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私たちは「強行」とも言えるスケジュールであったということもあり、カルタゴから早めに引き返しチュニス駅のベンチで列車が来る22時前まで休むことにした。午後6時から待つこと約4時間、21時40分頃に列車が入ってきた。駅のインフォメーションでもらった時刻表によると、ガフサへは翌日の4時半頃に到着と記載してあった。私は列車に乗っている間は、熟睡できるとは考えてはいなかったが、長時間ベンチの上で座っていたので、これでやっと列車内でゆっくりできると考えていたが・・・。<br /><br />列車が出て始めの数時間は特に何もなかったが、4時間後Sfax駅でガフサ駅行きとガベス駅行きに列車を切り離すというので、ガベス行きの車両に乗り合わせていた私たちは、ガフサ駅行きの車両に乗り換えないといけなかった。その際、私たちが日本人であるということが数人のチュニジア人にわかり、そこから悪夢が始まった。<br /> <br />やはり、彼らにとって日本人が珍しいらしく、列車内で真夜中にもかかわらず、「ナカータ、ナカータ、????(フランス語?アラビア語?)、そして車内中大爆笑」という状況が約1時間半繰り返された。フランス語もアラビア語もわからない私は非常にストレスが溜まると同時に、私はもうチュニジア人に対してある種の不信感を抱いていました。(それまでも私は、空港での出来事、チュニス市内でのチュニジア人による突き刺さるような視線などチュニジア旅行の1日目は非常にストレスが溜まていた)<br /><br />車内中も平静さを取り戻したのもつかの間、結局列車の中ではゆっくりとできないままに、ガフサに到着予定の4時半になり、降りる準備を始めた。私はガイドブックでチュニジア国鉄は比較的時間通りに運行されている、と聞いていたのでそのことを信じきって、駅に降り立った。<br /><br />しかし、私たちが降り立った駅の周りには何もなかったので不安になり車両のドア付近にいた数人のチュニジア人に「ここはガフサか?」と聞くと、彼らは「違う。ガフサはだいぶん先」と言ったので再び車両に戻った。その後、彼らとは意気投合し、つかの間の異文化交流をした。<br /><br />彼らから受けた主な質問は、<br /> 1.アメリカについてどう思うか?<br /> 2.イスラエルについてどう思うか?<br />といった政治色の強いものから、日本の文化や物価、賃金、サッカー事情に至るまで様々なことに及んだ。ここでも感じたのは、自分の英語力のなさだ。こういうときに英語が話せたらなと感じた。彼らはアメリカの話になるとものすごくヒートアップしていたのを今でも思い出す。<br /><br />その後、私が彼らに日本についての印象を聞くと、「日本の電化製品や車はすぐに壊れないし最高だ。日本は大好きだ。」と言ってくれた。<br /><br />ガフサ駅に近づいて来た頃、彼らに「この列車の終点まで一緒に行こう」と言われたけれど、その申し出を断った。私自身は彼らともう少し話がしたいということもあり、「別にこの先の駅まで彼らと一緒に列車で行ってもいいかな。」と考えていたのですが、友人の一人が反対したのでやた。今、考えてみると彼の言った言葉はもっともであったと思う。確かにこの時の自分は緊張感がなかったような気がする。いくら、列車内で仲良くなったからと言っても、彼らのがどういう人物かと言うことはわからなかったし、ましてや全然知らない人物についていくのはもってのほかだだったからだ。<br /> <br />そうこうしているうちに、私たちの乗った列車は2時間遅れの6時半にガフサ駅に到着し、彼らと別れた。この時ぐらいから、チュニジア人に対して不信感が無くなり、よい印象を抱くようになった。

チュニジア・東欧旅行記3(チュニス~ガフサ)

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2002/01 - 2002/01

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SATORU

SATORUさん

私たちは「強行」とも言えるスケジュールであったということもあり、カルタゴから早めに引き返しチュニス駅のベンチで列車が来る22時前まで休むことにした。午後6時から待つこと約4時間、21時40分頃に列車が入ってきた。駅のインフォメーションでもらった時刻表によると、ガフサへは翌日の4時半頃に到着と記載してあった。私は列車に乗っている間は、熟睡できるとは考えてはいなかったが、長時間ベンチの上で座っていたので、これでやっと列車内でゆっくりできると考えていたが・・・。

列車が出て始めの数時間は特に何もなかったが、4時間後Sfax駅でガフサ駅行きとガベス駅行きに列車を切り離すというので、ガベス行きの車両に乗り合わせていた私たちは、ガフサ駅行きの車両に乗り換えないといけなかった。その際、私たちが日本人であるということが数人のチュニジア人にわかり、そこから悪夢が始まった。
 
やはり、彼らにとって日本人が珍しいらしく、列車内で真夜中にもかかわらず、「ナカータ、ナカータ、????(フランス語?アラビア語?)、そして車内中大爆笑」という状況が約1時間半繰り返された。フランス語もアラビア語もわからない私は非常にストレスが溜まると同時に、私はもうチュニジア人に対してある種の不信感を抱いていました。(それまでも私は、空港での出来事、チュニス市内でのチュニジア人による突き刺さるような視線などチュニジア旅行の1日目は非常にストレスが溜まていた)

車内中も平静さを取り戻したのもつかの間、結局列車の中ではゆっくりとできないままに、ガフサに到着予定の4時半になり、降りる準備を始めた。私はガイドブックでチュニジア国鉄は比較的時間通りに運行されている、と聞いていたのでそのことを信じきって、駅に降り立った。

しかし、私たちが降り立った駅の周りには何もなかったので不安になり車両のドア付近にいた数人のチュニジア人に「ここはガフサか?」と聞くと、彼らは「違う。ガフサはだいぶん先」と言ったので再び車両に戻った。その後、彼らとは意気投合し、つかの間の異文化交流をした。

彼らから受けた主な質問は、
 1.アメリカについてどう思うか?
 2.イスラエルについてどう思うか?
といった政治色の強いものから、日本の文化や物価、賃金、サッカー事情に至るまで様々なことに及んだ。ここでも感じたのは、自分の英語力のなさだ。こういうときに英語が話せたらなと感じた。彼らはアメリカの話になるとものすごくヒートアップしていたのを今でも思い出す。

その後、私が彼らに日本についての印象を聞くと、「日本の電化製品や車はすぐに壊れないし最高だ。日本は大好きだ。」と言ってくれた。

ガフサ駅に近づいて来た頃、彼らに「この列車の終点まで一緒に行こう」と言われたけれど、その申し出を断った。私自身は彼らともう少し話がしたいということもあり、「別にこの先の駅まで彼らと一緒に列車で行ってもいいかな。」と考えていたのですが、友人の一人が反対したのでやた。今、考えてみると彼の言った言葉はもっともであったと思う。確かにこの時の自分は緊張感がなかったような気がする。いくら、列車内で仲良くなったからと言っても、彼らのがどういう人物かと言うことはわからなかったし、ましてや全然知らない人物についていくのはもってのほかだだったからだ。
 
そうこうしているうちに、私たちの乗った列車は2時間遅れの6時半にガフサ駅に到着し、彼らと別れた。この時ぐらいから、チュニジア人に対して不信感が無くなり、よい印象を抱くようになった。

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