊藤公資料館>
・旧伊藤博文邸(山口県指定有形文化財)
伊藤公自らが基本設計したルネッサンス風の建物だったそうです。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・旧伊藤博文邸(山口県指定有形文化財)
しかし、同年10月26日にハルピンで狙撃を受けて死亡し、完成した別邸を見ることはできませんでした。その別邸が、現在「旧伊藤博文邸」として保存されています。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・記念撮影用 顔抜き千円札の看板
千円札の顔の部分がくりぬいてあって、そこから顔を出して記念撮影できるようになっています -
■山口県光市<伊藤公資料館>
入館料:大人400円 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
伊藤公資料館は、初代内閣総理大臣・伊藤博文の遺品等を展示して博文の業績を紹介するとともに、幕末までの日本の動きを学習する場として開設されました。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
館内は撮影禁止でした。
展示室では、博文が神奈川県大磯の別荘・滄浪閣で使用していた家具や、大礼服などの衣服、硯や筆、常に持ち歩いていた念持仏、昭和38(1963)年に発行された肖像入り旧千円札の第1号券等を展示しています。
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■山口県光市<伊藤公資料館>
また、幕末から明治末までの日本の動きをパネルで展示するとともに、博文の生涯を6台のモニターによる映像で紹介しています。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
鉄骨造平屋建534.36平方メートルの本館の外観は、レンガ造りの明治風建築となっています。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
また、生家と旧伊藤博文邸の間に位置することから、「利助(博文の幼名)と博文を結ぶタイムトンネル」といった要素も持たせています。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
初代内閣総理大臣伊藤博文公は光市(旧大和町)で生まれ、幼年時代を過ごしました。
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■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
伊藤博文公(幼名・林利助)が6才まで過ごした家を復元しています。
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■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
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■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
家の裏には、産湯に使ったとされる井戸や、幼年期に遊んだイチョウの木が現在も残っています。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
産湯に使ったとされる井戸 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
産湯の水 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
伊藤博文(1841〜1909)は、熊毛郡束荷村(現:光市)に林十蔵、琴子の長男として生まれました。幼名を利助。萩に引っ越した後、父が伊藤家の養子となったため伊藤姓を名乗り、長じて俊輔、博文と称しました。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
来原良蔵の紹介で吉田松陰の松下村塾に学び、桂小五郎、高杉晋作らとともに尊王攘夷運動に奔走しました。
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■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
しかし、文久3年(1863年)イギリスに留学したのをきっかけに、開国・倒幕に論を転じました。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
明治維新後に頭角をあらわし、維新の三傑(西郷、大久保、木戸)亡き後は明治政府の中心人物として活躍、大日本帝国憲法の制定や国会の開設に力を注ぎ、日本近代化の礎を築きました。
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■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文生家(復元)
明治18年(1885年)初代内閣総理大臣に任じられ、名実とも明治政府の第一人者となりました。
第二次伊藤内閣では日清戦争を遂行、戦後は、全権大使として下関で日清講和条約を締結しました。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤公資料館
明治33年(1900年)には立憲政友会壮総裁として第四次伊藤内閣を組閣。日露戦争後は初代韓国統監となり、公爵となりましたが、ハルビン駅で暗殺されました。
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■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文銅像
建物の裏に、<伊藤広場>と<ふれあい広場>があります。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文銅像
銅像の下には伊藤公の言葉が刻まれています。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文銅像
「人は誠実でなくては何事も成就しない
誠実とは自分が従事している仕事に対して
親切なことである」
・・・いい言葉です。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文銅像
第16代合衆国大統領リンカーンのようでもあります。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・伊藤博文銅像
伊藤広場から見た伊藤公資料館 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・ふれあい広場
遊具が並んでいます。 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
・ふれあい広場 -
■山口県光市<伊藤公資料館>
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■山口県光市<伊藤公資料館>
これで、今回の山口県柳井市〜光市ひとり旅が終了です。 -
■山口県山陽自動車道玖珂SA
絶品!味噌ラーメンを食べて帰宅の途につきました。コレが美味かった! -
■広島市五日市港付近にて
THE END
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